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熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

国立劇場七月歌舞伎・・・「義経千本桜」

2015年07月25日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   今回の国立劇場の親子で楽しむとか社会人のためのと銘打った「歌舞伎鑑賞教室」の「義経千本桜」は、本来なら普及版のプログラムで簡易バージョンなのだが、今回は、恐らく特別な舞台なのであろう。
   「渡海屋の場」と「大物の浦の場」を、通しで、2時間弱で一気に演じ切る吉右衛門の監修で、娘婿の音羽屋の御曹司菊之助が、初役で銀平&知盛を演じると言うのであるから、話題性は抜群である。

   女形として華麗で水も滴る好い女を演じ続けている菊之助が、立役でも最も豪快な知盛を演じて、大碇を背負って断崖から海に真っ逆さまに入水すると言う大技を見せると言うのであるから、話題にならない筈がない。
   それに、相手役の女房&典侍の局を、めきめき実力をつけて上り調子のの梅枝が演じており、弁慶の團蔵が病休で、市川菊一郎に代わったので、役者の総てが若手と言う、実にエネルギッシュな溌剌とした舞台で、非常に、興味深い舞台を見せてくれた。

   ところで、「義経千本桜」は、「仮名手本忠臣蔵」や「菅原伝授手習鑑」と同じ手法で、夫々の主題を取り込みながら豊かな発想を駆使して浄瑠璃に仕立てた芝居になっているように、義経の逸話を鏤めたストーリー展開に更に創作性に独特の工夫を加えて、非常に面白い作品に仕立て上げている。
   しかし、長い浄瑠璃の一部分ではあるのだが、今回演じられた「渡海屋の場」と「大物の浦の場」は、紛れもなく、能「船弁慶」からの本歌取り作品である。
   私には、あの能「安宅」が、歌舞伎「勧進帳」に、狂言「花子」が歌舞伎「身替座禅」に素晴らしい作品として生まれ変わったように、そのアウフヘーベンぶりに興味があった。

   能は、世阿弥の伝承によって、出来るだけ平家物語に忠実にと言うことになっているのだが、
   平家物語では、都落ちした義経一行が、この能の舞台となる大物の浦に至るシーンを、次のように、ほんの数行で描写しているだけである。
   「・・・その日、摂津の国大物の浦にぞ吹き寄せらる。 それより船に乗り、押し出だす。平家の怨霊強かりけん、にわかに西風はげしく吹きて、・・・」
   この部分を脚色して、嵐を知盛の亡霊に仕立てて「船弁慶」を作曲しているのだが、夢幻能など、あの世の世界を甦らせる能の手法としては、当然の成り行きであろうか。

   ところが、歌舞伎では、その能「船弁慶」の後半を、実は、知盛は、安徳帝の入水を見届けてから、最早これまで、「見るべきものは見はてつ」と言って豪快に飛び込み壇ノ浦の藻屑と消えたと言うストーリーを、生き残って、安徳帝を擁して逃げ延びて、この大物の浦に移り住んで、捲土重来再起を期していたと言うことに変えて、義経との対決の場を設定したのである。
   壇ノ浦の最後では、鎧を二領着けて家長と手を取り組んで入水したのだが、一説には、囚われの身となる辱めを受けぬために碇を巻き付けて入水したと言われており、この逸話を踏襲して、文楽や歌舞伎の舞台の大詰めでの最もポピュラーな見せ場、太い縄を体に巻き付けて大碇を背負って海に身を投げる豪快な「碇知盛」が成立したのであろう。
   渡海屋銀平実は平知盛 と言う設定で、知盛に壇ノ浦の入水の再現を実現させたその着想が非常に面白いのだが、○○実は××と言う人物設定で、もどりが歌舞伎の芝居効果を高めている常套手段であるから、能のように亡霊ではなくて、生きてカクカク変身してこのような人物であったと再登場させるのも、不思議ではないと言うことであろう。
   尤も、この歌舞伎でも、
   能「船弁慶」の詞章の、後シテ「そもそもこれは。桓武天皇九代の後胤。平の知盛。幽霊なり。あら珍しやいかに義経。・・・
   と言う部分を踏襲してか、知盛を、幽霊の白装束を模した武装姿で登場させ、最後の碇知盛でも、義経に、襲ったのは知盛の亡霊であったと人に伝えてくれと言っているところなど、大変興味深いところである。

   歌舞伎なので、史実らしいストーリーとはあっちこっち違っていて、例えば、歌舞伎では静と伏見稲荷で別れることになっているのだが、実際には、静は吉野まで連れて行って、その後京への道で捕われている。
   また、頼朝に追われて義経が九州に向かって都落ちした時には300騎だけで、大物の浦に向かったと言うことであるから、確かに、船出して途中暴風のために難破し摂津に押し戻されたと言うことながら、知盛と海戦を行う能力などは全くなく、まして、威儀正しく盛装して安徳帝を助けて、守護して行くなどと言ったストーリー展開など無理な話である。
   いずれにしろ、平家の名将知盛への追悼、そして、義経への判官贔屓をテーマにして、観客サービスに徹した歌舞伎作家の力量なのであろうが、安徳帝が実は姫宮でその偽っての帝位が天照大神の罰を受けて平家の滅亡を招いたと言う奇想天外な発想も面白いが、手負い獅子状態の知盛が、安徳帝の安堵を確かめて「昨日の敵は今日の味方」と言ったような調子の安直な結末なども、やはり、芝居だからであろうか。

   それに、この歌舞伎では、冒頭、知盛の家来である相模五郎(坂東亀三郎)と入江丹蔵(市川右近)が、追っ手を装って寸劇を演じて逗留中の義経一行を安心させるシーンや、この歌舞伎では省略されていたが、弁慶が、寝ている子供お安(安徳帝)を跨ごうとしたら足がしびれてタダ者でないことが分かるなど、知盛も義経も、相手の素性をすでに知っていての舞台展開で、海戦の結末も暗示されているのである。
   上手く出来た芝居は、注意して見ておれば、ストーリー展開が手に取るように良く分かるようだが、機転が利かず空気の読めない私などは、解説を読んでも何回観ても分からないので、苦労している。

   さて、実際の歌舞伎の舞台だが、何回観ても記憶が曖昧なのだが、この歌舞伎では、知盛が豪快に仰け反って入水した後で、退場する義経がすっぽんで安徳帝を家来から受け取って、自ら抱えて花道に消えて行き、最後に、弁慶が一人で、勧進帳のように花道を去って行った。
   典侍の局が、安徳帝を頂いて入水しようとするシーンの様子や舞台装置など、それに、義経の登場も幕で舞台展開を図るなど、従来、歌舞伎座で見慣れている演出とは、少し、変化していたように思う。

   この舞台で、最大の収穫は、菊之助が、知盛と言う典型的な立役を、それも、剛直な碇知盛を演じて、華麗な女形からのイメージチェンジとも言うべき新境地に挑戦して、見事に素晴らしい成果を上げたと言うことであろう。
   台詞回しも本格的な立役で、実父菊五郎の艶と色香、颯爽として端正な人情味豊かな芸風に加えて、豪快で風格豊かな格調高い岳父吉右衛門の薫陶を受けての新境地の舞台で、これからの成長が如何ばかりかと思うと末恐ろしい、そんな期待を抱かせてくれる。

   実父時蔵の芸風を受けての梅枝の銀平女房と典侍の局も、実に良い。
   女房としてのしっとりとした演技から急転直下、風格と威厳、それに、運命の悲哀を身に背負っての哀惜極まりない自害への伏線など、菊之助をサポートしての爽やかな舞台が感動的であった。
   弟の萬太郎が、歌舞伎のみかたの解説で、達者な語り部を上手くこなしていたが、本舞台での、義経も、中々、堂に入った演技をしていた。

   相模五郎の亀三郎の性格俳優ぶりのコミカルな演技や魚尽くしの台詞回しなども秀逸で、何時も、綺麗な女形で存在感を増している市川右近が、今回は、入江丹蔵と言う若侍姿で、素晴らしい面構えで颯爽とした演技を見せてくれて面白かった。

   最近、歌舞伎界の大御所が、どんどん、逝ってしまって大きな穴が空いていたが、幸いなことに、若い有能な役者たちの成長と努力で、新鮮味豊かで魅力的な舞台が、立て続けに表れて来ているようで、嬉しい限りである。

   
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七月大歌舞伎・・・通し狂言「牡丹燈籠」

2015年07月14日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   圓朝の怪談噺「牡丹燈籠」の歌舞伎バージョンである。
   脚本の大西信行は、寄席・新宿末廣亭にも通い詰めた、大岡越前、水戸黄門などの作品のある時代劇脚本家だと言うことで、実に面白い作品になっている。
   元々、文学座の舞台脚本として書かれた作品を、玉三郎の演出で歌舞伎の舞台で演じられているので、新歌舞伎と言う位置づけであろうか。
   玉三郎の相手役を、前回は仁左衛門が演じていたが、今回は中車に代わっていて、むしろ、この方が適役かも知れないと思うほどの名演であった。

   私は、最近、歌舞伎や文楽の作品を、オリジナルの能や狂言、或いは、このような落語や芝居などから、どのように本歌取りして脚色されて、舞台にかけられているのかに、興味を持って観ているので、この怪談牡丹燈籠も、非常に面白かった。

