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熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

国立小劇場・・・九月文楽「 玉藻前曦袂 」

2017年09月05日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   第二部は、「 玉藻前曦袂 」。
   勘十郎が、妖狐が乗り移った玉藻前と妖狐を遣って素晴らしい舞台を魅せて見せる大舞台である。

   この文楽は、玉藻前と言う鳥羽上皇に寵愛された皇后美福門院(藤原得子)をモデルにした伝説上の寵姫が主人公で、実は、妖狐の化身であって、正体を見破られた後、下野国那須野原で殺生石になったという玉藻前伝説がメインストーリーである。
   この殺生石は、那須町の那須湯本温泉付近にある溶岩のことで、付近一帯には硫化水素、亜硫酸ガスなどの有毒な火山ガスがたえず噴出しているので、「鳥獣がこれに近づけばその命を奪う、殺生の石」として古くから知られていて、松尾芭蕉も「奥の細道」の道中に訪れたと言う。のである。

   この文楽は、ベースとしては、能の「殺生石」と同じテーマを踏襲してはいるのだが、、雰囲気が随分違っていて、視覚的な見せ場は、狐の変化である。
   勘十郎の狐の早変わりや七化けが、観客を楽しませる。

   さて、能の「殺生石」は、銕仙会の概要を借用すると、
   曹洞宗の高僧である玄翁(ワキ)が那須野を通りかかると、ある巨石の上で空飛ぶ鳥が落ちてしまうのを目撃する。そこへ里の女(シテ)が現れ、その石は殺生石といって近づく者の命を奪うのだと言い、いにしえ女官に化けて帝を悩ませた玉藻前という妖怪の執心が凝り固まったものだと教える。女は、実は自分こそその執心だと言うと、石の陰に姿を消す。玄翁が殺生石に引導を授けると、石は二つに割れて中から狐の姿をした妖怪(後シテ)が姿をあらわし、朝廷の追討を受けて命を落とした過去を物語り、玄翁の弔いに回心したことを告げ、消え去ってゆく。

   この文楽では、日食の日の生まれと言うことで帝位につけなかったので、簒奪を狙う薄雲皇子(玉也)と組んで、玉藻前(妖狐の化身)が、天皇を苦しめて暗躍するのだが、その目的は、
   天竺では斑足王后花陽夫人、唐土では紂王の后妲己に化けて世を見出し、今は、玉藻前に身を変えた妖狐で、日本を魔界にして、神道と仏道を滅ぼし魔道の世界にするのだと本心を明かす。
   この玉藻前の正体を九尾の狐だと、陰陽師の安倍泰成(玉輝)が暴いて、魔剣である師子王の剣の威力に負けて、玉藻前は妖狐の本性を現して、那須野が原へ飛び去って行くのである。九尾の狐に戻ったキツネ色の黄金の妖狐を遣う勘十郎が、宙乗りで中空を舞って上手に消えて行く。

   尤も、これが本筋だが、実質4時間弱の通しなので、物語はもっと込み入っていて、前半には、薄雲皇子が執心の玉藻前(文昇)の姉桂姫(簑二郎)の恋物語や、薄雲皇子の家来金藤次(玉男)が、その桂姫を実子と分かって殺さざるを得ない話が展開される。
   桂姫姉妹の母右大臣後室萩の方(和生)と対峙する金藤次は、丁度、自分の娘を名のりも出来ずに殺すと言う「弁慶上使」の弁慶張りの悲劇の偉丈夫を演じるのだが、この「道春館の段」だけでも、和生と玉男の名演を楽しめて、ストーリーも結構充実していて面白い。
   また、後半では、薄雲皇子が、水無瀬への御遊時に、傾城亀菊(勘彌)に入れ込んで連れ帰り、酒色に溺れるのみならず、政務まで任せて、金の貸借や色恋沙汰の裁判を裁かせるなどと言った頓珍漢があるも、信用して、神器の八咫の鏡を預けてしまう失態を犯すなど、取ってつけたような話もあって面白い。

   最終の「化粧殺生石」では、那須野が原に逃げ去った妖狐が、滅ぼされて殺生石になるのだが、妖狐の霊魂が石に残って、毎夜様々な姿に化けて踊り狂うと言う面白いシーンが展開される。
   この舞台は、七化けをして、勘十郎が、入れ替わり立ち代わり、人形を変えて達者な芸を披露するのだが、何故か、座頭、在所娘、雷、いなせな男、夜鷹、女郎、奴と言った訳の分からない七化けなので、お祭り気分になる。
   主遣いの勘十郎は、すべての人形を遣うが、手伝い(左遣い、足遣い)は何組かあって、人形を持って待機していて、次から次へ、勘十郎がその人形を受けて遣うと言うことで、歌舞伎のように役者本人が早変わりすると言う切羽詰まった演技ではないので、少しは楽なのかも知れないが、大変な熱演である。
   フィナーレは、妖狐の首で十二単の豪華な美しい玉藻前の姿で、殺生石の頂に現れた勘十郎に、万雷の拍手。

   この舞台では、勘十郎が、人形の首を振った瞬間に、玉藻前が妖狐に、妖狐が玉藻前に瞬時に変わってびっくりするのだが、これは、「両面」と言うかしらで、黒髪の玉藻前と、白髪の狐の顔を、前後両面に持った本作用の専用かしらだと言う。
   フィナーレのかしらは、「両面」ではなくて、「双面」だと言うのだが、私には、マジックのようで、からくりがよく分からなかった。
   美しい娘のかしらが瞬時に恐ろしい鬼女に変わる「ガブ」があるのだから、それ程難しくはないのかも知れないが、文楽の人形遣いの奥深さでもあろうか。

   とにかく、この文楽は、勘十郎の独壇場の舞台で、第1部での萩の祐仙の至芸と言い、正に、勘十郎あっての9月の文楽であったような気がする。  
   
(追記)口絵写真は、国立劇場のHPより借用。
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国立小劇場・・・九月文楽「生写朝顔話」

2017年09月02日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   今日は、朝から夜まで、文楽鑑賞で過ごした。
   非常に意欲的なプログラムなので、初日のチケットを取り、一日中、国立小劇場で過ごしたのだが、連日殆ど満席だと言うことからも、言うまでもなく素晴らしい舞台の連続で、楽しませてもらった。
   昼と夜とには分かれてはいるのだが、「生写朝顔話」「 玉藻前曦袂 」ともに、殆ど通し上演なので、歌舞伎などでも見てはいるが、ミドリ公演なので、迫力と物語としての奥深さといった感激は格段の差で、強烈な印象を残す。

   第一部の「生写朝顔話」だが、宇治川の蛍狩りで、儒学修業中の若侍宮城阿曾次郎(玉男)に恋に落ちた家老秋月弓之助の娘深雪(一輔、後に、簑助、名前が朝顔に変わって、清十郎)の、運命の皮肉に翻弄されながらも必死に生き抜いて行く純愛がテーマである、悲しく切なくも珠玉のように美しい物語である。
   常識的に考えれば、深雪の溢れんばかりの恋情を痛いほど知っていて自分も恋している阿曾次郎の方が、何らかの積極的なアクションを取れば、ハッピーエンドになる筈だが、そこは、雁字搦めに縛られた宮仕えの武士の悲しさで、歯車が狂って、どんどん、すれ違いの悲劇が続く。
   縁談話が飛び出して、その相手が、名前を変えた阿曾次郎であることを知らずに拒絶して、阿曾次郎一途の思いを胸に抱いて家を出奔するのだが、艱難辛苦に目を泣きつぶして、三味線を弾いて街道筋を乞食同然の姿で旅する運命の皮肉が悲しい。
   道成寺の「日高川」の舞台を思わせる狂乱状態の深雪の「大井川の段」のラストシーンでは、奇跡的に両眼が開くなどハッピーエンドを匂わせて終わるのが、せめてもの救いであろうか。

   悲劇のヒロイン深雪、そして、朝顔を遣う一輔、簑助、清十郎の3人の人形遣いの素晴らしさが、物語の感動を増幅して素晴らしい。
   その深雪に影となり日向となり付き添うのが健気な乳母浅香で、人間国宝となった和生が、師匠文雀譲りの格調高い風格のある人形を遣っていて、感動的である。
   特に、この口絵写真で国立劇場のHPの写真を借用させてもらった「浜松小屋の段」での、盲目の辻芸人に落ちぶれた簑助の遣う深雪との再会場面で、呂勢太夫と清治の肺腑を抉るような悲哀と慟哭の義太夫に乗って演じた、哀切極まりない命の交感の発露とも言うべき舞台。
   何故か、清治の三味線が、ふっと、琴の音色に変わったような一瞬を感じて、感動しきりであった。
   簑助の人形は、正に至宝、一挙手一投足の動きに目を凝らして鑑賞しているのだが、この深雪と浅香の感動的な再会シーンは、この舞台での白眉ではないかと思っている。

   女形の一方の旗頭清十郎の朝顔も、正に、感動もので、辻芸人に落ちぶれた朝顔が、座敷に呼ばれて芸を披露し過ぎ越し日々を述懐したので、武士の手前、深雪と知りながら名乗れない夫の優しい言葉が気になって引き返し、その後、真実を知って、駒沢を追って、大井川へこけつ転びつ突っ走るラストシーンまでだが、悲劇のヒロインの面目躍如である。

   もう一つ、印象的な場面は、「嶋田宿笑い薬の段」で、悪徳医者萩の祐仙を遣った勘十郎の素晴らしい舞台で、この物語の筋には殆ど関係がないちゃりばなのだが、捧腹絶倒と言うか、それを、唯一のキリバ語りの咲太夫と三味線の燕三が醸し出す浄瑠璃の凄さも抜群で、正に、文楽の独壇場のシーンの連続である。
   この萩の祐仙は、勘十郎の実父で先代の人間国宝勘十郎の得意芸だったと山川さんが語っているのだが、芸の継承と言うこともあろうが、勘十郎は、このようなちゃりばやズッコケた、あるいは、型破りの庶民など端役とも言うべきキャラクターをも、実に上手く感動的に遣う。
   今回も、後の「 玉藻前曦袂 」の「七化け」で遣った座頭のひょうひょうとした姿も面白かったし、立役女形のタイトルロールは言うに及ばず、どんな人形でも、自由自在に遣う実力の冴えは、末恐ろしいものがある。

