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熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

国立小劇場・・・文楽「絵本太閤記」

2016年05月13日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   今月の国立劇場の文楽は、文楽鑑賞教室「解説・文楽の魅力/曽根崎心中」(他に社会人/外国人)が主体のような感じで、私が観た恒例の5月文楽公演の方は、「絵本太功記」ながら、少し寂しい感じであった。
   しかし、初日の舞台を観て、改めて、文楽の「絵本太閤記」の良さを実感し、補助金問題や人間国宝の引退等で弱体化が危惧されていた文楽界の層の厚さとその素晴らしい実力に感じ入ったのである。
   本来なら15日に行く予定が、私用でダメになり、両プログラムとも、早くから、チケットがソールドアウトで諦めていたのだが、直前に、国立劇場チケットセンターのHPを叩いていたら、いくらかチケットが出て、幸いにも、鑑賞の機会を得たのである。

   さて、「太閤記」の主人公は、本来なら当然太閤豊臣秀吉だが、文楽「絵本太功記」の主人公は、悲劇の智将明智光秀となっている。
   我々が、良く観る舞台は、歌舞伎で言う太十、十段目「尼ヶ崎の段」で、逆賊の汚名を着た光秀が、秀吉だと見誤って自分の母親を刺し殺し、戦場で深手を負って瀕死の状態で帰還してきた息子から、味方の敗北を伝え聞き、最愛の二人に先立たれると言う切羽詰まった悲壮感に満ちたシーンなので、余計に、光秀の悲劇が強調されてくる。

   平成15(2003)年4月と5月の桐竹勘十郎の「襲名披露狂言」で、この「絵本太閤記」の夕顔棚と尼崎の段が上演された。
   武智光秀は、当然、桐竹勘十郎だが、武智十次郎に吉田玉男、嫁初菊に吉田簑助、妻操に吉田文雀、母さつきに桐竹紋壽、
   そして、尼ケ崎の段の浄瑠璃と三味線は、切 豊竹嶋大夫 鶴澤清介 奥 豊竹咲大夫 豊澤富助、
   と言う文楽界挙げての錚々たる演者による舞台が実現している。
   その後、平成19(2007)年 5月に、この国立劇場で、通し狂言が実現しているので、私は、2度、素晴らしい文楽「絵本太閤記」の舞台を鑑賞したことになる。
   平成12(2000)年5月の公演にも、行っている筈だが、全く記憶にないのだが、歌舞伎でも、太十は、何回か観ているので、この夕顔棚と尼ケ崎の段は、かなり、印象に残っている。

   この舞台を鑑賞しながら、いつも思うのだが、母さつき(玉也)が言うように、光秀(玉志)を、主に弓引いた悪逆な謀反人として糾弾するのが正しいのか、光秀の説くように、天命を失った暴虐な独りよがりの天下人を討って革命を起こすのが正しいのか、と言う疑問で、この段では、当然ながら、その両者の主張がかみ合わずに、「また、改めて、山崎の天王山で」で終わっていることである。
   史実とは異なっているので、何とも言えないのだが、そう言う疑問を感じて舞台を観ていると、私など、明智光秀謀叛の理由はともかく、どちらかと言えば、光秀の方が正しいと思っているので、母さつきや妻操(簑二郎)の言い分の方が、女の短慮と言うか理不尽のように思えて、悲劇の本質が全く変わってしまうのである。
   親子の愛情を身に染みて感じながら慟哭する光秀の思いは、それを越えた正義の貫徹への挫折、天命に見放された苦悶苦痛の方が色濃い筈であろうと思う。
   そう思えば、この舞台の主役は、母さつきと言うよりも、光秀の方にもっと比重が行くのだが、この太十に関しては、母さつきの立場と、光秀の立場になったつもりで、思いを切り替えながら観ている。

   さて、大詰は「大徳寺焼香の段」で、武智光秀が、天王山の戦いで真柴久吉に敗れて逝った後、春永の法要が営まれて、春長の孫・三法師丸を伴って現れた久吉が、柴田勝家に屈辱を味わわせて、後日の対決を意図して終わっている。ので、一応、「太閤記」なのであろう。

   失礼な話だとは思っているのだが、私など未熟者は、どうしても素人考えが先に立って、人形についても、スター人形遣いの舞台に注目が行くのだが、今回、さつきを遣っている玉也を筆頭に、人形遣いの人々は、素晴らしい舞台を演出していて、感激の一言であった。
   珍しくも、早々に、チケットが完売するのも、当然と言うことであろう。

   ところで、いつも、どうしても人形にばかり集中するのだが、今回は、席が上手側にあって床が斜め正面に見えていた所為もあって、特に、浄瑠璃と三味線に、注目して鑑賞させてもらった。
   シェイクスピア戯曲を聴くと言うのと同じで、本来は、浄瑠璃を聴くと言うのが本筋であろうが、いつも、演劇や歌舞伎を見るのと同じ感覚で、芝居を観ると言う姿勢になってしまうのである。
   客席後方で、引退された嶋大夫が観劇されていたのだが、浄瑠璃と三味線は、妙心寺の段の奥の、呂勢大夫と錦糸、尼ケ崎の段の、文字久大夫と藤蔵、津駒大夫と清介をはじめ、素晴らしい熱演で、改めて、浄瑠璃を、三業でパーフォーマンス・アーツとして創り上げた日本芸術の素晴らしさに感じ入っていた。
   
   
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四月大歌舞伎・・・「幻想神空海」

2016年05月03日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   この歌舞伎美人掲載のビラには、総本山金剛峯寺の名前が入っており、以下のように記されている。
   夢枕獏「沙門空海唐の国にて鬼と宴す」(徳間文庫・角川文庫)が歌舞伎座で上演されます。
四月大歌舞伎 夜の部 新作歌舞伎
「幻想神空海 沙門空海唐の国にて鬼と宴す」
 高野山開創一二〇〇年記念
夢枕 獏 原作
戸部和久 脚本
齋藤雅文 演出
空  海 染五郎
橘 逸勢 松也
楊貴妃  雀右衛門
皇  帝 幸四郎

   高野山公認の新作歌舞伎であると言うことなのであろうが、夢枕獏の原作「沙門空海唐の国にて鬼と宴す」が、創作の小説である以上、実際の空海像とは違うであろうし、ここで描かれている空海が説く「密」などの宗教論が、高野山の教理に合致しているのかどうかは、門外漢の私には、全く分からない。
   しかし、歌舞伎を観て、非常に面白かったし興味を感じたものの、歌舞伎を一回観ただけでは、ストーリーが良く分からなかったので、夢幕獏の原作を読んでみた。
   徳間文庫で全4巻、完結までに17年かかったと言う、2000ページ以上の大作であり、殆ど小説を読んだことのない私には、経済や経営の専門書などと比べれば、すいすいと行くものの、速読術ではないので、一寸、時間を取った。

   この小説は、空海と橘逸勢が主人公だが、しかし、あの絶世の美女楊貴妃を廻る物語で、幻術を使う異教の道士や呪師が暗躍して唐王朝を手玉に取ると言う幻想的な怪奇伝奇ロマン小説であり、沙門空海が、唐の国、玄宗皇帝と楊貴妃が愛を育んだ華清宮で、鬼と宴す物語なのである。
   胡人をメインキャラクターに据えて、ゾロアスター教の闇を暗躍させて、インドで生まれた仏教から中国で成熟した密教の世界を描こうとするあたり、エキゾチックなムードの充満した長安を舞台に繰り広げられているスケールの大きな芝居の面白さを増幅していると言えようか。

   楊貴妃が馬嵬で殺害されてから、空海が遣唐使として長安に至るのは、ほぼ半世紀後のことなので、両者には何の接点もないはずだが、夢枕獏は、次のように楊貴妃の出生を変えて、奇想天外な発想を加えて、唐王朝の滅亡のために暗躍する胡人たちを登場させている。

   胡の道士黄鶴は、短剣使いの街頭芸人の時に、芸のカラクリを見抜かれて玄宗皇帝の命令によって身動きできなくした妻を盾にして殺してしまい、玄宗に激しい恨みを抱き、唐王朝の滅亡を策そうと決心する。
   ある時、亡き妻によく似た女性を見つけて後をつけ、幻術を使ってものにして通い詰めたら、それが楊玄琰の妻であり、孕ませて生まれた女児が楊玉環(楊貴妃)であった。見つかったので、夫婦を殺害したので、玉環は、叔父楊玄璬に養育された。
   玄宗への復讐心よりも、わが孫を皇帝にすることの方に心を砕くようになり、玄宗の子・寿王に嫁がせたのだが、皇帝への芽が消えたので、高力士を誑かして、楊貴妃を玄宗に娶らせる。安禄山との戦いで窮地に立った玄宗が、楊貴妃を馬嵬で殺害することになった時に、黄鶴は、尸解の法(尸解丹を飲ませて針を刺して人の生理を極端に遅く仮死状態にして後に再生させる方法)を使って、高力士に因果を含めて仮死させて楊貴妃を石棺に納めた。
   その後、その石棺をあけて楊貴妃を蘇らせたのだが、黄鶴の弟子の丹龍(丹翁)と白龍が、楊貴妃を連れて出奔し、玄宗と黄鶴の前から姿を消す。
   空海が長安に赴いた時に、黒猫の妖怪が引き起こす劉雲樵の家の怪異事件、徐文強の綿畑で俑の妖怪が暗躍する事件、長安の街路で順宗の死を予言する立札が立ち続ける事件等々、朝王朝に対する不吉な事件が頻発して、空海たちを巻き込んで行く。
   この事件は、ペルシャの邪教の呪師と化した白龍が、自分から逃げた相棒の丹龍を誘き寄せるために、唐王朝を滅亡させようと打った妖術である。
   楊貴妃に恋い焦がれて女にしたものの、白龍には靡かず丹龍の名前ばかりを口走るので恨み骨髄に達して、大唐国の皇帝を呪詛し滅ぼそうとすれば、丹龍が、必ずそれを察知して長安に舞い戻るであろうと考えて、始皇帝が1000年前に作らせた呪を打ち続けてきたのである。
   最後に、尸解の法で長生きしてきた黄鶴が現れて白龍(実は楊貴妃の弟で実子)を殺し、娘を道具にし続けたその黄鶴も、正気に戻った楊貴妃にその刀で殺される。
   楊貴妃も、自害しようとしたのだが、丹翁が思い止まらせて二人で仲良く消えて行く。
   そんなストーリーがメインになっている、超人的な空海が縦横無尽に活躍する痛快な伝奇物語で、並みの小説よりもはるかに面白い。
   ラストは、空海が2年と帰国を早めたので、帰国の許しを皇帝に懇願するシーンで、皇帝のたっての願いで、王宮の壁の王羲之の筆の横に、空海が「樹」と大書して残す。 