   私だけかも知れないが、この牡丹燈籠と言えば、どうしても、恋焦がれて死んでしまったお露が、幽霊となって、カランコロンと牡丹燈籠を持って、乳母のお米に導かれて新三郎を尋ねて来るシーンやお札はがし、新三郎が髑髏を抱きながら食い殺されてしまうと言った怪談噺のところばかりの印象なのだが、圓朝を読めば、この話は、いわば、肴のつまで、もっとドロドロとした人間の愛憎物語であることが分かって興味深いのである。
   昨年聞いた歌丸の「お札はがし」は、さすがに、味わい深くて楽しませて貰った。

   このお札はがしや、新三郎がお露の髑髏を抱く奇々怪々のラブシーンなど前半の牡丹燈籠の怪談も、下男の伴蔵の仕組んだ悪行を隠すための作り話で、圓朝の冴え切った語り口が、実にリアルで面白い。
   このところは、幽霊に貰った100両を元手にして関口屋を開いて大店の旦那となった伴蔵が、酌婦のお国にゾッコン入れ込むので、頭に来た女房のお峰が、かっての悪事をがなり立てるので、切羽詰って土手に誘って殺してしまう。その後で、藪医者の山本志丈に迫られて、真実を白状すると言う形で明かされている。
   この歌舞伎では、お国に絡む痴話げんかは、仲直りして一緒に寝ようと言うハッピーエンドで終わるのだが、尋ねて来たお六に幽霊が乗り移って新三郎殺しの一件を語り始めるので、錯乱した伴蔵が、お峰を幽霊と誤って刺し殺すと言う結末に替えて、幕を引いている。
   余談だが、伴蔵に肩に手を添えられ口説かれて、その気になって、えも言えないような嬉しそうな顔をして行燈の火を消しに立つ玉三郎お峰の表情・・・、とにかく、悪がき親父に連れ添って苦労する市井の生身の女房を実に鮮やかに熱演する人間国宝の芸の冴えには脱帽である。

   このさわり部分の原文を引用してみると、
   ・・・といわれて伴藏最早隠し遂せる事にもいかず、
伴「実は幽霊に頼まれたと云うのも、萩原様のあゝ云う怪しい姿で死んだというのも、いろ/\訳があって皆わっちが拵らえた事、というのは私が萩原様の肋を蹴て殺して置いて、こっそりと新幡随院の墓場へ忍び、新塚を掘起し、骸骨を取出し、持帰って萩原の床の中へ並べて置き、怪しい死にざまに見せかけて白翁堂の老爺をば一ぺい欺込み、又海音如来の御守もまんまと首尾好よく盗み出し、根津の清水の花壇の中へ埋めて置き、それから己が色々と法螺を吹いて近所の者を怖がらせ、皆あちこちへ引越したをしおにして、己も亦おみねを連れ、百両の金を掴んで此の土地へ引込んで今の身の上、ところが己が他の女に掛り合った所から、嚊かゝアが悋気を起し、以前の悪事をがア/\と呶鳴り立てられ仕方なく、旨く賺して土手下へ連出して、己が手に掛け殺して置いて、追剥に殺されたと空涙で人を騙かし、弔いをも済して仕舞った訳なんだ」

   もう一つは、この圓朝の牡丹燈籠の核となっているのは、お露の父親である旗下飯島平左衞門にまつわるストーリーであること。
   妻亡き後妾のお国が、隣家の旗本の息子・宮邊源次郎と密通して、邪魔になった平左衛門を亡き者にして飯島家の金品を盗んで逃走し、国元へ帰って料理屋の酌婦になり、ここで、関口屋になった伴蔵と巡り合う。
   一方、若い頃平左衛門が誤って殺害した黒川孝藏の息子・孝助が、父の仇と知らず、飯島家の奉公人になり健気に仕えるので平左衛門は、実子のように可愛がって慈しむので、平左衛門が殺害された後、お国と源次郎を仇として追跡し、幼き頃別れた母おりえに、二人の隠れ場所に導かれて、仇を討つ。江戸の人相見の白翁堂勇齋宅で、母子が再会するのだが、お国が、母親の再婚相手の連れ子であったと言う偶然が重なり、母は実子の孝助と継子のお国両人に義理を立てて自害する。
   言うならば、圓朝の噺では、お峰伴蔵物語はサブストーリーなので、お峰よりお国の方が主役であり、この物語は、孝助の敵討話と言うのが、適当かも知れないのである。

   このお国は、生まれながらの性悪女として描かれていて、平左衛門殺害計画を知られて邪魔になった孝助を何度も殺そうと試みたりするのだが、しかし、悪女ながら、実に美人で魅力的な女のようで、そのあたりを、この歌舞伎の舞台では、春猿が、艶やかで色香たっぷりに演じていて、中車の伴蔵を誑し込んで、魅力全開である。

   大西信行の脚本を読んでいないので、はっきりとそうなのかは分からないのだが、この歌舞伎では、主人公が、お札はがしで幽霊に貰った100両で大店を構えた伴蔵とお峰になっていて、面白い芝居になっている。
   海老蔵が、馬子久蔵になって登場して、玉三郎のお峰に小遣いを貰って酒を振舞われて、上手く乗せられて、伴蔵のお国との密会話を、調子に乗ってみんなバラしてしまうと言うストーリーは、圓朝の噺にもそのまま登場していて、一服の清涼剤である。
   このあたりのコミカルタッチの語り口など、流石にリラックスした海老蔵の本領発揮で、それを上手く引き出して、絶妙のコント模様に仕立て上げる玉三郎の力量に恐れ入る。
   前の舞台で、熊谷直実を、目をむき出して熱演した海老蔵の変わり身、その落差の激しさが、芝居の醍醐味であろうか。
   えらいことを喋ってしまったと恐れおののく海老蔵の強張った表情、怒りに燃え上って形相の吊り上った玉三郎の表情の凄さ、これを見に行くだけでも、歌舞伎座に行く甲斐がある。

   この舞台で出色の出来は、玉三郎と中車のお峰伴蔵夫婦。小者のしたたかさ、悲しさ、運命に翻弄されて泳ぐ生身の男女の息遣いまでが聞こえてくる、しみじみとした芝居が印象的である。
   艶やかな女形の舞台姿が目に焼き付いている玉三郎だが、このような軽妙なタッチの世話ものの、現代的な新劇風の芝居も、実に、味わい深くて魅せてくれる。
   中車の伴蔵は、歌舞伎と言うよりも、正に、等身大の演技で、地で演じていて十分なのであろう、のびのびと演じていて、芝居を楽しんでいるような感じがした。

   猿之助の圓朝は、新鮮だが、一寸出のためか、好演ながらも印象が薄い。
   お米の吉弥が、実に、上手くてムード抜群。
   市蔵の藪医者山本志丈の惚けた演技が面白い。
   若い恋人たち、お露の玉朗、新三郎の九團次も、それなりに存在感を示していた。

   圓朝の噺をそのまま、歌舞伎の舞台にすれば、どうなるかだが、
   お峰伴蔵をメインにして換骨奪胎と言うか、面白い芝居に仕立てた大西信行の脚本を、玉三郎が見せる舞台にしたと言うことである。
   牡丹燈籠が、舞台や客席上をひらひら舞うのだが、普通の芝居になっていて、怪談仕立てと言う雰囲気は消えてしまってはいるが、元々、圓朝の噺も、怪談を仕組んだ世話物と言う位置づけであろうから、それで良いのかも知れない。
   
   
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国立劇場六月歌舞伎・・・「壺坂霊験記 」

2015年06月14日 | 観劇・文楽・歌舞伎

   私が、子供の頃には、テレビなど別世界の話で、ラジオを聞いていたのだが、何故か、浪曲の「妻は夫をいたわりつ 夫は妻を慕いつつ・・・」と言う名調子だけは、鮮明に覚えている。
   これが、どうも、今回の歌舞伎「壺坂霊験記 」だと気付いたのは、その後である。

   さて、この「壺坂霊験記 」は、1時間一寸の完結した舞台で、非常に有名な芝居だが、次のようなストーリーで、出演者は、お里(片岡孝太郎)と沢市(坂東亀三郎)の二人で、他には、終幕に、観世音の子役が登場するだけである。
   座頭の沢市は、妻のお里が毎朝早く外出するので、浮気をしているのではないかと疑って問い詰めると、この三年間、沢市の目の全快を願って壷阪寺の観音に願掛けに行っていたのだと答える。邪推を恥じた沢市は、お里と一緒に壷坂観音詣りに出かけるのだが、目の見えない自分がいてはお里を不幸にするばかりだと、お里が家に帰って目を離したすきに、滝壺に身を投げる。戻ってきたお里は、夫の死を知り、絶望して夫のあとを追って身投げする。二人の夫婦愛に感じ入った観音によって、霊験あらたか、奇跡的に二人は生き返り、沢市の目が明く。