   この笑い薬の段だが、駒沢次郎左衛門(宮城阿曾次郎と同一人物)を亡き者にしようとする岩代多喜太(玉志)が、萩の祐仙と語らって、しびれ薬を洩った茶を点てて毒殺しようとするのだが、それを立ち聞きした宿の主人戎屋徳右衛門(勘壽)が、しびれ薬を笑い薬に差し替えて起こる悲喜劇である。
   人形だから演じ分けられる、舞台所狭しと七転八倒、笑い転げて必死に笑いを堪えようと悪戦苦闘する祐仙の人形も見ものだが、目を閉じて、アハハハ、ヒヒヒヒ、暫くお待ちくだされ、ホホホ、ヘイヘイ、アハハハ・・・と、到底真似のできないような口調で語り続ける咲太夫の表情も格別で、その間、三味線の燕三は音なしの構え。
   この祐仙、神妙に茶を点てて仕上げを御覧じろとほくそ笑むも、密かに毒消しを飲んで、毒見試飲を引き受けたは良いが、何が何だか分からない拍子に、笑い魔に魅入られて正体なく醜態をさらすと言う落差の激しさが、観客を喜ばせて、爆笑の渦。
   藪医者然とした剽軽で惚けた表情の大江已之助が彫った首「祐仙」が、素晴らしいので、益々、滑稽さを増す。

   とにかく、お家騒動を隠し味にした、悲劇のラブロマンスながら、ちゃりばあり、現在にも十分通用する、実に、モダンな4時間弱の素晴らしい舞台で、楽しませて貰った。

   更に、次の第二部は、勘十郎の狐が暴れまわって、宙乗りまでして中空に消えて行く「玉藻前曦袂」。
   能の「殺生石」の文楽バージョンだが、物語性が豊かになって、更に、面白い。

   この文楽、1日、どっぷりと観劇堪能しても、合計14000円。
   歌舞伎座の夜昼を観劇すれば、席種にもよるが、その半分であるから、舞台の質は当然遜色なく、コストパーフォーマンスは極めて高い。
   尤も、チケットは、ソールドアウト。
   世界遺産である文楽の文化価値を評価できずに、補助金をぶった切った橋元元知事は、どう思うか、敵が恩人となったケースかも知れないと考えると面白い。
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七月大歌舞伎・・・海老蔵の「加賀鳶」「連獅子」

2017年07月17日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   海老蔵にとって、最愛のベターハーフを失うと言う大変なご不幸直後の歌舞伎の舞台だったが、流石に、歌舞伎界最高峰の成田屋團十郎家の頭首で、押しも押されもしない堂々たる舞台を務めている。
   この日は、勸玄君が宙乗りで脚光を浴びている「通し狂言 駄右衛門花御所異聞」ではなく、昼の部に出かけた。
   「歌舞伎十八番の内 矢の根」、河竹黙阿弥の「盲長屋梅加賀鳶」「連獅子」であった。

   今回は、海老蔵の「盲長屋梅加賀鳶」の盲長屋の小悪人竹垣道玄を見たいと思った。
   この道玄については、菊五郎や幸四郎などの舞台を観ているのだが、7年前に見た團十郎の道玄が非常に印象的であったので、海老蔵だとどうなるのか、非常に興味を感じていた。

   團十郎の時の私の印象は、次の様なものであった。
   性格的にもまじめ一方と言うか、大きな目にモノを言わせた團十郎の道玄は、実に味がある。不思議にも凄みを全く感じさせない、しかし、俗に言われている小悪党と言う感じではないが、器用に世渡りをしながら泳いでいる倫理観道徳観全く欠如の欠陥人間を地で行くように巧みに演じている。このあたりの團十郎は、お家の芸である荒事の豪壮な世界を現出する團十郎ではなく、正に、等身大、しかし、人間の真実に迫ろうとする気迫と思い入れが脈打っていて感動的である。

   今回の海老蔵は、くりくりとした目が、独特な芸を見せてくれるのは同じだが、芸の質は全く違っていて、私は、セリフ回しなど、幸四郎の芝居を彷彿させるような雰囲気を感じて、びっくりして見ていた。
   それに、團十郎の場合には、既に、50歳を超えての道玄であったので、それなりの人生を経た灰汁のようなどこか人間臭い雰囲気を醸し出した芝居であったが、海老蔵の場合には、若さの所為もあろうか、芸そのものが直球勝負のストレートな演技で、悪の表現も、非常にモダンで、掛け値なしに飾りっけなしのシンプルなものであった。
   それがまた、独特な悪の世界を現出していて面白い。

   女按摩お兼(齊入)に入れあげて、女房おせつ(笑三郎)を邪険にして追い出そうとないがしろにしているのだが、この女房をベテランの女形の笑三郎が演じていて、その二人の醸し出す雰囲気が味があって実に良い。
   女按摩お兼を演じた齊入(右之助)は、團十郎の時には、この女房おせつを演じていて、今回は、一寸出世して女按摩のお兼であるから、知り尽くした舞台であり、実に上手く、海老蔵をサポートしている。
   道玄と渡り合う正義の味方の親分日陰町松蔵は、最近歌舞伎役者として益々存在感増してきた中車で、重量感のある芸を披露している。
   
   私が観たほかの舞台は、
   幸四郎の道玄、秀太郎のお兼、吉右衛門の松蔵 
   菊五郎の道玄、福助のお兼、東蔵の女房おせつ、仁左衛門の松蔵、
   これらの舞台に比べれば、海老蔵の今回の舞台は、一寸貫禄負けと言った感じであるが、海老蔵の清新な世話物の舞台を観ただけでも幸いであった。
   冒頭の「本郷木戸前勢揃いより」で、威勢の良い加賀鳶を命を張って追い返した天神町梅吉の雄姿は、海老蔵の本領発揮の胸のすくような晴れ舞台であったのは言うまでもない。

   ところで、これは、私の歌舞伎観だが、次のように書いたことがある。
   江戸歌舞伎には、悪人やアウトローが主役の芝居が結構多くて、悪の華などと言って、粋だ格好良いなどと言って囃す傾向があるのだが、なぜか、これにずっと抵抗を感じている。
   三津五郎が、「め組の喧嘩」とか、「加賀鳶の勢揃い」とか、別段深い意味はないけれど、ただただ、鳶頭がかっとしているだけで血が騒ぐような、喧嘩場の湯気が立つような場面はワクワクしました。そしてその場面に出ることが子供の頃からの憧れだった。この場面に出たかった。と言っていて、関東人は、やはり、江戸歌舞伎の任侠ものや荒事に共感しているのだと思った。
   私は、やはり、元関西人である所為か、どうしてもナンセンスなアウトローものや筋も何もない荒事のパーフォーマンスにはしっくりと来なくて、どちらかと言えば、シェイクスピアに近い近松ものや上方の世話物・和事の世界の方が、楽しめるような気がしている。

   そんな感じから言えば、今回の舞台は、「矢の根」や「加賀鳶」の序幕など、殆ど内容のないパフォーマンスやセリフで見せる舞台は、苦手である。

   さて、最後の「連獅子」だが、海老蔵と已之助の親仔獅子の舞台は素晴らしい。
   これは、能「石橋」を基にし、狂言「宗論」をアイ狂言に加えた歌舞伎の舞台だが、少し、趣が変わっていて、見せて魅せる舞台にしているのが歌舞伎の妙である。
   能舞台を模した松羽目の舞台に狂言師の右近、左近が登場して、獅子の子落とし伝説を再現し、父の思いを描く。次に、法華宗と浄土宗の僧が清涼山の麓で出くわして、南無妙法蓮華経VS南無阿弥陀仏の宗論。最後に、勇ましい親子の獅子の精が登場して、牡丹の枝を手に、芳しく咲く牡丹の花をバックにして、それに戯れる獅子の様子を演じて、最後に、親子の獅子が長い毛を豪快に振り続けて、獅子の座につく。

   親獅子の海老蔵の豪快さは勿論だが、仔獅子の日本舞踊坂東流の家元でもある已之助の舞も流石に目を見張るものがあり、正に、華麗な絵になる檜舞台であった。
   能「石橋」とは、多少、ニュアンスが違うが、非常に趣があって素晴らしい舞台であった。
   
   
   
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国立劇場・・・歌舞伎:菊之助の「一條大蔵譚」

2017年07月11日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   7月の国立劇場の歌舞伎は、普及版の学生や社会人や親子のための歌舞伎鑑賞教室。
   今日も、朝昼2回の公演だが、中高校生の団体が押しかけていた。
   前半に、「解説 歌舞伎のみかた」があって、若手の花形役者(この日は亀蔵)が、舞台や演者たちの模様や公演の解説などを丁寧に説明するこのセッションが、初心者には非常に好評のようである。
   今回、面白かったのは、下手の黒御簾の枠と簾を取って内部の演奏模様を見せてくれたことであった。

   今回のプログラムは、「鬼一法眼三略巻」の4段目の「一條大蔵譚」。
   この「鬼一法眼三略巻」は、清盛がまだ健在で平家全盛の頃を舞台にして、源氏再興のために暗躍する人物たちの物語で、源氏の縁者吉岡鬼一、鬼次郎、鬼三太の3兄弟が主人公だと言うことだが、3段目の「菊畑」は、結構見る機会があるのだが、殆ど筋書きは、関係がないし、よく分からない。

   従って、この「一條大蔵譚」も、この舞台だけを見ておれば、作り阿呆の一條大蔵卿(菊之助)が主人公の物語の筈だが、
   この通し狂言から行けば、鬼次郎が本来の主人公であって、鬼次郎(彦三郎)が妻のお京(尾上右近)と図って、一條大蔵卿の妻になっている常磐御前(梅枝)の源氏再興への本心を確かめたくて、一條大蔵卿邸に侵入して、常盤御前に会って、遊興三昧を隠れ蓑にして清盛の絵像を弓で打ち据えて調伏していたことを知った上に、夫の一條大蔵卿が、平家の重臣ながらも隠れ源氏であって、源氏の重宝友切丸を渡して、清盛の首を討って源氏再興を祈る。と考えるのが本筋であろうか。

   私は、2005年の勘三郎襲名披露公演で、勘三郎の、その後、吉右衛門、菊五郎、仁左衛門、染五郎の大蔵卿の舞台を見ているが、吉右衛門の舞台が、一番多くて、染五郎も今回の菊之助も、吉右衛門の監修指導と言うことであるから、吉右衛門の一條大蔵卿像が定着している。

