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熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

二月大歌舞伎・・・昼の部「四千両小判梅葉ほか」

2017年02月08日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   やはり、「昼の部」の目玉は、「四千両小判梅葉」で、大胆にも江戸城の御金蔵破りをして曝し首になる菊五郎の野洲無宿富蔵と梅玉の藤岡藤十郎を主人公とした、一寸桁違いの大盗賊の話で、中々、味のある歌舞伎で面白い。

   ただ、この舞台は、2012年の顔見世興行で、殆ど同じ登場人物で公演されており、私自身、このブログで観劇記を書いており、結構読まれていて、それ以上の記事を書くことも出来ず、蛇足となるので、止める。
   いずれにしても、意表を突くようで興味深いのは、「伝馬町大牢の場」である。
   大きな 牢屋内の一室で、畳を重ねた高みに陣取った"牢名主 松島奥五郎(左團次)"と"隅の隠居(歌六)"が左右に居を占め、その間に、富蔵などの顔役6人が座って牢内の諸事を取り仕切り、20人くらいの罪人が左右の端に整然と並んで座っている。
  上席の二番顔役の富蔵が、新入りの罪人を一人一人詰問して、吟味しながら牢内の居場所を決めるのだが、大枚の金子を隠し持って入って来たものや、男前で器用で調子のよい新入り・寺島無宿長太郎(菊之助)などに甘く、「地獄の沙汰も金次第」と見得を切る。

   実情を聞きこんで芝居を書いたと言うので、当時の牢屋事情だと思うのだが、極めて整然として秩序だった牢内のシステム管理とコーポレートガバナンスの徹底が、興味深い。
   最後には、二人は刑場に引かれて行くのだが、処刑が決まって出牢する富蔵に、牢名主が着物と博多帯、隅の隠居が数珠を贐として与えるところなど実に面白い。
   役者たちも適役で出色の出来だが、菊五郎の極め付きと言うべき芝居が、感動的である。
   
   「猿若江戸の初櫓」は、
   出雲の阿国と猿若の一座は、江戸での旗揚げを目指す道中で、材木商の福富屋万兵衛が、将軍家への献上品を届ける途中に狼藉者が暴れて立ち往生しているのに出くわす。猿若は、若衆を集めて音頭を取って荷物を運ばせ、それを見た奉行の板倉勝重が、猿若たちの働きを褒めて、江戸中橋の所領を与えて、江戸での興行を許し、福富屋に芝居小屋の普請を命じる。期せずして、江戸旗揚げを実現した猿若たちは、喜んでお礼として舞を披露する。

   岩波講座の「歌舞伎文楽」10巻を積んどくなので、江戸歌舞伎の歴史などが良く分からないのだが、チラシでは、「江戸歌舞伎発祥を華やかに描いた猿若祭にふさわしい一幕」と言う。
  特に内容のある歌舞伎ではないと思うのだが、いずれにしろ、 猿若の勘九郎と阿国の七之助の舞台である。

   「大商蛭子島」は、平家追悼の院宣を持つ文覚上人が、頼朝に会って、院宣を手渡し、頼朝が平家討伐の旗揚げを決意し、遺族郎党が結集すると言う話。
   冒頭、大変好色な寺子屋の師匠の正木幸左衛門が、実は、頼朝であって、その女房おさよ(時蔵)が悋気を起こして痴話げんかを演ずるハチャメチャの出だしで、寺入りを望んでやってきた若い娘おますが、実は、政子で、おさよがおますに妻の座を譲ると言う展開になったり、文覚(勘九郎)が、身を窶して乞食坊主のようないでたちで獄谷の清左衛門の名を騙って現れたり、とにかく、ストーリーに脈絡が欠乏していて、良く分からない芝居であった。
   寸前まで夫であった頼朝と政子の新婚初夜を睨みながら、長唄「黒髪」に乗って演じる、苦悶する時蔵の芸の冴え(?)が、見どころであろうか。
   それに、助平の松緑が面白く、勘九郎が、ほろっと勘三郎を思わせる声音や仕草をして驚かせる。

   鳶頭の梅玉と芸者の雀右衛門の「扇獅子」は、綺麗な舞台で、一服の清涼剤。
   
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国立劇場…一月歌舞伎:しらぬい譚

2017年01月25日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   今月の国立劇場は、通し狂言「しらぬい譚」。

   国立劇場のHPによると、
   『白縫譚』は、江戸時代初期に起きた筑前国黒田家のお家騒動を、主要な題材にしたもので、実在の黒田家をモデルにした菊地家が、菊地家に滅ぼされた豊後国大友家の残党によってお家存亡の危機に陥り、その事態に、菊地家の執権・鳥山豊後之助が対峙していくという物語。  
   蜘蛛の妖術を利用して菊地家への復讐を図る大友家の遺児・若菜姫(菊之助)と、その巧みな謀略からお家を守ろうと苦心する鳥山豊後之助(菊五郎)、豊後之助の倅・鳥山秋作(松緑)、秋作の乳母秋篠(時蔵)を始め菊地家の忠臣たちとの対決がテーマで、その活躍を物語の主軸に据え、緊迫したドラマが展開される。
   菊地家の重宝「花形の鏡」をめぐる豊後之助・秋作父子と若菜姫との対決、自らを犠牲にして鳥山家に尽くす秋篠の忠義、豊後之助の繰り出す意外な智略、変幻自在の若菜姫の変身や“筋交い”の宙乗り、足利将軍家を守る秋作の大立廻りや屋体崩しで見せる化猫退治など、見どころ満載の歌舞伎。

   通し狂言を旨とする国立劇場が、昭和52年(1977)に河竹默阿弥が劇化した『志らぬひ譚』を通し狂言として76年ぶりに復活上演したのだが、今回は、尾上菊五郎監修のもと、原作の面白い趣向や設定を換骨奪胎して活かし、先行の劇化作品や講談などを参照しながら、新たに台本を作成した。と言う意欲的な舞台である。

   今回の舞台で面白いのは、菊之助の何役かの男女取り混ぜての変身と、すっぽん後ろの舞台から、三階席上手側へと、客席上方を斜交いに宙乗りで華麗に演じる舞い姿で、2回演じて、楽しませてくれる。
   菊之助の素晴らしさは勿論だが、座頭役者菊五郎の貫禄と風格の備わった素晴らしい役者魂!の発露あっての国立劇場劇場の初春歌舞伎でもあった。

   お家騒動とお家の重宝の奪い合いと言った歌舞伎の常套手段のストーリー展開だが、通し狂言であるから、初めて見ても、筋書きが良く分かって面白い。

   時蔵の乳母秋篠が、命をなげうち忠義を尽くすと言う筋書きなどは、摂州合邦辻の庵室の玉手御前の完全焼き直しであって、なさぬ恋に悶えて殺されて、その生き血を飲ませて、思い人の病気を治すと言うことになる。
   乳母秋篠が、育ての主人秋作に恋い焦がれて、秋作の許嫁照葉(梅枝)を突き飛ばしてしなだりかかて思いのたけをかき口説くと言う凄まじさ。  
   玉手御前の場合には、合邦が刺すのだが、このしらぬい譚では、息子に殺されるなど、多少違いはあるのだが、あまりにも有名なストーリーの二番煎じなので、やや、興ざめである。
   それは、ともかく、時蔵は実に上手く秋篠を演じていてさすがである。
   

   化猫退治のシーンでは、猫役役者たちの群舞で、歌川芳藤の異り絵「五拾三次之内猫之怪」を思わせる人形絵模様を舞台に展開していて、興味深かった。
   秋作の大立廻りなど、歌舞伎の別な見せ場の一つなのであろうが、京劇の影響であろう、派手なアクロバティックな技師たちの動きに対して、鷹揚な主役歌舞伎俳優の型を重視した動きとの、ちぐはぐなアンバランスが、面白い。
   何時観ても、松緑は、松緑と分かり過ぎるほど素人ぽい演技なのだが、あのキャラクターの役者は他に居ない程貴重な存在で、存在感抜群であり、今回も、素晴らしい忠臣ぶりを披露してくれた。

   50周年公演のお祝いとさらなる部隊の盛り上げに一役買おうと、ピコ太郎本人が国立劇場に来場して、「しらぬい譚」の四幕目第一場「錦天満宮鳥居前の場」に、「謎の参詣人」本人役で登場した。
   知らなかったので、舞台下手から登場して、例の派手な衣装と振りで、軽快にPPAP
ペンパイナッポーアッポーペン模様を演じて、舞台背後に消えたのには驚いた。
   この件は、国立劇場のメールで紹介された次の23日の写真は、ピコ太郎に扮して出演の片岡亀蔵が出たようだが、私の見た18日は、ピコ太郎本人だけの登場だろうと思ったのだが。
   

   ストーリーとしては、特別面白い芝居ではないのだが、正月気分を味わうのには、格好の舞台であろう。
   国立劇場の前庭の蝋梅、梅、ボケが咲き始めて、春の気配を醸し出している。
   
   
   
   
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国立劇場:淡路人形座・・・「賤ヶ岳七本槍」

2017年01月22日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   国立劇場開場50周年記念公演で、「民俗芸能」のタイトルで、神楽、壬生狂言、淡路人形芝居の3演目が演じられたが、私は、淡路人形座の「賤ヶ岳七本槍」だけを鑑賞した。
   上演方式など多少違いはあるのだが、私としては、いつもこの国立小劇場や大阪の国立文楽劇場で演じられる文楽協会の舞台と同じような感覚で楽しんだ。
   このように洗練された高度な文楽が、淡路人形座で演じられていると言うのは、驚異でさえある。
   以前に、淡路か徳島だったが、忘れてしまったが、「傾城阿波の鳴門」のおつるの舞台を観たのを覚えているのだが、これも、感銘深かった。

   この淡路の人形芝居は、野外の広々とした客席の隅々まで観て楽しめるように、大きな人形を遣い、振りや動作など動きを大きくして、表現も誇張されていると言うのだが、確かに、人形のかしらも大きめで、表情がリアルであるのが面白いと思った。