   歌舞伎でも以前に観ているが、2008年に、文楽で、素晴らしい「壺坂観音霊験記」を観た。
   沢市内の段では、住大夫と錦糸の義太夫で、お里を簑助が、沢市を勘十郎が遣った。
   「エヽそりゃ胴欲な沢市様。・・・三つ違ひの兄さんと、云ふて暮らしてゐるうちに、・・・」で始まるお里の口説きで有名だが、盲目で疱瘡の為に顔の醜くなった生活力のない沢市が邪推して男でも出来たのではないかと詰問すると、お里が疑われているのが悔しいと涙ながらに、沢市の眼病快癒を願っての壺坂寺への観音参りであることを告白してかき口説く肺腑を抉るようなセリフで、簑助のお里の人形の嗚咽が聞えるようであった。

   この時、私は、次のように書いた。
   妻のお里は、正に天然記念物と言うべき人物。・・・貧しいどん底生活に喘ぎながら、何一つ愚痴をこぼさずに沢市の目を治す為に必死になって毎夜の観音参りで祈り続けた。「・・・貧苦にせまれどなんのその、一旦殿御の沢市様。たとへ火の中水の底、未来までも夫婦ぢゃと、思うばかりか・・・」と言うこれ程健気で心身ともに美しい女性はいるであろうか。
 
   沢市の方は、3年も経ってから、邪推に耐えられなくなって、妻に朝出を詰問すると言う能天気で、目が明いた瞬間、「お前は、どなたじゃへ」と聞き、女房だと言われて、「コレハシタリ初めてお目に掛ります」と言う、お里と比べれば非常にテンションの低い人物として描かれていて、
   「妻は夫をいたわりつ 夫は妻を慕いつつ・・・」と言う平等の夫婦愛とは思えなくて、この物語は、完全に、妻お里の純愛物語なのである。
   明治時代に作られた浄瑠璃で、その後、歌舞伎や講談、浪曲の演目にもなったと言うことで、文楽の床本と歌舞伎の台本との違いか、あるいは、演出の差か、孝太郎は、実に上手く好演していたのだが、何となく、文楽のお里の方が上出来と言うか、先の口説きもそうだが、後段でも、私は次のような印象を記していて、歌舞伎の方が淡白で、印象が随分違う感じがした。
   ”胸騒ぎを覚えて戻ってきたお里が、沢市の死骸を見て動転し、天を仰いで号泣し大地を叩いて地団太を踏んで断末魔の苦悶を訴える。この人形の阿鼻叫喚の嘆きと苦しみを、簔助は、お里の小さな人形に託して演じ切り、その哀切の表情は人形にしか表せない悲嘆の極致である。”

   ベテランで芸達者な孝太郎を相手にして、沢市の亀三郎は、中々の好演である。
   今回の歌舞伎は、「歌舞伎鑑賞教室」の演目で、観客の大半は、高校生や団体で占められていて、通常の歌舞伎の舞台と違っていて、劇場の雰囲気も随分違う。

   冒頭に、「解説 歌舞伎のみかた」があって、今回は、司会は坂東亀寿で、新しい趣向として、女形の化粧から着付け、そして、舞台での演技までのプロセスを、非常に簡潔に、片岡當史弥に実演させて、カメラがそれを追っ駆けてスクリーンに映し出して紹介していたのだが、非常に面白かった。
   代表に選ばれた男女二人の高校生が舞台に上がって、赤姫の基本姿勢を教えられて、着物を羽織って実技を、そして、當史弥の後に従って、舞台から花道を下がって行くまでを演じていたのだが、教育目的のプログラムとしては、上出来であろう。 
   このような歌舞伎鑑賞の機会は、最低限度、首都圏の学生に限られているのだろうが、古典芸能なり日本文化の普及を言うのなら、地方にも、結構、素晴らしい文化会館など会場があるのだから、商業ベースではなく、国家予算で、文科省が、このような移動歌舞伎プログラムを推進すべきであろうと思う。
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六月大歌舞伎・・・「新薄雪物語」

2015年06月10日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   今月の歌舞伎座は、非常に魅力的なプログラムを上演していて、特に、通し狂言の「新薄雪物語」は、出色である。
   人間国宝の中村吉右衛門が、刀鍛冶の団九郎を演じ、同じく人間国宝の菊五郎が、奴妻平と葛城民部を、幸四郎が、幸崎伊賀守を、仁左衛門が、秋月大膳と園部兵衛を演じて、夫々のキャラクターを最高度に生かし切った素晴らしい舞台を魅せてくれて、全編、感動の渦を巻く。
   それに、腰元籬の時蔵、梅の方の魁春、松ヶ枝とおれんの芝雀、腰元呉羽の高麗蔵たち女形に加えて、五郎兵衛正宗の歌六、下男吉介実は来国俊の橋之助、秋月大学の彦三郎などの素晴らしい脇役陣の活躍。
   タイトルロールの薄雪姫は、梅枝、児太郎、米吉の3人が演じており、恋人である園部左衛門を演じる錦之助ともども、実に初々しく魅力全開の舞台を見せている。
   これまでに、この新薄雪物語の舞台を2度くらい見ているのであろうが、断片的にしか記憶が残っておらず、今回は、非常に新鮮な気持ちで楽しませて貰った。

  原作の薄雪物語は、江戸時代初期に刊行された書簡体小説の仮名草子本のようで、インターネットで調べると、次のような話である。
    ”若い侍の園部衛門が人妻の薄雪を見初め、恋文を出す。はじめ拒絶した薄雪も、度重なる恋文に心を動かされて契りを結ぶが、薄雪は男が京を留守にしている間に病死。男は出家して高野山にこもり、26歳で往生する。”

   この仮名草子「薄雪物語」を、文耕堂・三好松洛・小川半平・竹田小出雲が脚色・合作し、寛保元年(1741)大坂竹本座で初演されたと言う。
   幸崎伊賀守の娘薄雪姫と園部兵衛の息子左衛門との恋物語は同じであるが、秋月大膳の陰謀に巻き込まれた若い男女を救うために、両人の父親が命懸けで対する話や、刀鍛冶の秘伝をめぐる父子の葛藤など刀工正宗らの話をからませて、面白い話に仕立て上げられていて良い。

   今回は、通し狂言で、次の4幕が上演された。
   問題は、昼の部と夜の部との2部に分断上演されているので、両方を見なければならないことである。
   春爛漫の清水寺での薄雪姫と左衛門の出会いと、秋月大膳が刀鍛冶の団九郎に命じて、左衛門が奉納した刀に謀反の疑いとなるやすり目を入れさせる陰謀の序章となる「花見」
   六波羅探題の執権葛城民部と大膳の弟秋月大学が、左衛門が奉納した刀に謀反の疑いをかけて幸崎邸へ来訪するのだが、民部は、すべては大膳の陰謀と悟り、左衛門を幸崎家へ、薄雪姫を園部家へ預けて詮議したいというそれぞれの父親たちの申し出を受け入れて、その場を後にする「詮議」
   兵衛は、大膳の陰謀と信じていても証拠がなく、薄雪姫を、館から落ち延びさせる。そこへ幸崎伊賀守からの使者刎川兵蔵が訪ねて来て、左衛門が謀反の件をすべて白状したので、伊賀守がその首を打ったと語り、同罪の薄雪姫の首も打つようにと言上するが、刀の切っ先だけに血がついているのを見て陰腹であることを悟る。伊賀守が首桶を手にしてよろよろと現れ、まもなく兵衛も首桶を携えて現れ、同時に開けた首桶の中は「預かり人を逃がしてしまったことによる切腹の願い状」。両家ともお互いの子供の事を思い、自らが犠牲になって逃がした。すでに園部も伊賀守も陰腹を切って瀕死の状態だったが、園部は事件が起こってから笑う事もなかったので皆で笑おうと提案。奥方梅の方と三人で、悲しみ、痛みをこらえて笑う。「広間・合腹」
   来国行の子国俊は、刀鍛冶の修業のため、吉介と名を変えて大和国の刀鍛冶の五郎兵衛正宗奉公しており、正宗の娘のおれんと恋仲で、吉介を国俊と見抜いていた正宗は、師匠の孫である国俊に風呂の湯加減から刀の秘伝を教え、正宗は国俊に事の真相を伝え、おれんと一緒になるように頼む。おれんの兄であり秋月大膳の悪事に加担した団九郎は、父の正宗から刀鍛冶の秘伝を盗み出そうとして、刀鍛冶の細工場で湯加減の様子を探ろうと湯の中に手を入れた瞬間、正宗が手を切り落とす。父親の正宗が何もかも真相を知っていた事を知り、団九郎は改心する。そこへ逃げ込んできた薄雪姫を守るために、団九郎は片手で大勢を相手に獅子奮迅の働きして蹴散らす。「正宗内」