   この物語で、興味を持ったのは、巷の定説を引いて、清盛はダメだが、重盛が素晴らしいので、重盛が消えてから、源氏の旗揚げをしろと長成に言わしめていることであった。
   常盤御前にメロメロであった清盛も、重盛の助言によって常盤を諦めて、長成に下げ渡さざるを得なかったと言うのも面白い。
   義経の母であった常盤御前は、清盛との間に一女をもうけたと言う噂が残っているが、長成との間には嫡男・能成と女子一人をもうけており、常盤は、この義経の妹とともに、一時鎌倉方に囚われたと言う。
   
   ウィキペディアによると、義経が幼少時、奥州平泉の藤原秀衡に庇護されたのは、縁戚でもあった長成の支援によるものといわれており、
   長成と常盤の子である能成は、異父兄の義経が武人として頭角を顕すとこれに接近し、平家滅亡後、義経が異母兄の源頼朝と対立した後も、能成は義経と行動を共にし、文治元年(1185年)11月の都落ちの際には自らも武装しこれに随行したという。から、長成の義経へのサポートは、かなり、鮮明なのである。
   それは、それとして、長成が、この歌舞伎のように作り阿呆を貫いたと言う話は残っていないので、作者の手の込んだフィクションであろう。
   
   さて、吉右衛門を義父に持つ菊之助の、謂わば、意表を突いたキャスティングだが、非常に期待する向きが多かったのか、このシリーズにしては、結構、満席の日もあって、人気が高い舞台である。
   とにかく、美しい。
   絵本一條大蔵譚と言った感じで、どこを見ても、菊之助の一條大蔵卿は、絵本から飛び出したような絵姿で、義父吉右衛門の薫陶宜しきを得て、吉右衛門バージョンの一條大蔵卿を、綺麗になぞっている。
   よく分からないが、実父菊五郎からも、一條大蔵譚卿像の教示を受けたのであろうが、そうだとすれば、二人の偉大な先達人間国宝からの直伝であろうから凄いことである。

   世間を欺くために本心を偽って、20年(?)も作り阿呆を装い続けている尋常ならざる剛の者である一條大蔵卿を、どう見るかだが、こんなに若々しくて美しくて良いのかと言う戸惑いも隠せない。
   これも、大衆あっての歌舞伎で、このような清新なバージョンもあってよいのではないか、と言うのが印象であった。
   とにかく、いずれにしろ、また、菊之助の末恐ろしい芸の新境地を観たと言う思いであった。

   これまで観た「一條大蔵譚」と比べて、一気に、若手役者の舞台を見た感じであった。
   常盤御前の梅枝、鬼次郎の彦三郎、お京の尾上右近が、素晴らしい舞台を見せてくれた。



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六月大歌舞伎・・・「一本刀土俵入」ほか

2017年06月30日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   今月は、歌舞伎は、歌舞伎座へ「夜の部」を、国立劇場へ鑑賞教室の「毛抜」を観に出かけた。
   昼の部では、吉右衛門の「弁慶上使」を是非観たいと思っていたのだが、夜の部も大作揃いで、非常に楽しませてもらった。
   「一本刀土俵入」は、随分前に、先代雀右衛門のお蔦と、今回同様、幸四郎の駒形茂兵衛で観ており、もう一度、幸四郎を観たくて期待して出かけたのだが、今回は、猿之助が、大分違ったモダンな感じのメリハリの利いたお蔦を演じていて、楽しませてもらった。
   
   この芝居は、相撲取りの茂兵衛が、食い詰めて江戸へ向かう途中、水戸街道の取手宿の旅籠安孫子屋で、酌婦のお蔦に、手持ちの金子や簪を与えられて立派な横綱になるよう励まされたことを恩に着て、残念ながら渡世人となって故郷へ帰る途中で、お蔦を探し出し、お蔦母子とイカサマばくちに追われる身の夫・船印彫師辰三郎(松緑)を、顔役の波一里儀十(歌六)一家を蹴散らして、助けて逃がす。と言う任侠ものだが、胸のすくようなストーリーである。
   気風のよいお蔦と恩義に熱い茂兵衛の魂の交歓と言った話だが、しみじみとした味があって、私など、好きな話である。
   横綱の土俵入りではなくて、一本刀の土俵入りを見せる茂兵衛の心境如何にと言ったところだが、インテリ然とした幸四郎が、冒頭、朴訥な真心一途の好漢茂兵衛を演じて、後半では、一本刀でありながら、一本筋の通った真心を見せる颯爽とした、本来の持ち味の凄みのある渡世人を演じて、流石である。

   私は、幸四郎が何故人間国宝にならないのか、不満に思い続けているファンの一人だが、ロンドンで「王様と私」を観ており、「ラ・マンチャの男」や蜷川の「オセロ」などの舞台も観て、その度毎に感激しており、歌舞伎の世界では、自他ともに認める第一人者でありながら、これ程、歌舞伎の枠をはみ出してでも、人の及ばない傑出した芸を見せて魅せる役者が存在するであろうか。

   この幸四郎は、「鎌倉三代記」で、佐々木高綱を演じて、コミカルタッチの雰囲気もさわやかで、重厚かつ貫禄十二分の舞台を見せてくれていた。
   この「鎌倉三代記」は、何といっても三姫の一つである時姫を演じた雀右衛門の舞台で、益々脂の乗った絶好調の芸を見せてくれたのだが、この雀右衛門は、次の「御所五郎蔵」でも、仁左衛門の五郎蔵を相手にして、傾城皐月を演じて、互角に渡り合っている。

   この「御所五郎蔵」だが、立派な侍であった須崎角弥が、腰元の皐月との不義で追放となって侠客の五郎蔵となった、いわば、江戸のヤクザが、侍の星影土右衛門(左團次)と、皐月を巡って争い、五郎蔵のための金策に土右衛門に靡いたふりを装った皐月の心根を知らずに、裏切られたと早合点して殺そうとして、身代わりになって皐月の花魁衣装を身に着けた道中の傾城逢州(米吉)を、誤って殺してしまうと言う何とも冴えないストーリーである。
   この江戸の風情むんむんとした舞台で、江戸のヤクザを、関西オリジンの仁左衛門が演じると言う興味深い芝居だが、怒り心頭に達した仁左衛門の形相の凄さが、目に焼き付いている。
   雀右衛門の傾城は、しっとりとした味があって格上の貫禄だが、米吉の傾城の美しさと健気さ、最近貫禄がついてきて、進境の著しさが印象的であったが、実父歌六の薫陶宜しきを得れば、末恐ろしい存在となろう。
   心境の著しさと言えば、「鎌倉三代記」で、時姫の雀右衛門と好演した三浦乃助義村を演じ、「一本刀土俵入」で堀下根吉を演じた松也にも言えよう。

   末筆になってしまったが、猿之助の芸の冴えと存在感は、流石で、「一本刀土俵入」の冒頭の、安孫子屋の二階の窓から、顔を覗かせた瞬間から、観客を引き付ける。
   座頭役者の風格と本来の芸の上手さが相まって、魅せてくれた。
   それに、今回の舞台では、猿弥、笑三郎など澤瀉屋の面々が、脇役ながらもよい味を出していた。
   
   
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国立劇場・・・五月文楽:豊竹呂太夫襲名披露「菅原伝授手習鑑」

2017年05月21日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   久しぶりの華やいだ満員御礼の文楽:豊竹呂太夫襲名披露公演である。
   襲名披露狂言は、「菅原伝授手習鑑」の「寺子屋の段」である。
   その前の「寺入りの段」は、義太夫を呂勢太夫と三味線を清治、「寺子屋の段」は、前を呂太夫と清介、切を咲太夫と燕三。
   3年前の住大夫の引退披露狂言が、この「菅原伝授手習鑑」の「桜丸切腹の段」で、大阪の文楽劇場で観たのだが、その時と同様に今回も簑助の桜丸で、浄瑠璃を弟子の文字久太夫と三味線藤蔵で演じられて、当時を彷彿とさせ、口上を経て、呂勢太夫と清治の素晴らしい「寺入りの段」の後、この呂太夫の襲名披露狂言に続く重要な後半部分の簡略版「菅原伝授手習鑑」は、非常に充実した格調の高い舞台で感動的であった。
   
   この「寺子屋の段」のメインテーマは、
   「梅は飛び桜は枯るる世の中に何とて松のつれなかるらん」、
   松王丸が、我が子小太郎を菅秀才の身替りに立てて、その本心を武部源蔵に明かす時に、引いた丞相の詠んだ歌で、
   「菅丞相には我が性根を見込み給ひ、何とて松のつれなかろうぞとの御歌を、松はつれないつれないと、世上の口にかかる悔しさ、推量あれ源蔵殿。倅がなくばいつまでも人でなしと言われんに、持つべきものは子なるぞや。」
   「松だけが、つれない筈がない」と認めてくれ、烏帽子親である丞相の御恩に報いたい気持ちは、敵方藤原時平に仕えても、決して忘れていない、心底丞相に忠義者であって薄情ではない証として、最愛の息子小太郎を犠牲にして、丞相の子菅秀才の命を守り抜くことで、身をもって実証した松王丸の断腸の悲痛。
   これが、この舞台の眼目であり、身替り、もどりなど義太夫浄瑠璃の常套手段が使われているが、やはり、息を飲むシーンは、松王丸が、首実検で、菅秀才の首だと小太郎の偽首を見る場面であろう。
   歌舞伎でも、色々な型バリエーションがあるが、松王丸が桶に手をかけようとすると、とっさに源蔵(和生)が遮り、緊張が走り、丁々発止の緊張が舞台に漲り、松王丸の苦渋と安ど綯い交ぜの表情が悲しい。
   この日の主役呂太夫の情緒連綿たる浄瑠璃と清介の三味線の名調子が、観客の肺腑を抉る。

   それに、何と言っても感動を呼ぶのは、幕切れの死んだ小太郎の野辺の送りの「いろは送り」の流麗で哀調を帯びた浄瑠璃が哀切極まりない。
   舞台中央で、美しい白装束で慟哭をこらえて踊るように舞う勘十郎の女房千代は、サンサーンスの瀕死の白鳥を思わせる優雅さと悲痛。
   躍り出た玉男の松王丸との流れるように優雅な相舞の絵の様なシーン。
   千代はエビぞりの後ろ振りで哀惜の情を表し、松王丸は棒立ちになって中空を仰いで左手で顔を覆って慨嘆・・・感動的な咲太夫と燕三の浄瑠璃に乗って、悲しくも美しい幕切れが涙を誘う。
   すごい舞台であった。
   
   
   