   淡路人形座のHPによると、「賤ヶ岳七本槍」のあらすじは、次の通り。
   ”柴田・真柴の戦いが続く中、鏡山の頂きにある清光尼(深雪)の庵室を政左衛門が訪ねる。両者の戦いを高みから見物すると言って遠眼鏡を据えさせる政左衛門であったが、意外にも深雪に強く還俗を求める。そこに久吉が三法師をつれて訪れ、蘭の方の首を早く渡すよう迫る。承諾した政左衛門はしばしの猶予を請い久吉を奥で待たせる。
一方、遠眼鏡でいくさの様子を見ていた腰元たちから勝久が見えると聞いた深雪は、恋情忍びがたく還俗を決意する。そこに政左衛門が現れ蘭の方は恩ある先代政左衛門の忘れ形見ゆえ殺すわけにはいかないと 述べ、身代わりになるよう説得するが、勝久に会いたい一心の深雪は拒否する。しかしやがて戦場から「勝久を討ち取った」という声が聞こえてきたので、失意とともに深雪は身代わりを受け入れ、政左衛門は深雪の首を討つ。政左衛門は、偽三法師を連れた久吉が小田家を乗っ取ろうとしているのではないかと疑うが、久吉は三法師に扮した実子の捨千代を討つ。肉親を殺し忠義を貫く久吉に政左衛門も心を許し、本物の三法師を託す。久吉は三法師を抱き馬に乗って堂々と安土に帰還する。”

  今回上演されたのは、前述のあらすじの大半である「清光尼庵室の段」が、舞台の殆どを占めており、その後、約45分くらいの「真柴久吉帰国行列の段」と「七勇士勢揃の段」が続いている。
   政左衛門が、娘の深雪を、蘭の方の身代わりに、殺そうとする修羅場が見せ場で、結局断腸の思いで殺すのだが、実子を三法師の身代わりに立てて欺き続けて殺さらずを得なかった真柴には、すべて先刻承知と言うどんでん返しが面白い。
   プログラムを買わなかったので、詳細は分からないのだが、大夫は、竹本友庄以外は、竹本姓の女性陣で、三味線もすべて鶴澤姓の女性陣が弾いていて、非常に新鮮で清々しい浄瑠璃を聴いた思いで、楽しませてもらった。
   人形遣いは、最初から最後まで、黒衣で、出遣いはなく、主遣いの表情は分からなかった。
   尤も、人形も、凄いテクニックと迫力で、いずれにしろ、私も元兵庫県人でもあるので、淡路で、これだけの素晴らしい古典民俗芸能が維持されていると言うのは、驚きでもあり喜びでもあった。
   

   賤ヶ岳七本槍とは、天正十一年(1583)、羽柴秀吉と柴田勝家が織田勢力を二分し 天下を賭けた戦いに於いて、功名をあげた秀吉方7人で、福島正則・加藤清正・加藤嘉明・平野長泰・脇坂安治 ・糟屋武則・片桐且元 を指す。
   関ケ原の戦いにおいて、既に、豊臣方を離れている人物がいて興味深い。
   
   
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壽初春大歌舞伎・・・「将軍江戸を去る」「井伊大老」

2017年01月09日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   初春大歌舞伎で、二つの幕末と明治維新の激動期を舞台にした演目が上演されたので、興味深く観た。
   何回も観ている舞台なので、それ程、感慨はないのだが、演じる役者によって、大きく印象が異なる演目である。

   まず、「将軍江戸を去る」は、真山青果の作。
   徳川慶喜 染五郎、山岡鉄太郎 愛之助、高橋伊勢守 又五郎

   この歌舞伎は、二幕四場で、第一幕 江戸薩摩屋敷 第二幕 第一場 上野の彰義隊 第二場 同 大慈院 第三場 千住の大橋 なのだが、第一幕の勝海舟と西郷隆盛との江戸城明け渡しの決定的なシーンが省略されていて、第二幕だけなので、大分、この戯曲の良さがそがれている。
   この勝西郷会談で、西郷は、多くの民が平穏無事に生活している江戸市中を火の海にしようとした自分たちの愚かさ、そして無辜の民を殺さなければならない戦争の悲惨さ無意味さを慨嘆し、江戸城の無血開城と慶喜の助命は、朝廷のみならず官軍を救うことになると、大粒の涙を流して心情を吐露する。

   この第二場は、既に、将軍慶喜が、大政を奉還し、江戸城を無血開城して、上野寛永寺で謹慎中、翌朝に、江戸を発つ予定だったのだが、急に出発を取りやめると言いだしたので、警護中の彰義隊を突破して、山岡鉄太郎が、決死の覚悟で乗り込み、将軍を説得する劇的な舞台である。
   鉄太郎は、水戸は幽霊勤皇だと叫んだので、堪忍袋の緒が切れて刀に手をかけた慶喜に、見かけだけの「尊王」ではなく、天皇に経済力と兵力を納めて皇室を敬う「勤王」の精神に立ち返るべしと諌める。将軍が、最後に江戸を離れる「先住の大橋」の場が、江戸幕府の終焉を告げて感動的である。

  この山岡鉄太郎の行動には、西郷隆盛との事前に重要な談判が存在する。
  西郷との談判あっての山岡であって、一切を承知して慶喜を守り、江戸を守ろうと必死に奔走した山岡であったから、慶喜を説得して江戸からの出立を死守しなければ、死んでも死にきれなかったのである。 

  官軍の江戸総攻撃の15日の前、3月9日に、山岡鉄太郎は、慶喜の意を体して、勝海舟の紹介を得て、駿府まで進撃していた東征軍の大総督府に赴き、西郷と面会する。
  東征軍から、徳川家へ開戦回避に向けた条件提示がなされ、江戸城総攻撃の回避条件として西郷から山岡へ一方的な7箇条が示される。
  そのうち、第1条の「徳川慶喜の身柄を備前藩に預けること。」だけはどうしても受け入れることができず談判して保留として、江戸に持ち帰り勝に伝える。
   結局、この7箇条は、勝・西郷会談で、やや、骨抜きにされて、第1条は、「徳川慶喜は故郷の水戸で謹慎する。」と言う条項に代わって、この舞台のように、将軍は江戸を去ることになるのだが、謀反を試みる輩が多数存在し不穏な状態の中で、慶喜が水戸隠居の意志を翻して江戸退去が遅れると、すべてが反故となるので、山岡鉄太郎と高橋伊勢守は、官軍の仕打ちに断腸の思いで憤懣やるかたない将軍慶喜の心情を知りすぎるほど知っているので、正に、決死の覚悟で説得にあたった。
   
   私の場合、これまで、観た記憶にある「将軍江戸を去る」は、少なくとも次の2回。
   猿之助襲名披露公演では、この「将軍江戸を去る」は、徳川慶喜 團十郎、山岡鉄太郎 中車、高橋伊勢守 海老蔵。
   国立劇場では、徳川慶喜 吉右衛門、山岡鉄太郎 染五郎、高橋伊勢守 東蔵。

   山場は、丁々発止の将軍と山岡との対話だが、わきに控える伊勢守の存在も大きい。
   自分には踏み込めない、しかし、死を賭してでも慶喜を諫めたい、その思いを必死に胸に収めて山岡をサポートする。
   実に素晴らしい舞台ばかりで、感動的であった。

   今回の舞台は、先に山岡を演じた染五郎が、将軍に代わったのだが、流石に、高麗屋で、中々風格のある将軍であった。
   愛之助は、正に、直球勝負の熱血漢を演じて好感。
   伊勢守の又五郎は、このように控えめながら心情にぶれのない忠臣を演じるといぶし銀のような芸を見せてくれて、素晴らしい。

   もう一つは、北條秀司 作・演出の「井伊大老」。  
   今回の配役は、井伊直弼 幸四郎、仙英禅師 歌六、長野主膳 染五郎、昌子の方 雀右衛門、お静の方 玉三郎。
   先に記したように、これまで観た3回ともすべて吉右衛門が井伊直弼を演じていた。
   正室の昌子の方よりは、側室のお静の方の方が、この舞台では、重要なキャラクターで、夫々、歌右衛門、魁春、雀右衛門であった。

   直弼との間の子鶴姫の四度目の月命日に、直弼がまだ若かった彦根時代から側室として仕えていたお静の方のところへ、仙英禅師が訪れて、お経をあげ、傍らにある直弼がしたためた屏風に目をとめて、その墨痕には逃れられない険難の相があると言って、正室昌子の方に対する嫉妬が解けず出家したいと言うお静の方に、その悩みは長くないと直弼の死の予感を伝る。
   そこへやってきた直弼が、禅師が「一期一会」と書き記した笠を残して立ち去ったので、禅師が自分に別れを告げたと知って、華やかに飾られた雛人形を見ながら、お静と二人で、しっとりと酒を飲み始める。
   二人がひな祭りの夜に契った彦根時代の埋木舎での貧しくても楽しかった昔を思い出しながら、あの頃に帰りたいと述懐して、直弼は、藩主になった結果、お静に悲しい思いをさせたことを詫び、自分の信じて正しいと思って決然と実行したことを誰にもそして後世の人にも理解してもらえないであろう苦衷を打ち明ける。
   お静の方は「正しいことをしながら、世に埋もれたままの人もある」と慰めると、それを聞いて晴れやかになった直弼は、「次の世も又次の世も決して離れまい」とお静の方の肩を抱きしめる。
   その翌朝、雪が降りしきる桜田門外で、直弼は果てる。

   この実に初々しくて涙が零れるほど健気で優しいお静の方を、人間国宝の玉三郎が、実に、乙女のように可愛くそして品よく演じ切って感動的である。
   幸四郎の直弼も、貫禄と風格があって絶品。
   歌六の禅師は、これまでにも観ているが、枯れて淡々とした味が何とも言えない。

   私は、これまでにも書いたが、安政の大獄には、多少違和感があるが、あの開国があってこそ、無血革命の明治維新があって、今日の日本があるのだと思っている。
   直弼の死後、遺品として大部の洋書や地図などが残されていたと言うから、アヘン戦争で西洋列強の餌食になった中国の苦衷を知り過ぎるほど知っていた筈であり、英明な直弼ゆえ、日本の進むべき道は、はっきり見えていた筈で、太平天国に酔いしれていた大衆とは、一歩も二歩も前に進みすぎていた悲劇の最期であろう。
   
   
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壽初春大歌舞伎・・・歌舞伎座

2017年01月05日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   一日、通して歌舞伎座で、初春大歌舞伎を鑑賞した。
   かなり充実した演目が並んでいたので、楽しませてもらったが、年末からの風邪が残っていて、結構、エネルギーが必要であった。
   私は、昼の部の「沼津」と、夜の部の「井伊大老」を観たくて出かけたのだが、期待に違わず、素晴らしい舞台であった。