   私が、この小説で面白かったのは、重要な役割を演じる狂言回しの道士や呪師たちや胡伎たちなどがペルシャやインドなど西方人たちで、人種の坩堝であったシルクロードの交差点大都長安の、国際都市としての風景が、実にビビッドに描かれていて興味深かったことである。
   京都での学生時代に、中国史などに入れ込んで、シルクロードなど東西交渉史を勉強したことがあった所為もある。

   この歌舞伎の主な出演者は、染五郎(空海)を中心に、松也(橘逸勢)、歌六(丹翁)、雀右衛門(楊貴妃)、又五郎(白龍)、彌十郎(黄鶴)、松也(逸勢)、歌昇(白楽天)、種之助(牡丹)、米吉(玉蓮)、児太郎(春琴)、そして、幸四郎(皇帝)だが、原作には春琴は登場せず、
   原作で、空海が修行する青龍寺の恵果や不空など重要人物が省略されているなど、シンプルになっているけれど、かなり、異同がある。

   染五郎の空海は、イメージとしてどうなのかは別として、この舞台では、非常にエネルギッシュで活力漲った意欲的な芝居に徹していて、興味深い。
   そして、原作でもそうだが、松也の橘逸勢は、絶えず、空海と行をともにしていてストーリーの補足説明役のような存在だが、上手く合わせていて面白い。
   二時間に短縮した芝居なので、仕方ないのだが、原作では、非常にあくの強い邪師である黄鶴や白龍の存在感が希薄で、彌十郎や又五郎が本領を発揮できなかった。
   丹翁は、空海の導き手のような役割の道士ながら渋い役で、歌六が良い味を出していた。
  雀右衛門の楊貴妃は、中々、電光に映えて優雅で美しく、流石に襲名披露後の舞台である。
   奇麗な米吉の玉蓮や、颯爽とした歌昇の白楽天など、若手俳優の活躍も見逃せず、華麗な舞台を作り上げていた。

   肝心の空海の青龍寺での恵果との劇的な対面や灌頂を授けた状況などに触れずに、それに、白楽天を登場させながら、「長恨歌」を端折ったりしながらも、とにかく、歌舞伎の舞台は怪奇ストーリー一辺倒となっていて、空海とは、別の世界を現出していて、芝居としては面白い。
   もう一つ、原作では、80歳を超え老いさらばえた楊貴妃を登場させて、華清宮で舞わせており、実年齢で空海と対面させているのだが、歌舞伎の舞台では、絶頂期の美しい楊貴妃の姿や舞だけにして、夢か現か分からないようにしているのは、やはり、虚実皮膜、芝居ゆえであろうか。
   楊貴妃が、黄鶴の血を受けて目の色が青いと言うのも面白いが、舞姿が、胡扇舞の趣があるのかどうか、雀右衛門の舞は、唐と言うよりは、今の中国の伝統的な舞姿なのであろうか。華清宮の舞だが、空海の「沙門空海唐の国にて鬼と宴す」のメインテーマで、玄宗と楊貴妃ゆかりのこの華清宮で宴を催すと言う一世一代の大芝居を打って、唐王朝を揺るがせた邪教淫祠カラバンのドゥルジ(白龍)を誘き出して楊貴妃を登場させたのであるから、着飾った華麗な舞であっても、原作通り、老いさらばえた実年齢の楊貴妃に舞わせるべきではなかったかと思っている。

   面白いと思ったのは、この歌舞伎では、主要な舞台の一つが、玉蓮や牡丹など胡人の妓生のいる胡玉楼という遊郭まがいのナイトクラブで、橘逸勢はともかく、空海も僧衣で結構通っていて、僧職にありながら、公然と女性との関係を公言していることである。
   密教で重要な「理趣経」に、「妙適清浄句是菩薩位」、すなわち、「男女の交合のたえなる思いは清らかな菩薩である」と言うことで、夢枕獏は、「欲箭」「愛縛」など十七清浄句を説明し、妙適はと聞かれた空海に、「よいものですねえ」と答えさせている。

   歌舞伎の舞台は、大分前に観たので、印象が薄くなってしまって、レビューにならなくなってしまったのだが、真山青果の『元禄忠臣蔵』や浄瑠璃など、原作のあるものは、先に読んでから歌舞伎を観に行くことが多いにも拘らず、夢枕獏の作品は読んだこともないので、端折ってしまったのが、一寸、失敗であったかも知れない。
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国立文楽劇場・・・通し狂言「妹背山婦女庭訓」第二部

2016年04月27日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   「妹背山婦女庭訓」第二部は、
   鎌足(和生)の息子淡海(清十郎)が身分を隠して求女と称して三輪に住んでいて、隣の酒屋の娘お三輪(勘十郎)と相思相愛ながら、通ってくる入鹿(玉輝)の妹橘姫(勘彌)とも情を交わしており、この三角関係を舞踊化した華麗な「道行恋苧環」や、淡海を追って三笠山御殿にやって来たお三輪が散々虐めぬかれた末に入鹿を倒すために犠牲となる「金殿の段」が主体となる公演だが、三段目の「妹山背山の段」を第一部に振ったために、二段目の「鹿殺しの段」から始まる。

   平成6年5月に、今回のプログラムに、「井戸替の段」を加えた通し狂言が、東京の国立劇場で上演されたようだが、行った筈にも拘わらず、全く記憶が残っておらず、その後は、11年4月と22年4月にこの国立文楽劇場で、同じプログラムの通し狂言が上演されており、後の方から今回は、定高が文雀から和生に変わっているが、私は両方とも観ていない。
   その後は、山の段は1回だけで、殆ど道行と金殿主体の公演であったので、今回の通し狂言の鑑賞は初めての感じで非常に新鮮であり、それだけに、ストーリー性が気になる私には面白かった。

   さて、この浄瑠璃は、主役は入鹿であり、大詰めの金殿の段で、どのようにして、鎌足たちが、簒奪者の憎き入鹿を誅殺するかが明かされる。
   鱶七(実は藤原淡海の家来で金輪五郎・玉也)が、女官たちに散々虐めぬかれて虚仮にされて激情したお三輪を、刺し殺す時に、述懐するのである。
   年老いた蘇我蝦夷子には子供がなかったので、占い博士の進言を受けて、白い牝鹿の生血を母親に飲ませたところ、霊験新かによって男子・入鹿が生まれた。入鹿が悪の超人的な力を持っているのはそのためで、この入鹿の悪の力を打ち破るためには、爪黒の鹿の血汐と疑着の相のある女の生血を笛にかけて、その笛を吹くと、入鹿は正体を無くする。その虚をついて、鎌足が宝剣を奪い返して入鹿を討つのだと、鱶七は語り、瀕死の疑着の相あるお三輪を刺し殺し、その血を笛に注ぐ。   
   「天晴れ高家の北の方」と言われても、そこはおぼこい田舎娘で、「・・・とはいふものゝいま一度、どうぞお顔が拝みたい。」と、お三輪は、苧環を抱きしめながらこと切れる。
   前の段の猟師芝六(玉男)が、禁令を侵して射止めた爪黒の鹿の血汐とお三輪の生血が入鹿誅殺に役だったと言う説明だが、奇想天外な発想を、良く芝六とお三輪の話に作り上げたものだと、半二たちの創作意欲に感心している。

   ところで、余談だが、この浄瑠璃で気になるのは登場人物の描き方である。
   まず、第一に分からないのは、淡海のキャラクターで、モデルは鎌足の次男不比等と言うことだが、「杉酒屋の段」では、通って来る橘姫とのことがお三輪にばれて言い逃れるも、道行では、完全に橘姫に靡き、橘姫の袖口に苧環の糸を結び付けて後を追いかけて金殿に行き橘姫と二世を契る。お三輪が断末魔で「賤の女が・・・しばしでも枕交わした身の果報」と言っているから実質夫婦でありながら、お三輪を踏みつけにしており、改新のための大義とは言え、淡海の不甲斐なさと不実が気になると、素直に、お三輪の悲劇をそれとして鑑賞できない。
   尤も、その前に、どこでどうして親しくなったのか、淡海と橘姫との馴れ初めが分からないのが気になるのだが、この浄瑠璃には、辻褄合わせが多くて、筋が唐突な部分が結構あって、そのつもり・・・で見ないと、通し狂言が生きてこないところがある。

   もう一つは、これも、第一部の山の段で主役であり、歌舞伎なら、幸四郎などの座頭役者が演じる大判事清澄が、息子の久我之助が本心を訝るほど何故入鹿に簡単に靡いて従うほど節操がないのか分かり難いし、定高や久我之助への対応も煮え切らなくて、改新のために鎌足側に貢献するでもない中途半端な人物として描かれていることである。
   芝六も、真意を示すためと、実子杉松を刺し殺すのも、やはり、意味不明であり、タイトルの「芝六忠義」と言うのは、爪黒の鹿を殺したくらいであろう。
   そう言う意味では、入鹿や久我之助の方が、すっきりと筋が通っている。

   お三輪あっての道行から金殿だと思うのだが、簑助と紋壽のお三輪が印象に残っている。
   今回は、簑助の後継者である勘十郎のお三輪であり、観客が、拍手で素晴らしい芸を賞賛していた。
   杉酒屋の段で、咲太夫が休演し、咲甫太夫が代演した。
   この頃になって、人形も素晴らしいが、太夫の語りと三味線の創り上げる何とも言えない浄瑠璃の素晴らしさが少し分かってきたような気がしている。

   一階の「資料展示室」で、常設展示「文楽入門」が実施されていて、結構興味深いのだが、今回の「妹背山婦女庭訓」関係の写真などもあって、参考になった。
   また、入り口を入った一階ロビー正面に、長谷川貞信筆の芝居絵が掛かっているのだが、登場する様々なキャラクターが上手く描かれていて、いつも、興味を持って眺めている。
  
   
   
   
   


   劇場ロビーには、大神神社から授与されたと言う杉玉がディスプレイされていた。
   また、売店で、杉酒屋の段記念の三輪の酒が売られていた。買って帰ってホテルで飲もうと思ったのだが、終演後売店が混んでいたので諦めて、コンビニの酒で代用した。
   
   

   三輪の大神神社のHPを開くと、苧環は、『古事記』の大物主大神と活玉依姫の恋物語で、毎夜姫のもとに通ってくる若者の衣の裾に糸巻きの麻糸を針に通して刺し、糸を辿ってゆくと三輪山にたどり着き、若者の正体が、大物主大神だであったと言う神話によると言う。
   また、「極楽を いづくのほどと 思ひしに 杉葉立てたる 又六が門」と言う一休宗純禅師の又六という酒屋で酩酊すればそこが極楽というユーモラスな歌がもとで、大神神社の大物主大神が酒造りの神であり、大神神社の神木である杉に霊威が宿ると信じられたため、酒屋の看板がわりとして杉葉を束ねて店先に吊るす風習が出来たと言う。
   とにかく、現代人の敵である花粉症の権化である杉が、酒の神とは、お釈迦さまでも分からないと言うことであろうか。