   
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團菊祭五月大歌舞伎・・・「昼の部」

2017年05月18日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   今回、観たかったのは、まず、新皿屋舗月雨暈の「魚屋宗五郎」。
   新皿屋舗月雨暈と言った雰囲気の殆どない独立した世話物の舞台で、庶民の典型的な代表のような魚屋宗五郎の泣き笑いの生き様を、人間国宝の菊五郎が至芸を見せるのであるから、何回観ても感動する。
   それに、この舞台には、菊五郎の孫、すなわち、寺嶋しのぶの長男寺嶋眞秀が、酒屋丁稚与吉として初舞台を踏み、可愛くて器用な素晴らしい芸を見せてくれたのである。

   この舞台については、あまりにもポピュラーなのだが、
   ”屋敷勤めの妹が無実の罪を着せられて殺されたと知った宗五郎は、堪らずに禁酒の誓いを破って、酒乱と化して磯部屋敷に乗り込むと言う話である。
    普段は分別のある宗五郎だが、次第に酔って行き、恨み辛み憤りが朦朧とし始めて、磯部(松緑)憎しだけが昇華して、われを忘れて酒乱状態になって行く。
    召使おなぎ(梅枝)が持参してきた酒を、湯呑茶碗に注がれたのを口をつけて一気に飲み干し、飲むうちに湯呑茶碗では満足できずに片口から直接飲み始め、おはま(時蔵)や三吉(権十郎)の止めるのを振り切って、角樽を鷲掴みにして飲み干して酒乱に変身。目が座って、人が変わったように暴れ出して、おはまや三吉を蹴飛ばし突き飛ばし、壁をぶち破って、角樽を振り回しながら、磯部の屋敷へ突進して行く。
   酒乱と化した宗五郎は、磯部邸の門先で、散々に悪態を突き家老の浦戸(左團次)に悔しい胸の内をぶちまけて寝込んでしまう。
   目が覚めたのは屋敷の庭先、そこへ磯部主計之助が現れ、短慮からお蔦を殺めたことを深く詫び、弔意の金も与え、典蔵の悪事も暴かれ、めでたしめでたし。”

   去年、国立劇場で、芝翫の魚屋宗五郎と梅枝のおはまで観ており、幸四郎の魚屋宗五郎でも観ているのだが、菊五郎の舞台が一番多くて、今回同様に、時蔵のおはまと團蔵の父太兵衛と左團次の浦戸十左衛門が定番のように印象に残っている。
   玉三郎のおはまもそうだったが、格調高く風格のある芸で観せる時蔵が、「文七元結」や、この舞台で、菊五郎と魅せる庶民の女将の実に滋味深い味のある芝居は特筆ものである。

   短気で一寸問題のお殿様磯部公は、今回は、松緑であったが、染五郎であったり錦之助であったり梅玉であったり、颯爽とした二枚目が登場して、それぞれの風格を見せてくれた。
   この新皿屋舗月雨暈の舞台だが、この魚屋宗五郎の前の舞台などが上演されて、殺された妹のお蔦が登場してお家乗っ取り騒動の物語が展開されるなど面白いのだが、私は、この魚屋宗五郎の世話物の舞台だけで、完結していると思っている。

   今回は坂東彦三郎家の襲名披露公演であるので、昼の部では、「梶原平三誉石切」が、メイン舞台であろう。
   襲名した彦三郎の祖父十七世市村羽左衛門の殆ど晩年の舞台あたりから歌舞伎鑑賞を始めたので、襲名した楽善の渋い舞台を観続けてきた感じだが、
   今回の「梶原平三誉石切」は、彦三郎の梶原平三、父楽善の大庭三郎、弟亀蔵の猪俣五郎の親子二代が、重要な役を演じた正に襲名披露狂言に相応しい素晴らしい舞台であった。

   これまで、何度か、この「梶原平三誉石切」を観ているが、吉右衛門や幸四郎の梶原平三で、吉右衛門型だったようで、今回は、彦三郎は、当然、羽左衛門型で演じると言う。
   いい加減にしか観ていないのか、その違いは良く分からないのだが、これまでは、大御所の成熟した舞台を観ていたので、彦三郎の若さと活力の漲った清新な梶原平三像は、正にフレッシュで、強烈な印象を与えた。
   朗々と響き渡る綺麗な台詞回しやハツラツとした流れるような演技や流麗な見得の数々、多少ぎこちなさの残る芸ながら、感動的な舞台であり、父弟そして二人のおじのバックアップも素晴らしかった。

   今回、菊之助が颯爽とした奴菊平で、松緑がコミカルで愉快な剣菱呑助で登場して、華を添えていて面白い。
   それに、團蔵の父太兵衛と市川右近の梢が、良い味を出していて楽しませてくれた。

   義経千本桜の「吉野山」は、海老蔵の佐藤忠信と菊之助の静御前の観せて魅せる絵の様な美しい舞踊劇。
   それに、コミカルな男女蔵の逸見藤太が、華を添える。

   いずれにしろ、流石に團菊祭で、密度の濃い舞台であった。
   
   
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四月大歌舞伎・・・「伊勢音頭恋寝刃」「一谷嫩軍記 熊谷陣屋」

2017年04月27日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   「伊勢音頭恋寝刃」は、歌舞伎でも文楽でも何度も観ているが、ストーリー展開よりも、登場人物のユニークさが、面白くて、演じる役者の如何によって、面白さが倍増する。
   二年前に、国立劇場十月歌舞伎公演で、通し狂言「伊勢音頭恋寝刃」が演じられたのだが、ふつうは、今回のように、油屋と奥庭の場が主体となる簡略版が上演される。
   それでも、2時間近い舞台である。

   この「伊勢音頭恋寝刃」は、伊勢参りで賑わっていた古市の遊郭・油屋で宇治山田の医者孫福斎が仲居のおまんらを殺害した事件を劇化した際物芝居である。
   お家の重宝青江下坂の名刀とそのお墨付き折紙探索と言うお家騒動ものに脚色されているのだが、
   この舞台では、この名刀の折り紙の行方を追い駆ける福岡貢(染五郎)が、恋人であるお紺(梅枝)を遊女屋油屋を訪ねてきて、お紺の策略が成功して、徳島岩次(由次郎)たちから折紙を取り戻すと言う話である。
   名刀をすり替えられたと思って、油屋に引き返してきた貢が、誤って、万野を切ってしまい、「奥庭」の場では、妖刀に魅せられて、錯乱した貢が、次々と人を斬り捨てて行くシーンが展開される。

   その間、お紺に会わせまいと、仲居の万野(猿之助)が嫌がらせの限りを尽くして抵抗し、代わり姑を呼ぶのを承諾すると、手のひらを返したように機嫌よくなるのだが、その替わり妓が、貢にぞっこんのブスの油屋お鹿(萬次郎)なのだが、万野は、貢との仲立ちをするとたぶらかして、偽のラブレターをでっち上げてお鹿に金を出させて着服しており、満座の前で、貢に罪を着せて、証拠もないので女相手に抗弁できず、窮地に追い込む。
   この万野は、折紙を所持している敵の徳島岩次に肩入れしているので、正に、貢にとっては悪女で、このあたりは、実事件の反映であろう。

   この万野を、歌右衛門や芝翫、菊五郎、勘三郎と言った名優が演じたと言うのだが、私は、これまで、玉三郎、福助、魁春で観ており、今回の猿之助の悪女万野も、流石に、座頭役者の風格十分で、楽しませてくれた。
   文楽では、この万野を、簑助、勘十郎が遣った舞台を観た。
   この「油屋」の場では、貢が主役の筈だが、むしろ、この万野の強烈な個性を前面に押し出した悪女の存在感は抜群で、これこそが見どころであり、上演されるごとに、誰が演じるのかが楽しみである。

   もう一つ面白いのは、貢にほの字で、万野に騙しぬかれて座敷に呼ばれたお鹿の幸せの絶頂から暗転する芸の落差の激しさで、脇役として秀逸な芸を見せている東蔵や萬次郎のお鹿の上手さは言うまでもないが、私には、当時橋之助の芝翫のお鹿が、抜群に面白かった。

   幸四郎が、染五郎の幸四郎への襲名披露のことについて、もう、染五郎に収まり切れない役者として成長しているので、と語っていたように記憶しているのだが、最近、夙に、進境の著しさを感じていて、これも、正にその舞台であったと思う。

   今回の舞台で、名刀をなくした家老の息子今田万次郎を秀太郎が演じており、優男ぶりを優雅に演じていて、興味深かった。
   お紺は、以前に、時蔵の舞台を観たのだが、今回は、子息の梅枝で、しっとりとした風格のある演技で、良かった。
   料理人喜助の松也は、はまり役。
   
   「熊谷陣屋」は、もう、何回観ているか。
   文楽でも、最近では、玉男襲名披露公演で観たし、とにかく、何回観ても面白い。
   歌舞伎では、今回同様に、幸四郎の熊谷次郎直実の舞台が一番多いのだが、仁左衛門、吉右衛門、團十郎、染五郎、最近では、襲名披露で演じた芝翫、と、名優の舞台を観ており、かなり、理解が進んでいる筈なのだが、その度毎に、新鮮な気持ちで、観ているから不思議である。

   「一枝を伐らば一指を剪るべし」と言う、法王の落胤である敦盛を助けよと言う義経の意を戴して弁慶が認めた表札が、この歌舞伎の重要なテーマで、この「熊谷陣屋」の舞台では、義経の検視に、敦盛の首と称して、直実が、代わりに討った実子小太郎の首を差し出す。
   無常を感じた直実が、義経の許しを得て、僧形になって陣屋を後にし、「十六年は一昔、ああ夢だ、夢だ」と天を仰いで慨嘆して、花道を去って行く。

   この熊谷陣屋については、このブログで、随分書いているので、すべて、蛇足となるのだが、やはり、幸四郎の極め付きの舞台を楽しむと言うことであろう。
   それに、今回は、猿之助が、非常に格調の高い折り目正しい妻相模を演じていて、幸四郎との丁々発止の新鮮な舞台が、感動的であった。
   義経の染五郎、藤の方の高麗蔵、弥陀六の左團次は、言うまでもなく適役で、重厚な舞台が楽しませてくれた。

   ところで、染五郎と猿之助は、大舞台にも拘わらず、異色な役どころを器用に、連続して演じており、健闘していた。
   
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三月大歌舞伎・・・「助六」「引窓」「名君行状記」ほか

2017年03月29日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   歌舞伎座の三月大歌舞伎は、
   「昼の部」が、
   1.名君行状記
   2.義経千本桜 渡海屋 大物浦
   3.神楽諷雲井曲毬 どんつく
   「夜の部」は、
   1.引窓
   2.けいせい浜真砂 女五右衛門
   3.助六由縁江戸桜