   さて、この物語の発端は、大膳が、団九郎を遣って、左衛門の奉納した国吉の刀に謀反の兆しありとするやすり目を入れさせたことだが、これは、刀の奉納を自分にではなく園部兵衛に任されたことに腹を立て、手に入れようとしていた薄雪を左衛門に取られてしまったと言う腹いせなどで、園部・幸埼両家を叩き潰そうとの遺恨が原因のようであり、言うならば、実に低俗なインテンションであって、本来なら、仁左衛門が、巨悪の権化のような大きくて凄みの利いた素晴らしい偉丈夫ぶりを発揮すべき芝居ではない筈なのだが、そこが魅せて見せる歌舞伎なのであろう。
   それに、「下の三日に。園部の左衛門様参る 谷陰の春の薄雪」と言った逢引きの約束をする秘め事の手紙を刀の奉納場所に落とす筈がなく、また、それを、詮議の場に、大膳の弟大学が持ち出して証拠にして謀反人をでっち上げると言う稚拙さ。
   あの寺子屋の松王丸が、単なる舎人にしか過ぎない雇人であるにも拘らず、途轍もなく威厳にみちた大きなキャラクターになってしまっていて、針小棒大、白髪三千丈の世界となるのが、芝居の芝居たる所以であろうか。
   子を庇うために、親同士が、簡単に腹を切ると言うのも、今では、時代錯誤だが、いずれにしろ、素晴らしい芝居なので、その気になって楽しめば良いと言うことである。

   この歌舞伎は、「薄雪物語」の薄雪と左衛門の恋物語をツマにして、大膳の陰謀と名刀鍛冶正宗を絡ませて、親子の恩愛・葛藤をテーマにした味のあるストーリーに仕立てており、非常に面白いので、野暮なことを言わない方が良いのであろう。
   たとえば、幸四郎の伊賀守と仁左衛門の兵衛の威厳と風格に満ちた素晴らしい舞台姿や、魁春の梅の方を加えての「三人笑い」の芸の豊かさ奥深さなど、度肝を抜くほど凄いインパクトであり、これを見るだけでも値打ちがある。
   「天保遊俠録」の阿茶の局でも素晴らしい芸を披露するが、魁春が、実に上手い。
   それに、菊五郎の奴妻平や吉右衛門の団九郎の大立ち回りも、趣向を凝らしたカラフルな舞台で、魅せて見せてくれて楽しい。
 
   菊五郎は、「詮議」の葛城民部で、情にあふれた素晴らしい捌きを演じており、国行の死骸の小柄の傷で、殺人犯は大膳だと悟るのだが証拠がないので、罪びとの左衛門と薄雪姫を手元に引き寄せて、扇のかげでそっと手を握らせて別れさせるあたりなど、正に、大岡越前守の風格だが、序幕の奴妻平での時蔵の腰元籬とのホンワカとした優しさ温かさなど、実に情感豊かで良い。

   今回正宗内では初役だと言う団九郎を演じる吉右衛門だが、正宗の息子ながら、悪事に加担し、父に嫌われ、刀鍛冶の秘伝を盗もうとして、父に腕を切り落とされ、改心すると言う「モドリ」を演じて、最後は、薄雪姫を守護するために追っ手を相手に、大立ち回りを演じる。
   役柄としては、いわば、チンピラの小悪人と言うところで、ほかの3人と比べて恰好は良くないが、この舞台では、一番個性豊かで興味深い役である所為もあって、面白いキャラクターを出して楽しませてくれた。

   最後になったが、前回も、錦之助は左衛門を演じていたが、水も滴る好い男ぶりで、永遠の二枚目であろうか。
   今回、薄雪姫を演じた梅枝、児太郎、米吉の3人は、若手の女形としてのホープであろう、とにかく、夫々、個性は違うが、匂うような女以上の女らしさで、魅力的であった。

   役者が、これだけ揃って充実した舞台も、少ないであろう。
   正味4時間半くらいの舞台だったが、久しぶりに歌舞伎の醍醐味を味わわせてくれた素晴らしい時間であった。


   
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明治座:五月花形歌舞伎・・・「あんまと泥棒」「鯉つかみ」

2015年05月27日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   久しぶりの明治座だが、演目もそうだが、全体の雰囲気が、歌舞伎座とは大分違う。
   今回観たのは、夜の部である。
   プログラムは、「あんまと泥棒」と、通し狂言「鯉つかみ」

   まず、「あんまと泥棒」だが、
   村上元三作の人情噺と言うか、あんまで金貸しをして小金を貯めていると言う秀の市(中車)の貧乏家に、泥棒の権太楼(猿之助)が忍び込むのだが、目明きの権太楼が、秀の市に、金の在処を教えろと説得するも、その話術の冴えにはぐらかされ、翻弄されて、泥棒への転落話までさせられて、とうとう、居る筈もない死んだと言う女房の仏壇代にと金を残して退散する、と言う、
   したたかなあんまと気のいい泥棒という組み合わせがみどころの舞台だと言うことで、たった二人の登場人物の芝居なのだが、あり得ないようなバカバカしくも滑稽な会話が、猿之助と中車のキャラクターを存分に引き出していて、面白い。
   秀の市が、泥棒は命と引き換えにしても割のいい仕事なのかと問うて、殆ど稼ぎがないを知って、権太郎に、世渡り上手になれと説教するあたりは、正に、落語の世界であろうか。

   通し狂言「鯉つかみ」は、事前に筋書が頭に入っていなければ、奇想天外なストーリーが、ポンポン飛ぶので、話が分からなくなるのだが、分かっても分からなくても、
   愛之助の六役早替りと、宙乗り、本水での立廻り、泳ぎ六方などケレン味あふれるスペクタクル・シーンを楽しめば良いと言う芝居であろうか。
   主人公が水中で鯉の精と戦う鯉退治がメインのようだが、一昨年の明治座での上演分に、今回は俵藤太の大百足退治を導入して、通し狂言として上演したと言うことである。
   来月、大阪での公演では、愛之助が、12役を務めると言うのであるから、どうなっているのか、物語など二の次なのであろうかと思う。

   私自身は、シェイクスピア戯曲鑑賞から歌舞伎鑑賞に入ったので、どうしても、ストーリー展開のはっきりしない芝居は苦手で、もう、20年以上にもなるのに、いまだに、早変わりや宙乗り、舞台のどんでん返しなどの見せて魅せる舞台よりも、ケレン味のない芝居の方が性に合っているような気がして見ているのだが、
   終幕で、滋賀之助の愛之助が、大きな水槽の中で、鯉の精とくんずほぐれつ格闘しているのを、全身に水を浴びながら、喜んで見ている1階客席最前列のお客さんの右往左往を見ていると、やはり、愛之助ファンは、違うのであろう。
   どこかで、愛之助が、水槽でのこの鯉つかみは、大変疲れるのだと言っていたが、とにかく、最初から最後まで、いい男で通し続けて、八面六臂の大活躍であるから、愛之助も、大した役者である。

   それに、この「鯉つかみ」の監修が、片岡我當だと言うのが興味深い。
   秀太郎が、瀬津織姫として、壱太郎が、釣家息女小桜姫として登場して、愛之助に華を添えている。
   ホンワカとしたバカ殿信田清晴を演じた市川弘太郎が、良い味を出していて、愛之助に良く似た男に小桜姫を取られて腹が立つと、今度は倍返しだと言って客を喜ばせていた。
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團菊祭五月大歌舞伎・・・「天一坊大岡政談」

2015年05月18日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   團十郎がいない團菊祭だが、やはり、格調の高い狂言が繰り広げられていて、世代替わりとは言え、海老蔵や菊之助、それに、松緑と言った上り調子の名優を軸として、座頭菊五郎を筆頭に、ベテランの重厚な演技のサポートが秀逸で、楽しい舞台を見せてくれる。
   この日、私が観劇したのは、台風模様の荒れ天気の中での昼の部であったが、歌舞伎座正面の幟や垂れ幕が引き上げられた裸の正面玄関も珍しかった。
   

   この昼の部の立役者は、「摂州合邦辻」の玉手御前と、「天一坊大岡政談」の天一坊を演じた菊之助であり、最近、夙に進境著しい菊之助の魅力満開の舞台であった。
   玉手御前などは、俊徳丸の梅枝と浅香姫の尾上右近と言う初々しさを漂わせる若い女形の嫋やかな対応に上手く合わせ、ベテランの合邦道心の歌六と母おとくの東蔵との修羅場を感動的に演じ切り、匂うような色香を漂わせながらの風格ある使命感の吐露など、綺麗だけではなく、物語を丁寧に紡ぎ出していて、流石であった。

   さて、「大岡政談」の方は、2001年に團菊祭で演じられていて、観たかどうか全く記憶はないのだが、この時は、天一坊を、菊五郎、海老蔵が演じている山内伊賀亮を仁左衛門、菊五郎が演じている大岡越前守を、團十郎が、務めていたようで、丁度、脂の乗り切った名優の舞台であったから、素晴らしかったのであろう。

   さて、天一坊だが、江戸時代中期、実際に実在した天一坊改行と言う山伏で、将軍・徳川吉宗の落胤だと称して、大名に取り立てられると言って多くの浪人を集めて台頭する。関東郡代では、将軍にも覚えがあると言う返答なので、すぐに捕縛出来ずに慎重に取り調べて、その結果、詐称が発覚して、勘定奉行稲生正武から死罪の判決申し渡しがあり、品川で獄門となった。と言うのである。
   詳細はともかく、その後、この事件は、後に「大岡政談」に取り入れられ、江戸時代末期に、講談師神田伯山が「大岡政談天一坊」として語って評判となって、脚色されてこの歌舞伎になったと言う。
   したがって、現実には、大岡越前守とは、何の関係もないのである。