   他に撮った文楽劇場での写真は、次の通り。
   
   
   
   
   
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国立文楽劇場・・・通し狂言「妹背山婦女庭訓」第一部

2016年04月26日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   この浄瑠璃「妹背山婦女庭訓」は、、中大兄皇子(後の天智天皇)や中臣鎌足(後の藤原鎌足)らが蘇我入鹿を暗殺し滅ぼした大化の改新に題材をとったもので、いわば、入鹿が主役の物語である。
   近松半二たちの作による五段の浄瑠璃だが、今回の通し狂言では、冒頭の「大内の段」と最後の五段目の入鹿が討たれて帝が復位して、久我之助と雛鳥との供養が行われる「志賀都の段」が省略されているが、正味8時間に及ぶ非常に意欲的な舞台であった。

   歌舞伎や文楽で、見取り公演で、特に三段目の「妹山背山の段」や、四段目の「杉酒屋の段」から「金殿の段」くらいは、何度も見る機会があったので、お馴染みだが、このように通しで見ると、作品への思いが、一段と増して、浄瑠璃の良さ豊かさが分かって、非常に楽しめるのである。
   それに、この劇場の文楽の場合には、オペラ劇場と同じように、舞台正面上部に字幕が表示されるので、ストーリー展開が、微妙なところまで良く分かって、非常に良い。

   第一部は、大判事清澄と太宰の後室定高は領地争いで対立している不仲の間柄なのだが、その両家の清澄の子久我之助と定高の娘雛鳥が、春日大社の社殿で、一目惚れして恋に落ちる「小松原の段」から始まる。時代が変わっても、若い男女の愛は同じか、堂々と抱き合って唇を交わすと言うシーンまで披露する。しかし、これが悲劇の発端である。
   蘇我入鹿が、権力を誇って居丈高であった父の蝦夷子を失脚させて自殺に追い込み、大判事を案内役として帝位を奪うべく禁裏に乗り込む。
   逃げてきた天智帝の寵姫である鎌足の娘采女を久我之助が入水したと偽って匿い、猿沢の池で入鹿謀反を知った天智帝を、鎌足の子淡海が、落ち延びさせる。
   入鹿は、大判事清澄と太宰の後室定高を呼び出して、天智帝と后にと望む采女の行方を激しく詰問し、さもなければと、子息久我之助を家来に、雛鳥を入内に差し出すよう命ずる。

   その後が、2時間にも及ぶ「妹山背山の段」で、久我之助と雛鳥を死に追いやる悲劇が展開される。
   舞台は、中央に川が流れていて、上手が背山で大判事清澄の館(男の世界)で、下手は妹山太宰館(女の世界)であり、下手にも床が設けられて、両床に太夫と三味線が分かれて、それぞれが掛け合う華麗な競演が演じられて感動的である。歌舞伎では、更に、両花道が設けられて、大判事が背山側、定高が妹山側から登場する。
   定高は、入鹿への入内を拒否して久我之助の命を救うべく死を選んだ雛鳥の首を討ち、大判事清澄は、采女探索の手がかりを消すために自害する久我之助の切腹を許す。
   定高は、雛鳥の首を雛人形とともに川に流して、対岸の大判事が弓で引きよせて受け取って、瀕死の状態の久我之助の面前に置くと、久我之助は、雛鳥の首を抱きしめてこと切れる。
   滔々と流れる吉野川をはさんで向かい合う桜花が春爛漫と咲き誇る山を背にして繰り広げられる両家の悲劇。最後に、両家は和解するのだが、後の祭り。
   日本の「ロメオとジュリエット」バージョンだが、入鹿の横暴が招いた悲しくも儚いナイトメアである。

   明日香村飛鳥、飛鳥寺からすぐそばの畑の中に入鹿の五輪塔の首塚があり、私は、大和の中でも、この大らかで鄙びた飛鳥の里の雰囲気が好きで、学生時代に飛鳥によく行って、この飛鳥寺や石舞台や甘樫丘を訪れていたので、よく覚えている。
   飛鳥板蓋宮で中大兄皇子らに暗殺され、蘇我入鹿の首がここまで飛んできたので首を供養するための墓だと言うことだが、勝てば官軍負ければ賊軍で、入鹿が悪人であったかどうかは疑問で、歴史に葬られてしまっていると思っている。

   さて、橋本治は、この段を、「心理によって構成される武家の日常ドラマ」で、激しい盛り上がりはなく、最後は悲しみを含んだ詠嘆で終わる。と言っているのだが、どうしてどうして、素晴らしい太夫の浄瑠璃と三味線に乗って、冒頭は、川を挟んでの久我之助と雛鳥の恋心の交感、続いては、大判事と定高の両家の鞘当て、後半は、大判事と久我之助、定高と雛鳥の切なくも悲しい最後の葛藤と別れ、そして、「雛流し」と両家の和解、と、ストーリー展開は豊かで、運命に翻弄されながら踊る人形の姿が、胸に迫って離さない。
   簑助の雛鳥の健気さ愛しさ、和生の定高の情愛深く風格のある佇まい、玉男の大判事の人間そのものの大きさ豊かさ、そして、勘十郎の久我之助の誰よりもブレのない決然として運命に立ち向かう潔さ。
   素晴らしい三味線に乗って、夫々の役どころを、悲しさや苦しさを、時には肺腑を抉るような語り口で語り尽くす太夫の熱演は、特筆もので、浄瑠璃の醍醐味を味わわせてくれて、感動的であった。
   この舞台、
   背山は、大判事 千歳太夫、久我之助 文字久太夫、前 藤蔵、後 富助、
   妹山は、定高 呂勢太夫、雛鳥 咲甫大夫、前 清介、後 清治、琴 清公、
   人形は、雛鳥 簑助、久我之助 勘十郎、大判事 玉男、定高 和生
   と言う願ってもない最高峰の布陣であるから、正に、感動モノの大舞台である。
   
   
   
   
   
   

   この日、ロビーに、熊本大震災のための募金に、太夫をはじめ三業の技芸員の方々が、人形を遣いながら出ておられた。
   私も人並みに募金に加わって、写真を撮らせて頂いて良いかと伺ったら、一緒に写真を撮ろうと誘ってくださり、案内のお嬢さんにシャッターを切ってもらった。
   この写真の公開は控えて、ほかの写真を、掲載しておくと、
   
   
   
   
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四月大歌舞伎・・・「身替座禅」や「幻想神空海」など

2016年04月13日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   今回も、昼の部から夜の部まで、一日、歌舞伎座で過ごした。
   観たいと思っていた仁左衛門の「身替座禅」のほかの演目は、「不知火検校」が一回くらいで、後は観たことがあるのかないのか記憶が定かではないし、夢枕莫の新歌舞伎「幻想神空海」は新しくて、とにかく、新鮮なので、飽きないであろうと思ったのである。

   今回の歌舞伎は、仁左衛門と幸四郎の大御大を中軸にして、ベテランの秀太郎や魁春や左團次や歌六や又五郎や彌十郎、それに、何といっても襲名披露を終えて輝いている雀右衛門に加えて、大車輪の活躍を演じて素晴らしい舞台を観せて魅せている染五郎や松也を中心として、歌昇や児太郎や米吉などの若手の斬新で実に瑞々しい演技が、特筆もので感動的であった。
   特に、目立ったのは、最後の「幻想神空海」の舞台で、最新の音響や照明などを駆使して、回り舞台をフル回転しての、非常に清新で斬新な現代感覚のテンポの速い、しかし、情感たっぷりの舞台展開で、染五郎や松也ののびのびとした自由奔放な演技を、重鎮歌六や又五郎が支えていて、楊貴妃を演じている雀右衛門が実に美しくて素晴らしい舞姿が、ファンタジックな雰囲気を醸し出していて、その異国情緒がたまらなく魅力的である。
   空海については、司馬遼太郎の「空海の風景」でしか殆ど知らないのだが、史実とは違った、正に、幻想の空海像が、異国文化に対する和の精神を垣間見せていて、面白いと思った。
   この「幻想神空海」については、稿を改めたい。

   さて、「身替御前」だが、これまで、歌舞伎では、吉田某(山蔭右京)と奥方が、夫々、菊五郎と吉右衛門、菊五郎と仁左衛門、團十郎と左團次、仁左衛門と段四郎と言った名優の素晴らしい舞台を観ており、仁左衛門の「身替御前」は、二回目で、更に、厳つい奥方の仁左衛門も観ているので、今回は、フルに楽しませてもらった。
   大概、右京の身替りになって衾を被って奥方にとっちめられる太郎冠者を演じるのは、又五郎で、これに関しては余人をもって代えがたいのであろう。
   仁左衛門の右京は、「廓文章・吉田屋」の伊左衛門に相通じる、やや、優男風の軟弱な優しくて気の弱い色男の殿様で、迸り出るような花子への思いとどうにも奥方には歯が立たない恐妻家の雰囲気を上手く出していて秀逸であった。
   左團次の奥方が、また、実にうまい。
   多少、不謹慎な表現かも知れないが、夫婦の関係は関係として重要な絆ではあろうが、夫であろうと妻であろうと、長い人生において、他の異性に思いを寄せるであろう可能性は十分にあり得ることであって、笑ってしんみりとするのが、この歌舞伎で、いつ見ても面白い。
   狂言の「花子(はなご)」が、この歌舞伎のオリジナルで、野村萬の吉田某、山本東次郎の奥方で、一度だけ観たのだが、この方は、やはり、能狂言の象徴的な舞台であって、十分な鑑賞が難しいので、もう一度観たいと思っている。

   「杉坂墓所・毛谷村」は、
   戦国時代の武将であり、加藤清正の家臣であった剣豪貴田孫兵衛の若かりし頃、毛谷村に住んでいた六助として、女の仇討ちの助太刀したという物語が脚色されて、これが、人形浄瑠璃『彦山権現誓助剣』として上演されて、歌舞伎化されたものだと言う。
   長州藩の武芸師範をしていた吉岡一味斎に教えを受けて毛谷村で隠棲している六助(仁左衛門)の許へ、許嫁の一味斎の娘お園(孝太郎)が現れて、敵と間違えて切り込むのだが、許嫁と分かり、六助も、自分が助けた悪人の京極内匠(微塵弾正・歌六)が、お園の父の敵だと知って、怒り心頭に達して仇討を誓うと言う話である。
   男勝りの虚無僧姿で現れたお園が、六助が許嫁だと分かると、急に女らしくしとやかになって甲斐甲斐しく変わっていく様子が、中々面白く、孝太郎が実にうまくて、実父の仁左衛門との真面目かつコミカルタッチの舞台が楽しませてくれる。
   その前にニヤケタ右京を演じた仁左衛門が、血相を変えて憤怒の形相に変わる六助への変わり身の妙が、面白い。
   前に小松成美の「仁左衛門恋し」では、一度の舞台では、一役だけを演じることにしていると言っていた筈だが、宗旨替えをしたのであろうか。