   義経千本桜については、先日観劇記らしいものを書いたが、後はそのままであったので、今回は、印象記だけ記しておきたい。
   
   まず、最後の「助六」だが、これは、成田屋の正に看板歌舞伎なので、何度か、團十郎の名演と言うか磨き抜かれた決定版の舞台を観ていて、強烈な印象が残っている。
   
   7年前に、海老蔵の助六を観ての印象記は、
   海老蔵の助六は、恐らく、実際と思しき助六のイメージにより近いと思うし、はちきれそうな艶のある色男の魅力は抜群なのだが、しかし、同じ粋さ加減でも、助六の男伊達としての美学なり人間的な表現の広がりと奥深さと言うか、その滲み出てくるような男の魅力においては、團十郎の方がはるかに勝っており、これは、正に、芸の差、年論の差であろうと思う。
   それなりのエネルギーと迫力は感じたのだが、歴史と伝統に培われた歌舞伎の醍醐味と言うか奥深さを味わう喜びにはやや欠けていたような気がする。
   本当は、海老蔵の助六像が確立されつつあるのだろうが、私の印象は変わらなかった。

   これは今回の「助六由縁江戸桜」を観ての相対的な感想でもあるのだが、以前に観た、團十郎の助六、白酒売新兵衛の菊五郎、意休の左團次、母の曽我満江の秀太郎は同じだったと思うが、玉三郎の揚巻に加えて、仁左衛門のくわんぺら門兵衛、その子分・朝顔仙平の歌六、通人里暁の勘三郎、福山かつぎ寿吉の三津五郎の舞台を観ていると、歌舞伎役者の芸の蓄積・経験が、如何に役者を育み、芸の深化と舞台の豊かさ素晴らしさを生み出す源泉になっているかが良く分かって、この舞台の凄さを実感した。
   その意味では、今回は、多少、軽量級の舞台であったと思う。

   この前の海老蔵の助六で興味深かったのは、三浦屋格子先だけではなく、水入りまでの舞台が演じられ、久しぶりに、助六が、意休を切り倒して名刀友切丸を取り戻し、追っ手からの逃げ場に困って、天水桶の水の中に隠れると言う派手な幕切れを観たことである。
   このあたりの海老蔵は、やはり、水も滴る良い男で、この助六の舞台では、白酒売りの染五郎などの若い俊英役者を支えて好演していたのが、揚巻の福助、意休の歌六のベテラン役者で、特に、母親の曽我満江を演じた秀太郎の格調高い名演。
   今回も、菊五郎、左団次、秀太郎の芸の冴えと確かさが、舞台を支えて余りあった。

   「引窓」は、中々、感動的な舞台で、南方十次兵衛の幸四郎、濡髪長五郎の彌十郎、女房お早の魁春、母お幸の右之助は、夫々、適役で、文句なしの素晴らしい舞台で、しっとりとした感動的な芝居を堪能させてもらった。
   「女五右衛門」の「南禅寺山門の場」は、藤十郎と仁左衛門の世界だが、錦絵を見せるような極彩色のシーンの連続。

   昼の部は、芝居としては、やはり、真山青果の作品なので、「名君行状記」が面白かった。
   名君の誉れ高い藩主の池田光政に対して、その名君と言う名望に嫌気をさし許せなくなった若い藩士青地善左衛門(亀三郎)が、本当に名君なのかを知りたくて、死罪を覚悟でご禁制の禁猟地で鳥を撃ち殺して、これを、明快に光政が裁く。
   いくら名君でも、こんなバカな家来を持てば災難だが、有為な青年故、上手く裁いて助けると言う話。
   このような格調高い名君を演じるのは、当然、梅玉。
   亀三郎が、血気盛んな全学連の闘士のようなバカ者を熱演しており、いつも悪役の團蔵が、好々爺の家老を好演している。
   この亀三郎は、「助六」の通人里暁も器用に演じており、活躍中。

   「神楽諷雲井曲毬 どんつく」は、三津五郎の三回忌追善狂言であるので、已之助の独壇場の舞台。
   菊五郎以下、名優はじめオールキャストが勢揃い。
   親方鶴太夫の松緑と太鼓打の亀寿が、一緒に威勢よく踊っていた。

   
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三月大歌舞伎・・・仁左衛門の「渡海屋・大物浦」

2017年03月24日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   今回は、仁左衛門の知盛に期待して、歌舞伎座に行った。
   襲名披露の時に、仁左衛門の「助六」や、その後の「松王丸」などを観て、いたく感激して、これまで観ている東京ベースの名優が演じている知盛とは違った新鮮で強烈な「渡海屋・大物浦」が楽しめると思ったのである。
   本来スマートで格好の良い仁左衛門だが、冒頭の渡海屋銀平の堂々たる押し出しからして流石の井出達であり、その重量感は、錨を背負って仰向けに海に落ち行く豪快なラストシーンまで続いて感動的であった。
   瀕死の状態で海岸に辿り着いた知盛が、胸に刺さった矢を引き抜いて、渇きを癒すためであろうか、切先の血のりを舐める姿など、平家の名将知盛を忍ばせて清々しい。

   この「義経千本桜」は、随分観ていて、何度も印象記を書いているので、今回は、一寸違った視点から、綴ってみたい。

   この「義経千本桜」は、壇ノ浦で平家が滅亡した後、義経が頼朝に面会すべく鎌倉に下って行ったにも拘わらず、腰越で留め置かれ、斬鬼の思いで引き返さざるを得なかった後日談と言ったストーリー展開である。
   史実では、多少異同はあるであろうが、この後、義経は、後白河法皇に、頼朝追討の院宣を求めて賜っており、完全に敵対関係となって、都を落ちて行く悲劇の段階なのだが、この歌舞伎では、判官贔屓の所為であろうか、平家物語が語っていない義経のその後を、花の英雄として美化して描いている。

   さて、この歌舞伎の「渡海屋・大物浦」に関して以降、平家物語に語られているのは、次の簡単な叙述のみ。
   ”大物の浦より舟に乗つて下られけるが、折節西の風烈しく吹き、住吉の浦へ打ち上げられて、吉野の奥にぞ籠りける。吉野法師にせめられて、奈良へ落つ。奈良法師に攻められて、また都へ帰り入り、北国にかかつて、終に奥へぞ下られける。”

   頼朝の軍勢が、義経追討のために上京すれば大変なことになるので、しばらく、鎮西へまかり下りたいとの願いを入れて、
   ”臼杵、戸次、松浦党、総じて鎮西の者ども義経を大将として、その下知に従ふべき由、院の御下し文を給はつてければ、その勢五百余騎、明くる三日の卯の刻に京都にいささかのわづらひもなさず、波風も立てずして下りにけり。”で、都を出て、途中、太田太郎頼基の抵抗はあったものの蹴散らして、無事に大物浦に到着する。
   その直後が、この「渡海屋・大物浦」の場である。
   ”折節西の風烈しく吹き”と言うことで押し返され、他の源氏の船も、”たちまちに西の風吹きける事も平家の怨霊の故とぞおぼえける。”と言う逸話に題材をとって、
   能の「船弁慶」では、「嵐の中から知盛の怨霊が現れて、その進路を阻む」ことになっている。

   このストーリー展開を脚色して、生き延びて安徳天皇を守護してきた知盛を登場させて、義経を阻む決戦を仕掛けて、平家きっての勇将知盛の最後を美しく歌い上げながら、義経を賛美した舞台を作り上げたのである。
   一行は大物浦から船団を組んで九州へ船出したが、途中暴風のために難破し、主従散り散りとなって摂津に押し戻されたのだが、散々な状態であって、この歌舞伎のように、錨を背負って豪快に海に落ちて行く知盛に、「安徳天皇を、何処までも守護する」などと言った状態ではなく、哀れな奥州への逃避行が続くのである。

   さて、平家物語では、知盛は「見るべき程の事は見つ」とつぶやくと、鎧二領を着て乳兄弟の平家長と共に入水して、壇之浦も藻屑となって消えて行った。
   この歌舞伎も、知盛にとっては、華々しい劇的な最後だが、私は、「見るべき程のことは見つ」と言う心境の知盛の方が好きである。

   私は、平家びいきなので、この壇ノ浦の合戦で、義経の取った禁じ手を破った卑劣な戦法・平家方水取梶取の殺戮を許せない。
   木下順二さんが、「平家物語」で、船軍では、非戦闘員は殺さないという不文律を、船所正利らから十分いわれていたのを踏みしだいて命令を出した、それが戦争技術者としての義経の本領であった。と述べている。
   丁度、東流が西流に変わってしまった時に、水取梶取を殺戮したので、平家の船団は操船ままならず、敗北を帰した、と言う。
   木下さんは、それまで義経にさせて持ちこたえて闘い抜いた知盛が、義経に拮抗し得るまでの優れた戦争技術者であったと考えたいと述べているのだが、平家は、悲壮な最期を遂げたのである。
   いずれにしろ、日本人気質は、判官贔屓。
   私は、能や歌舞伎や文楽で、義経の名舞台が展開されているのを観ながら、一寸、何となく、距離を置いて観ている。
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国立劇場・・・3月歌舞伎「通し狂言 伊賀越道中双六」

2017年03月20日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   

   義太夫狂言の名舞台ながら、戦後の上演が二回しかなかった「岡崎」(山田幸兵衛住家)が、平成26年12月国立劇場で、44年ぶりに上演が実現した。
   初代中村吉右衛門が演じた唐木政右衛門を、当代の吉右衛門が継承し、これまでとは違って、「沼津」ではなく、「岡崎」をメインとした通し狂言として上演されて、非常に好評を博したので、今回は、配役も殆ど変えずに、再演されたのである。
   前回と違っているのは、「大和郡山誉田家城中の場」が、「相州鎌倉円覚寺の場」に代わったことである。
   歌舞伎の作品で初めて「読売演劇大賞」大賞・最優秀作品賞を受賞し多と言うことで、劇場ロビーに、トロフィーが展示されていた。
   
   