   この歌舞伎を観ていて、何故か、イングリッド・バーグマンがロシアの大公女アナスタシアを演じた映画「追想」を思い出していた。
   ロシア革命によってロシア皇帝ニコラス2世一家が殺害されたが、ボーニン(ユル・ブリンナー)たち白系ロシア人たちが、ただ一人アナスタシアが生きていると言う噂を立てて、残された遺産を横取りしようと言う事件で、セーヌ河に身を投げようとしたアンナ・コレフ(イングリッド・バーグマン)を助けて教育してアナスタシアに仕立て、アナスタシアの祖母・大皇妃(ヘレン・ヘイズ)と対面させると言う、それに、皇子との恋あり、素晴らしい映画である。
   成りすましが、如何に難しいか、「マイフェア・レディ」のケースもあるのだから、上手く行けば、化け得るのである。

   この歌舞伎は、若かりし頃の吉宗の手がついて宿下がりした侍女が、吉宗の短刀とお墨付きを持ち帰っており、その証拠品を盗み出した天一坊が、ご落胤と称してのさばり始める。
   呼び出しを受けて、堂々と大岡越前の前に出てお裁きを受けるのだが、流石の越前も、伊賀亮の弁舌爽やかな抗弁をかわし切れず、更に、紛れもない証拠を見せられるであるから、論破できない。
   この奉行屋敷の場での菊五郎と海老蔵の「網代問答」は、 「伽羅先代萩」の「対決」の大岡越前は細川勝元、伊賀亮は仁木弾正を彷彿とさせて面白い。
   しかし、この歌舞伎では、この場は、善玉の越前が負けて、屈服する。
   従って、次の「大岡邸奥の間の場」では、天一坊の正体がつかめないので、窮地に立った越前は、妻小澤(時蔵)と嫡子忠右衛門(萬太郎)と切腹に臨むのである。

   ところで、短刀を握りしめて切腹寸前に、忠臣の池田大助(松緑)が、駆け込んできて、天一坊の正体を掴んだと決定的な情報を齎す。

   問題は、この時気になったのは、客席から、かなりの失笑に似た笑い声が起こったことである。
   この歌舞伎としては、本来なら、最も素晴らしい山場であり、拍手喝采が起こってしかるべき筈が、失笑である。
   あまりにも出来過ぎていると言うことであろうか、その直後、あっさりと切腹を取りやめて、間髪入れずに、隣室に入って豊川稲荷に3人そろって手を合わせるのも、何となく安直すぎるような気がする・・・

   あの「仮名手本忠臣蔵」の「判官切腹の段」で、切腹した瀕死の判官の前に、大星由良助が国許より駆けつける決定的なシーンの時には、観客はかたずを飲んで見守る。
   この落差の激しさは、何なのであろうか。
   狂言の質の差なのか、ストーリー展開なり演出の差なのか。

   ところで、この話はともかく、この歌舞伎は、非常に素晴らしい舞台で、菊五郎の越前は、文句なしの威厳と風格で圧倒的であり、菊之助の天一坊の芸達者ぶりは秀逸で、海老蔵の格好良さは言うまでもなく、魅せてくれた。
   どんどん、増幅して行く悪人たちの動向など、ストーリー展開も面白く、脇役陣も充実していて、面白い。
   
   
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国立劇場五月文楽・・・二代目吉田玉男襲名披露公演「一谷嫩軍記」

2015年05月15日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   口上と襲名披露狂言「一谷嫩軍記」が上演される第一部の方は、全日満員御礼で、大変な熱気である。
   歌舞伎のように襲名する本人の挨拶なり口上がないのが、何となく寂しい感じだが、初代および二代目の玉男一門が、ずらりと列座した舞台は壮観である。

   嶋大夫など代表者の口上は、先月の大阪の舞台と殆ど同じで、くだけた口調の出てくる歌舞伎や落語などの襲名披露と比べて、非常にまじめと言うべきであろうか。

   さて、和生が、初代玉男は、非常に研究熱心で、色々工夫を重ねらてきており、今回上演の「一谷嫩軍記」の藤の局が、「熊谷やらぬ」のところを変えたと聞いていると語っていた。
   このところは、「人形有情」で、玉男が詳しく語っており、今回、二代目の舞台も、これを思い出しながら見せて貰った。
   それまでは、藤の局が、右手で刀を持ってトンと床に突いて立て、それを熊谷が、刀の鐺(鞘の尻部分)をつかんで、藤の局を取り押さえていたのだが、わざとらしいので、
   藤の局は、刀を左手で持って左腰に当てて進み出て、そこを、熊谷が局の足を払うと局は前のめりになり、左腰に当てていた鐺が上がるので、その鐺を熊谷が掴んで、局を取り押さえることにしたのだと言う。
   

   「曽根崎心中」「天満屋の段」で、忍んできた徳兵衛を、お初が裲襠の内に隠して店の中に入れて、縁の下に隠して、お初が独り言で徳兵衛に死ぬ覚悟を問う時に、お初の足を喉に当てて、死ぬ覚悟を示すシーンは、あの白い足が必須だが、二代目栄三は、(足は)ゼッタイ出せんと反対したのを、玉男が、足をつらずに足だけ着物の裾から出させた、と言うのは有名な話である。

   玉男は、弥陀六を良く遣っていたようだが、「播州一国・・・」で右手を出すのやが、左手から出したり、・・・毎日、弥陀六で遊んでるみたいや、と語っており、原則としてどの役も同じ使い方をしていたが、融通が利かない芸風ではなかった。
   簑助も、玉男の工夫について語っている。
   ”「曽根崎心中」で、最後にご一緒した時、楽日に、「天満屋の出のところはこないしようと思うんやけど」と、1000回以上された役でも常に考え、微調整をされ、より完成度をもとめられる姿には頭が下がりました。”

   さて、今回の「一谷嫩軍記」だが、先月に書いたので端折るが、
   ”「・・・十六年も一昔。夢であったなあ」と、ほろりとこぼす涙の露。”
   このシーンは、やはり、感動的である。
   僧衣に身を包んで熊谷が、すっくと正面に立って、右手に数珠を握りしめて、兜を前にして、やや、上手方向に顔を傾けて中空を仰ぎながらの述懐である。
   その後、兜を愛おしむように左手に持ち上げて目をやるのは、武士としての生涯への悔恨と名残りであろうか。
   その後、弥陀六が、「長居は無益」と立ち上がって、義経に向かって、この敦盛が残党を駆り集めて、恩を仇で返すようになれば、どうするのだと持ちかけると、「天運次第怨みを請けん」と応え、熊谷や弥陀六の反応も、夫々興味深い。

   ところで、史実においては、後白河法皇は、義経にとっては恩ある人物であるから、この物語のように、院の胤である敦盛の命を助けよと言う設定もあながちおかしくはないのだが、どんどん窮地に追い込まれて行き、最後に、実子小太郎を身替りにせざるを得なかった熊谷の立場に立てば、居た堪れないであろう。
   この舞台で、一番話したくない妻相模に真実を語らざるを得なくなり、まして、小太郎殺害の模様を敦盛の最後に擬して仕方話で語らなければならない苦衷、そして、義経の前で、忠義に準じたばかりに人生最悪の現実を、小太郎の首との対面でたたき付けられるこの修羅場、・・・玉男は、淡々と、熊谷を遣っているように見えるが、心の中では慟哭しているのであろう。
   悲壮な修羅場を通り抜けてきて、結局見たのが空しい自分の生きざま、・・・それが、十六年も一昔。夢であったなあ。と言う言葉に凝縮されている。

   玉男の熊谷、和生の相模、勘十郎の藤の局、玉也の弥陀六、玉輝の義経など、最高の布陣の人形遣い。
   それに増して舞台を盛り上げているのは、咲大夫と燕三、文字久大夫と清介の義太夫と三味線の名調子であり、その感動的な素晴らしさであろう。
   浄瑠璃の世界が、これ程までに豊かに物語を紡ぎ出すことが出来るのか、縦横無尽に人形を躍らせて創り出すパーフォーマンス・アーツの極致のような舞台に感服である。
   次の写真は、NHKで放映された映像のスナップを2ショット、国立劇場の幟。
   
   
   
   
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国立劇場五月文楽・・・「祇園祭礼信仰記」「桂川連理柵」

2015年05月13日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   五月の国立劇場の文楽は、二代目吉田玉男襲名披露公演で、口上のある第一部は、即刻完売であったが、第二部の公演には、かなりの空席が目立つ。
   私などは、第二部の方が、充実した素晴らしい文楽を楽しめると思うのだが、やはり、襲名披露としての話題性に欠けるのであろうか。

   まず、劇場のビラの口絵写真は、「祇園祭礼信仰記」の「爪先鼠の段」の雪姫だが、
   松永大膳を切りつけようとして、逆に、庭の桜の木に縛り付けられて苦悶するうちに、庭一面に敷き詰められた桜の花びらを使って、爪先で鼠の絵を描くと、その鼠が動き出して縄を食い切り、雪姫は、夫を助けに行くと言うシーンである。
   雪舟の涙鼠の逸話、すなわち、幼い雪舟が、経を読まずに絵ばかり描いているので、怒った寺僧が雪舟を仏堂の柱にしばりつけたが、床に落ちた涙を足の親指につけ、床に鼠を描き、僧はその見事さに感服して、絵を描くことを許した。と言う話がある。  
   面白いことに、この浄瑠璃では、雪舟が雪姫の祖父だと言う設定となっていて、雪姫が、その話を思い出して、鼠を桜の花びらで描くと言うカラフルで綺麗な芝居になっている。

