私の場合は、幸いどうにか滑り込みセーフでITデバイドにならずに済んで、必要程度にはITやパソコンに付き合えている。
しかし、この方面は元々弱くて日進月歩の進歩なので、IT関連のセミナーや講習会には、分かっても分からなくても意識して積極的に出かけることにしている。
ところで、「儲かる国ニッポン」の著者達は、日本は世界一のITの先駆者であることを認めるが、それは世界を凌駕するようなハードウエア部門だけで、ソフトウエア部門に至ってはお粗末限りなく「技術の不毛の地」だとのたまう。
これはハードウエア重視の日本の企業文化の為せる業で、ITは企業戦略の重要な一部にも拘わらず、経営トップや上級幹部の軽視が甚だしく、IT関連部門の仕事だと考えていると言う。
大切なことは、ITハードウエアやソフトウエアの製造ではなく、成長と生産性向上を目的としてITを如何に活用するかと言うことなのである。
日本のIT企業は、ハードウエアの設計・製造・販売からソフトウエアの開発、顧客への配達とシステムの統合・メインテナンスに至るまでIT業務全般を処理する。
ハードウエア会社を母体とするソフトウエア会社は、グループ企業が遣うカスタムメイドのソフトウエアを受託開発し、余力で他企業へのシフトウエア開発事業を展開する。
しかし、十分に質の高い十分なカスタムメイド路線を維持できるような人的資源が日本のコンピューター産業にないことを見て取って、トッテンは、パッケージ・ソフトウエア販売の将来性に着目して、ソフトウエア輸入販売会社アシストを立ち上げた。
ろくすっぽまともにソフトを開発出来ない上に高額なコストを負担させられ続けている日本企業にとって、パッケージソフトが如何にITコストを削減し顧客に大きな恩恵を齎すかと言うことである。
その後、オラクル、SAS等直接販売に切り替えたので、アシストは戦略を変えて、コンサルとソフトウエア販売、導入、販売後サポート、保守管理等に方向転換したが、日本のソフトウエア市場でトップの座を維持している。
パッケージソフト市場はアメリカでは30%だが日本は10%弱、日本人の優秀なプログラマーはカスタムメイドのソフトウエア開発に集中していて、パッケージソフトのベンチャーは人材不足で、正に外資の起業家のねらい目だと言う。
物理的な制約が殆どないITの世界で起業が成功するためには、飛躍が過ぎるくらい遠大かつ奇想天外なひらめきが要求される。
また、全体を把握するずば抜けた能力を備えた人間、しかも一人の人間が考えた総合的かつ戦略的なビジョンを生み出す先見の明ある人間が要求されている。
日本の学校や職場は、飛躍的発展に繋がる着想を編み出して実現するのに必要な個人の創意や自負心を育てる教育をしてこなかったし、日本の内向き指向、集団への適応、ハードウエア思考は、このようなITには全く時代遅れである、と言う。
この論法で行ったら、日本のアニメやゲーム等世界に冠たるジャパンクールの世界をどう説明するのか、何れにしろ、問題は日本の学校や会社制度の問題で、日本人自身の本質を論じている訳ではなかろう。
しかし、日本のハードウエア重視の製造業の本質については言いえて妙で、ソフトはオマケ程度に考えていて、ソフトが如何に重要な創造的業務で利益源かと言う認識の欠如は覆い隠すべくもない。
日本の場合、部品や材料等専業メーカーの利益が高く、かつ、ソフトの美味しい部分を欧米のソフト会社に持って行かれてしまっていると言うのも事実であろう。
先日、松下の中村会長が、「真似した電器では駄目である。何故なら、あの時代はそれでも良かったが、デジタルになってからは、創業者のみ、そしてダントツのトップ企業のみしか創業者利潤を追求できなくなっている。」と言っていたが、差別化を追及するイノベーターでなければ利益を生めない時代になったのである。メーカーでそうなら、ましてやソフト会社では、と言うことである。
しかし、ハーバード・シリーズの「ITにお金を使うのは、もうやめなさい」の中で、ニコラス・G・カーは、ハードは勿論ソフトさえコモディティ化して、ITは電器や湯水のようになると言っている。
そんなソフトウエアの開発に十分な開発さえままならないプログラマー達に、高い金を払ってカスタムメイドのソフトウエア開発を頼むのは愚の骨頂である。
ITなどパッケージソフトで十分であると言うが、さて、ITのソフトウエアなどが十分にコモデティ化して使った分だけ料金を払えばよい、と言うのは一体何時のことであろうか。