   何故、上演が途絶えていたのか。
   上村以和於さんの説明によると、
   ”仇討ち遂行のために幼いわが子の首を斬ると言う行為の不条理を、悲劇の表現とみるより前近代的な野蛮な行為と見做す近代主義の解釈が拒んでいたのが最大の原因だった。”と言うことである。
   さてどうであろうか。人気歌舞伎の名舞台である「寺子屋」や「熊谷陣屋」などで、忠義のために自分の子供を殺す舞台があるのだが、現実的な殺害の場はないものの、「伽羅先代萩」の御殿の場では、政岡の面前で、実子千松が、八汐に嬲り殺される残光なシーンが展開される。
   尤も、この「岡崎」では、良い人質を取ったと喜ぶ幸兵衛の面前で、間髪入れずに、”政右衛門ずっと寄って幼子引き寄せ、喉笛貫く小柄の切先”と言う惨忍極まりない仕打ちに出るのであるから、問題なのかも知れない。
   苦悶の表情で、吉右衛門の政右衛門は、左手で寝かせたわが子已之助を右手に握った小柄で一気に刺殺し、”死骸を庭へ、投げ捨てたり”と言うことで、人形であるから良いものの、実際の子役であったら、観ておれないであろう。

   もう一つ、
   ”ギリシャ劇などを通じ、演劇上の残虐行為を皮相的に見ない現代の観客の成熟も、上演を可能にした半面がある。”と言う指摘である。
   イギリスに居た時に、RSCの公演で、バービカン劇場で、「オイディプス王」を観たのだが、やはり、観るに堪えない程残酷だったが、ギリシャ悲劇は、ギリシャ悲劇であって、
   ”アリストテレスによれば、ギリシア悲劇はディオニュソスに捧げるディテュランボス(酒神讃歌)のコロス(合唱隊)と、その音頭取りのやり取りが発展して成立したものだという(ウィキペディア)”ことで、必ずしも、残虐なものばかりではない。
   それに、ギリシャ悲劇は、悲劇の舞台のみならず、オペラでも映画でも、沢山上映されていて、44年前と特に変わっているわけでもないし、観客の成熟や「岡崎」とは、何の関係もないと思う。

   能の舞台でもそうであろうが、名曲でありながら、色々な事情で、上演されなくなって、長い年月を経て再上演されたり、復曲されたりするケースがある。
   再上演なり復曲上演のためには、大変な勇気とエネルギーなり熱意が必要だろうと思うのだが、上演する側にも鑑賞する側にも、受け入れる準備が出来なくなっているのだから、相当なプロモーターの出現が必要であり、それが、国立故の国立劇場であるから、可能になったと言うことであろう。
   それに、今回、前回のオリジナルメンバーが、更に、磨きをかけて演じると言うことであるから、役者が揃わなければ、上演できないような高度な芝居であると言うことでもあろう。

   さて、舞台だが、今回は、渡辺数馬と荒木又右衛門が数馬の弟の仇である河合又五郎を伊賀国上野の鍵屋の辻で討った「鍵屋の辻の決闘」を彷彿とさせる「伊賀上野 仇討の場」が終幕で上演されているので、やっと、「伊賀越道中双六」の結末が見えてほっとする。
   舞台は、岡崎から、一気に伊賀上野まで飛ぶのだが、「伏見北国屋の段」が続いて、「伊賀上野敵討の段」となり、
   ”急ぎ行く されば唐木政右衛門、股五郎を付け出し、夜を日に 継いで伏見を出で、伊賀の上野と志し 心もせきに 北谷の四つ辻にこそ入り来る”と言うことになって、決闘が展開される。
   貫禄があり過ぎて一寸優雅さには欠けるが、政右衛門の吉右衛門の雄姿と、大悪の風格を漂わせた沢井股五郎の錦之助と颯爽とした和田志津馬の菊之助との流れるようなエネルギッシュで鮮烈な立ち回りが素晴らしい。

   今回の通し狂言の見どころは、やはり、「岡崎」すなわち「三州岡崎 山田幸兵衛住家の段」である。

   志津馬は、奪った書状を使って股五郎に成りすまして、娘お袖(米吉)の許嫁であったことを幸い、股五郎に味方する幸兵衛から情報を得るため、幸兵衛(歌六)の家に宿泊する。
   関所破りで、追われる身の政右衛門が役人と戦っているのを見て、自分と同じ新陰流の達人であることを見抜いて家に入れて語ると、幸兵衛は、十五歳まで養育していた愛弟子の庄太郎と分かり、妻のおつや(東蔵)と温かく迎える。
   幸兵衛は、庄太郎が政右衛門であることを知らずに、股五郎の味方を頼むのだが、股五郎の居場所が分かると思って偽って承諾する。
   その時、雪の降りしきる中を、乳飲み子を抱えた政右衛門の女房お谷(雀右衛門)が、門口に倒れこみ、政右衛門は、素性を悟られまいと、必死になって、無関心を装って、煙草を刻み冷たくあしらうのだが、おつやが、乳飲み子を家に入れて温めてやる隙に、門口に出てお谷をいたわり、股五郎の居場所が分かる大切な時なので、一丁南の辻堂に居てくれ、死ぬなよと送り出す。
   乳飲み子の守りの中の書付に、『和州郡山唐木政右衛門子。巳之助』と書いてあり、人質だと喜ぶ幸兵衛の前で、政右衛門は、おつやから已之助を奪って、人質を取るような卑怯な真似はしないと、一気に刺殺して庭に投げ出す。
   その時の政右衛門の一筋の涙を見た幸兵衛が、総てを察して、志津馬が、聞いている股五郎と年配恰好などがあまりに違っていたので疑問を感じており、敵味方の二人を対面させると、二人はびっくりしたので、政右衛門と志津馬であることを悟る。
   二人の様子に納得した幸兵衛は、股五郎の行方を教える。
   忍んできたお谷が、変わり果てた乳飲み子已之助をかき抱いて断腸の悲痛。
   契りを交わした娘お袖が、”籬の小蔭より、思ひ切髪墨染の、袈裟に変りしそぎ尼姿”で現れて、幸兵衛は、お袖に、股五郎が逃げ行く中仙道への案内に立たせる。

   前述の筋書で、舞台の熱気と、役者たちの至芸が彷彿とする筈。
   とにかく、吉右衛門を筆頭にして、歌六、東蔵、雀右衛門、錦之助、菊之助の素晴らしい演技は、特筆もので、凛々しい忠臣の佐々木丹右衛門とコミカルタッチの助平を演じた又五郎と初々しくて美しく実に魅力的な乙女を演じぬいた米吉の熱演は、感動的である。
   名演を演じた雀右衛門と歌六は、歌舞伎座の公演と掛け持ちと言う大車輪の活躍、二人とも、素晴らしい舞台を見せて魅せてくれた。
   

   2年前のポスター
   
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国立小劇場・・・組踊「執心鐘入」と琉球舞踊

2017年03月05日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   国立劇場小劇場の、琉球舞踊と組踊「執心鐘入」の公演を見に行った。
   昨年初、横浜能楽堂で、「能の五番・朝薫の五番」の能「羽衣」を脚色した沖縄の古典芸能・組踊「銘苅子」(めかるし)」を観て興味を持ち、翌月、茅ヶ崎で行われた国立劇場おきなわ主催の”組曲「執心鐘入」と琉球舞踊”を観たので、今回は、二回目である。
   前回は、予約が遅かったので、後方の席だったので十分に観賞できなかったのであるが、今回は、「執心鐘入」は2回目であり、その上に、席が、一階正面2列目であったので、至近距離からの鑑賞でもあって詳細が良く分かって、非常に楽しむことができた。

   この「執心鐘入」は、能「道成寺」にテーマを得た沖縄の歌舞劇で、ストーリーは、
   首里へ奉公に向かう中城若松が、道中難渋して一夜の宿を乞うために民家を訪れるのだが、その家の若い娘は、最初は親が留守なのでだめだと断わったのだが、男が、恋い焦がれていた噂に名高い美少年・若松だと知ると宿泊を許して、今宵は語り明かそうと契るべく言い寄る。若松は、奉公に上がる身だと女の誘惑を拒否して、縋る女を振り捨てて家を出て、末吉の寺へ逃げ込む。住職の計らいで鐘の中に隠れるが、邪恋に悶えた女は若松を追いかけて寺に駆け込み、執念のあまり鬼女と化すのだが、住職と僧侶たちの決死の祈祷調伏で、法力によって鬼女を退散させる。
   能「道成寺」に想を取った琉球の組踊だが、首里王家への忠節と中国の儒教の倫理観の反映した作品となっているのが興味深い。

   舞台上手に、能の囃子と地謡に相当する音楽グループが陣取る。
   使用楽器は、三線、箏、胡弓、笛、太鼓を用い、三線の演奏者(3~4人)は、地謡に相当する歌も担当するため「歌・三線」といわれる。
   能と違って、太鼓以外は、総て、メロディーを奏する楽器なので、はるかに、歌劇的な要素が強くなっているのが興味深い。
   能では、大鼓や小鼓が掛け声をかけるが、組踊では、太鼓が担当している。
   
   立方と呼ばれる演者のせりふの発唱を、唱えと言うようで、その唱えには、役柄や性別などによって独特な旋律と抑揚があるようだが、大変音楽的で心地よい響きが、エキゾチックで良いのだが、沖縄の古語を使っているとかで、殆ど分からないのがもどかしいので、時々、目を転じて字幕を読んでいる。
   立方の動きは、非常に能の舞に近くて、削ぎに剃ってシンプルに昇華されているのだが、時には、非常にリアルに表現されることもあって面白い。
   今回も、若松が、立って去ろうとするのを宿の女が縋り付こうと肩に手を掛けると激しく拒絶して傘を投げ出して、怒りと恐怖に慄いて、ぶるぶる身体を震わせて逃げて行く。

   中城若松の東江勇吉は、正に美少年で、その若松に、宿の女、言うならば、清姫にあたる宿の女の人間国宝の宮城能鳳が、恋心を滾らせて激しく迫ると言う構図が、非常に面白くて見どころであった。

   若松を追いかけて寺に駆け込んできた宿の女が、若松の去った釣鐘に入り込んで、鬼女に変身して、吊り下げられた釣鐘から、般若の面を掛けた形相で、逆釣り状態で、顔を突き出して座主(島袋光晴)や小僧を威嚇するのだが、ここのアクロバティックな演技は、人間国宝から若い佐辺良和に代わっている。
   鐘に逃げ込んだ若松を守るために、女が近寄るのを見張れと言われた小僧たちが、女の寺入りを許すなど、コミカルタッチの演技は、一服の清涼剤なのだが、何となく、日本の安珍清姫や「道成寺」などの舞台ほど、鬼気迫る雰囲気がないのは、沖縄の優しさであろうか。