   女形のトップ人形遣いの一人清十郎の至芸が、如何なく発揮された素晴らしい舞台で、縛り付けられて、縄目にかかって死出の旅に立とうとする夫を見送り、
   身をあせる程縄が食い込んで、煩悩の大我と我が身を苦しめ憂き思いに、踊り上がり飛び上がり、天に呼ばわり地に伏して正体涙に暮れながら、断腸の思いで右往左往する雪姫を遣う。
   縛られているので、両手が後ろ手となっているので、左遣いが人形から離れて、主遣いの清十郎と足遣いとの演技となって、清十郎の後振りの美しさが垣間見えて感動的である。
   単なる苦悶の舞台ではなく、赤姫としての優雅さ美しさ、それに、品格のある色気さえ見え隠れして、正に、魅せて見せるシーンの連続で、これを見るだけでも、この舞台の値打ち十分である。

   さて、「桂川連理柵」だが、私は、2008年に大坂で、2010年に東京で見ており、今度で3度目である。
   これまでは、帯屋長右衛門は勘十郎、お半は簑助であったのだが、それ以前は、初代玉男が長右衛門を遣っていたので、今回は、長右衛門を二代目玉男、お半を勘十郎が遣っているので、昔の玉男簑助コンビが、玉男勘十郎コンビとなって代替わりした言うことであろう。

   14歳の少女と38歳の中年男性の心中もので、旅先の宿屋でやむなく同衾したばかりに、過ちを犯して、子供を宿した幼ない乙女にひかれて桂川で心中すると言う実に切ない物語である。
   文楽の舞台でも、「道行朧の桂川」では、長右衛門がお半をおぶって登場すると言う幼気なさ。
   この浄瑠璃は、袖を繋ぎ合わせた中年男と乙女の死体が桂川から上がったと言う実話が題材になっているのだが、あの嵐山の渡月橋から三川が合流して淀川となるあたりまでが桂川で、大学時代に阪急で通っていたので、何となく、雰囲気は分かる。

   この浄瑠璃で、やはり、涙を誘うのは、最後の桂川への道行のシーンで、連綿とした哀切極まりない大夫の語りと三味線に乗って繰り広げられる絵のような舞台である。
   近松門左衛門の「曽根崎心中」や「心中天の網島」のように、切羽詰って死に行く大人の心中への道行とは違う。

   お半は,伊勢参りの旅宿で、丁稚の長吉に言い寄られて、同宿の長右衛門の部屋に逃げ込み蒲団を共にしている内につい過ちを犯して、身重となって幼気な体に腹帯を巻く・・・”ただならぬこの身、世間へ知れては私が恥は厭わねども、お前の名を出すが悲しく、お絹様への詫び言や、母様に叱られぬ内、桂川へ身を投げ候・・・”
   しかし、道行で、大夫が、
   小さい時に、祇園参りや北野さんへ、長右衛門に、手を引かれたり負われたり、物見見物後追うて、甘やかされ可愛がられた親よりも、”人が尋ねりゃ長様が、たんと愛しと言うた時、やがて女夫にならんしょと、乳母や丁稚になぶられて、恥ずかしかった下心。定まり事と諦めて、一緒に死んで下さんせ”と、お半の切ない心の内を切々と語る。
   秘め事を知ってか知らずか、源氏と紫の上とはややニュアンスは違うが、お半は、長右衛門に恋焦がれて女になったのである。

   一方、長右衛門は、お半との契りを知った長吉が、腹いせに、長右衛門が遠州の殿様から研ぎに出す為に預かってきた正宗の中身を差し替えて盗み出しているために、行くへ知れずで窮地に立っており、
   最期に会いに来たお半が、死ぬ覚悟の書置きを残して去ったので、お半の妊娠と正宗の紛失で切羽詰った長右衛門は、桂川へとお半の後を追う。
   
   簑助の時にも感じたのだが、
   世間を全く知らないままに、不義の子を身ごもったと言う罪の意識だけで死に急ぐ幼い、そして、健気で一途に長右衛門を思い続ける幼妻を乙女の初々しさを残しながら死に行くお半を、勘十郎は、感動的に遣って、涙を誘う。
   父と妻お絹の寛大で実に温かい許しを得ながら、腹を括った長右衛門の義理人情の柵を越えた死への旅路、・・・お半を背負った長右衛門の玉男の人形が、悲しく切ない。
   ・・・恋を立て抜く輪廻の絆、抱だきつく抱だきつく顔と顔・・・後振りに沈むお半を、しっかりと抱きしめる長右衛門の人形は、初代玉男の近松人形を彷彿とさせて、息をのむ崇高さ。
   玉男と勘十郎の芸道は、これから、30年以上も、上り詰めて行くのであろうと思うと恐ろしくなるほどだが、今回の舞台は、正に、感動的な道行シーンの連続であった。

   今回、簑助は、「帯屋の段」で、丁稚長吉を遣って、コミカルタッチの愉快な芝居を演じて華を添えている。
   立女形が演じる女形を遣えば、初代玉男とは双璧であった簑助だが、前の由良の助は勿論、老け役やこのようなコミカルタッチの役にしても、流石に人間国宝で、何時も、一つ一つ、感激しながら鑑賞させて貰っている。
   もう一つの素晴らしい人形は、和生の遣うお絹で、丁稚長吉を操っての長右衛門のアリバイ崩しや切々と思いを吐露して語りかける長右衛門への口説きなど、品があって良い。
   
   勘壽の父親繁斎の風格、そして、全く腹が立つほど憎々しい文昇の母おとせと簑二郎の弟偽兵衛など、脇役陣の健闘が光っている。

   最後になったが、「帯屋の段」での、嶋大夫と錦糸の義太夫語りと三味線の素晴らしさは、格別で、個性豊かな登場人物のユニークな掛け合いのみならず、儀兵衛と長吉の絡むハイテンポのリズム感とアクセルの利いたチャリバなどは秀逸で、また、ほろりとさせる人情味も豊かで感動的である。
   最近は、ずっと、嶋大夫が語っていて、正に、独壇場の世界なのであろう。
   後半のしんみりとした語りの英大夫と團七の名調子も、しみじみと心に響いて爽やかな余韻を残す。
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二代目吉田玉男襲名披露 特別座談会

2015年05月09日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   国立劇場で、東京での二代目吉田玉男襲名公演が始まる前日に、「二代目吉田玉男襲名披露 特別座談会」が催された。
   第一部は、「新吉田玉男が選ぶ初代吉田玉男思い出の舞台映像」、第二部は、山川静夫司会による座談会で、吉田玉男、吉田和夫、桐竹勘十郎が出演した。

   第一部は、国立劇場小劇場で記録された映像で、「仮名手本忠臣蔵」の大星由良助、「義経千本桜」の知盛、「冥途の飛脚」の亀屋忠兵衛、「菅原伝授手習鑑」の菅丞相、「曽根崎心中」の手代徳兵衛と、初代玉男の極め付きの舞台姿が彷彿として感動を呼ぶ。
   この映像通りの舞台ではなかったが、1993年から文楽に通い始めているので、幸いにも、これらの初代玉男の人形は全部鑑賞する機会を得ている。
   ロンドンで最初に観てから、「曽根崎心中」の徳兵衛は、5回観ており、相手のお初は、文雀と簑助であった。終幕の心中シーンの印象は強烈に残っている。
   「冥途の飛脚」の堂島へ行こうか新町へ梅川に逢いに行こうか、徳兵衛が「いこかもどろか」と横堀川岸を軽やかにステップを踏む玉男の姿が忘れられない。

   大星由良助の風格と忍耐、知盛の豪胆と品格、菅丞相の憂いと崇高・・・私には、人形だとは到底思えなかった凄い舞台の数々を思い出しながら、映像を楽しませて貰った。
   仮名手本忠臣蔵は、NHKで放映された通し狂言を全編録画したのだが、ダビング前に、ソニーのベータ録画機が故障してしまって、残念ながら、すべてパーになってしまった。
   
   さて、第二部の座談会は、山川さんの司会は流石で、1時間弱の短いものではあったが、3人の文楽への思いやユニークなキャラクターなどが垣間見えて面白かった。
   最後に、横に立てかけてあった熊谷直実の人形を遣って3人で棒足のシーンが演じられた。
   玉男が主遣い、和生が左遣い、そして、勘十郎が足遣いと言う考えられないような豪華な組み合わせで、観客は大喜び、やんやの喝采であった。