   「沼津」は、吉右衛門の呉服屋十兵衛、歌六の雲助平作、雀右衛門のお米の舞台は、2010年の秀山祭九月大歌舞伎で観ており、その再現であり、決定版ともいうべき素晴らしい舞台であった。
   雀右衛門の水も滴るような女らしい魅力的なお米は、勿論のこと、吉右衛門と歌六の何とも言えない芸を超えた人間味の滲み出た命の交感とも言うべき至芸の凄さは格別であった。
   先回、国立劇場で、坂田藤十郎の十兵衛に、翫雀の老父・平作、扇雀のお米と言う成駒屋兄弟との親子の舞台で、親子逆転で、父が息子に恋をすると言う考えられないような舞台ながら、それが、殆ど違和感なく見せるた凄い舞台も見ている。
   伊賀越道中双六の中でも、この「沼津」は、「岡崎」と並んで、屈指の素晴らしい舞台であり、いつ観ても感動し、役者に人を得れば、何重にも楽しめる。

   「井伊大老」を最初に観たのは、ずっと以前で、井伊大老が吉右衛門で、お静の方が最晩年の歌右衛門であったので、強烈に印象に残っている。
   それに、これまで、吉右衛門の井伊大老で、お静の方が魁春と雀右衛門で2回観ており、私の井伊大老のイメージは、吉右衛門であった。
   今回、この井伊大老を演じたのは幸四郎で、お静の方は玉三郎と言う豪華キャストで、またまた、実に素晴らしい「井伊大老」の舞台が演出された。
   それに、仙英禅師を演じた歌六が、「沼津」の平作に劣らぬ渋い素晴らしい芸を魅せて感動的であった。
   
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国立劇場・・・文楽:通し狂言「仮名手本忠臣蔵」(2)

2016年12月21日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   同じ浄瑠璃を基にした舞台だが、丸本に近い文楽と、それを脚色して、より劇化した歌舞伎とでは、ストーリー展開や演出など、かなりの違いがj出ていて、非常に興味深い。

   本筋とは殆ど関係ないのだが、「山崎街道出会いの段」での、与市兵衛が定九郎に50両を奪われるシーンが大きく違っていて面白い。
   歌舞伎の場合には、
   中村仲蔵の脚色で、黒羽二重の着付け、月代の伸びた頭に顔も手足も白塗りにして破れ傘を持つという拵えの定九郎が、与市兵衛が、稲掛けの前にしゃがみこんだところを、突如二本の手を伸ばして、与市兵衛を引き込んで、与市兵衛を刺し殺して財布を奪う。財布の中身を探って、「50両!」。
   イノシシに向かって勘平が撃った二つ玉に当たって、死んでしまい、勘平に財布を持ち去られる。
   と言ったシンプルな舞台だが、歌舞伎の様式美の最たるシーンで、かなりの名優が演じることになっていて、先月の歌舞伎の舞台では、松緑が定九郎を演じていた。

   一方、文楽の方は、オリジナルの浄瑠璃を踏襲していて、老人が夜道を急ぐ後を定九郎が追いかけて来て呼び止めて、「こなたの懐に金なら四五十両のかさ、縞の財布に有るのを、とっくりと見付けて来たのじゃ。貸してくだされ」と老人に迫って、懐から無理やり財布を引き出す。
   老人は、抵抗して抗いながら、これは、自分の娘の婿のために要る大切な金であるから許してくれと、必死になって哀願するが、親の悪家老九太夫でさえ勘当したと言う札付きの悪人定九郎であるから、理屈の通らない御託を並べて、問答無用と、無残にも切り殺す。
   ストーリーとしてはリアル重視で分かるが、あまりにも殺伐とした感じで、この段を、益々、陰鬱陰惨な芝居にしている感じであり、シンプルで様式美に徹した歌舞伎の方が、良いのではなかろうか。

   もう一つ、面白いのは、次の「身売りの段」で、おかるが売られて行く祇園の一文字屋である。  
   文楽では、一文字屋の亭主が登場するのだが、歌舞伎では、女主の一文字屋お才と判人源六に代えていて、登場人物を分けている分、それだけ、ストーリー性が豊かになっていて面白い。
   文楽では、語っているのは同じでも、義太夫語りにもよるのであろうが、どうしても、亭主の台詞は、源六調に近くなって、お才の醸し出す色町の女将の雰囲気が希薄となって、この段のムードをストーリー一辺倒に追い込んでしまっていて味がなくなる。
   歌舞伎では、お才を魁春が演じていたが、中々、雰囲気があって好演していた。

   今度の文楽を観ていて、一つだけ、歌舞伎の通し狂言と比べて、惜しいと思ったのは、二段目の前半の「桃井館力弥使者の段」が、省略されていたことである。
   それ程重要な場ではないので、演じられることは殆どないようだが、大星由良助の子息:大星力弥が、明日の登城時刻を伝える使者として館を訪れるのだが、父母の本蔵と戸無瀬が気を効かせ、許嫁で力弥に恋する小浪に、口上の受取役とさせる。そわそわもじもじ、ぼうっとみとれてしまって真面に受け答えも出来ない小浪と他人行儀の対応で応える力弥の初々しい面会シーンが、実に良いのである。
   その場へ、主君若狭之助が現れて口上を受け取り、力弥は役目を終えて帰って行く。
   それだけだが、この二段目の力弥使者の段を観ておれば、八段目の「道行旅路の嫁入」と九段目の「山科閑居の段」で、如何に、小浪が、力弥との祝言に命懸けで当たっていたかが良く分かり、父母の本蔵と戸無瀬の生き様が浮き上がってくる。
   軽い「おかる」が引き起こした文使いによる塩谷家滅亡と同じように、小浪の恋が本蔵を死に追いやり討ち入りを助けると言う作者の導線の冴えが良く見えてくるのである。

   文楽と歌舞伎で、最も大きな違いは、歌舞伎には、文楽には全くない、三段目の後に嵌め込まれた「浄瑠璃 道行旅路の花婿」であろう。
   三段目最後の「裏門の段」で、おかるとの逢瀬を楽しんだために塩谷判官の刃傷事件に間に合わずに、裏門で締め出されて、切腹しようとした勘平を、おかるが止めて、父母の在所の京都の山崎に落ち延びようと言うクダリを借用して、
   おかると勘平は、駆け落ちを決意して、山崎へと目指すのだが、美しい風景をバックに落ちて行く旅の途中、コミカルタッチで追いかけて来た鷺坂伴内を立回りで追い払うと言う清元節を使った所作事となっていて、楽しませてくれる。
   元々の浄瑠璃にある八段目の道行と同じで、鎌倉から、一方は山崎、他方は山科と目的地は違うが、京都へ向かって上って行く旅路で、華やかな楽に乗った舞踊劇が美しい。
   普通、東京バージョンの歌舞伎の通し狂言では、八段目と九段目は省略されることが多いので、この山崎への道行旅路の花婿が、華を添えることとなる。

   ところで、今回も、十一段目は、「花水橋引揚の段」だけで終わっている。
   先日、歌舞伎のところで、十一段目は、面白くないと書いたのだが、不思議なもので、やはり、討ち入りのシーンがないと、忠臣蔵を見た感じがしないのである。
   
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国立劇場・・・文楽:通し狂言「仮名手本忠臣蔵」(1)

2016年12月19日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   国立劇場の文楽「通し狂言 仮名手本忠臣蔵」は、千穐楽の公演を聴いた。

   今回の「通し狂言 仮名手本忠臣蔵」は、多少、省略はされてはいるが、次のプログラムで、朝の10時半開演で、夜の9時35分終演と言う意欲的な公演で、文楽ファンにとっては、大変な幸運で、連日満員御礼であった。
   通して一気に鑑賞すると、この浄瑠璃のスケールの大きさと作劇の妙に感嘆しきりで、源氏物語や平家物語にしてもそうだが、日本文学の素晴らしさを痛いほど実感する。

   通し狂言 仮名手本忠臣蔵
   大  序   鶴が岡兜改めの段・恋歌の段
   二段目   桃井館本蔵松切の段
   三段目   下馬先進物の段・腰元おかる文使いの段・
        殿中刃傷の段・裏門の段
   四段目   花籠の段・塩谷判官切腹の段・城明渡しの段
   五段目   山崎街道出合いの段・二つ玉の段
   六段目   身売りの段・早野勘平腹切の段
   七段目   祇園一力茶屋の段
   八段目   道行旅路の嫁入
   九段目   雪転しの段・山科閑居の段
   十段目   天河屋の段
   十一段目 花水橋引揚の段

   余談ながら、4年前に、大阪の文楽劇場で、この通し狂言「仮名手本忠臣蔵」が上演されたので出かけて、同じように1日通して聴いた。
   住大夫は出られなかったが、源大夫が早野勘平切腹の段を、嶋大夫が山科閑居の段を語った。
   咲太夫は、前回も今回同様、塩谷判官切腹の段と祇園一力茶屋の段の大星由良之助を語った。
   人形遣いについては、ほぼ、前回を踏襲している。
   変わっているのは、前回には省略されていた、十段目 天河屋の段が、上演されたことである。

   その前に、この国立劇場で、10年前の9月に、通し狂言が上演されて、住大夫が、山科閑居を語り、簑助が、由良助を遣い、その最中に、初代玉男が逝った。
   この時も、凄い舞台で、感激して観ていた。

   さて、まず、今回、上演された十段目 天川屋の段だが、歌舞伎の第3部には加えられていた前半の「人形まわしの段」が省略されていて、直接、「天河屋」が上演されていたので、これだけでは、離縁など女房お園との関係などが分かり難かった。
   もう一つ、歌舞伎のところで書いたのだが、元の浄瑠璃の通りに、義平が、どっかと座って、「天河屋義平は、男でござる」と見得を切った長持ちから、由良助が、登場すると言う上演形式になっていて、こんな狭いところにどうして潜り込めたのかなど、どうも、しっくりと行かなかった。
   義平も承知の上での策だと思って義平の表情を観ていたのだが、由良助が、義平に向かって、「サテ驚き入ったる御心底、・・・」と言っており、自身も驚いていたので、シチュエーションなり作者の意図が分かっても、どうも、納得できない。
   あれほど、おかるや勘平、加古川本蔵と言う傑出した創作の人物を紡ぎ出して大作を創り上げた作者が、何故?・・・と思うと不思議である。

   当初、歌舞伎の忠臣蔵を見始めた頃には、何故、関係のない加古川本蔵が登場するのか、それも、主役で、・・・と思って違和感があったのだが、この頃では、この九段目が、一番よく出来ていて、最も好きな段でもあり、いつも、楽しみに観ている。
   本蔵も言っているのだが、まかり間違えば、自分自身が、大星由良助になっていたのであるから、謂わば、赤穂事件外伝の創作版バリエーションと考えても不思議ではなかろう。

