熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

江戸城展・・・江戸東京博物館

2007年03月04日 | 展覧会・展示会
   忘れてしまっていたのだが、最終日に「江戸城」展を見るために、江戸東京博物館に駆け込んだ。
   昼過ぎに博物館へ出かけたら、チケットを買うのに行列が出来ていて、館内に入ると芋の子を洗うような込み具合で、鑑賞もそこそこにして外に出た。
   しかし、外では大変な行列で、チケットを買う列が中庭まで出ていて、買ってもその後入場制限で長い列が続いていて、これでは難行苦行である。
   残念ながら、重要文化財の「歯朶具足」は既に展示変えされていたが、可なり大掛かりな展示で、まずまずの勉強をさせてもらった。
  
   館内に、江戸城と松本城の夫々の天守閣の50分の1模型が展示されていたが、これだけを見ても江戸城の規模の壮大さは分かろうというもので、沢山の江戸城の絵図面や平面図が展示されていて、松の廊下などを確認しながら、大奥は何処であろうかなどと考えながら見ていたが結構楽しかった。
   立派な天守閣であったのだろうが、実際政治上で重要だったのは低層の広大な江戸城の部分で、戦争がなかったのでヨーロッパの宮殿に匹敵する位置づけである。京都の二条城を大きくしたような宮殿をイメージすれば良いのであろうか。

   江戸城天守閣の平面図は、何時も見慣れている柱型だけだったが、しかし、現在のものと同じ詳細な側面図を見て、その美しい曲線に感激した。ヨーロッパでは本当に美しい細密な図面を見る機会が多いのだが、日本の場合は間取り図のような感じのものばかり見ていたのである。
   一寸次元が違うが、伊能忠敬の偉大さも、その地図を持ち出そうとしたシーボルトの悪巧みも分かるような気がした。

   入り口を入ると、まず、太田道潅と徳川家康の座像が展示されていて、その後の最初の展示は、安土城や聚楽第、大阪城や江戸城の金箔瓦やその破片、そして、大判などの金貨や貨幣であった。
   屏風絵や絵巻物などで当時の江戸の様子や人々の性格などが良く分かるが、外国人の見た江戸の風景や江戸城内の絵画やレポートが結構面白かった。オレンブルク「東アジア遠征記」の橋門の図など雰囲気が出ていて中々素晴らしい。

   やはり、江戸の最後は18世紀の後半であるから写真が登場しており、和宮の写真を見て現在との接点を感じたのだが、何よりも、明治初年に写されたガラス原版の各所の江戸城内で写された風景写真が非常に興味深かった。

   私が面白いとを思ったのは、大奥と将軍の暮らしのコーナーで見た「奥勤楽寿ご六」。すなわち「奥勤め楽しみ双六」と言う綺麗な彩色のスゴロクで、色々な奥勤めの絵が描かれているのだが、何と『あがり』が、芝居を見ることなのである。
   上段中央のあがりのところには、歌舞伎役者の色々な姿勢で見得を切っている錦絵が描かれていて、禁断の淑女達にとって歌舞伎見物がいかに楽しみであったのか分かって興味深かった。
   なんと言っても思い出すのは、奥女中江島と歌舞伎役者生島との激しい恋物語の「江島事件」あるが、起こり得て当然の事件だったのかも知れないと思ってみていた。

   この口絵は「千代田の大奥 雛拝見」だが、大奥に飾られた雛人形を、大奥の女性達が縁の人々を招待して見せているところとかで、大奥と言っても可なりオープンな面もあったのかも知れない。
   余談だが、上段に男雛と女雛が複数並んでいるのが面白かった。

   外国の場合も特別展は可なり人込みでごった返すが、それでも、日本の美術館の混み具合とは桁が違う。
   昔、京都国立博物館でミロのビーナスを見るのに何時間も切符を買うのに並んだが諦めて帰ったことを思い出した。その後、何度もパリで至近距離から見ているのも皮肉といえば皮肉である。

   出口を出ると売店があるが、その売店に展示されている印刷物の江戸城や江戸の絵図面を丹念に指を当てながら見て復習していた客が何人もいたが、本物より、明るいところでコピーをじっくり見て鑑賞し直すと言うのも何となく寂しい気がした。
   しかし、現実はそうなのだから仕方がない。
   日本の場合は、文化芸術などの鑑賞チャンスは殆ど東京にしかないのだから、東京にいるということだけでも感謝しなければならないのであろうと思っている。
   

   
   
コメント
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