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熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

月光で写真を撮る・・・石川賢治「天地水 月光浴」展

2006年09月01日 | 展覧会・展示会
   東京駅の大丸ミュージアムで、石川賢治 月光写真展が開かれている。
   暗い展示室の壁面に、ダークブルーのスクリーンやパネルから、うっすらと月光の光に照らされて浮かび上がった色々な造形が、微妙な光を放ちながら輝いている。
   月光写真家石川賢治氏のなんとも幻想的な幽玄の写真世界である。

   光源は月光だけなので、長時間露出が原則のために、独特の雰囲気を醸し出していて、特に、海岸の浜辺にはよせては返す波飛沫が月光に照らされて白く輝くので、その重なりが綿菓子のような美しい軌跡を描いていて、実に優しくて美しい。
   海に落ちる滝つぼの写真も同じで、暗い周囲をバックに、滝の落ち口と浜辺だけが、夜光虫の集団のように微妙に光っている。

   もっと微妙なのは、月下美人の開花を写した連作で、長時間露出なので、その間に少しづつ花が開いて行くので、当然に被写体ブレを起す。
   これが、なんとも優雅なのだけれど、残念なのは、ホワイトバランスが同じなので、普通の月下美人の写真と変らない雰囲気で、月光で写したと言わなければ、普通のピンボケ写真と変らない感じになっているので、もう一工夫必要かもしれないと思った。

   最初に会場に入った時は、正に月光写真と言う印象だったが、しかし、以前にどこかで見た様な感じがした。
   そう、映画の西部劇で出てくるあの夜の決闘場面である。
   昔、映画で夜のシーンを撮る時に、日中に光の下で普通に撮影しているのだが、露出を切り詰めて写すので画面が暗くなって夜の雰囲気になるのだと聞いた事があるが、正にそれである。

   きのこの写真など、真っ赤な色彩が上手く現れていたが、殆どの写真は、ダークブルーの色調の中での濃淡で表現されていて、謂わば、印象はダーク基調のコントラストの少ないモノクロ写真に近い感じがする。

   今回展示されている写真は、オーストラリアの風景写真が多かったが、ガラパゴスでの月下のゾウガメやオオトカゲ、マダガスカルでの大きな幹の上に小さな手のように広がった枝のあるバウバオの木の風景、アフリカのサバンナのキリン、月光に輝くヒマラヤ等々、幻想的な造形が詩情を刺激する。
   竜安寺の石庭や銀閣寺の向月台など懐かしい写真や沢山の花の写真が展示されていて、見慣れているものが全く違った雰囲気を醸し出しているのが面白い。
   ピントを深くするためにも広角レンズで多少絞っているので、何れの写真も三脚を立ててかなり長時間露光で撮影しているのだが、星の軌跡を写した夜空の写真以外シャープな写真ばかりであった。

   石川賢治氏は、20年ほど前に、ハワイ・カイアイ島で、満月の夜に海岸を散策した時、空や雲、波や鳥などが鮮やかに見えて感激して、月下で写真を撮りたいと思ッたと言う。
   数ヵ月後、ジンジャーのつぼみを写した写真に衝撃を受けて、地球上で宇宙感覚を実感した思いで、月光写真にのめり込んだのだと言うのである。

   私も、カウアイ島の浜辺は勿論、色々なところで、満月に光り輝く風景を見て来たが、月夜の写真を撮ったのは、ポスポラス海峡を隔てたイスタンブールのウシュクダラの夜景ぐらいで、大体、月光では三脚を立てないと写真にならない。
   その時でも、興味のあったのは、海峡の水面に移る月の陰と対岸の灯の光の方で、どちらかと言えば、夕闇迫る頃の空の輝きや、街灯に滲む石畳やショーウインドーの煌きなど夜の雰囲気を撮る方がすきで、やはり、散策しながら三脚なしで撮る安直な方が趣味である。
      
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