   冒頭の大序、二段目、三段目で語られているが、高師直のあくどさと嫌がらせに耐えられなくて、殺害を意図して殿中で事件を起こそうとしていたのは、塩谷判官ではなくて、若狭助であって、その家老の本蔵が、一旦は、すっぱりとやりなさいと嗾けておいて、裏から過分の賄賂を高師直に献上して懐柔して、毒気を完全に抜いて難を救っただけなのである。
   橋本治が書いているが、総務系管理職と言うところで、今なら許されないが、当時なら、当然の家老の才覚であり、由良助が獅子身中の虫と言って誅伐する九太夫が原郷右衛門を責めるように、吝嗇では無理で、金銀を以て面を張らなければならないこともあろう。
   どうしようもない悪玉の師直が、若狭助に心外ながら詫びを入れて屈辱に耐え抜いたその直後に、横恋慕して、ものにしたい一心で口説いた顔世に拒絶の歌を、こともあろうに、夫の塩谷判官から渡されて怒り心頭に達して、おっとりとした日和見的で危機意識の欠如した塩谷判官に恨み辛みの矛先をむけての悪口雑言、そこは、坊ちゃんで育ちは良いが根が短気な判官が、切れてしまって刃傷に及んだ。
   塩谷株式会社の危機管理の欠陥が引き起こした悲劇なのである。

   さて、先に、勘三郎が、お石は、本当に本蔵が憎くて小浪を嫁として迎えたくないのだと言っているのを紹介したが、浄瑠璃の大詰めで、戸無瀬とお石の和解のシーンで、お石が、「玉椿の八千代までも祝われず、後家になる嫁取った、・・・このような目出度い悲しいことはない。・・・こういうことが嫌さにナむごうつらういうたのが、さぞ憎かったでござんしよのう。」と述懐している。
   やはり、瞬時に若後家になるのが分かっていて、嫁にするのは可哀そうと言うことであろうことかもしれないが、
   いずれにしろ、本心は、愛憎半ば、綯交ぜであったのであろうと思う。

   歌舞伎にはないのだが、その後、お石は、小浪の手を取って力弥のところへ導き、二人が寄り添ったところで、三々九度の盃を交わさせる。
   ”・・・これや尺八煩悩の枕並ぶる追善供養、閨の契りは一夜限ぎり。心残して立ち出ずる。”
   本蔵は、こと切れ、由良助は出立し、力弥と小浪は閨に向かう。

   山科閑居の幕切れ、文字久太夫の浄瑠璃と藤蔵の三味線の名調子が、観客を魅了する。
   勘十郎の本蔵、玉男の由良助、玉佳の力弥、和生の戸無瀬、勘彌の小浪、簑二郎のお石、
   雪転しの義太夫は、松香太夫と喜一朗、山科閑居の前の浄瑠璃は、千歳太夫と富助、
   絶好調であった。
   
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国立劇場・・・十二月歌舞伎:通し狂言「仮名手本忠臣蔵 道行旅路の嫁入から十一段目大詰めまで」

2016年12月18日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   入場が、15分遅れて、好演していた魁春の戸無瀬と児太郎の娘小浪の冒頭の艶姿をミスったのが残念であったが、次の九段目で、二人の素晴らしい舞台を観て満足した。
   この九段目の「山科閑居の場」は、幸四郎の加古川本蔵が、座頭役者が演じる仮名手本忠臣蔵の舞台のなかでも最も重要な主役なのだが、この八段目と九段目は、小浪の力弥への嫁入が、メインテーマであって、言うならば、九段目は、代理戦争とも言うべき様相を呈した戸無瀬と由良之助妻お石(笑也)との女の闘いが、重要なサブテーマでもあるので、舞台を楽しめるのかどうかは、この三人の活躍が、非常に重要なのである。

   この場では、戸無瀬の方が、お石よりも格上であろう、緋綸子の風格と格調の高さが求められており、前には、芝翫や藤十郎、玉三郎の舞台を観たが、今回は、これまで、お石の舞台を二回観た魁春が、演じていて、恐らく、芝翫や義父歌右衛門の艶姿の再現であろうか、素晴らしい戸無瀬で感動した。

   この戸無瀬とお石の対決で、一番印象に残っているのは、玉三郎の戸無瀬と勘三郎のお石である。
   小浪と力弥(錦之助)とは許婚関係であり、小浪がどうしても力弥に嫁ぎたいと切望するので義母である戸無瀬が小浪を伴い遠路はるばる山科を訪れて祝言させてくれと懇願するのだが、お石は、諂い武士の娘には、力弥に変って去ったとケンモホロロに拒絶して席を立つ。望み潰えて自害を決意した母娘の覚悟を知り、お石は祝言を許すのだが、引き出物として本蔵の首を所望する。
   この男顔負けの、二人の熾烈な対決の凄まじさは格別だが、本蔵以上にサムライ魂を色濃く持った毅然たる態度ながら、義理ゆえに揺れ動く女の悲しさに泣く戸無瀬を、玉三郎も、今回の魁春も、実に感動的に演じていた。

   お石の場合には、本蔵憎しと一本調子で突き進めても、戸無瀬は、期待に胸を膨らませて小浪を力弥に娶せられるべく苦労して山科まで旅をして来たにも拘わらず、お石に冷たい仕打ちを受けて、追蹤武士の娘は嫁に要らぬと主人まで罵倒されて拒絶され、切羽詰まって自害しようと思ったら小浪に死ぬのは自分の方で殺してくれと哀願されて苦渋に泣きながら刀を振り上げれば、「ご無用」とお石に止められて、嫁入りは許されるが、本蔵の首を差し出せと最後通告。その上、本蔵が現れて、娘可愛さに、力弥の槍に倒れて、苦しい胸の内を吐露しながら死んでしまう。威厳と風格を保ちながらも、暗転する運命の悲惨を受けて立つ心の葛藤を演じ分けなければならなず、美しい絵になる舞台姿も維持しなければならない。
   立女形が、挑戦し続けてきた大役なのである。

   ここで、興味深いのは、由良之助(梅玉)の妻お石が、何故、あれ程、邪険に小浪の嫁入りを拒絶にして冷たく当たるのかと言うことだが、普通に考えれば、力弥は、決死の仇討に向かうのであるから、若後家になるのは必定であり、可哀そうだからと言うことになる。
   しかし、関容子の「芸づくし忠臣蔵」によると、お石を演じた勘三郎が、「あれは、芯からいやなんだよ。殿を抱きしめた人の娘なんか、大星家は嫁に貰いたくないんだから。芯から拒絶している強さがなくちゃいけない。」と言っている。
   「金銀を以て媚び諂う追蹤武士の禄を取る本蔵殿と、二君に仕えぬ由良之助が大事な子に、似合わぬ女房は持たせぬ」と言う訳である。
   確かに、そう思うと、玉三郎の戸無瀬に対する勘三郎のお石は、情け容赦など微塵もなかったことを思い出した。

   どう思って観るかは、観客の自由だが、本蔵が、娘の許嫁の主君である塩谷判官を抱きしめた理由を、腹に刀を突きたてたまま「相手死せずば切腹には及ぶまじ、抱き止めたは思い過ごし・・・」と本蔵が告白しており、本当は塩屋のためにと思った咄嗟の武士の情けがアダになったことになっている。
   お石にしてみれば、本蔵は、高師直に賄賂を渡して怒りの矛先を若狭介から塩冶に向かわせて、その上、刃傷の邪魔をしてお家断絶に追いやった張本人であるから許せない。坊主憎けりゃ袈裟まで憎い、小浪も受け入れられない。と言うことであろうか。
   さて、お石を演じた笑也は、どう思って演じたのか、非常に毅然たる態度で偉丈夫とも言うべく、戸無瀬とは、一歩も引かぬ丁々発止の対決を披露していた。
   澤瀉屋の看板女形、流石の好演で、素晴らしい。

   さて、児太郎の小浪だが、以前に、父の福助の小浪を観たことがある。
   記憶は、殆ど残っていないのだが、今回の児太郎の実に初々しく健気でかわいらしい小浪を観て、改めて、その進境の著しさに感動を覚えた。
   このような素晴らしい娘なら、当然、この首を婿の力弥に差し出そうと槍を受けて瀕死の状態で、「忠義にならでは捨てぬ命、子ゆえに捨つる親心推量あれ由良殿」と、涙にむせ返りながら苦しい胸の内を吐露する本蔵の父親の気持ちが良く分かる。
   本蔵が討たれる覚悟で、お石に悪態をつき、戸無瀬が心配して袖を引くと邪険に振り払うが、「力弥めがおおたわけ」と言って小浪が袖を引くと、「よいよい」と言って相好を崩して頷きながら応える優しそうな幸四郎の表情を観ながら、幸四郎と松たか子の本「父と娘の往復書簡」を思い出した。
   娘可愛さのバカ親父になる気持ちは、私も二人の娘を持っているので良く分かる。

   幸四郎の本蔵、梅玉の由良之助、錦之助の力弥の好演は、申すまでもないが、私にとっては、この九段目は、女忠臣蔵の舞台なのである。

   由良助は、本蔵の深編笠や袈裟で虚無僧に変装して、討入りの用意に、摂津の堺の天川屋へ向かって旅立つ。
   本蔵は、静かに絶命し、夫婦と認められた力弥と小浪は、一夜限りの夜を過ごして、翌日堺に向けて出立する。
   愈々、高師直仇討のために、堺港から稲村ケ崎へと船出して行くのである。

    ところで、国立劇場の通し狂言の良さは、九段目の冒頭の「雪転しの段」が演じられていることで、中々、七段目の雰囲気を継承していて風情があって良く、この雪だるまが、後半の、障子を開け、奥庭に置いた雪で作ったふたつの五輪塔を暗示させる。
   一力女房お品が言っているが、祇園から山科までは遠くて、今のメトロならすぐだが、昔では、この舞台のようには、雪の山道を越えて一夜で越せる筈がなく、芝居の虚構としては、絵にはなっていて面白い。