   宇野信夫が、先代の勘三郎に書いたと言う「不知火検校」は、幸四郎の極悪人の世界で、インテリやくざ風の検校を上手く演じていて面白い。
   私には、どうしても勝新太郎の「座頭市」のイメージが強烈なのだが、幸四郎も、舞台で、ちょこっと、杖を刀に代えて勝新のフリを演じて、観客を喜ばせていた。
   この舞台では、騙されて零落する奥方浪江の魁春と不倫妻を演じる湯島おはんの孝太郎が、中々の素晴らしい芸を見せ、ニヒルな手下の生首の次郎(手引きの幸吉)の染五郎や鳥羽屋丹治の彌十郎や弟玉太郎の松也が、惡の華を添えて良い味を出している。

   一番最初の演目「操り三番叟」も、染五郎と松也の舞台だが、今回の四月大歌舞伎は、この二人の活躍が光っていた。
   
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三月大歌舞伎…中村雀右衛門襲名披露

2016年03月18日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   今月の歌舞伎座公演は、中村雀右衛門の襲名披露公演で、 五代目は、歌舞伎において、時代物の姫役のうち至難とされている三姫と言われている「本朝廿四孝」の八重垣姫、「鎌倉三代記」の時姫、「祇園祭礼信仰記」の雪姫のうち、時姫と雪姫を演じると言う大舞台で、正に、檜舞台の素晴らしい公演である。
   今回は、襲名披露口上もあり、縁戚の高麗屋の総帥である幸四郎や、菊五郎、吉右衛門、仁左衛門が重要な舞台を務め、それに、藤十郎が、先代が最晩年に演じた慶寿院尼で登場すると言う豪華公演でもあり、少し、重いので、二日に分けて歌舞伎座に通った。
   
   

   先代の雀右衛門については、自著の「私事―死んだつもりで生きている」や「女形無限」、それに、渡辺保の「名女形・雀右衛門」などを読んでいるので、雀右衛門の芸論や芸道、私的な履歴なども含めて、かなり、知っているつもりである。
   披露口上で、梅玉が、雀右衛門は、80になるまで、颯爽とした井出達で、バイクに乗っていたとダンディぶりを紹介し、新雀右衛門はそうでなさそうだと語って観客を喜ばせていたが、この本には、その話の写真も載っており、若い時に、映画俳優としても活躍していたことなど、面白い逸話などが垣間見えて興味深いのである。
   女形が美しいのは、この世にない女を演じるからだと語っていたのを思い出すのだが、確かに、簑助の遣う人形の後ろぶりの美しさ素晴らしさは、人形だから出来る芸であることを想えば、分かるような気がする。
   私の歌舞伎座通いも20数年になるので、四代目雀右衛門の至芸を楽しむことの出来たのも、やはり、20年近くなると言うことである。

   さて、これまでに襲名披露は立役ばかり見ており、福助の歌右衛門襲名披露が遠のいたので、雀右衛門で、女形の襲名披露は久しぶりだと言うことであろうが、私は、まだ、女形のは見たことがない。
   大原雄の”「襲名披露」ということ”によると、
   ”四代目雀右衛門は、2012年2月逝去だが、次男の芝雀(力はあるのだが、地味で存在感が今ひとつだった)の表情、演技などが時々、「親父さん。そっくり」と大向うから、褒め言葉の声がかかるようになったから、父親の没後4年で、五代目を襲名しても良いだろうし、改名後大きく飛躍するような予感がする、という状況ではある。”

   五代目雀右衛門については、秀山祭や国立劇場などで、殆ど何時もと言って良いくらいに、吉右衛門の相手役として素晴らしい舞台を見せているので、何時も感動しながら鑑賞させてもらっている。
   通し狂言「伊賀越道中双六」の「岡崎」での、吉右衛門の唐木政右衛門に対して芝雀のお谷、北條秀司作の「井伊大老」での、吉右衛門の直弼に対して芝雀のお靜の方などは、出色の舞台で、非常に感動的であった。

   今回の「鎌倉三代記」の時姫は、初役だと言うことだが、菊五郎と吉右衛門と言う人間国宝の両雄を相手にして、艶やかで格調の高い赤姫を演じていた。
   「祇園祭礼信仰記」の「金閣寺」も、幸四郎の松永大膳、仁左衛門の此下東吉とも互角に組んでの熱演であり、悲嘆にくれる雪姫に降りしきる花吹雪は、これまで見たどの雪姫よりも激しくて豪華で、目を見張るような美しい舞台であった。
   雀右衛門の舞台や見取りのほかの舞台の感想は、稿を改めたい。
   

   この日、歌舞伎座一階の売店には、雀右衛門の襲名記念グッズコーナーが、設けてあって、私には、何となく女性趣味品のような感じがしたので素通りしたけれど、結構客が集まっていた。
   先月もそうだったが、今回は、「金閣寺」の舞台のシーンがディスプレイされていた。
   舞台の定式幕の下の雀右衛門への記念幕がお祭り気分を醸し出していた。
   
   
   
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新派公演:「遊女夕霧」「寺田屋お登勢」

2016年03月10日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   久しぶりに、新派公演を見た。
   国立劇場の歌舞伎公演の流れと言うか、あぜくら会の予約ルーティンに乗った感じで出かけることになったのだが、慣れていない所為もあって、多少違和感を感じながら見ていた。
   現代的な新作歌舞伎を見ていると思えば、近いかも知れないが、歌舞伎とは違って、女優が登場する芝居そのものでもあるし、とにかく、私にとっては、生々しくて実にリアルであった。
   能や狂言、それに、人形が演じる文楽、そして、一寸時代がかった歌舞伎など、あの世の世界や古い時代の物語や、いずれにしろ現実離れした舞台芸術の世界に、どっぷりりと浸かりすぎていた、と言うことかもしれないと思って不思議な感覚であった。

   まず、『遊女夕霧』。
   川口松太郎の小説『人情馬鹿物語』の第3話を劇化したものだと言うことで、舞台は、大正10年頃の吉原である。
   花魁夕霧の馴染みの呉服屋の番頭である与之助が、酉の市の日に、夕霧に積夜具(馴染みのしるしに贈った新調の夜具を店の前や部屋に積み上げて飾る)をして華やぐ舞台が、与之助が、その資金繰りに店の金に手を付けたことを明かして、一挙に暗転する。
   夕霧が、獄中の与之助に検事が起訴猶予にするために、「借用書」に切り替えるべく、人情家の講談速記者円玉に署名捺印を願い出て、どうにか、同じ苦界で苦労した女房の助けを得て成功すると言うハッピーエンド。
   夕霧を波野久里子、与之助を市川月之助が演じて、しっとりとした大正時代の色町風景と庶民の情緒を醸し出していて興味深かった。
   積夜具と言うのを初めて知ったのだが、幇間や芸者たちが部屋になだれ込んできて吉原じめや幇間の踊りなどを演じてお祝いするとか、講談師桃山如燕が講談を語るのを、速記者円玉が書き取って、それが出版されて庶民の楽しみになると言った話など、時代考証を経て上手くセットされた舞台で、しっとりと演じられる芝居を観ていて、無性に懐かしさを感じた。
   波野久里子は、2度目くらいだが、情感豊かにしんみりと心に響く舞台であった。

   さて、「寺田屋お登勢」は、天下分け目の大混乱期の幕末、坂本龍馬の面倒を見た伏見の船宿の女主人お登勢の龍馬との物語である。
   薩摩藩士同士の凄惨な殺戮事件である寺田屋騒動や、薩長同盟成功後、幕府の捕吏が寺田屋を襲って、龍馬が負傷する事件や、お龍の看病によって回復した龍馬がお龍を妻として薩摩への新婚旅行へ向う話など、史実を軸にして、寺田屋の龍馬が描かれているのだが、この芝居の主題は、お登勢の龍馬への激しい恋心であろう。
   勿論、龍馬は、母と慕ったお登勢と言うのが定説であるから、龍馬がお登勢に思いを寄せたとは思えないが、それを知ってか知らずか、龍馬の獅童は、さらりと演じていて興味深い。
   お龍を演じた瀬戸摩純が、中々美人で魅力的であるから、わき目を振る必要もなかったのであろう。
   
   お登勢は、寺田屋を殆ど一人で切り盛りした敏腕経営者であるばかりではなく、寺田屋騒動を苦も無く乗り切り、龍馬たち幕末の日本を背負った志士たちを支援サポートしたと言うのであるから、大変な英傑である。
   その点では、やはり、水谷八重子のキャラクターなのであろうか、肩ひじ張らずに淡々と、どちらかと言えば、さらりとお登勢を演じていて、女として、龍馬に接していると言った姿勢を濃厚に見せていて、情感豊かな温かい演技が、私には心地よく興味深かった。

   男女の物語を主題にした芝居なので、龍馬が、ところどころで開陳する、欧米列強に蹂躙された中国やインドの悲劇を避けるべき日本国の命運や、日本の夜明けへの共和国論や民主主義などの高邁な思想や哲学が、何となく、この舞台では違和感があって空回りしている感じなのだが、それはそれで、龍馬の属性として示されれば良いと言うことであろうか。
   お龍と張り合うお登勢と言う人物像の描き方は、面白く興味深いし、ラストシーンの天を仰ぎ望郷に似た思いで龍馬を想うお登勢の姿で幕引きをする演出も、印象的であった。
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二月大歌舞伎・・・「籠釣瓶花街酔醒」

2016年02月29日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   二八と言いながらも、今月も、歌舞伎・文楽、能・狂言、落語、組踊等々、結構、観劇に通った。
   ところで、先日、2月歌舞伎の観劇記を一寸書いたが、蛇足ながら、一寸、書き残したので書いておきたい。

   今回、是非見たかったのは、吉右衛門の「籠釣瓶花街酔醒」であった。
   人を愛し信念を貫いて自由奔放に生き抜いて若くして逝った不世出の役者勘三郎と芸の極地とも言うべき玉三郎の「籠釣瓶」は、忘れ難い感動的な舞台であったが、吉右衛門の籠釣瓶は、それとは違った、しかし、人間の雄々しさ愛おしさ悲しさ、心の底からの哀切と懊悩を叩きつけた決定版とも言うべき素晴らしい舞台で、先の八ッ橋の福助との舞台を思い出しても、その感動を、もう一度と言う気持ちで出かけたのである。