   座談会は、初代玉男の思い出と言うことで、失敗話から始められた。
   玉男が切り出したのは、初代が玉助の左をやっていた時に、「首携え」のところで、首桶を持って出るのを忘れてたと言う話。
   この話は、「人形有情」の中で、初代が語っており、藤の局をやっていた文雀に「玉男さん、首、首」と言われて始めて気づき、熊谷の左を人形の脇へ突っ込んだまま、慌てて取りに行った。玉助に「おまえ、どないしてん」と言われて、「何にもおまへん、おまへん」。
   樺太でも、後半、首桶を忘れて出たことがあるとも語っている。
   その後しばらく、出るたんびに、「玉男さん、首、大丈夫か」と皆に冷やかされていたと言う。

   和生は、色々聞いておりますと言いながら、失敗には触れずに、初代は、結婚前に、奥さんが劇場の人だったので、仕事の後の逢瀬などの段取りを、「何時ものところで待ってくれ」とか「今日は忙しいので帰れ」とかを、人形を遣って合図していたと語っていた。

   勘十郎は、地方公演で、義経千本桜の道行で、狐の尻尾が切れた時に、ゲラ(笑い上戸)の初代の笑いが止まらなくて、最後まで、狐で顔を隠し通して遣っていたと言う話をした。
   また、玉男は怖がりで、地震の時は、人形をほっぽり出して、手すりを這うように逃げたらしい。
   
   初代が、遊びでも女でも要領が良かったと言う話で、良きライバルであった先代の勘十郎は要領が悪かったと言う話になり、二人の芸談など興味深い話の中で、勘十郎が、幕間から玉男の人形を見ていた父が、「ワシやったら、ああわ、せんなあ」と言っていたと語っていたのが面白かった。
   もう一つ、勘十郎は、
   ある酒席で、隣に座っていた初代玉男に、「勘十郎や簑助から学んでいるが、どっちの真似もしたら、あかんねんでぇ」と言われて、随分悩んだ。
   結局、芸は、その人その人のものであるから、自分で創り出せと言う教訓だと思った。と語っていた。
   和生が、この話を受けて、師匠たちは誰でも、「ワシの嫌なもんばっかり真似しよって」と言うのだと付け加えていた。

   玉男が、殆ど動きのない初代の人形の足遣いをやっていて、動きのある足遣いの勘十郎を羨ましく思って、早く、動きのある足を遣いたいなあと思っていたと語っていた。
   先代の遣う人形は、主遣いもそうだが、菅丞相はじめとして動きが少ない。

   この点については、初代玉男も同じように思っていたようで、「人間有情」で、貴重な心境を吐露している。
   「じいーっとしてる足を我慢して持つことはおろそかにできませんねん。正座でじいーっとしてる足は、(疲れるし体形が崩れてしまうのだが)、じいーっと耐えて待つ。その辛さは今も忘れません、そやけど、主遣いになっても、じいーっとして動かん、しんどい役があるからね。そやから、じいーっとしてる役から入った方がええんです。」と、
    入門してすぐ、幕が開く3時間前に楽屋に入って、鴨居に人形をつるして、前に師匠の鏡を置いて、足を遣う稽古を一人でした。と言っている。

   また、「足を遣っている間に、その役の動きは全部覚えておかなければいけません。」「足遣いの間に、出入りとか、することはすべて覚えとかなあきません。・・・足で感情を出すようにせなあきません。そしたら自分で主遣いになった時、感情が出てくる。」「(色々な首があって、)その違いを師匠はよう知っておられたから、足遣いの時に、それらの遣い方の違いはみな覚えてました。」と言っており、左遣いになってからは、なんの苦労もなかったと言うのである。

   有名な話だが、栄三の遣う熊谷を観て、毎日、毎日、あの足を遣いたい、遣いたいと思って、舞台の小幕の袖に立って、頭巾の前を上げて顔を見えるようにして、熊谷の人形を持ってきたら栄三の顏を見つめ、次に足を見つめ・・・芝居の間も、熊谷の物語の場面になったら、手すりの内側で熊谷の真ん前に座って、遣いたいなあ、という顔で、じいーっと見つめ続けて、(アピールしたおかげで、本懐を遂げたのだが、もう、その時には、足の動きも全体の動きも皆見て覚えてました。)と語っている。
   
   もう一つ、足遣いで面白いのは、九州への巡業中に、師匠が「新口村」の孫右衛門を遣った時に足を持っていたのだが、船底へ下りる時に、師匠がこけて怪我をして、支えなかった足遣いが悪いと批難されて、人形遣いを辞めて帰ろうと思ったと言う話である。

   良かった、感動した、と言う思い出については、3人とも海外での公演について語っていた。
   玉男は、地方に旅したり海外に行けると言うのが魅力であったようだが、和生は、熱狂的なカーテンコールに感激したと言う。
   確かに、欧米では、熱狂した観客のカーテンコールは、常態で、私は、ロンドンで、「曽根崎心中」の舞台を英人と観劇したので覚えているが、この時も、人形遣いたちは、何度も舞台に登場して、文雀のお初が、玉男の徳兵衛の顏を甲斐甲斐しく拭ってやる即興のシーンに感激してやんやの拍手が沸いた。
   カーテンコールで面白いのは国民性で、オランダ人は、熱狂するとすぐにスタンディング・オーベーションで応え、コンセルトヘボーのコンサートなど、全員総立ちが良くあった。

   勘十郎がブラジル公演の時に、主遣いではやったことのなかった曽根崎心中を、玉男と二人で、「ブラジルやったらええやろう」と思ってやったら、観衆は涙を流して観てくれて、あまりの熱狂さに、大使館の夕食会を蹴って、追加公演を上演したと語っていた。
   私もブラジル赴任で4年間サンパウロで過ごしたが、ブラジルの日本社会には、古い日本の公序良俗と言うか義理人情に篤い日本人気質が、そのまま息づいていたのを思い出し、その思いが良く分かる。

   やりたい役を聞かれて、勘十郎は、玉男と同じく、知盛と言いながら、両玉男の持ち役で、全く出番がなく、玉男の病気で代役でも出たいと言ったら、
   和生が、すかさず、玉男は酒も呑まずに元気で、そっちの方が危ないと切り替えし、勘十郎がさもありなんと言った顔で苦笑していた。

   まだまだ、興味深い話題一杯の座談会であったが、これまでとしたい。
   今日から、東京での二代目玉男襲名披露公演が始まった。
   先月、大阪国立文楽劇場での襲名披露公演の印象記は、このブログで書いたが、近く行く東京公演も楽しみにしている。

(追記)口絵写真は、本記念座談会で頂いた玉男プロマイド写真のコピー。
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四月大歌舞伎・・・藤十郎と鴈治郎の「廓文章」

2015年04月21日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   人間国宝の父・藤十郎の夕霧と言う大変な名優を相手にして、鴈治郎が、放蕩の限りを尽くして勘当されて紙衣に身を窶して、夕霧に逢いたくて「吉田屋」を訪れる伊左衛門を演じた。
   バカボンを地で行ったような鴈治郎の伊左衛門は、やはり、この舞台には似つかわしいのであろうが、これまで、何度も、文楽でも歌舞伎でも観ており、特に歌舞伎では、藤十郎と仁左衛門の舞台が目にこびり付いているので、正直なところ、違和感と新鮮さを感じて観ていた。

   最も最近は、この歌舞伎座の柿葺落五月大歌舞伎で、仁左衛門の伊左衛門、玉三郎の夕霧であり、夕霧が福助の時もあったが、仁左衛門・玉三郎の舞台鑑賞は複数回あり、私のイメージは、この二人の吉田屋であろうか。
   藤十郎の舞台も、複数回観ているのだが、最も最近は、2008年の顔見世歌舞伎のものである。
   私の関心事は、同じ廓文章で、かつ、同じ上方でも、鴈治郎家と、仁左衛門家とでは、大きな差があることで、観る度毎に、工夫に工夫を重ねて新機軸を編み出そうとする上方歌舞伎の特質を観る思いである。

   仁左衛門の方は、幾分芝居的な要素が強いのだが、藤十郎の方は、本来の文楽に近い演出の所為か、伊左衛門も夕霧も台詞は少なく、舞うような仕草で演じており、視覚芸術的な美に比重を置いているような感じがした。

   ところが、今回の鴈治郎の舞台は、同じ鴈治郎家の舞台なのであろうが、殆ど藤十郎のような舞うような視覚的要素が奥に引っ込んで、ストーリー展開が濃くなった芝居を観ているような思いがして、コミカルタッチの鴈治郎の持ち味が良く出ていたように思えて面白かった。

   もう一つ、藤十郎の伊左衛門を観た時の仁左衛門との比較の感想だが、
   仁左衛門は、どちらかと言えば、一寸知能的に弱いなよなよとした大店のぼんぼんと言った感じだったが、あの時の藤十郎の場合には、育ちの良い遊び人のどら息子と言う雰囲気で、夕霧が病気だと聞いて心配で心配で、京都から、カネもないのにノコノコと紙衣を着て歩いて来たと匂わせるあたりから、堂に入っていて、典型的な大阪の道楽・放蕩息子を演じていた。
   忠臣蔵の大星由良之助の舞台を観ていてもそうだが、藤十郎が、大坂ないし西国の人物を演じる時には、血がそうさせるのか、上方芸の精進がそうさせるのか、地に足のついた典型的なそのキャラクターになり切っていて、正に、芸をはるかに超越した境地の舞台を務めているような感じがして、何時も感動するのである。