   この組踊「執心鐘入」の前に演じられた琉球舞踊だが、あの沖縄の独特な何となく懐かしくて郷愁を誘う音楽に乗って、実に優雅に舞い踊り、観ていてその優雅さ美しさに感動する。
   私には、古典的な舞踊などは、殆ど動きをセーブした舞い踊りなので、組踊の立方の演技と殆ど同じような感じがしている。
   女舞や、雑踊の「花風」など、舞姿は、殆ど象徴的でさえあり、能舞台を観ているようである。
   尤も、雑踊「谷茶前」などのように男女が調子よくリズミカルに踊る踊りもあれば、美女と醜女が登場してコミカルに交歓すると言った踊りもあって、色々なのであろうが、殆ど動きのない女性の演者の踊りは、本当に優雅で美しいと思っている。
   これまでの琉球舞踊の舞台では、男性舞踊家が、女役も踊っていたのだが、今回は、女性舞踏家が沢山登場して、綺麗な姿を見せてくれたので、私としては、満足であった。
   美しい若い踊り手の踊りも楽しいが、盛装した琴と三線、笛の楽を従えて、金屏風を背にして、「歌声の響」を優雅に踊った志田房子が、「与那国旅情」では、金城美枝子と共に、醜女を、面白可笑しく踊っていて、ベテランの芸の冴えと何とも言えない福与かな味を出していて興味深かった。
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国立劇場・・・文楽「平家女護島」

2017年02月21日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   「平家女護島」は、近松門左衛門作の人形浄瑠璃なのだが、歌舞伎でも文楽でも、第二段の「鬼界が島」、もしくは「足摺」の段のみが、突出していて、殆どこの「俊寛」の舞台しか鑑賞の機会がないのだが、今回の文楽では、その前の「六波羅の段」や、その後の「舟路の道行きより敷名の浦の段」が上演されていて、違った俊寛の世界が見えて面白い。

  「六波羅の段」では、俊寛の妻あずまやが、清盛の執心に耐えかねて自害すると言うストーリーで、
  「敷名の浦の段」では、備後の敷名に赦免船が到着すると、丁度、厳島に参詣の途中の清盛に遭遇するのだが、平家追討の院宣を出されてはかなわないと、同道した後白河法皇を海中に突き落とすのを、俊寛の身代わりに船に乗って都へ向かう成経の妻千鳥が助けたので、清盛は熊手で千鳥を引き上げて頭を踏み砕く。俊寛を迎えに来ていた有王が、清盛の軍平を蹴散らして、千鳥から法皇を受け取って逃げ去る。千鳥の死骸から怨念の業火が上がって清盛の頭上にとりつくので、恐れをなした清盛は都へ逃げ帰る。

   この文楽も、近松門左衛門の浄瑠璃から、かなり脚色もされているようだが、それはともかく、「平家物語」や、それを基にした能などと、筋が大きく変わっているのが興味深い。
 
   大きく違っているのは、あずまやと有王の描き方で、「平家物語」では、
   あづまやは、命を懸けて操を守り抜いたのではなく、鞍馬の奥に移り住み、鬼界が島に連れて行けと俊寛に纏わりついた幼女を亡くして悲嘆にくれて亡くなっており、
   「有王島下り」の章で、俊寛が可愛がっていた侍童・有王が、鬼界が島を訪れて、俊寛にこの話をすると、妻子にもう一度会いたいばっかりに生きながらえて来たのだが、たどたどしい文を書いてよこした12歳の娘を一人残すのは不憫だけれど、これ以上苦労をかけるのも身勝手であろうと、俊寛は、絶食して弥陀の名号を唱えながら息を引き取る。
   有王は、俊寛の遺骨を抱いて京に帰り、高野山に上って高野聖になって遺骨を首にかけ俊寛の菩提を弔い、
   この娘も、法華寺にて仏門に入って俊寛の菩提を弔うのである。
   この段の最後は、”か様に人の思ひ嘆きのつもりぬる平家のすゑこそおそろしけれ。”
   「足摺」の俊寛の哀れさも、筆舌に尽くし難いが、この段の諸行無常も格別で、私は、あの「俊寛」の舞台も素晴らしいのだが、この段の平家物語の語りに涙を催した。

   さて、もちろん、平家物語でも、妻への思いのみが俊寛の生きがいであったことを語っており、近松門左衛門の浄瑠璃をベースにした文楽や歌舞伎では、妻あづまやが清盛に殺されてこの世に居ないと使いの瀬尾太郎兼康に憎憎しく毒づかれ、一挙に、千鳥乗船の決意が固まり瀬尾を殺して罪人となって、鬼界が島に残る。
   千鳥は、この俊寛の都に残した妻への限りなき愛を思っての近松の創作であろうし、この千鳥のロマンが欠落して居れば、この「足摺の段」は、単なる清盛の気まぐれで、俊寛が置いてけぼりを食った悲劇だけで終わってしまう。
   尤も、能「俊寛」は、平家物語通り、それだけで、終わっていて、名曲になっているのだから、それで、良いのかも知れないのだが。

   蛇足ながら、菊池寛の「俊寛」では、鰤を獲っているのをじっと眺めていた土人の長の娘と恋に落ち、結婚して5人も子供をもうけて幸せに暮らしていて、
   訪ねてきた有王が、俊寛が、南蛮の女と契るなど嘆かわしい、平家に対する謀反の第一番であるから、鎌倉が疎かには思う筈はないので帰ろうと説得するのだが、人には死んだと言ってくれと言って島に残る。

   芥川龍之介の「俊寛」は、鬼界が島を訪ねてきた有王が語るストーリーになっていて興味深い。
   ただ、一点だけを記しておくと、最愛の妻であった筈のあずまやについて、
   「有王。おれはこの島に渡って以来、何が嬉しかったか知っているか? それはあのやかましい女房のやつに、毎日小言を云われずとも、暮されるようになった事じゃよ。」

   駄文ばかりを書き綴ってしまったが、この文楽を観る最大の楽しみは、「鬼界が島の段」だけだったが、簑助の遣う蜑千鳥の凄さ素晴らしさであり、これだけ観るだけでも、国立小劇場に足を運ぶべきであったであろう。
   録画されているのであろうが、これだけは、実際の、悲嘆に暮れて非情さに慟哭してのたうつ人形の哀れ極まりない、しかし、実に美しい姿を、目に焼き付けない限り、その凄さを鑑賞できないと思う。
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国立劇場・・・文楽「冥途の飛脚」

2017年02月16日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   近松門左衛門の男女の悲劇を描いた作品だが、この「冥途の飛脚}は、「曽根崎心中」や「心中天の網島」のように、男女の心中、すなわち、情死で終わらずに、公金横領の咎で、逃亡を企てて、捕縛されて幕が降りる。
   面目を潰されたと息巻いた飛脚問屋亀屋の養子忠兵衛が、御法度の封印を切って追い詰められ、その金で恋仲の新町の遊女梅川を身請けして忠兵衛の在所新口村を目指して逃亡するすると言う話なので、いわば、心中する必然性はない。
   一説によると、梅川は、苦界から抜け出すために、忠兵衛を唆して横領させたしたたかな悪女だとも言われていて、忠兵衛は、千日刑場で死罪となったが、梅川は、入牢するも無罪放免となって新町に帰って大繁盛したと言うから面白い。

   興味深いのは、近松門左衛門は、この「冥途の飛脚」では、大谷晃一教授によると、梅川を、姿も心も、この上ない美しくて優しい遊女として描いたために、観客は彼女の哀れさに涙で袖を絞り、大当たりしたと言う。
   もう一つ興味深いのは、歌舞伎では、忠兵衛を煽りに煽って封印を切らせた張本人である八右衛門を悪人として描いているのだが、近松門左衛門は、むしろ、善人として描いており、その説得や梅川の窘めにも耳を貸さずに、激高した忠兵衛が、暴走して封印を切ると言う話になっている。
   梅川の玉三郎との舞台で、短気で見栄っ張りのがしんたれの優男の忠兵衛を演じた仁左衛門が、八右衛門になって登場すると、悪口雑言の限りを尽くして、藤十郎の忠兵衛を煽りに煽って、切羽詰って封印を切らせ、去り際に、こっそり封印の紙を拾って、公金横領を訴えると言う徹底的な悪役を演じて、憎々さも秀逸なのだが、何故か、冴えた大阪弁の啖呵が、心地よく響くのであるから面白い。

   一方、近松の浄瑠璃でも文楽でも、この新町越後屋の場で、八右衛門が、忠兵衛のことを思って郭に寄せ付けないようにと諭す意味で善意で忠兵衛の金の不如意の話をしているのだが、その内容が、このままでは泥棒してさらし首となると言った極端な話をするので、門口で立ち聞きしていた忠兵衛が誤解して堪忍袋の緒を切って部屋に飛び込み、八右衛門も梅川も、忠兵衛の懐の金は公金であろうと思っているので、必死になって手を付けるなと説得するのだが、短気で見栄っ張りの忠兵衛は、この金は大和から養子に来る時の持参金で他所に預けていたのを見受けのために取り戻した金だと言って、激情を抑え切れずに男の意地を押し通して、とうとう封印を切ってしまう。
   忠兵衛は、梅川の身請けの残金、借金、そのほかの祝儀などに使い切り、今晩のうちに、梅川が廓を出るようにしてくれと急き立てるのだが、梅川は、一生の晴れのこと、傍輩衆への別れもちゃんと済ませてとはしゃぐと、忠兵衛はわっと泣き出し「かわいそうに、何も知らぬか、今の小判は堂島のお屋敷の急の金じゃ。・・・
   舞台は、一気に暗転。
   「ふたりで死ねば本望。生きられるだけ生き、この世で添えるだけ添おう。」と、まろびつ転びつ、手に手を取って、逃げて行く。

   今回の舞台でも、文楽ではいつもそうだが、浄瑠璃の下之巻のうち、「道行相合駕籠」で終わっていて、歌舞伎「恋飛脚大和往来」ではよく演じられる「新口村の段」は、上演されない。
   その方が、余韻を残して良いのかも知れないが、芝居としては、「新口村の段」だけでも、独立した味のある舞台となるほどの名場面なので、ないとなると、物足りない感じがする。
   梅川と忠兵衛は、忠兵衛の故郷新口村まで落ち延びて来て、父親孫右衛門に涙の再開をして、逃げる途中に捕縛されて引かれて行くのである。
   通りかかった孫右衛門が下駄の鼻緒を切らして泥田へと転んだので、梅川は、おもわず家から飛び出して助け、事情を察した孫右衛門が、路銀にせよと金を梅川に渡して去って行く悲しい親子の別れが余韻を引く。
   歌舞伎でも、この舞台は涙を誘う。