   吉右衛門は、「中村吉右衛門の歌舞伎ワールド」で、
   ”「断られても仕方ない」と思っているのですが・・・それを、なぜ、わざわざ「皆の見ている前で」切り出すのか、という恥をかかされた悔しさですね。ふられたこと自体よりも、「恥をかかされた」ということのほうが大きいと思います。”と言っている。

   私は、残念ながら、観劇をミスったのだが、菊五郎が、初役で佐野次郎左衛門を演じた時に、この縁切り場について、
   「愛想づかしをされてしょんぼり帰るところは、風情があって、もちろんいいけれど、私は、縁切りの最中から殺してやろうと思っていて、"袖なかろうぜ"のせりふから一気に逆上して、花魁に怒りをぶつけていくやり方でやってみたいと思っております」。と言っている。
   振られたとか恥をかかされたと言う次元以前の逆上で、普通の男なら、そうであろうと思う。

   ところで、舞台では、間夫の繁山栄之丞に迫られて、八ッ橋は、万座の前で、平然として次郎左衛門に愛想尽かしをぶっつけるのだが、胡弓の哀切な調べに載せて、次郎左衛門は、「おいらん、そりゃあ、あんまり、そでなかろうぜ・・・」と、夜毎に変わる枕の数で、心変わりはしたかも知れないが、今夜にも身請けのことを取り決めようと寝もやらずに勇んできたのに、案に相違の愛想尽かし、何故、最初から言ってくれなかったのか、と、切々と苦しい胸の内をかき口説く。

   キセルを突き立てて表情一つ変えずに泰然と正座する八ッ橋に、横に座った吉右衛門の次郎左衛門は、八ッ橋に手をついて、哀願するように下からあらん限りの忍耐に耐えながら心情を吐露し続ける。
   勿論、吉右衛門の次郎左衛門も、愛想尽かしを聞いた瞬間から徐々に、八ッ橋殺害の意思を固めた筈であるが、そこは、激高して啖呵を切って八ッ橋に迫っても恥の上塗りであり、弱みのあるあばた姿の田舎者であるから、この時は、悲しく悔しくて仕方なかったのだが、耐えに耐えたのであろう。
   このあたりの吉右衛門の表情や芸の冴えは抜群で、それだけに、終幕で、籠釣瓶を引き抜いて、鬼気迫る凄い表情と迫力の凄まじさが生きてくる。
   
   三世河竹新七の芝居であるから、理屈を言っても仕方がないのだが、いくら能天気の次郎左衛門でも、八ッ橋に間夫がいることくらいは、つかみ得たであろうし、全く分からないのが、二股掛けえる筈がないのに、何故、八ッ橋が、最後まで、成り行きに任せて、次郎左衛門の身請け話に乗ろうとしていたのか。

   前回もそうだが、下男治六を演じている又五郎が、抜群に上手い。
   この吉右衛門と又五郎のゴールデン・コンビあっての籠釣瓶である。

   菊五郎の遊び人で伊達男の八ッ橋の間夫・栄之丞は、少し、老成さが気になるが、もったいないくらいのはまり役で、八ッ橋との親子のやり取りが面白い。

   さて、菊之助の八ッ橋だが、実に美しい花魁で、素晴らしい衣装を身に着けた舞台映えする花魁道中は、この舞台の白眉で、ぽかんと口を開けて見とれている次郎左衛門に向かって、花道の角から振り向いて、微かにほほ笑んで送る流し目の魅力は、流石であり、最後の籠釣瓶の刃に仰け反って倒れ伏す流れるような美しさも忘れ難い。
   菊之助は、”八ツ橋の魅力はやはり美しさ、そして、廓の掟のなかで生きていく女性の強さも、"及ばぬ身分でござんすが、仲之町を張るこの八ツ橋"のせりふに集約されているように、結局は廓という籠の鳥である儚さも魅力の一つだ”、と語っており、若さを感じさせる芸ではあるが、実父の菊五郎、義父の吉右衛門と言う二人の人間国宝を相手に、堂々と八ッ橋を演じ切った舞台度胸は、正に、大器のなせる業であろう。
   次は、海老蔵との花魁・揚巻の艶姿を観たいと思っている。
   華麗で美しい菊之助の八ッ橋の写真を、歌舞伎美人のHPから借用すると次の通り。
   

   さて、昼の部の「新書太閤記」だが、太閤秀吉の若かりし頃を演じた菊五郎の遊び心の横溢した舞台と言うべきであろう。
   サルと呼ばれながらも天下人となった秀吉のあまりにもポピュラーな出世物語で、どこの劇場で観ても観られる芝居と言った感じで、一流の俳優が演じる上質な芝居を歌舞伎座で観たと言うことであった。
   それなりに面白かったが、私自身の先入観が問題かもしれないが、菊五郎の秀吉も、梅玉の信長も、イメージとはかなり違っていて、つじつまを合わせて観なければならなかった。
   一寸出の光秀の吉右衛門は、信長に貶められて、暗殺を決意した時の眼の鋭さが印象に残っている。
   
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国立劇場:文楽・・・嶋大夫引退披露狂言『関取千両幟』・千穐楽

2016年02月23日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   先月の大阪の国立文楽劇場に続いて、東京の嶋大夫引退披露公演の千穐楽を観劇した。
   今回の第二部の『関取千両幟』は、引退する豊竹嶋大夫最後の舞台であり、大阪同様に、終演後花束の贈呈式が行われたが、今回は、三味線の鶴澤寛治と人形遣いの吉田簑助の前に、茂木七左衞門日本芸術文化振興会理事長からも、嶋大夫に花束が贈呈された。
   「嶋大夫! 嶋大夫!」と言う観客からの多くの掛け声と盛大な拍手に、嶋大夫は、感激の面持ちで、花束を握りしめていた。
   嶋大夫が夫婦愛と哀切の限りを込めて語り切ったおとわの人形を遣った吉田簑助から花束を受け取る豊竹嶋大夫の写真をHPから借用すると次の通り。
   

   簑助は、おとわに涙を拭わせて進み出て花束を渡し、嶋大夫の胸に倒れ込んで、左肩に顔をうずめて別れを惜しんだ。
   舞台を再現しているような、感動的な幕切れであった。

   さて、住大夫の引退披露狂言の時もそうだったのだが、特別な公演の時には、チケット購入が殺到するので、日頃の座席任意選択システムが中止されて自動選択に切り替えられて、チケットの席はあなた任せになる。
   そして、そんな時には、既に、事前に、関係者や団体などの予約ででチケットを抑えてしまうので、発売瞬間にインターネットを叩いても、後方か端の席のチケットしか取得できない。

   今回も、私のチケットは、13列34番。
   舞台に向かって、右翼席の一番端から2番目、それも、殆ど後方で、本来なら最悪の席である。
   ところが、何が幸いするのか分からないもので、今回、この席からの観劇で非常に楽しむことが出来たのである。
   幸いなことに、前列の12列33番と34番が空席(早々に完売であったので来れなかったのであろう)であったので、視界を遮られるものは何もない。
   少し舞台は遠いのだが、NIKONの10倍の双眼鏡を駆使すれば良い。

   もっと幸いしたのは、上手であるから、大夫と三味線の床、そして、文楽回しが、真正面にあって、多少、舞台と被ってはいるのだが、殆ど、苦労することなく、大夫と三味線の演奏と舞台の人形の動きを、同時に鑑賞できることであった。
   普通は、人形の動きばかりを追って文楽を観ているのだが、今回は、嶋大夫の義太夫語りや寛治の三味線を、息遣いを感じながらつぶさに鑑賞出来て、素晴らしい経験をした。
   それに、寛太郎の曲弾きの至芸を、そして、錦吾の胡弓を、あたかも、小劇場の室内演奏のような臨場感を味わいながら真正面で鑑賞できたのも、感激であった。

   嶋大夫は、やや、前かがみになって身を前に乗り出して座り、左手で見台に手を添えて床本を繰り、感極まると、見台に手をついて義太夫を語る。
   寛治は、殆ど表情を変えずに、淡々と三味線を奏でる。
   猪名川が相撲場に出かけて、残されたおとわが、猪名川の心中を思って身売りを決心して見送る幕切れのシーンでは、舞台に残っているのは、嶋大夫、寛治、簑助の人間国宝の3人だけ。
   文楽界最高峰の至芸の静寂さ、これほどの伝統芸能の極地を築き上げた日本の文化の素晴らしさに、感激しきりであった。

   やはり、この『関取千両幟』の山場は、相撲場に出かける前に、決死の覚悟で負け相撲に臨もうとする猪名川を引き留めて、乱れた髪を撫でつけながら、苦しい胸の内を吐露する猪名川に、悲しくも切ない心の内を切々とかき口説くおとわの神々しいまでも美しい健気な姿。
   上気して紅潮した嶋大夫が、「相撲取りを男に持ち、江戸長崎国々へ、行かしやんすりゃその後の、留守は尚更女気の、独りくよくよ物案じ。・・・」血を吐くような心情の吐露に、観客は、息を殺して聴き入る。
   簑助の遣うおとわの、もうこれ以上望み得ないような女の優しさ温かさを滲ませた崇高な美しさが、胸を打って切ない。

   「進上金子二百両猪名川様へ贔屓より」の口上で、相撲に勝った猪名川が、その贔屓とは、自分の身を売って金子を捻出したのが我妻おとわであったことを知って、籠に乗って去って行くおとわに頭を下げて見送るのが幕切れ。
   籠から、顔を覗かせてじっと猪名川を見つめながら、手を振っていた、一寸、モダンなおとわが印象的であった。
   
   喜びも悲しみも、千穐楽。
   この日限りで、嶋大夫の本舞台での公演は終わった。
   後進の指導に当たると言うことなので、ご多幸とご健康をお祈り致したい。
   
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組踊「執心鐘入」と琉球舞踊・・・茅ヶ崎市民文化会館ホール

2016年02月20日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   年初に、 横浜能楽堂で、「能の五番・朝薫の五番」の能「羽衣」を脚色した沖縄の古典芸能・組踊「銘苅子」(めかるし)」を観て興味を持ったので、今日、茅ヶ崎で行われた国立劇場おきなわ主催の”組曲「執心鐘入」と琉球舞踊”を観に出かけた。
   今回の「執心鐘入」は、能「道成寺」にテーマを得た沖縄の歌舞劇で、それに、非常にカラフルで優雅で詩情豊かな琉球舞踊を合わせて鑑賞する機会を得て、非常に良い経験をした。