待っている間に、青い目の起業かにソフトウエアの世界を席巻されてしまうのであろうか。
しかし、この方面は元々弱くて日進月歩の進歩なので、IT関連のセミナーや講習会には、分かっても分からなくても意識して積極的に出かけることにしている。
ところで、「儲かる国ニッポン」の著者達は、日本は世界一のITの先駆者であることを認めるが、それは世界を凌駕するようなハードウエア部門だけで、ソフトウエア部門に至ってはお粗末限りなく「技術の不毛の地」だとのたまう。
これはハードウエア重視の日本の企業文化の為せる業で、ITは企業戦略の重要な一部にも拘わらず、経営トップや上級幹部の軽視が甚だしく、IT関連部門の仕事だと考えていると言う。
大切なことは、ITハードウエアやソフトウエアの製造ではなく、成長と生産性向上を目的としてITを如何に活用するかと言うことなのである。
日本のIT企業は、ハードウエアの設計・製造・販売からソフトウエアの開発、顧客への配達とシステムの統合・メインテナンスに至るまでIT業務全般を処理する。
ハードウエア会社を母体とするソフトウエア会社は、グループ企業が遣うカスタムメイドのソフトウエアを受託開発し、余力で他企業へのシフトウエア開発事業を展開する。
しかし、十分に質の高い十分なカスタムメイド路線を維持できるような人的資源が日本のコンピューター産業にないことを見て取って、トッテンは、パッケージ・ソフトウエア販売の将来性に着目して、ソフトウエア輸入販売会社アシストを立ち上げた。
ろくすっぽまともにソフトを開発出来ない上に高額なコストを負担させられ続けている日本企業にとって、パッケージソフトが如何にITコストを削減し顧客に大きな恩恵を齎すかと言うことである。
その後、オラクル、SAS等直接販売に切り替えたので、アシストは戦略を変えて、コンサルとソフトウエア販売、導入、販売後サポート、保守管理等に方向転換したが、日本のソフトウエア市場でトップの座を維持している。
パッケージソフト市場はアメリカでは30%だが日本は10%弱、日本人の優秀なプログラマーはカスタムメイドのソフトウエア開発に集中していて、パッケージソフトのベンチャーは人材不足で、正に外資の起業家のねらい目だと言う。
物理的な制約が殆どないITの世界で起業が成功するためには、飛躍が過ぎるくらい遠大かつ奇想天外なひらめきが要求される。
また、全体を把握するずば抜けた能力を備えた人間、しかも一人の人間が考えた総合的かつ戦略的なビジョンを生み出す先見の明ある人間が要求されている。
日本の学校や職場は、飛躍的発展に繋がる着想を編み出して実現するのに必要な個人の創意や自負心を育てる教育をしてこなかったし、日本の内向き指向、集団への適応、ハードウエア思考は、このようなITには全く時代遅れである、と言う。
この論法で行ったら、日本のアニメやゲーム等世界に冠たるジャパンクールの世界をどう説明するのか、何れにしろ、問題は日本の学校や会社制度の問題で、日本人自身の本質を論じている訳ではなかろう。
しかし、日本のハードウエア重視の製造業の本質については言いえて妙で、ソフトはオマケ程度に考えていて、ソフトが如何に重要な創造的業務で利益源かと言う認識の欠如は覆い隠すべくもない。
日本の場合、部品や材料等専業メーカーの利益が高く、かつ、ソフトの美味しい部分を欧米のソフト会社に持って行かれてしまっていると言うのも事実であろう。
先日、松下の中村会長が、「真似した電器では駄目である。何故なら、あの時代はそれでも良かったが、デジタルになってからは、創業者のみ、そしてダントツのトップ企業のみしか創業者利潤を追求できなくなっている。」と言っていたが、差別化を追及するイノベーターでなければ利益を生めない時代になったのである。メーカーでそうなら、ましてやソフト会社では、と言うことである。
しかし、ハーバード・シリーズの「ITにお金を使うのは、もうやめなさい」の中で、ニコラス・G・カーは、ハードは勿論ソフトさえコモディティ化して、ITは電器や湯水のようになると言っている。
そんなソフトウエアの開発に十分な開発さえままならないプログラマー達に、高い金を払ってカスタムメイドのソフトウエア開発を頼むのは愚の骨頂である。
ITなどパッケージソフトで十分であると言うが、さて、ITのソフトウエアなどが十分にコモデティ化して使った分だけ料金を払えばよい、と言うのは一体何時のことであろうか。
待っている間に、青い目の起業かにソフトウエアの世界を席巻されてしまうのであろうか。