   さて、十段目の「天川屋義平内の場」だが、先日書いたように、義平が、大勢の取り手に囲まれながら、武器の入った長持ちに、どっかと胡坐をかいて、微動だにせず、「天河屋義平は男でござる」と大見得を切る見せ場までは、良いのだが、その後が、何故だが、一気にテンションがダウンして、「作として低調」「愚作」といわれているくらい評判が悪い。
   浪士たちが、偽装して幕府の大勢の捕手となって現われ店に踏み込み、義平を捕らえようとし、その上義平の心をしかも子供を枷にしてわざわざ試そうとする魂胆。そのあと長持の中から、由良助が現れると言う筋書きであったようだが、流石に、国立劇場は、襖が開いて隣の部屋から登場と言うことになっていたが、由良助ではなく不破数右衛門をその代りとして出したこともあったと言う。
   八百余役を演じてギネスブックに載った先代の勘三郎が、「あんなものやりたくもねえや、あんなもの」と大変な反発で面白かったと、関容子さんが書いている。
   何は、ともあれ、歌六の義平と、高麗蔵の女房お園、丁稚伊吾の種之助は、好演していた。

   十一段目は、高家表門討ち入りの場から、花水橋引揚げの場までの大詰めである。
   普段とは違って、柴部屋本懐焼香の場での焼香シーンや、花水橋での浪士全員の名乗りなど、少しずつ付け加えられたり、バリエーションがつけられたりしていた。
   広間や奥庭泉水の場の立回りは、それなりに面白い。
   柴部屋本懐焼香の場では、浪士たちが、炭小屋に隠れていた師直(吹替えであるから白ける)を見つけ引き出して、笛を吹くと浪士が全員集合して、由良助が、判官の形見の腹切り刀を差し出し自害するよう師直に勧めるが、師直はその刀で由良助に突きかかってくるので、師直から刀をもぎ取り刺し殺す。そして、その首を討ち、由良助たちはついに本懐を遂げ勝どきをあげる。
   この過程が、あまりにも、安易簡単に進み過ぎて、これまでの勘案辛苦が何であったのか、全く、感動を感じさせない程あっけないのである。
 
   小林平八郎の松緑、寺岡平右衛門の錦之助、矢間重太郎の隼人など、好演していたが、いつも、「仮名手本忠臣蔵」の通し狂言を観ていて、大詰めに近づくほど面白くなくなってくるのを、不思議に思っている。
   尤も、現在の討ち入りの台本は、元の浄瑠璃の丸本バージョンと違って、河竹黙阿弥以降に改変されたものだと言うから、芝居の密度が一気にダウンしたのも、仕方がないのかも知れない。
   
   
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十二月大歌舞伎・・・玉三郎の「二人椀久」「五人道成寺」

2016年12月08日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   十二月大歌舞伎は、若手の意欲的な演目が並んでいたが、玉三郎の舞台を観たいために歌舞伎座へ出かけた。
   私自身は、舞踊にはそれ程興味があるわけではないし良く分からないのだが、玉三郎のあの至芸とも言うべき素晴らしい舞台姿は、そうそう、鑑賞できるわけではないので、日本の舞台芸術の極地として、出来るだけ、見ておきたいと思っている。

   METの記念公演ビデオで玉三郎の「鷺娘」を見て感激し、その後、期せずして、ロンドンで、ジャパンフェスティバルの公演で、同じその「鷺娘」を鑑賞する機会を得て、日本の芸術の凄さ素晴らしさ、その美意識の崇高さに感じ入って、欧米で観て感激し続けてきたオペラやシェイクスピアの舞台とは違った感動を覚えたのである。
   それから、二十数年、この歌舞伎座に通い続けて、そのほかの舞台も加えれば、随分、玉三郎の舞台を観ているが、女性美の美しさ素晴らしさに魅せてもらっている。
   先代の雀右衛門が、この世にないような女性を演じるから歌舞伎の女形は美しいのだと言っていたが、簑助の人形の後振りを観れば、感動の極みだが、玉三郎の後振りの流れるように艶やかなフォルムは勿論のこと、その姿かたちの美しさを観て、いつも、女性の理想像を観た思いで感激している。

   「二人椀久」は、次のような話。
   大坂新町の豪商椀屋久兵衛が、新町の遊女松山となじみ、豪遊を尽くしたために、親から勘当され座敷牢に閉じ込められたが、松山恋しさのあまりに彷徨い歩いているうちに微睡む。
   夢枕に、どこからともなく松山が姿を現し、椀久に語りかけ、二人は昔懐かしい楽しい思い出に浸り、仲良く酒を酌み交わし、往時を偲んで舞い続ける。
   華やかな廓遊びに酔いしれているうちに、松山の姿が次第に遠ざかり掻き消えていく。   目覚めて夢と知った椀久は寂しさに打ちのめされて倒れ伏す。

   椀久は勘九郎だが、私は、松山の玉三郎の舞姿に見入っていた。
   華麗な長唄をバックに、素晴らしい幻想的な舞踊の世界を現出する美しい舞台である。

   「京鹿子娘五人道成寺」は、娘道成寺の一つのバリエーションの舞台で、今回は、白拍子花子が、玉三郎以外に、勘九郎、七之助、梅枝、児太郎の5人で演じると言う面白い趣向の舞台である。
   若い歌舞伎俳優たちへの芸の継承と言うこともあっての玉三郎の登場と言うことであろうが、如何せん、同じ衣装を身につけて踊っていても、その芸の落差は、隠しようがない。
   特に、群舞と言うか連れ舞と言うか、そうなれば、華麗で艶やかな舞踊で、舞台は華やかだが、品一つにしても、風格なり優雅さなりリズム感等々に 微妙な差が出るのは、仕方がないのであろう。
   しかし、釣鐘に花子が上って魅せるラストシーンは、一番高みに玉三郎が立ち、順番に、勘九郎、七之助、梅枝、児太郎と、大蛇の姿に左下がりに弧を描いたフォルムは、絵になっていた。

   玉三郎は、重要な舞踊では、登場して、至芸を見せてくれていたので、楽しませてもらった。
   篠山紀信の玉三郎の写真アルバムも素晴らしいのだが、やはり、玉三郎はライブで鑑賞すべきである。
   
   
   

   最後に、歌舞伎座のポスターを借用するが、やはり、この第三部は、玉三郎の舞台なのである。
   
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吉例顔見世大歌舞伎・・・中村芝翫の「盛綱陣屋」

2016年11月24日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   今回は、昼夜の中村芝翫襲名披露公演を、通して一日で観た。
   実質的な芝翫および子息たちの登場する舞台は、昼の部の「祝勢揃壽連獅子」、夜の部の「口上」、「盛綱陣屋」、「芝翫奴」であった。
   連獅子は、親子4人の気合のあった素晴らしいパーフォーマンスで、亡くなった先代芝翫が、立派な後継者を残したことを天下に知らしめていて、福助児太郎父子、勘九郎七之助の中村屋兄弟を加えた一門のパワーは、大変なものであることが分かる。
   この能「石橋」から脚色した親子の厳しくも温かい情愛を表現した連獅子の舞台は、豪快な狂いと勇壮な毛振りを観ただけでも、正に、親子4人が披露する襲名の舞台には、最も似つかわしい演目であったと言えよう。

   「口上」で、児太郎が、父福助が、再起を期してリハビリに頑張っていると語っていたので、次の歌右衛門の艶姿の登場の近いことを心から祈りたい。
   落語の襲名披露口上とは違って、歌舞伎が面白くないのは、ともかくとして、天下の名優たちの晴れ姿なのであるから、もう少し、列座する役者たちは、心と頭を働かせて、もっと気の利いた口上を語れないのかといつも思う。
   仁左衛門は、大阪での口上で語るので、ご来場願いたいと語り、扇雀は、こうちゃんに公私ともにお世話になったが、私を語ると自分にとばっちりが来るので止めると笑わせていた。

   芝翫が、立役として、大舞台を務めたのが、夜の部の「盛綱陣屋」でのタイトルロール盛綱である。
   これは、能「藤戸」に登場する盛綱ではなくて、本作は、大阪の陣に材料を取って、徳川と豊臣の対立、すなわち、真田信之と真田幸村の兄弟の対立を、源頼朝没後の実朝と頼家の世継争いに準えて作り変えた芝居で、徳川側は鎌倉方、豊臣側は京方と言う形になっている。
   元々仲の良かった盛綱と高綱の兄弟が、戦場で敵同士になり、盛綱は、戦場で討ち取られた高綱の首を見て、贋物だと気付くのだが、捕らわれの身であった高綱の子小四郎が、その首を見て、「父上」と呼びかけて切腹したので、高綱小四郎父子の事前に交わされていた策略に気付いて、検視に来ていた北條時政に、小四郎を見殺しに出来ないので、「高綱の首に相違ない」と言上し、命を捨てる覚悟で弟の計略に乗るのである。
   その前に、盛綱が、母微妙に、小四郎を囮にして高綱を誘き寄せようとしている時政に背くことになるので、自分には出来ないが、代わりに、弟のために、小四郎に切腹させて欲しいと頼みこむ悲痛なシーンがあり、更に、小四郎の母篝火が忍んできて小四郎に会うなど、悲劇的な展開があるのだが、盛綱の弟や甥を思う、封建時代には一寸珍しいヒューマニズムが表出していて興味深い。
   ところが、弟の高綱を、和田兵衛を送り込んで救出を策すものの、事前に子供小四郎に自害を言い含めて、犠牲にしてでも、生き延びようとする敵将として描かれているのが、私には一寸疑問であり、戦国時代とは言え、当時の子供を囮や犠牲にする戦略戦術の非情さが、いつも、歌舞伎の舞台を観ながら、気になっている。

   芝翫は、このあたりの微妙な心の動きを、悠揚迫らぬ大きな立ち居振る舞いで演じて、堂々たる盛綱像を創出した。
   私は、幡随院長兵衛を観なかったので、何とも言えないが、超ベテランのいぶし銀のような微妙の秀太郎と、和田兵衛秀盛の幸四郎を相手にして、互角に演じ切り、今回の披露公演で、素晴らしい演技を披露したこの盛綱が、出色の出来だと思った。

   ひょんなことだが、結婚前の芝翫の奥方三田寛子さんを、一度、ロンドンで、ロイヤル・オペラ・ハウスのバレエ公演の時に、ロビーで見かけたことがある。
   その時には、影も形もなかったはずの3人の男の子が、橋之助、福之助、歌之助として、こんなに、立派に成長して襲名して、素晴らしい舞台を務めているのである。

   名門梨園の襲名披露だが、親子4人が同時に襲名して、素晴らしい披露公演を実現させるなどと言うのは、非常に珍しく、将来が大いに期待できると言うことで、成駒屋のみならず、歌舞伎の世界においても、大変な慶事と言えよう。
   