   「執心鐘入」は、
   首里へ奉公に向かう中城若松が、道中難渋して一夜の宿を乞うために民家を訪れるのだが、若い娘は、最初は親が留守なのでだめだと断るも、男が噂に名高い美少年・若松だと知ると宿泊を許して、今宵は語り明かそうと言い寄る。若松は、奉公に上がる身だと女の誘惑を拒否して、縋る女を振り捨てて家を出て末吉の寺へ逃げ込む。住職の計らいで鐘の中に隠れるが、邪恋に悶えた女は若松を追いかけて寺に駆け込み、執念のあまり鬼女と化すのだが、住職と僧侶たちの決死の祈祷調伏で、法力によって鬼女を退散させる。
   能「道成寺」の焼き直しだと思うのだが、首里王家への忠節と中国の儒教の倫理観の反映だと解説者は言う。

   「組踊の始祖」と呼ばれる玉城朝薫の朝薫五番の最初の一曲が、この「執心鐘入」で、能狂言に造詣が深かったと言うだけあって、この舞台を観ていて、確かに、能の舞台を観ているような気がした。
   ゆっくりと舞台をすり足で歩く姿など、正に、能役者の舞姿であり、鬼の面をつけた鬼女に対峙して数珠を揉みながら僧侶たちが祈祷調伏する様子などもシテとワキとの対決姿そのものであり、橋掛かり風の下手の舞台へ鬼女が退場する幕切れも能舞台そっくりであり、その流れるような舞台展開が、実に優雅で美しい。
   尤も、女の色香に誑かされて、寺に入れてしまう小僧たちのコミカルタッチの芝居は、狂言かも知れない。

   この写真は、HPから借用したのだが、上は、若松と宿の女の出会い、下は、鬼女と座主・小僧との対決シーンである。
   僧侶の調伏で、鬼女は、どんどん、シテ柱方向へ追い詰められて行く。
   
   

   ところで、この日は、組踊も琉球舞踊も、役者はすべて男性であったが、女性の役は、びっくりするほど女性そっくりで優雅で美しく、この点は、面や姿かたちは女性的だが、声音や舞姿などそれ程女性らしさを表現しない能とは非常な違いで、言うならば、歌舞演劇的な舞台芸術としては、能と歌舞伎の中間と言う感じがしている。

   この舞台では、若松は、安珍のように鐘の中で焼き殺されるのではなく、鬼女が襲い掛かる前に、住職が別なところへ移し、女が鐘の中に入って、鬼女と化し、僧侶たちの調伏に立ち向かうと言う形になっている。
   宙吊りになった鐘の下から、鬼女の顔がちらりと覗く芸の細かい演出が面白い。

   琉球舞踊は、日本舞踊よりは、踊りなり演出がシンプルな感じで、分かり易いような気がした。
   恋する乙女の踊りが3曲あったが、優雅で美しく、これも、沖縄の女性の魅力かも知れないと思って観ていた。
   武の舞と言う、空手と長刀の勇壮かつ迫力のある男舞いが唯一の例外で、ほかの6曲は、中々、詩情豊かな優しい奇麗な踊りであった。
   やはり、歴史文化の影響であろうか、中国と日本の影響を色濃く滲ませた、しかし、独特な質の高い芸能の一端を垣間見た気がして、楽しい2時間強の観劇であった。

   劇場の地階ホールで、今回の公演に因んだ沖縄古典芸能の展示会と沖縄物産の直売が行われていて賑わっていた。
   このあたりは、横浜能楽堂との違いである。
   
   
   
   
   
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歌舞伎・文楽・能・狂言・落語・・・今月の観劇雑感

2016年01月31日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   年初の国立名人会の歌丸や小三治の落語に始まって、歌舞伎座の壽新春歌舞伎から、能・狂言、文楽など、今月も結構、観劇に通った。
   その都度、適当に観劇記を綴ってきているのだが、そのほかにも、書き漏れたものもあるので、纏めてみたい。

   まず、歌舞伎座の舞台であるが、昼の部と夜の部を観て、「茨木」と廓文章の「吉田屋」については、書いたが、吉右衛門や幸四郎の大舞台や、梅玉、橋之助、染五郎、松緑、魁春、芝雀、あるいは、左團次や歌六など名優たちの素晴らしい舞台については、触れなかった。
   吉右衛門の「梶原平三誉石切」や幸四郎の「二条城の清正」は、望み得る最高の舞台だと思っているが、ある意味では、それだけに、私などの観劇記を書くのは気が引けたし、橋之助の豪快な佐藤忠信の「鳥居前」についても、通り一遍の感想しか書けそうにないのでやめてしまった。
   一つだけ、しんみりとした温かい舞台を観て、感慨深かったのは、染五郎の直次郎、芝雀の三千歳、東蔵の丈賀などの「直侍」であった。
   進境著しい染五郎のどこか陰のあるニヒルな直侍も上手いが、雀右衛門を襲名する最後の歌舞伎座の舞台を務める芝雀の何とも言えない情の深い生身の女そのものの激しさ温かさが滲み出た舞台の素晴らしさ、それに、正に、ベテランのベテランたる所以を地で行くような按摩の東蔵の味のある芝居。
   うらぶれた蕎麦屋の舞台設定そのものもそうだが、しみじみとした、実に日本的な、懐かしさを感じながら観ていた。
   
   大阪の国立文楽劇場の舞台については、嶋大夫の引退披露狂言の「関取千両幟」と「国性爺合戦」については、観劇記を書いた。
   しかし、第1部では、素晴らしい「新版歌祭文」とコミカルタッチの狂言からとった「釣女」が、上演されたのである。

   「新版歌祭文」は、お染久松の野崎参りで有名な物語で、一途に思い詰めて恋に突進する若いお染久松のために、久松の許嫁の田舎娘おみつが身を引いて尼になると言う切ない話である。
   祝言であった筈の席に、島田まげを根から切って尼姿で現れたおみつの「・・・嬉しかったのはたった半時、・・・」が、実に悲しい。
   今回の舞台には、久松との祝言を何よりも喜んでいたおみつの母親が登場しなかった分だけ、救いだったかも知れないのだが、
   咲大夫と燕三・清公、呂勢大夫と清治の素晴らしい義太夫と三味線にのって、和生のおみつ、玉也の親久作、清十郎のお染、勘彌の久松たちが、苦しい胸の内を切々と吐露し慟哭し、おみつの、愛する久作のために悲しくも自ら身を引く終幕の感動へと演じ続ける。

   釣女は、狂言の「釣針」からの脚色で、歌舞伎もそうだが、とにかく、愉快である。
   独身の大名が、嫁を紹介して欲しくて、西宮の戎神社に行ってお祈りしたら、お告げで釣竿があったので、それを使って美女を釣り上げた。それを見ていた太郎冠者も、同じく妻を釣り上げたが、ブスであったので、すった転んだの大騒動。

   さて、能・狂言だが、横浜能楽堂での能「羽衣」と沖縄の組踊については書いたが、ほかに、4回、国立能楽堂に通っている。
   観世流の能「仲光」は、多田満仲(観世銕之丞)が、中山寺へ勉強に出した子息美女丸が、武芸ばかりに精を出して学芸一切ダメなので怒って、部下の藤原仲光(大槻文蔵)に、首を討てと命じたのだが、仲光は、代わりに自分の子幸寿丸を殺して忠義を貫き、その後、比叡山の恵心僧都(宝生閑病休、宝生欣也)が、命拾いした美女丸を連れて現れて、親子面会する。と言うストーリーである。
   満仲親子再会で、シテの仲光が、慶祝の意味で「男舞」を舞うのだが、忠誠のためにわが子への慈愛を犠牲にした武士道的悲劇を込めての舞姿が、胸を打つ。
   この能で、興味深いのは、舞台が私の小中高の学区内で、中山寺などへは良く行ったし、多田の荘などは、当時は、全くの山深き僻地とも言うべきところで、よそ者が田舎道を歩くと、農仕事の人たちが、手を止めて立ち上がって見続けていると言った状態であった。
   今では、ずっと奥まで開発されて、大阪のベッドタウンとして都市化されて、住宅地が広がっていて今昔の感である。

   祝祷芸の様々と言う企画公演では、菊池の松囃子が演じられ、舞囃子「高砂」(シテ宝生和英宗家)、狂言の「松囃子」(シテ万歳太郎・野村又三郎)、狂言「靭猿」が上演された。
   興味深かったのは、茂山七五三家三代の「靭猿」で、大名・七五三、太郎冠者・宗彦、猿引・逸平、猿・慶和(逸平の長男)で演じられた。
   同じ千五郎家の「猿引」でありながら、少し前に演じられた千五郎の大名、七五三の猿引の時の舞台とは、大分、演出なり演じ方が違っているのが、面白かった。

   定例公演の狂言「岡太夫」は、聟入りの話で、萬斎の芸の冴え、
   能宝生流「蟻通」(シテ/宮人岡崎隆三)は、紀貫之が、歌を詠んで蟻通明神を鎮める話。

   今日の特別公演は、
   能・金剛流「鱗形」(シテ/廣田幸稔、ワキ/高安勝久)
   狂言・大蔵流「舟船」(善竹忠重、善竹十郎)
   最後の能・観世流の「唐船」が、興味深かった。
   箱崎の某(ワキ・福王和幸)に抑留されて牛飼いとして働いている祖慶官人(シテ・武田志房)のところへ、唐から実子二人が財宝を携えて迎えに来るのだが、日本で生まれた二人の子の帯同が許されないので、進退窮まった官人は、海に身を投げようとする。
   4人の子供が泣いて止めて、嘆き悲しむのを見て、流石の箱崎某も許して全員帰港させる。
   最後は、脇正に置かれた唐船に、一番後ろに船頭が乗り帆柱を立てて帆を張り、その前に4人の子供が座り、その前の舳先部分の狭いところで、官人の「盤渉楽」。
   一条台の上で舞う「邯鄲」と同じ趣向で、非常に狭いところで、広々としたところで舞っているかのように優雅に舞い続ける。
   この舞台で活躍するのは、4人の10歳くらいの子方の凛々しい晴れ姿で、聴いていて非常に頼もしいと思った。
   作り物でも、この舞台の唐船は、布も張ってあり、かなり、立派な出来であった。
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国立文楽劇場・・・「国性爺合戦」

2016年01月29日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   この「国性爺合戦」は、昨年2月に、国立劇場で上演されたが、「千里が竹虎狩りの段」から「紅流しより獅子が城の段」まで二段目の後半から三段目までの部分だけだったが、今回は、初段の「大民御殿の段」から三段目までの通し狂言である。
   この後、
   神意を得た和藤内の妻・小むつが栴檀皇女を伴って平戸から中国松江に渡る。皇子を匿って山中にいた呉三桂と、鄭芝龍ともども、見える。敵兵に攻められるが、雲の掛橋の計略によって難を逃れる。とする四段目と、
   和藤内と甘輝が、呉三桂と竜馬ヶ原で再会し、韃靼攻略に南京城に向かった鄭芝龍の後を追って、南京城を攻め、敵を倒して、皇子を位につける。と言う五段目が続く。
   しかし、これらが、上演された記録がなくて、今回のような規模の通し狂言も、1984年7月以来初めてで、大半の公演は、三段目が主体である。