   私など、専攻が経済学なので、商都大坂の飛脚問屋、書状と貨幣を預って輸送して商売と金融の重要な役割を果たしていた通信金融システムに興味が行く。
   18世紀に、世界に先駆けて、大坂の堂島で、米相場から近代的な商品先物取引が始まったと言う大坂であるから、当然のことだが、その信用システムの一寸した歪と言うか蹉跌が、芝居のサブテーマになっていて、面白いと思ったのである。
   芝居でも絵画でもそうだが、その時代の政治経済社会の有様が、非常にビビッドに表れていることがあって、そんな側面からの、脱線した鑑賞も味があって良い。

   今回の舞台は、玉男の忠兵衛と清十郎の梅川であったが、私が一番最初に観たのは、もう15年以上も前だが、初代玉男の忠兵衛、簑助の梅川、文吾の八右衛門であった。
   その後、もう一度、玉男と簑助の舞台を観たが、この時は、玉男の最晩年でもあり、「道行相合かご」の忠兵衛は、勘十郎に代わっていた。
   この時、「淡路町の段」で、忠兵衛が、堂島の蔵屋敷に300両を持って届けるべく、梅川のいる新町に引かれて、西横堀で、行こうか戻ろうかと逡巡するシーンで、玉男の忠兵衛が、三味線の軽快なリズムに乗って、ステップを踏んでいたのを、思い出す。
   その後は、二代目玉男の徳兵衛と紋壽の梅川であった。

   良く分からないが、二代目玉男も清十郎も、実に感動的な舞台を見せて魅せてくれたが、初代玉男と簑助の、どこか心の底から湧き上がってくるような連綿とした味と言うか感動のうねりが、懐かしいと思って観ていた。 
   
   
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国立劇場・・・文楽「曽根崎心中」

2017年02月12日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   今月の国立小劇場の文楽は、オール近松門左衛門プログラムで、第2部の「曽根崎心中」のチケットは、早々にソールドアウトで、全日、満員御礼である。
   ところが、東京では、女性ファンの何人かに、心中ものは好きではないとか、じゃらじゃらした芝居は嫌いだとか、この「曽根崎心中」にネガティブな感想を聞いたことがあり、意外な感じがしている。
   私の場合は、近松ファンであるから、心中ものであろうと何であろうと、何の抵抗もないし、近松の描くがしんたれの男や気の強いしっかりとした女などは、元関西人の私の周りにはいくらでも居たし、全く、異質感のない世界なので、好きだとか嫌いだとか言った意識はなく、近松ものとして鑑賞している。

   もう、この「曽根崎心中」は、文楽でも歌舞伎でも、何回、見ているであろうか。
   しかし、歌舞伎では、藤十郎がお初を、文楽では、初代玉男が徳兵衛を、夫々、1000回以上も演じていて、これらが決定版であり、後にも先にも、これを凌駕する舞台は現れていないと言う。
   私は、26年前にロンドンで、玉男の徳兵衛に文雀のお初で、「曽根崎心中」を観て、一気に、文楽ファンンになった記念すべき重要な演目でもあり、元々、近松門左衛門を読んでいたので、その後、意識して、劇場に通って、鑑賞を続けている。
   その後、玉男の徳兵衛と簑助のお初と言う最高の舞台を観る機会が何回か続いて、玉男の逝去後は、勘十郎が徳兵衛を遣う舞台や、二代目玉男の徳兵衛で、勘十郎や清十郎のお初を遣う舞台を観ているのだが、今回は、当代玉男が徳兵衛を、勘十郎がお初を遣っているので、玉男簑助の一番弟子への芸の継承と言うことであろう。

   さて、今回は、まず、この文楽のラストシーンについて、考えてみたい。
   この文楽の床本は、近松の原作浄瑠璃とは、いくらか改変されていて、今回の舞台では、心中への道行きを扱った「天神森の段」では、省略されたり、詞章が、変更されていて、その異同が興味深い。

   その床本の前に、問題のラストシーンだが、
   今回の舞台では、歌舞伎の舞台と同じように、手を合わせて祈るように徳兵衛を見上げる後ろぶりのお初の喉元に、徳兵衛が、刃を近づけるところで幕となった。
   しかし、ロンドンで観た時は勿論、その後日本でも、簑助のお初が、玉男の徳兵衛の脇差に突かれて大きく仰け反り、徳兵衛も、しっかりとお初を抱え込んで、自分の喉笛を切って、お初を抱きしめるように重なって頽れると言うリアルな断末魔の表現が普通であった。
   原文では、”いとし、かはいと締めて寝し、肌に刃があてられうかと、眼も暗み、手も震ひ、弱る心を引き直し、取り直してもなほ震ひ、突くとはすれど、切っ先はあなたへはづれ、こなたえそれ”と、徳兵衛の狼狽ぶり、その後のお初の断末魔の四苦八苦を語り、遅れじと、”剃刀取って喉に突き立て、柄も折れよ、刃も砕けと抉り”と、徳兵衛の最期の描写の凄まじさ。
   住大夫の話だと、「心中の場のラストは、玉男はんと簑助君の相談で演出が変わります」と言うことらしいのだが、玉男が、「はよ 殺して、殺して」と言われても、好きな女に刃を向けるなど正気の沙汰ではなく、最後のシーンでは、徳兵衛の顏を背けるのだと言っていたのだが、いずれにしろ、近松の浄瑠璃本に近い演出であったと言えよう。
   私は、外国の鑑賞者が言うように、浄瑠璃本に沿った演出の方が良いと思っている。

   近松浄瑠璃のラストは、”誰が告ぐるとは、曾根崎の森の下風音に聞え、とり伝へ、貴賤群集の回向の種、未来成仏、疑ひなき、恋の手本となりにけり。”となっていて、先に曾根崎のお初天神訪問記に書いたように、現地では、浄瑠璃を受けて、お初徳兵衛の恋の手本のような印象になって、恋人の聖地のようになっているのが面白い。
   余談ながら、文楽の床本のラストは、”南無阿弥陀仏を迎へにて、あはれこの世の暇乞ひ。長き夢路を曾根崎の、森の雫と散るにけり”となっていて、精神性と言うか、近松の思い入れは消えている。

   もう一つ、死に直面して、お初と徳兵衛が、述懐するシーンがあるのだが、床本では、お初の表現は殆どそのまま踏襲されているのだが、徳兵衛の今生の分かれに際しての詞が、ヒューマンタッチと言うか、物語性を帯びているのが興味深いのである。
   浄瑠璃では、親に対して、”冥途にまします父母には、おっつけお目にかかるべし。迎へ給へと泣きければ・・・”となっているのだが、文楽の床本では、”笑はば笑へ口さがを、何憎まうぞと悔やまうぞ、人には知らじ我が心望みの通り、そなたと共に一緒に死ぬるこの嬉しさ。冥途にござる父母にそなたを逢わせ嫁姑、必ず添ふと抱き締むれば、・・・”と脚色されていて、徳兵衛の心意気をサポートしていて面白い。

   この「天神森の段」は、原文は結構長いのだが、床本ではシンプルに短縮化して、実際の文楽の舞台では、義太夫語りと三味線を非常に有効に活用して、お初徳兵衛の、色彩感覚を研ぎ澄まして昇華した非常に美しい道行きシーンを紡ぎだして、感動的な見せて魅せる舞台にしていて、非常に内容の濃い舞台になっていて、素晴らしいと思う。

   ところで、小野幸恵さんの本を読んでいると、初代玉男が、二代目に、「徳兵衛は、かわいいねん」と、教えたと言う。
   近松の二枚目は、仕事でも色事でも、男として成熟した男が多いのだが、徳兵衛は、丁稚から手代になって間もなく、子供っぽさを残していて、それは、若者らしい一途になっている。
   叔父である平野屋の主人のおかみさんの姪と娶わせて江戸の店を任せようと言う、いうなれば、出世話を、お初への恋ゆえに、棒に振ったとも言えなくはない。
   尤も、頭の上がらない嫁取りなので徳兵衛の意に沿わないと言うこともあろうが、とにかく、お初が、人生の総てであると言う天然記念物のような純愛で、真面目で仕事一途の若者であるから、他には何も見えていないし、売り物買い物である筈のお初も、これに輪をかけたような徳兵衛への愛情の持ち主である。
   苦界から逃れえる筈のないお初と、身請けなど夢の夢の手代の徳兵衛との恋であるから、行く先は目に見えており、愛を全うするためには、心中以外に道はなく、惰性で逢瀬を重ねているだけである。

   徳兵衛のお初への恋心は、直角の愛、初恋であろうし、穿って考えれば、徳兵衛にとっては初めての相手であったかもしれないのだが、その徳兵衛を、二代目玉男は、師匠が遣ったように、かわいらしい、そして格好のいい徳兵衛が遣えるようになりたいと思っていますと言っている。

   ところで、お初が、何故、島原から、最も身分の低い堂島新地へ格下げになって移って来たのかと言うことだが、フィクションとしても、角田光代は、ブックレビューした「曽根崎心中」で、島原で天神の青柳の禿をしていた時に、青柳が囲炉裏の鍔薬缶を取ろうとして手を滑らせて熱い薬缶がそばで正座していたお初の腿に落ちて股に大火傷を負って疵物になったからで、この焼け爛れた傷口を客に見せないように必死にカバーするも、徳兵衛には、そのままを見せて、お初の愛情の証としている。としていて面白い。
   花魁の地位をお初に取られるのを嫌って、青柳がワザとしたと同輩がコメントしていたと言うから、お初は、元から、かなりの美人で魅力的な遊女だったのであろう。
   徳兵衛が、一途に思いつめるのも当然だと、解釈しておくと話も分かり易いかもしれないと、勝手に思っている。

  さて、太夫と三味線だが、「天満屋の段」は、咲太夫と燕三、「生玉社前の段」は、文字久太夫と宗助、「天神森の段」は、津駒太夫、咲甫太夫、芳穂太夫、亘太夫と、寛治、清志郎、寛太郎、清公
  咲太夫と燕三の天満屋の段は、圧巻であり、縁側に腰を掛けたお初と、縁の下に忍び込んだ徳兵衛との切なくも万感の思いを込めて心情を吐露し交感する足の会話を、躍動させて感動的であった。

  人形だが、玉男の徳兵衛、勘十郎のお初、玉輝の九平次。
  現在考ええる最高の布陣であり、素晴らしい舞台であった。

  
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