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吉例顔見世大歌舞伎・・・仁左衛門の「御浜御殿綱豊卿」

2016年11月21日 | 観劇・文楽・歌舞伎


   この「御浜御殿綱豊卿」の舞台だが、私の記録では、2007年と2009年に、仁左衛門の綱豊卿、染五郎の富森助右衛門で、観ていることになっているのだが、仁左衛門の非常に格調の高いお殿様ぶりと能衣装を着けた素晴らしい姿が、印象に残っている。
   吉右衛門や梅玉の綱豊卿を、国立劇場でも見ているのだが、仮名手本忠臣蔵とは趣の違った正攻法で赤穂事件に対峙したこの舞台は、いつ見ても感動する。
   
    「御浜御殿綱豊卿」では、綱豊卿が、勘解由(新井白石)に向かって吐露しているのだが、大石達に仇討ちを成功させて武士道が廃れた軟弱な元禄の世直しをしたいと言う思いが、重要なテーマとなっている。
   「勘解由、討たせたいのう。」「は、は。」「躯にかかわりなき事ながら、いささか世道人心のためにも、討たせたいのう。目出とう浪人たちに、本望を遂げさせてやりたいのう。」と言う言葉がすべてを語っている。

   綱豊お気に入りの中臈お喜世への瑶泉院筋からや、綱豊の奥方の関白近衛家からの督促で、浅野家お家再興願いが、綱豊に来ており、将軍に願い出れば、認められるはずなのだが、大儀を通すべきか、綱豊は、逡巡しており、勘解由を呼んで確認したのである。
   吉良の面体を見たくて御殿に入り込んだ赤穂浪士の富森助右衛門を呼びつけて挑発して、仇討ちの意思ありやなしやを詰問しながら、誤って大学の跡目相続を願うと言う失策を犯しながら、これと相矛盾する仇討ちをしようと決意して、内蔵助は、その葛藤と苦悶に苦しんでおり、そのことが内蔵助を遊興に走らせているのだと、綱豊卿に言わしめている。
   綱豊が将軍に、大学の跡目相続を言上されて許されると、仇討ちの目的が消えてしまうのだが、明日、将軍に会うと言われて、切羽詰まった助右衛門が、
   場面代わって、お喜世の導きで、御殿に来て能の舞台に登場する吉良上野介を闇討ちしようとする。
   しかし、襲ったのは吉良ではなく綱豊で、取り押さえられて、「義人の復讐とは、吉良の身に迫るまでに、本分をつくし至誠を致すことだ」と一喝される。

   この最後のシーンは、原作では、能「船弁慶」と重なって演じられるようになっていて、綱豊は、知盛の出じゃと言って舞台に向かうが、この能には知盛は出ないし、また、お喜世が、助右衛門に、吉良がシテで出るので、それを襲えと示唆するも、吉良が、静御前を舞うと言うのも面白い。
   とにかく、豪華で奇麗な舞台が展開されていて素晴らしい。

   さて、この歌舞伎の舞台は、実際の真山青果の原作とは、少し違っていて、綱豊と助右衛門との対面部分は、殆ど、同じだが、茶亭のシーンや綱豊と勘解由との興味深い会話など、ところどころ、面白い、あるいは、冗長な部分が省略されている。
   例えば、原作では、冒頭に、助右衛門が、妹のお喜世を訪ねて来て、お喜世に、無礼講の「お浜遊び」を見たいので庭番に頼んでくれと押し問答するシーンがあって、それを御年寄上臈浦尾に見つけられて、手紙を見せろと詰問される歌舞伎の舞台につながる。
   どこから得た情報か、助右衛門だけが、主客上杉とともに吉良がやってくることを知っていて、顔を見たくてお喜世に頼むのだが、それを知らない他人は頓珍漢な会話を交わす。

   この冒頭の舞台となる東屋風の茶亭に、綱豊がやって来て、中臈江島から、助右衛門のことを聞いて、お喜世から、助右衛門が赤穂の浪士だと知っているので、上野介の面体を見たいと言うのは当然で、侍心が失せぬ証拠と喜んで、生垣の間からなら大事ないと許し、勘解由との面談後、呼び寄せて、恐縮して逃げ腰の助右衛門に大義を説くのである。
   散々嘲弄され、内蔵助の放蕩を責められて頭にきた助右衛門が、綱豊に、「あなた様には、六代の征夷大将軍のお望みゆえ、それでわざと世を欺いて、作り阿呆の真似をあそばすのでござりまするか!」と胸のすくような啖呵を切るのが、興味深い。

   もう一つ、元々、大石家は、綱豊の奥方のさとの関白近衛家の重臣であり、名望高い内蔵助を是非に仕官させたいと思っており、浅野家の帰趨が決まらない限り首を縦に振らないので、浅野家再興を将軍から許しを得てくれと連日矢の催促で、奥方からも責められ、
   それに、お喜世からも、寝物語で再興の願いを聞いており、
   勘解由の母も元は浅野家の奥方つきの小女郎であった上に、
   浅野内匠頭の切腹について御所から不興を買っているなど、早く、再興問題を処理せねばならないのだが、
   「もし大石内蔵助はじめ赤穂浪人ら、かねて辛苦の本望遂げ、目出とう内蔵助臨終の鬱憤を晴らせしと、雲の上まできこえ上げなば、その時の御満足は大学頭が二万三万の瘦せ大名に取り立てられた時より、百層倍ご機嫌にかなうと思われるが、如何に?」と勘解由に、大学頭再興を将軍家に願い出たくはないと心情を吐露する。

   これが、この舞台のテーマで、大石内蔵助の放蕩を、内蔵助が誤って先に大学頭の浅野家再興を願い出て、その為に、仇討の名目が立たなくなっている苦悶ゆえだと、綱豊の苦しい胸の内と重ねて、描き出しているところが面白い。

   結果としては、大石内蔵助は吉良を討ち、
   1709年に、将軍綱吉死去による大赦で許され、1710年に、大学は、新将軍徳川家宣に拝謁して改めて安房国朝夷郡・平郡に500石の所領を賜り旗本に復したのだが、果たして、それでよかったのかどうか、忠臣蔵ストーリーだけが、脚光を浴び続けている。

   とにかく、仁左衛門の綱豊、染五郎の助右衛門は、絶品の出来で、私など、最初から最後まで感激して観ていた。
   左團次の勘解由、時蔵の江島の脂の乗り切った貫禄と風格、
   梅枝の初々しくて上品な佇まいなど、忘れられない。
   
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国立劇場・・・十一月歌舞伎:通し狂言「仮名手本忠臣蔵 道行旅路の花聟から七段目まで」

2016年11月20日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   塩谷判官切腹でお家取り潰し、路頭に迷った浪士たちの動静がスタートするのだが、今回興味深いのは、従来、浄瑠璃にはなくて、歌舞伎に新しく、三段目「裏門」を書き替えた所作事で、色彩の鮮やかな背景と華やかな清元の名曲である「道行旅路の花聟」を、東京式の通し上演では四段目の後に上演されるのが通例なのだが、今回は、その後に続く勘平とおかるの悲劇の序曲として上演していることである。 
   不思議なもので、こうなると、最初から最後まで、おかるが重要なキャラクターとして、勘平、由良之助、寺坂平右衛門を相手にして舞台に登場して、さながら、おかるの芝居であるかのような感じがする。
   尤も、この仮名手本忠臣蔵が、元々、おかるの色恋沙汰の軽はずみで、塩谷家を葬り去り、大星たちを路頭に迷わせて仇討に導いたのであるから、不思議でないのかも知れない。
   20年前に特別上演された通し狂言でも、この道行は、第一部で上演されている。
   
   

   まず、話ついでに、おかるだが、今回の舞台では、道行と六段目を、菊之助が、七段目の一力茶屋の段では、雀右衛門が演じている。
   「六段目のおかるは腰元の心で、七段目のおかるは女房の心で」と言う有名な口伝があるようだが、橋本治によると、これは、おかると言う女は、「自分の現在が身に染みない、ワンテンポずれた女」だと言うことだと言う。
   職場に男を探しに来た、OLとしての自覚のない、結婚してもOL気分の抜けない、結婚後パートに出ても、結婚しているからどうでも良いと思っている中途半端な人妻がおかるであって、「仮名手本忠臣蔵」の中に、こんな現代女がいたことに驚嘆すると言っているのである。

   現代女であることには、異存はないが、私には、それぞれの境遇に置いて、必死に生き抜こうとしている健気な女と言った感じで、商人の街大坂の庶民の浄瑠璃ファンの期待を裏切らないために、作者が編み出した和事の世界の女であって、大星たちの仇討の世界とは、一線を画した重要なキャラクターだと思っている。
   実際にも、この「仮名手本忠臣蔵」は、顔世に対する高師直の横恋慕がことの起こりであり、おかると勘平、小浪と力弥のそれぞれの恋が、重要なサブテーマとして描かれており、仇討以上に、この恋を巡って巻き起こされる興味深いストーリーが、当時の庶民の心をつかんでいる筈なので、私自身は、その舞台ごとに、おかるの生きざまを鑑賞すべきだと思っている。

   その意味では、今回の腰元から山崎での恋女房を菊之助が、そして、一力茶屋での遊女おかるを成熟した女として演じたキャリアを積んだ雀右衛門のキャスティングは、成功していたと思っている。
   道行の菊之助のおかると錦之助の勘平は、悲劇の逃避行でありながら、実に優雅で、桜の咲き乱れる富士山を背景にして、美しく絵のような舞台を展開していて、楽しませてくれた。
   この日、花道のすっぽん直近の席から見ていたので、役者たちの息遣いまで感じて、芸の凄さを実感した思いであった。

   雀右衛門のおかるは、前回、吉右衛門の寺岡平右衛門との素晴らしい舞台を見ているので、再びの鑑賞だが、軽妙なタッチで細やかなコミカルムードを醸し出して熱演する又五郎との相性も非常に良く、感情の起伏の激しいおかるを、実に感動的に熱演していて、襲名披露以降の進境が著しい。

   さて、今回の舞台では、何と言っても、五段目と六段目の勘平を演じた菊五郎と、七段目の茶屋場で由良之助を演じた吉右衛門の凄い役者魂!の発露とも言うべき決定版の芸の世界であろう。
   両方の人間国宝のこれらの舞台の至芸の鑑賞は、少なくとも二回はあると記憶しているのだが、もう、これ以上突き詰めようがなくなった研ぎ澄まされた頂点の舞台だと思って観ていた。
   10年前に、この国立劇場で、真山青果の「元禄忠臣蔵」を、3か月にわたって通し上演されたが、あの時には、勘平は登場しないので、吉右衛門の大石内蔵助だったが、これは、実録赤穂事件に近いので、やはり、素晴らしい舞台であった。
   3年前に、歌舞伎座で、通し上演されたが、途中一部を省略して、九段目と十段目を抜いて、一気に十一段目の大詰めに飛ぶ演出なので、やはり、国立劇場のように殆ど全段を通した上演の価値は計り知れないと思う。
   今回も、大星由良之助を、幸四郎、吉右衛門、梅玉とトリプルキャストであるが、他のおかるや勘平もそうであり、これは、当然と言うか、自然の成り行きなのであろう。