   尤も、この同じスケールの通し狂言が、平成22年11月に、歌舞伎バージョンで、国立劇場で上演されていて、
   和藤内(鄭成功)市川 團十郎、五常軍甘輝 中村 梅玉、錦祥女 坂田 藤十郎、老一官 市川 左團次、母渚 中村 東蔵 等の名優によって演じられている。
   松竹のように、「見取り」と言うアラカルト形式で、良いところを集めて細切れ上演するのとは違って、通し狂言を上演できると言うのは、やはり、国立劇場の良さであろうか。

  
   この浄瑠璃の主人公である、和藤内(鄭成功)が、中国人の父鄭芝龍と日本人の母田川松の間に日本の平戸で生まれて、中国に渡って大成功を遂げて偉人として尊敬されたと言うことは、事実だが、異母姉の夫・甘輝と同盟を結んで韃靼に闘いを挑んだと言うのは、近松の創作である。
   この浄瑠璃では、
   追放されて平戸に渡って老一官と称した明の元役人鄭芝龍が、日本妻を娶って生まれたのが和藤内で、
   逃亡を企てて日本の平戸に流れ着いた栴檀皇女から、民国が、韃靼王に滅ぼされたと聞いて、征伐のために、一官夫妻と和藤内が民国に渡る。
   鄭芝龍が2歳で明に残した娘が、五常軍甘輝の妻錦祥女となっているので、この伝手で、和藤内は、甘輝に加勢を願い出て、その同意を得て、「延平王国性爺鄭成功」の名を与えられ、討伐軍を立ち上げる。

   しかし、元々明の臣下であった甘輝は、鄭成功への加勢には同意するが、女の情に絆されて一太刀も交えずに寝返ったとすれば、末代までの恥辱だとして、錦祥女を殺そうとする。
   錦祥女は、甘輝の説得に成功すれば、城に流れる水路に白粉を、失敗すれば紅粉を流すと城外の和藤内に伝えてあったので、自分の胸に懐剣を刺して自らの血を水路に流す。
   交渉決裂と知った和藤内は、城内に入って甘輝と剣を抜いて戦おうとした時に、瀕死の状態の錦祥女が現れて、和藤内への加勢をかき口説き、これを知った一官の妻が、義娘を見殺しにしては日本人としての誇りが許さないと錦祥女の懐剣を取って自らも自害する。
   これを見た甘輝が、意を決して、和藤内を大将軍と仰ぎ鄭成功の名を与えるのである。
   この部分が、この近松門左衛門の浄瑠璃のクライマックスで、文楽のみならず、歌舞伎でも、名舞台として上演され続けているのである。

   ところで、従来多くの舞台が、和藤内たちが民国に渡って、千里が竹の虎狩りから始まるのに比べて、今回は、冒頭の舞台が中国で、中国オンリーの物語である民国の危機から始まり、民国皇女の漂着で始めて日本の芝居となっており、印象が新鮮であると同時に、何故、和藤内たちが、明朝再興のために中国に出かけて旗揚げするのかが分かって面白い。

   今回の舞台では、大夫と三味線では、異動があるのだが、人形の方は、甘輝が、玉男であるほかは変っておらず、錦祥女だけが、前回の清十郎に変わって、今回は、勘十郎が遣っている。
   衣装こそ中国の姿をしているが、実に、親子の情愛、姉弟の絆を感動的に人形を遣って語りかけており、観客の拍手を誘って爽やかである。
   老一官妻の勘壽が出色の出来で、老一官の玉輝もうまい。
   勿論、甘輝の玉男の威風堂々とした風格と貫禄、和藤内の幸助の颯爽とした偉丈夫、も感動的である。
   千歳大夫と富助、文字久大夫と藤蔵など、浄瑠璃と三味線が絶好調で、更に、観客の高揚感のボルテージを上げる。
   
   さて、実際の鄭成功は、5歳で父に伴われて中国に渡っており、新王朝となった清と戦ったが、父は抵抗無益と悟って清に降り、南京を目指すも敗退し、台湾に転進してオランダ軍を追放し、台湾では、孫文、蒋介石とならぶ「三人の国神」の一人として尊敬されていると言う。
   したがって、この浄瑠璃の「国性爺合戦」は、完全に近松門左衛門の創作であり、甘輝も錦祥女も実在しなければ、紅流しもない。

   橋本治が「浄瑠璃を読もう」の、『国性爺合戦』と直進する近松門左衛門と言う章で、この浄瑠璃では、父の老一官は方向性を示すだけで何もしない、甘輝との説得工作をするのは、錦祥女の義母に当たる和藤内の母(歌舞伎では渚)で、その日本人のバーさんが、「国性爺合戦」の中では、最も重要な役割を果たす人物となる。と書いている。
   勿論、近松が意図したのは、唐でもない和でもないハーフの英雄:和藤内を主人公にした日本精神発揚の物語を書いて聴衆にアピールしようと思ったのであるから、義理人情、忠君愛国を表出するためには、母こそ格好の登場人物だったのである。
   そうでないと、「千里が竹虎狩りの段」で、和藤内が、伊勢神宮のお守りを掲げると、猛虎がおとなしくなり、お守りを首にかけた虎が神通力を発揮して敵を退治すると言う奇想天外なストーリーを挿入するわけがない。

   当時は、鎖国の時代で、中国と言えども、殆どファンタジーの世界で、エキゾチックなこの浄瑠璃が受けたのであろう。
   通し狂言の良さは、どっぷりと、物語を、筋を通して楽しめることであろう。
   
   
   
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国立文楽劇場・・・豊竹嶋大夫引退狂言「関取千両幟」千穐楽

2016年01月27日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   文楽の本拠地大阪から始まっている嶋大夫引退狂言「関取千両幟」の千穐楽公演を見る機会を得た。
   「関取千両幟」の幕開き前に、盆が回って登場した嶋大夫と三味線の鶴沢寛治師が正座して深々とお辞儀をすると「嶋大夫!」の掛け声と熱狂的な拍手、司会兼口上を述べたのは呂勢大夫で、立て板に水の名調子で、嶋大夫の業績などを語り、観客の惜しみなき感動の拍手に迎えられて幕が開く。
   
   
   
   

   一時体調を崩されていたようだが、嶋大夫は、何時ものように、演台に手を添えての素晴らしい熱演で、冒頭の「芝居は南、米市は北、相撲と能の常舞台・・・」と語りはじめると、水を打ったような静寂、観客の熱いまなざしを受けて浄瑠璃が熱を帯びる。
   髪梳きで、「相撲取りを男に持ち、江戸長崎国々へ、行かしやんすりりやその跡の、留守はなほ更女気の、独りくよくよ物案じ・・・」
   恩ある贔屓筋のために、勝負に負けなければならない苦衷に泣く夫猪名川に、何故、打ち明けてくれないのかと、涙ながらに夫への熱い思いをかき口説くおとわの哀切極まりない嶋大夫の浄瑠璃に、簑助の遣う人形が嗚咽を堪えて甲斐甲斐しく試合前の猪名川の髪を梳く。実に優雅で美しい。
   嶋大夫は、この、おとわのクドキが情があって、いいんですよ、と言う。

   さて、今回の舞台は、一門で臨む最後の舞台と言うことで、嶋大夫のほかに、師匠の孫・豊竹英大夫(猪名川)、以下弟子の竹本津國大夫(鉄ヶ嶽)、豊竹呂勢大夫(北野屋)、始大夫(大坂屋)、睦大夫(呼遣い)、芳穂大夫、靖大夫と一門が顔をそろえた。
    「引退にかけて、劇場が一門でやらせてあげようという親心だと思う。うれしいし、ありがたい」。嶋大夫は顔をほころばせると言うのだが、
   引退披露狂言の選定は、この日経の小国由美子さんの記事では、”嶋大夫は掛け合いで、おとわを演じる。自身の希望ではなく、文楽劇場から勧められたという。”と言うことで、このアレンジも、嶋大夫の決断ではなかったようである。

   しかし、嶋大夫が、1994年4月より切場語りとなったと言うことで、私自身、丁度、その前年にロンドンから帰って来て、その後、殆ど欠かさずに国立劇場へ通い続けて文楽を鑑賞しているので、嶋大夫の得意とする情あふれる「世話物」の語りや、それらの文楽の名場面は、十分に楽しませて貰っており、このブログにも書いている。
   一期一会であるから、この素晴らしい最後の「関取千両幟」のおとわを聴いて、聴きおさめと言うのも、凄いことだと思っている。
   尤も、もう一度、東京の国立劇場で、千穐楽を聴くことにしている。

   ところで、国立劇場の上演記録を見ると、平成25年2月では、おとわは、源大夫が休演で呂勢大夫が、平成18年2月では、おとわは、咲大夫が勤めており、嶋大夫が演じたのは、平成7年9月と平成4年11月で、この国立文楽劇場では、ほぼ、23年ぶりなのである。
   私は、平成18年の方は記憶が残っていないが、平成25年の舞台を観ており、簑助のおとわや藤蔵などの三味線の曲弾きのなどのすばらしさについて、このブログに書いているが、今回の舞台でも、寛太郎が、凄い曲弾きを披露していた。
   それに、臨場感たっぷりの相撲シーンもあって、鉄ヶ嶽が、塩の後で、琴奨菊よろしくイナバウアー・スタイルをして、観客を喜ばせていた。

   玉男が、「世話物、女形の艶のある語り、きれいな声が印象に残っております。」と語っているが、女形を遣っては最高峰の簑助のおとわの人形に血も涙も、そして、魂をも吹き込んで情に生き情に泣かせるのであるから、最高の引退披露公演であろう。

   さて、八代豊竹嶋大夫引退披露狂言「関取千両幟」終演後、幕が開くと、舞台を終えたばかりの鶴澤寛治、吉田簑助が花束を持って舞台に立っていて、呼ばれて登場した嶋大夫に、花束が贈呈された。
   簑助は、おとわの人形を優雅に遣って花束を渡し、嶋大夫と握手をさせていたが、身売りしてまで夫の義理を立てた女の鏡とも言ううべき(尤も、今から言うとナンセンスだが)理想の女神からの感謝の花束を演じていたのかも知れない。
   このシーンは、国立文楽劇場のHPの写真を借用して転写する。
   
   

