「増補忠臣蔵 本蔵下屋敷の段」は、明治に入ってからの浄瑠璃で、一幕もので短いものではあるが、正に増補で、名舞台である九段目の「山科閑居」のストーリーを補完して余りあるほどよく分かって面白い。
高師直に賄賂を与えて主君若狭之助の命を救った本蔵は、そのとばっちりを受けて刃傷に及んだ塩冶判官を、殿中で背後から抱きかかえて制止したので、いわば、若狭之助を諂い大名にし、塩谷家や大星にとっては、本懐を邪魔した憎き張本人。
塩冶判官の本懐を遂げるべく仇討に向かう大星由良之助の息子大星力弥と本蔵の息女小浪とは許嫁関係にあり、破談を回避して娘の願いを叶えるために、本蔵は、力弥に討たれるべく山科の大星邸に向かう、その前日の若狭之助との感動的な別れの一幕である。
若狭之助は、本蔵の忠義に感謝し、娘可愛さに力弥に討たれるべく死地に赴く本蔵の本心を悟って、本蔵に暇を与えて、山科の大星家に向かうために、虚無僧衣装など旅支度を準備してやり、更に、高師直邸の絵図面を与えるのである。
今回も国立劇場のHPを借用するが、この写真は、若狭之助に見送られて本蔵が旅立つラストシーンである。
前半には、悪臣・井浪伴左衛門が、主君の殺害を目論んで茶釜に毒を仕込んだり、塩冶判官の弟縫之助の許嫁である若狭之助の妹三千歳姫を拉致しようとするのを、本蔵が救うシーンが描かれているのだが、蛇足とは言わないまでも、本筋とは関係ない。しかし、三千歳姫が縫之助への思いを吐露したり、本蔵を送るために、暇乞いの琴を奏すると、若狭之助の命で、本蔵も尺八で唱和して別れを惜しむ、抒情的なしっとりとした雰囲気が実に良い。
文楽で記憶のある「増補忠臣蔵」の舞台を観たのは、七世竹本住大夫引退公演の時で、若狭之助を遣ったのは、今は亡き文壽で、その前も文壽であり、それ以前は、初代玉男が遣っていたのだが、毎回間違いなしに、文楽劇場に通っているので、これらの舞台も観ている筈だが、記憶はない。
今回、若狭之助を遣ったのは、襲名間もない玉助で、非常に風格のある端正な殿様然とした重厚な人形で、流石の見せる舞台であった。
加古川本蔵は玉志、井浪半左衛門は玉佳、三千歳は一輔であった。
凄かったのは、浄瑠璃で、前 呂太夫と團七、切 咲太夫と燕三、琴燕二郎、
今回の3演目の内、義太夫と三味線は、この「増補忠臣蔵」に極まった感じの熱演であった。
歌舞伎では、人形浄瑠璃で上演されていたのを、明治30年12月京都南座で、初代中村鴈治郎が若狭之助を勤めて好評を博し、その後、二代目、三代目の中村鴈治郎に引き継がれ、東京の大劇場では65年ぶりの上演だと言う当代四代目の中村鴈治郎が初役で若狭之助を勤めた今年3月の舞台を、この国立劇場の大劇場で観たのだが、素晴らしい舞台であった。
高師直に賄賂を与えて主君若狭之助の命を救った本蔵は、そのとばっちりを受けて刃傷に及んだ塩冶判官を、殿中で背後から抱きかかえて制止したので、いわば、若狭之助を諂い大名にし、塩谷家や大星にとっては、本懐を邪魔した憎き張本人。
塩冶判官の本懐を遂げるべく仇討に向かう大星由良之助の息子大星力弥と本蔵の息女小浪とは許嫁関係にあり、破談を回避して娘の願いを叶えるために、本蔵は、力弥に討たれるべく山科の大星邸に向かう、その前日の若狭之助との感動的な別れの一幕である。
若狭之助は、本蔵の忠義に感謝し、娘可愛さに力弥に討たれるべく死地に赴く本蔵の本心を悟って、本蔵に暇を与えて、山科の大星家に向かうために、虚無僧衣装など旅支度を準備してやり、更に、高師直邸の絵図面を与えるのである。
今回も国立劇場のHPを借用するが、この写真は、若狭之助に見送られて本蔵が旅立つラストシーンである。
前半には、悪臣・井浪伴左衛門が、主君の殺害を目論んで茶釜に毒を仕込んだり、塩冶判官の弟縫之助の許嫁である若狭之助の妹三千歳姫を拉致しようとするのを、本蔵が救うシーンが描かれているのだが、蛇足とは言わないまでも、本筋とは関係ない。しかし、三千歳姫が縫之助への思いを吐露したり、本蔵を送るために、暇乞いの琴を奏すると、若狭之助の命で、本蔵も尺八で唱和して別れを惜しむ、抒情的なしっとりとした雰囲気が実に良い。
文楽で記憶のある「増補忠臣蔵」の舞台を観たのは、七世竹本住大夫引退公演の時で、若狭之助を遣ったのは、今は亡き文壽で、その前も文壽であり、それ以前は、初代玉男が遣っていたのだが、毎回間違いなしに、文楽劇場に通っているので、これらの舞台も観ている筈だが、記憶はない。
今回、若狭之助を遣ったのは、襲名間もない玉助で、非常に風格のある端正な殿様然とした重厚な人形で、流石の見せる舞台であった。
加古川本蔵は玉志、井浪半左衛門は玉佳、三千歳は一輔であった。
凄かったのは、浄瑠璃で、前 呂太夫と團七、切 咲太夫と燕三、琴燕二郎、
今回の3演目の内、義太夫と三味線は、この「増補忠臣蔵」に極まった感じの熱演であった。
歌舞伎では、人形浄瑠璃で上演されていたのを、明治30年12月京都南座で、初代中村鴈治郎が若狭之助を勤めて好評を博し、その後、二代目、三代目の中村鴈治郎に引き継がれ、東京の大劇場では65年ぶりの上演だと言う当代四代目の中村鴈治郎が初役で若狭之助を勤めた今年3月の舞台を、この国立劇場の大劇場で観たのだが、素晴らしい舞台であった。