   ところで、五段目と六段目は、山崎を舞台にした謂わば世話物の世界だが、実に、細かい機微に入った人間心理を穿った芝居で、知らずに誤って義父を殺して金を奪ったと思って、断腸の悲痛に苦悶する勘平を、そうと誤解した義母おかや(東蔵)が追い打ちをかけて責める愁嘆場は、正に、丁々発止の二人の人間国宝の至芸の極地で、深い感動を呼ぶ。
   義理と人情に苦悶する勘平の奥底には、武士の誇りと意地が渦巻いており、それを必死に堪えて腹を切る勘平の断末魔は、勘平の台詞「色に耽ったばっかりに」に集約されているのだが、菊五郎の右頬に走る二本の血のりが、実に哀れで悲しい。
   
   
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国立劇場・・・十月歌舞伎:通し狂言「仮名手本忠臣蔵 大序から四段目まで」

2016年10月25日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   国立劇場 大劇場では、今月から3回に亘って、通し狂言「仮名手本忠臣蔵」が、完全公演され、今月が、その最初の月である。
   通し狂言の良さは、全ストーリーを、最初から最後まで上演するので、今回の舞台でも、「鶴ケ岡社頭兜改めの場」「足利館松の間刃傷の場」「扇ヶ谷判官切腹の場」などはお馴染みだが、演じられることが殆どない場が、上演されていて、興味深いだけではなく、非常に筋が良く分かって面白いことである。

   この「仮名手本忠臣蔵」は、赤穂事件を題材にはしているのだが、舞台を太平記に置き換えているのみならず、塩谷判官が、高師直に刃傷に及び切腹を命じられてお家断絶、大星由良の助などの忠臣によって仇を討つと言う原因そのものが、高師直が、塩谷判官の奥方顔世御前に横恋慕して、それが不発に終わった恋の鞘当てだと言うことである。
   もっと面白いのは、高師直に恋文を渡され口説かれた顔世が、新古今集の歌に託した断りの文箱を、腰元お軽に届けさせて、お付きの勘平経由で判官から、殿中で高師直に直接手渡して、振られたことを知った師直が激昂して悪口雑言を浴びせて、いびり抜かれた判官が、堪忍袋の緒が切れて刃傷に及ぶと言うことである。
   お軽が、勘平に会いたいばっかりに、重要な時期に断りの文を渡すのを逡巡していた顔世を説き伏せて、文箱を持って足利館に赴き、勘平に会って、判官が殿中で公務中の待機時間に、勘平を誘惑して愛を交わし、その最中に刃傷事件が発生する。
   お軽の逢引き願望の軽はずみが、一国一城を傾けてしまうことになる。
   尤も、顔世が、斧九太夫と原郷右衛門とが、賄賂を出さなかったからだと激しく言い争っているのを制して、ことの起こりは、自分が師直からの恋文を拒絶した意趣返しで、それを判官に伝えなかったことが仇となったと言っているのだが、刃傷事件で師直の怒りの引き金になった手紙を、勘平に会いたいばっかりに、最悪のタイミングで運んだ張本人は、お軽なのである。

   勘平は、切腹しようとしたが、お軽が止めて、お軽の在所である山崎へ落ちて行く。
   色に耽ったばっかりに、大事の場所にも居り合わさず、その天罰で心を砕き、仇討の連判に加われなくなった勘平は、結局は、義父殺しの疑いを受けて自害し、お軽は、祇園の遊女となり、七段目の「一力茶屋の場」で由良之助と遭遇する。
   このあまりにも尻軽で色好みのお軽と、軽薄を地で行ったような勘平が、大星に引けを取らないようなキャラクターとして登場するのが、この浄瑠璃の面白さであろうか。

   もう一つの重要な登場人物は、最初に高師直と諍いを起こした饗応役の桃井若狭之助の家老加古川本蔵で、高師直に過分の賄賂を贈って、若狭之助の窮地を救い、お鉢を、塩谷判官に回して、更に、殿中での刃傷の場に居て、塩谷判官の後から抱きしめて本懐の達成を邪魔するのである。
   この娘の小浪が由良之助の息子力弥の許嫁であって、二段目の「桃井館力弥使者の場」で、初々しい出会いのシーンが展開される。
   しかし、後半、八段目と九段目で、嫁入りしたい小浪を伴って、義母の戸無瀬が、鎌倉から山科の大星家を訪ねるのだが、父本蔵が、判官が師直を切りつけた時に止め、若狭助と師直の対立を回避させて、師直の怒りを判官へ向かわせた張本人であるから、許されるわけはなく、娘小浪の幸せのために、自分の命と引き換えに、本蔵は、力弥の槍を受けて死ぬと言う結末になる。
   この場の本蔵は、座頭役者が演じる大役である。

   この通し狂言の序幕から四段目まで通しで見ると、殆どの登場人物が出て来ているので、架空に近い人物であるお軽や勘平、本蔵と言った人物を主役級に設定する作劇の巧みさなど、以上の様な事も良く分かり、その人間関係や来歴などが頭に入ると、後の芝居が面白くなり、やはり、ミドリ公演で、「一力茶屋」や「山科閑居」など単独で見るのとは違って、理解が大分深まってくる。
   それに、この浄瑠璃は、政治都市であった江戸とは違って、商業の街・庶民の街であった大坂で生まれた所為もあって、その芝居好きを喜ばすためもあってか、侍中心の赤穂事件とは大分ニュアンスの異なった和の世界が色濃く描かれている。
   この浄瑠璃には、顔世と師直、お軽と勘平、小浪と力弥の3つの恋物語が、かなり、強い横糸として通っている芝居で、それだけ、人間を広く深く描いているようで、非常に面白く、また、よくできていると思う。
   そんなことが、通し狂言で、観ると、一層良く分かる。

   さて、大序と三段目の「足利館松の間刃傷の場」で主役となる高師直だが、田口章子さんによると、「太平記の人物像そのままで、権力主義者で女好きでその上強欲だ。」
   反対の意を唱えるものがあれば未熟者呼ばわりし、横柄な態度を示す。挙句、仕事中に女を口説き、見咎められれば脅しにかかる。最も憎まれる敵役だが、傲慢で好色な人間くささが憎み切れない人物像となっている。と言う。
   こんな嫌な人物だが、関容子さんによると、歌右衛門が顔世を演じた時に、二代目延若の男の色気にゾッコン参って、「困っちゃう」などと身を揉むほどだったと言うから、役者次第では、単なる好色で嫌な奴と言うことではないようである。
   ところで、今回、高師直を演じた左團次だが、何故か、嫌みが少し灰汁抜けした感じで、厭らしさエゲツナサが柔らかく淡白となり、これまでとは違った師直像を創り出していて興味深かった。

   さて、大ベテランの秀太郎の顔世だが、この大序では、師直に次いで重要なキャラクターであった筈で、風格と言い、芸の確かさと言い、素晴らしいと思った。
   歌右衛門が、関容子に、普通から言えば若立ちの役だけれど、一寸、年齢が積んでこないと、そこにこう、大きさとか、品格とかがあって、それでいて美しくなければならない。と言っている意味が、秀太郎の舞台を観ていて、少し、分かったような気がした。

   幸四郎の由良之助は、これまでに、何度も観ており、由良之助像の一つの頂点と言うべきで、いつも、良質なベートーヴェンの「運命」や「田園」を、コンサートホールで聴いているような思いで観ている。
   梅玉の判官と錦之助の若狭之助の威厳を伴った風格と格調の高さ。
   隼人の凛々しくも颯爽とした力弥も素晴らしいが、いつもながら、小浪の米吉の初々しさ優しさ美しさ、それでも、恥じらいを伴いながらの恋のアタック、うまいと思う。
   本蔵の團蔵、戸無瀬の萬次郎は、ベテランの味。
   高麗蔵のお軽と扇雀の勘平が、塩谷家の命運を決することになる危ない逢瀬を、鮮やかに描いていて面白い。

   由良之助は、祇園での放蕩三昧を止め、山科から、堺を目指し出立して、天河屋から武器を受け取って、船で、鎌倉の師直邸を目指して、稲村ケ崎へと出帆する。
   「仮名手本忠臣蔵」もいよいよ佳境に入って面白くなって行く。

    
    
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十月大歌舞伎・・・中村芝翫の「熊谷陣屋」

2016年10月13日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   芸術祭十月大歌舞伎は、八代目中村芝翫襲名披露興行である。同時に、橋之助・福之助・歌之助の襲名も行われた。
   私は、「大芝翫」と呼ばれた四世芝翫の「芝翫型」の「熊谷陣屋」を見たくて、歌舞伎座に出かけた。

   これまで、幸四郎や染五郎の高麗屋や仁左衛門、吉右衛門などの團十郎型の舞台は、何度も見ているのだが、浄瑠璃本を踏襲している文楽に近い舞台だと言うことで、特に、丸本で、熊谷が出家を決意して登場した時に、「十六年も一昔、ア夢であったな」と慨嘆する台詞をどのように表現をするのか、非常に、興味があった。

   芝翫がいっているように、「團十郎型は幕が閉じた後の幕外で、出家した熊谷が花道を一人で入りますが、芝翫型は原作のように熊谷と妻の相模が本舞台、屋体の中央に源義経、下に弥陀六という引っ張りの見得で幕になります。」
   團十郎型は、幕が下りた後に、熊谷が、花道に立って、天を仰いで、「十六年も一昔、ア夢であったな」と慨嘆して、京の黒谷へ向かう感動的なシーンで終わる。
   それに、芝翫型では、衣裳は赤地錦織物の裃で、黒本天の着付、顔は隈を取り、赤ら顔にしているので、見慣れている團十郎型とは、雰囲気が大分違ってくる。