   さて、嶋大夫の人間性そのものの発露なのであろう、劇場には、派手で目立った引退披露狂言と銘打ったディスプレイも飾りつけも何もなく、平静と変わらない、実に静かな佇まいである。
   唯一、嶋大夫の写真が飾られているのは、1階ロビーから2階のエントランス・客席へ上る階段ホールの壁面にかけられている「関取千両幟」のポスターだけである。
   
   
   
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壽初春大歌舞伎・・・鴈治郎と玉三郎の「廓文章・吉田屋」

2016年01月23日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   

   正月歌舞伎の夜の部に、玩辞楼十二曲の内 廓文章の吉田屋が上演され、これまでの藤十郎や仁左衛門とは違って、代替わりと言うべきか、襲名なってメキメキ芸の充実を示してきた鴈治郎が、この新歌舞伎座の柿葺落五月大歌舞伎で仁左衛門と登場して以来、久しぶりに出演した玉三郎の扇屋夕霧を相手にして、華やかな舞台を見せた。
   鴈治郎は、昨年5月に、実父藤十郎の夕霧に華を添えられて演じており、今回は満を持しての晴れ姿であろう。

   この歌舞伎は、歌舞伎美人では、男女の恋模様がみどころの上方和事の代表作と言うのだが、何度見ても、男女の典型的な色恋模様と言うよりも、近松を筆頭に、あの「夫婦善哉」もそうだが、頼りなくてがしんたれの大阪男の代表のような男の芝居であるから、げらげら笑って見ていても、何となく、あほらしくて切ない。
   今放映中の朝ドラの「あさが来た」のあさと新次郎を見ているようで面白いのだが、何故、物語の世界では、しっかりして敢然と運命に対峙する健気な大坂女と、頼りなくて能無しの大坂男ばかりが、登場するのであろうか。

   尤も、昔から、「また負けたか八連隊」と言われていて、大阪の兵隊は負けてばっかりだったと言う風説が立っているのだが、これは、本当ではなく、ウイキペディアによると、口数が多く弁舌が立ち、商人気質で損得勘定に敏く、かつ反権力的というステレオタイプかつ偏見混じりの大阪商人気質のイメージの反映だと言う。
   とにかく、それもこれも、近松門左衛門の大坂を舞台にした心中物、曽根崎心中の徳兵衛とお初、心中天網島の治兵衛とおさん&小春、冥途の飛脚の忠兵衛と梅川、それに輪をかけたような、夫婦善哉の柳吉と蝶子、のイメージが悪過ぎる。
   すべてこれであるから、弁解のしようないのかも知れない。

   さて、歌舞伎の「吉田屋」は、
   大坂新町の吉田屋に、放蕩の末に勘当されて、編笠をかぶって紙衣姿の藤屋の若旦那伊左衛門が、恋人の夕霧に会いたくてやってくる。落ちぶれたとはいえ、元々の飛び切りの上客であったので、喜左衛門夫婦の計らいにより座敷へ迎え入れられる。嫉妬してふて寝している伊左衛門のところに、伊左衛門に会えなくて病気になった夕霧が姿を現すのだが、二人は、つまらない痴話喧嘩を始めてすったもんだ。ようやく仲直りをした二人のところに、勘当が許されたと、夕霧の見受け金が届けれれて、万々歳。

   ところで、この吉田屋は、近松門左衛門の「夕霧阿波の鳴門」の冒頭の九軒吉田屋の段と結末を合わせて改作した浄瑠璃なのであって、実は、そんなちゃらちゃらした芝居ではないのである。
   伊左衛門と夕霧の間には、既に7歳になる男の子がいて、夕霧の客である阿波の侍・平岡左近に、二人の子供だと嘘をついて預けている。
   左近の妻雪が夫の実の子ではないことを知って悲嘆にくれるが、二人から子としてもらい受けることを約束させて源之介として育てる。
   その後、いろいろ、複雑なストーリーが展開されるのだが、どうしても子供に会いたい一心の夕霧は乳母になり、伊左衛門は親子を名乗って二人とも左近に追い出されて乞食になって彷徨い、吉田屋に戻って瀕死の状態になっていた夕霧に再会して、最後に、雪からの夕霧養生のための身請け金800両と、伊左衛門の母「妙順」の調達した金で、伊左衛門は目出度く許されて、花嫁、初孫と認められ、喜んだ夕霧が本復する。
   そんな話なのである。

   しかし、近松の深刻な悲喜劇話を、エエ所取りして、大坂のバカボンを主人公にして、絶世の美女夕霧のしっぽりとした美しさ艶やかさ優雅さを見せてくれた人畜無害の面白い能天気な浄瑠璃にしてくれたのだから、改作も悪くはないと言うことであろう。
   伊左衛門を思い詰めて病弱になって紫の鉢巻きをつけた夕霧が、すねて相手にしないので、「懐紙」を取り出して口にくわえて口説くシーン、こたつを持って追いかけっこするシーン、ラブレターを引っ張り合って破れるシーン・・・コミカルタッチで描かれているのだが、遊郭の色事を彷彿とさせて、考え方によっては、実に艶っぽいのである。

   いくら考えても分からないのは、才色兼備で遊芸に秀でた教養豊かな傾城夕霧が、何故、伊左衛門と言うちゃらちゃらしたバカボンに恋い焦がれて病気になるほどの物語を、近松門左衛門が書いたかと言うことである。
   日本のシェイクスピアと称される近松門左衛門だが、そう言えば、シェイクスピアの戯曲にも、理解に苦しむストーリーが多かった。
   それが、偉大な劇作家の劇作家たる所以でもあるのであろうか。

   この廓文章の観劇記は、何度か書いているので、鴈治郎と玉三郎の素晴らしい舞台であったことを記して終えたい。
   鴈治郎に配慮したのであろう、玉三郎の膝立ち姿のシーンが多かったが、その優雅さ美しさも、また、中々、絵になって素晴らしかった。
   
  

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国立劇場:歌舞伎・・・通し狂言「小春穏沖津白波」

2016年01月21日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   正月の国立劇場の歌舞伎は、「復活狂言」が恒例と言うことで、今回は、2002年に138年ぶりに上演され、2014年再演された舞台に、さらに工夫を加えて上演された河竹黙阿弥作の「小春穏沖津白浪」。
   11年前の舞台では、日本駄右衛門が富十郎、船玉お才は時蔵、子狐礼三が菊五郎で、今回、菊五郎は、礼三を菊之助に譲り、日本駄右衛門に回っており、時蔵だけが再登場である。
   日本駄右衛門は、富十郎なら、ドスが利いて迫力があったであろうが、菊五郎は、威厳と風格があって華麗である。
   時蔵は、日頃の雰囲気のある女形とはかなりニュアンスの違った匕首片手に華麗な立ち回りを演じる派手な見せ場を展開していたが、出色の出来であり、今回素晴らしい舞台を見せている子息の梅枝と萬太郎ともども、素晴らしい役者一家である。
   何といっても、この歌舞伎は、華麗でダイナミックなタイトルロールとも言うべき礼三を演じた菊之助の八面六臂の大活躍あっての舞台であろう。
   ほろっとさせるようないい女のお三輪を彷彿とさせる田舎娘から、鷹揚で泰然とした若旦那、狐がとりついた盗賊など、器用に早変わりして役どころを熟しているのは流石であるが、朱塗りも鮮やかな千本鳥居の上を妖術を使って走り回って華麗な立ち回りを演じる華麗さ美しさなどは、正に絵になる活躍で、千両役者の風格十二分である。
   

    さて、この歌舞伎は、大名・月本家の家宝「胡蝶の香合」をめぐるお家騒動が底流にあって、月本家にゆかりのある盗賊・日本駄右衛門、船玉お才、小狐礼三らの盗賊たちが活躍して解決すると言う白波ものである。
   3人が妖術を使って華麗に演出する、冬、秋、春と次々に情景を変化させて繰り広げる「雪月花のだんまり」や、稲荷神社で展開される、ドミノ倒しのようにずらりと並んだ鳥居を舞台に、上を下へと繰り広げられる派手でテンポの速い大立ち回りなど、カラフルでダイナミックな華やかなシーンが、あっちこっちで展開されて、とにかく、ナンセンスながら、見せて魅せる面白い歌舞伎である。

   歌舞伎座の方は、非常にオーソドックスな古典歌舞伎の名場面を、名優を糾合して決定版とも言うべき素晴らしい舞台を展開しているのだが、空席がかなり多いのは、やはり、同じ演目の繰り返しで、観客も、マンネリに食傷気味なのであろう。
   この小春穏沖津白波の方は、新鮮であるのみならず、見せ場が多くて、随所に昨年の流行語大賞のギャグを取り入れたり、五郎丸の真似をさせたり、サービス精神旺盛なところも受けていて面白い。

   上野清水観音堂の場での「新薄雪物語」のパロディ版であったり、盗賊3人が3幕「隅田堤」で義兄弟の契りを結ぶシーンなどは、「三人吉三」の焼き直しだと言う、どこかで見た雰囲気のシーンがあったりして面白いのだが、いずれにしろ、家宝の行方とお家騒動、花魁に現を抜かす若殿、それに、惡の華とも言うべき大盗賊の活躍など、正に、歌舞伎のエッセンスを糾合した活劇ものであるから、肩がこらなくて、4時間近くを楽しめるのであるから、上質な正月の娯楽である。

   やはり、舞台が楽しいのは、登場する人を得た役者の活躍であろう。
   しっとりとした女形の梅枝が、嫋やかな若殿の月本数馬之助を、尾上右近が、御姫様と花魁を器用に演じ分けながらの傾城花月を、片岡亀蔵が、この舞台の極悪人である三上一学を実に憎々しく演じて出色の出来で、それに、坂東亀三郎が奴弓平 、中村萬太郎が六之進/友平 を颯爽と演じていて楽しませてくれる。
   私が興味を持ったのは、色男礼三の馴染みの花魁の傾城深雪を演じた、何とも雰囲気がぴったり来ないコミカルながら大真面目な市村萬次郎の年増の老獪さと芸の確かさで、笑いを噛みしめてみていたが、これこそ、大ベテランの芸の神髄であろう。
    中間早助/遣手婆お爪を演じた 市村橘太郎の実にコミカルであくの強い芸の楽しさも出色であって、私など、このあたりのなんば花月劇場の雰囲気が好きである。
   三上一学であっても適役であった筈の團蔵が、今回は、珍しく日本円秋と言う格好良い役を神妙に演じていたのも印象的であった。

   菊五郎の演出、そして、一座の成功を賞賛すべき舞台であった。

   劇場の雰囲気を数ショット
   
   
   
   
   

   前庭の梅がちらほら咲き始めていた。
   蝋梅が、」奇麗に咲いていた。
   
   
   
   
   
   


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