   最近見た文楽では、勘十郎の遣う熊谷は、本舞台の中央で、武士を捨てて脱いだ兜を握りしめて感慨深そうに凝視しながら、「十六年も一昔、・・・」を演じた。
   丸本には、”ほろりとこぼす涙の露。”と続く。
   岩波の文楽浄瑠璃集には、「一句に無限の感慨を含めてほろりとするところ。」と注書きしてある。
   芝翫の熊谷は、本舞台やや下手に端座して、正面を凝視して、力強い肺腑を抉るような台詞を吐露する。
   これから行くのは西方浄土、先に逝った躮小次郎と一緒に極楽に往生して同じ蓮台に身を託す、一蓮托生の縁に因んで蓮生と改める。と語って、念仏を唱えて、「十六年も一昔、・・・。
   感極まった表情が、胸を打つ感動的なシーンである。

   ところで、吉右衛門は、この「十六年は一昔・・・夢だ・・・」は、出家した熊谷が、脇目もふらず陣屋を立ち去ろうとした時に、義経に「コリャ」と、小次郎の首をもう一度目におさめておけと呼び止められて、思わず口をついて出るつぶやきです。「もう、思い出したくない。振り返りたくない」という心も一方にあって、でも、あの首がどうしても視界に入って来て・・・と言っていて、非常に興味深い。
   原本には、さらばさらばと言うシーンで、「又思い出す小次郎が。首を手ずから御大将。この須磨寺に取納め末世末代敦盛と。その名は朽ちぬ金札。」と書かれている。
   やはり、義経が、小次郎の首を熊谷に見せると言うシーンを、作者は想定したのであろうか。
   今回、吉右衛門の義経は、首を小脇に抱えていたのだが、私など、やはり、熊谷にとっては、小次郎の首を示されるのは苦痛以外の何物でもなく、義経が、小次郎の首を持って見送ると言うシーンは如何かと思っている。

   もう一つ、芝翫の舞台で感じたのは、芝翫も述べているのだが、熊谷が、小次郎の首を藤の方に見せよと、相模に命じる「コリャ女房、敦盛卿のおん首、藤の方へお目にかけよ」のところで芝翫型は、熊谷が首桶から首を出して抱え、三段(階段)のところで熊谷が相模に手渡す。のだが、この時に、芝翫の熊谷は、自分の悲しさをじっと噛みしめて、労わる様に、そっと、右手を優しく相模の背にあてがって、愛する我が子を失った夫婦の思いを表現している。

   今回、この舞台で、小次郎の死に直面して、泣き崩れる相模が、「エエ胴欲な熊谷殿。こなたひとりの子かいなう。」と熊谷を激しく責めて、熊谷が、どうして、敦盛と小次郎を取り替えたのか説明するシーンが省略されていたので、救いでもあったと感じている。

   文楽の場合には、首が人形なので表情は出しにくいのだが、歌舞伎の舞台では、大概の熊谷役者は、無理に、熊谷の喜怒哀楽の表情を押し殺して無表情に近い男としての熊谷を演じているのだが、芝翫は、どちらかと言えば、内奥から迸り出る表情には逆らわずに、芝居を演じているようで、幕が下りる直前、相模を伴って去り行く時など、本当に慟哭していて、胸に迫る幕切れであった。

   首実験のシーンでも、團十郎型や文楽とも、異動があって興味深い。
   熊谷は、陣屋の下手の桜の前に立ててある制札を引き抜いての見得でも、芝翫型は人形浄瑠璃と同じように制札の軸を下に突くが、團十郎型は制札を逆さにする。
   義経に首を示す時には、文楽では、右手に制札を握りしめて、制札で階の下にいる藤の方と相模を遮り、首を持った左手をぐっと義経の方に差し出すと言う豪快な見得を切るが、芝翫の場合には、二人は階の下にいて、熊谷が、跪いて、桶の首を両手で捧げ持って、悲愴な面持ちで、義経に見せると言う形になっている。

   玉男が、見せ場は、何といっても、熊谷が軍扇を駆使して、須磨浦で、敦盛と一騎打ちを語る「物語」の場面で、右手で遣っていた軍扇を左手に持ち替えて「要返し」をして、足遣いは棒足で決まると言う型が難しいと言っていたので、今度は、多少、意識して、この居語りの場面を注意深く観せてもらった。
   これまで、何となく聞き流してみていたのだが、芝翫の語り口は、非常に鮮明で分かり易かったので、楽しむことが出来た。

   日頃、脇役のように思って気にもしていなかった義経を、吉右衛門が演じると、ぐっと違った役のように思えて、改めて、一挙手一投足、注視しながら観ていた。
   相模の魁春、弥陀六の歌六は、やはり、ベテランのいぶし銀のような味わい深い芸を見せてくれて良かった。
   菊之助の匂うような品格と威厳、母としての心情を鮮やかに演じ切った素晴らしい芸も見逃せない。

   ところで、この夜の部では、襲名披露口上が行われた。
   特に、変わった雰囲気ではなかったが、菊五郎が、「奥さんに叱られて・・・」と切り出すと場内は大爆笑・・・後はよく聞き取れなかったのだが、(恋に現を抜かしてマスコミ沙汰になるような時ではなかろう、)3人の子供を立派な役者に育てるようにと激を飛ばしていた。
   今回、七之助と児太郎が、一門の繁栄のためにと、非常にしっかりとした熱の籠った口上を語っていて、印象的であった。

   「外郎売」は、祝祭劇の定番。
   最後の玉三郎の「藤娘」は、やはり、人間国宝の素晴らしい舞踊の世界。
   還暦をはるかに過ぎているのに、何故、あんなに優雅で美しいのか。
   
   
   
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国立劇場・・・「歌い踊り奏でる 日本の四季」

2016年10月01日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   今日1日、国立劇場で、文化庁芸術祭オープニング 「歌い 踊り 奏でる 日本の四季」が開催された。
   皇太子ご夫妻がご来場になり最後まで鑑賞された。日本芸術の誇りである多彩な伝統芸能が披露された華やかな舞台を熱心にご鑑賞になり、拍手を送って居られたと言うことである。
   私は、1階の最前列の席に居たので、最初と最後に拍手でお出迎えとお見送りをした。

   プログラムは、次のとおりである。

(春) 邦楽
長唄三曲掛合  
新松竹梅
長唄  唄 杵屋吉之亟 
  三味線 杵屋佐吉
    囃子 堅田喜三久 ほか

三曲  箏 萩岡松韻・鈴木厚一・伊藤ちひろ
    三絃 萩岡未貴
    尺八 野村峰山

(夏) 琉球芸能
古典舞踊
作田 志田真木
雑踊
鳩間節 阿嘉 修・新垣 悟・嘉数道彦
         金城真次・西門悠雅
創作舞踊
月下の戯れ 玉城盛義・東江裕吉

地謡=比嘉康春・新垣俊道・仲村逸夫(歌・三線)、新垣和代子(箏)、入嵩西 諭(笛)、
      森田夏子(胡弓)、久志大樹(太鼓)

(秋) 雅楽
武満徹=作曲
秋庭歌 In an autumn garden  伶楽舎

(冬) 舞踊
長唄
松島寿三郎=作曲 今藤政太郎=補曲 二代目花柳寿應=振付  
雪の石橋
獅子の精 花柳寿楽
獅子の精 花柳典幸 ほか

地方=今藤尚之・今藤美治郎 ほか
囃子=堅田喜三久連中

   このような古典芸能の舞台を鑑賞するのは、私には殆どなかった経験で、とにかく、邦楽、琉球舞踊、雅楽、舞踊と言ったジャンルの舞台は、個々には何度かあったものの、全く新鮮な驚きを感じて、良い経験になったと思っている。

   序幕の「春」は、邦楽で、長唄と三曲の掛け合いによる「新松竹梅」。
   舞台上手に、三曲(箏、三絃、尺八)、下手に、長唄(唄、三味線、囃子)総勢17名の奏者が、華麗な邦楽の世界を展開する。

   「夏」は、琉球舞踊を三題。
   琉球舞踊は、今年初めに、横浜能楽堂で、能「羽衣」を脚色した組踊「銘苅子」を見て沖縄の舞台芸術に興味を持ち、その後、茅ヶ崎市民文化会館ホールで、能「道成寺」を基にした組踊「執心鐘入」を見たのだが、その時、琉球舞踊も、鑑賞することが出来た。
   今回は、その琉球舞踊で、女踊りの「作田」、若手男性による群舞「鳩関節」、相思相愛の男女の逢瀬を描いた「月下の戯れ」。
   扇に感謝する風情を描いた作品だと言う「作田」は、琉球舞踊重踊流の志田真木宗家が、下手から静かに舞台に登場して、ゆっくりゆっくりと、沖縄の団扇型扇を手にして実に美しく情緒豊かに踊って消えて行く、能と相通じる、しかし、一寸ニュアンスの違った優しさと優雅さを備えた舞姿が、感動的であった。
   ところで、組踊も琉球舞踊も同じだが、沖縄芸能の唄と囃子のアンサンブルが実に良い。
   謡と演奏を兼ねた3人の三線、琴、胡弓、笛、太鼓と、コジンマリした楽団だが、謡と囃子が一体化しているのが興味深い。
   能とは違って、三味線に通じる三線と太鼓に、笛のほかに、琴と胡弓と言うメロディを奏する楽器が加わるので、非常に音楽性が豊かになって、演奏そのものだけでも楽しめるのが良い。

   雅楽は、国立劇場委嘱による武満徹の「秋庭歌」。
   宮中の舞台のように設えられた演奏スタイルなのであろうか、奏者のメガネを気にしなければ、タイムスリップしたような雰囲気で、一寸、違った感じの雅楽が演奏されたのだが、秋の景観の彩から冬へ向かう色彩の移り変わりをイメージした曲だと言う。
   舞台中央に、メインの秋 庭グループで、高麗笛、龍笛、篳篥、笙、鉦鼓、鞨鼓、太鼓、琴、琵琶、
   舞台後方に、木魂群(エコー)グループで、龍笛2、篳篥2、笙4
   2グループに分けて、色彩と空間性を豊かにする配慮だと言う。
   初めて本舞台を聴いて、すぐに分かるわけはないが、興味を感じた。

   「冬」は、長唄「雪の石橋」をバックにして、花柳寿楽・典幸兄弟が、赤白二匹の獅子を、勇壮かつ豪快に踊る。
   実に美しい舞台で、能の精神性を色濃く滲ませた奥行きの深い石橋とも、ドラマチックで魅せる歌舞伎舞踊の石橋とも雰囲気の違った華麗さ美しさは、格別であった。

   私など、芝居などの舞台芸術からは、一寸遠のいているものの、歌舞伎や文楽、そして、最近は、能狂言、落語などに、結構、熱心に通ってはいるが、日本古典芸能の裾野の広さと奥行きの深さに、また、感じ入った一日であった。
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