   特に、近松門左衛門の心中ものの舞台を観ていると、藤十郎を知らないので口幅ったいのだが、これが近松なのだと、平成の藤十郎を体現しているのであろと思っている。
   最近では、これらの狂言で、藤十郎は鴈治郎を相手役にして芝居を演じることが多いので、鴈治郎家の芸の継承は、進んでいるのであろう。
   藤十郎が夕霧を演じる舞台は初めてなのだが、今回藤十郎は、逆に、夕霧を通じて、鴈治郎に、自分自身の当たり役の伊左衛門の芸を継承しようとしたのであろう。

   さて、今回の「吉田屋」だが、夕霧が、座敷からスーッと登場する出だしだが、スッスッスーと素早く飛び出した時の藤十郎の芸に感動した。
   逢いたい一心と言う思いを込めての出だしと言う芸もあろうが、80歳をはるかに超えた老優が、あの重装備で大変な重さの筈の豪華華麗な衣装を身に着けて、軽やかに進み出た驚きでもあった。
   この藤十郎の夕霧が、軽薄なバカボンの伊左衛門の嫉妬と男の拗ねた嫌がらせに甚振られて、切なくも悲しそうな表情を見せる姿など、正に、千両役者であり、鴈治郎は、これだけでも、襲名披露の父の贐に感謝すべきであろうと思う。

   この「廓文章」の「吉田屋」だが、近松門左衛門の「夕霧阿波鳴門」の上の巻「吉田屋の段」を踏えて、悲劇性の強い下の巻「扇屋内の段」の最後のハッピーエンドだけを繋ぎ合わせて書き換えて一幕物の簡潔な舞台にしたもので、伊左衛門と夕霧は夫婦で、預けられた子供があると言った話のニュアンスは消えてしまっていて面白い。
   尤も、あまりにも簡単に、最後の見得の舞台を見せたいばかりに付け足したような幕引きに、フラストレーションがのこるのだが、これが、芝居なのであろう。

   文楽では上演されたであろうけれど、歌舞伎で上演されたのかどうか知らないが、一度、近松門左衛門の「夕霧阿波鳴門」を、通し狂言で観てみたいと思っている。

   この舞台は、秀太郎のおさきが、何時もながら、素晴らしい芸を披露していたが、
   江戸歌舞伎の豪華俳優の幸四郎、歌六、又五郎が、ご祝儀と言うか、襲名披露公演へのオマージュとして、達者な芸を披露して華を添えていた。

   劇中劇で、吉田屋喜左衛門の幸四郎が、鴈治郎を披露していた。
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国立文楽劇場・・・二代目吉田玉男襲名披露公演「天網島時雨炬燵」etc.

2015年04月16日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   吉田玉男襲名披露狂言「一谷嫩軍記」と口上のある第一部は、満員御礼もあって、大変な人気だが、同じ玉男が登場する「天網島時雨炬燵」の方の第二部は、空席が非常に多くてさびしい感じである。
   人間国宝の文雀が休演で、和生が代役を務めたが、「絵本太閤記」や、「伊達娘恋緋鹿子」など人気狂言が上演されているにも拘わらずで、東京と比べて人口が少ないこともあろうが、何となく、文楽の本拠地である大阪での文楽人気の陰りを見た思いがして寂しい。
   

  「天網島時雨炬燵」は、2月の東京での公演での記事を書いたので、蛇足は避けるが、東京では、小春を簑助が遣っていたのが、大坂では、清十郎に代わっていて、かなり、印象が違った。
   「治兵衛は、色気や品が必要な役、この治兵衛にしろ、「冥途の飛脚」の忠兵衛にしろ、上方の二枚目には頼りない男が多く、師匠も「情けない奴っちゃんぁ」と言っていたが、そこが、世話物のリアルな面白さで、人間味がある。」と、プログラムで語っていて、色気があった師匠の遣い方を見習いたいと言う。

   初代玉男の舞台は、結構、沢山見ているのだが、このブログは、2005年3月からなので、玉男師匠の印象記を書いているのは、最晩年の「人間国宝・玉男と簑助の「冥土の飛脚」」「人間国宝・住太夫、玉男、簑助が皇太子ご夫妻に文楽「伊賀越道中双六」を披露」の2編だけである。
   記憶にあるのは、俊寛や内蔵助など限られており、最初に観たのが曽根崎心中の徳兵衛であるから、何故か、和事の世界の優男の方の印象が強いので、二代目玉男の近松物をもっと見たいと思っている。

   非常に興味深いのだが、文化デジタルライブラリーを見ると、1980年の舞台では、治兵衛が玉男、おさんが文雀なのだが、1985年では、それが入れ替わり、1989年と1994年の舞台では、治兵衛が簑助、おさんが玉男となっていて、この文楽では、玉男は、女形のおさんを遣っていたのである。
   2006年に玉男が逝去しているので、この年の舞台は、治兵衛を勘十郎、おさんを簑助、小春を和生、孫右衛門を玉女が遣っていて、これは見ており、このブログに書いている。
   ところが、近松のオリジナルに近い「心中天網島」の方では、栄三が治兵衛を遣っている時には、玉男はおさんだが、その他では、文雀がおさんで、玉男は治兵衛を遣っているのだが、玉男の解釈に、浄瑠璃として改作版と違いがあるのか、使い分けが興味深いと思っている。

   今回の「紙屋内の段」では、主役は、おさんなので、玉男の遣う治兵衛は、最初は、金策に困って小春から手を引いたと噂されるのが悔しいと炬燵に潜り込んで泣いている不甲斐ない男から始まって、殆ど格好良い動きはない。
   小春が、おさんの治兵衛を助けてくれと言う手紙に感じ入って、太平衛に靡くふりをして死ぬ覚悟だと分かって、助けるべく必死に金策に励むおはんに頼り切ると言う、更なる、ガシンタレぶりで、恰好がつくのは、殺そうと殴り込んできた太平衛たちを返り討ちにするところだけであろうか。
   玉男の言うような色気や品を示す余地など全くなく、本領発揮は、次の近松門左衛門の浄瑠璃となろう。
   
   「絵本太閤記」は「夕顔棚の段」と「天ヶ崎の段」で、勘十郎が武智光秀、和生が母さつきを遣う。
   この演目は、勘十郎が襲名披露公演で演じた狂言で、母さつきを紋壽、妻操を文雀、嫁初菊を簑助、武智十次郎を玉男が遣うと言う最高の布陣で、浄瑠璃と三味線は、嶋大夫と清介、咲大夫と富助であった。

   この浄瑠璃は、太閤記であるから、当然、善玉は真柴久吉で、小田春永を討った武智光秀は逆賊。
   光秀が、久吉と誤って自らの手で母親を刺し、初陣に出た息子十次郎が戦場で深手を負って帰還し、味方の敗北を伝えて、祖母とともに息絶えると言う壮絶な物語。
   私自身は、勝てば官軍負ければ賊軍なので、それ程、史実のように、秀吉を高く買い光秀を悪玉だとは考えていないので、何時も、すんなりと母さつきの役割を受け入れられなくて、消化不良気味で見ている。

   「伊達娘恋緋鹿子」は、「火の見櫓の段」で、九つの鐘が鳴って閉ざされた木戸を開けさせるために、お七(紋臣)が、火の見櫓に上って半鐘を打ち鳴らす舞台である。
   人形遣いが手を放した人形が、背後で人形遣いが操作しながら、正面を向いた梯子を、滑車に引き上げられて昇って行くシーンが、中々、リアルで良く出来ていて面白い。

   感動的なのは、第一部の「卅三間堂棟由来」
   梛の木と柳の木が互いの枝を伸ばして絡み合う「連理」の姿を見た修験者の蓮華王坊が、男女の交わりにも似て行場の穢れであると二本の枝を切り離す。
   王坊は二つの木の恨みで非業の最期を遂げ、ドクロは楊枝村の柳の木に留まり、柳が揺れる度に、王坊の生まれ変わりである法皇が頭痛の病を起こす。
   そこで、病を取り除く為、柳の木を切り倒して、ドクロを納める三十三間堂(蓮華王院)の棟木にすることになった。
   梛の木が本当の人間・横曽根平太郎に、柳の木が柳の精のまま女房お柳に生まれ変わって夫婦になって五年、みどり丸という子供も生まれ幸せな生活を送っていたのだが、女房お柳は柳の木の精なので、柳が切り倒されてしまえば死んでしまう。
   お柳は自身の秘密を打ち明け、所持していたドクロを夫に渡して姿を消す。
   切り倒された柳は、都へと曳かれて行くのだが、街道筋まで運ばれてくると動かなくなる。
   柳が別れを惜しんでいると悟った平太郎が、みどり丸に綱を引かせ、自ら木やり音頭を唄うと、柳の木は動きだし、みどり丸が木に縋り付く。

   この話は、「芦屋道満大内鑑」の狐葛の葉の物語を彷彿とさせて悲しくも美しい。
   人間と違った種類の存在と人間とが結婚する異類婚姻譚の一種だが、鶴の恩返しなど、動物の方が多いような気がするのだが、これは、木の精である。
   簑助が、女房お柳を遣って、素晴らしく情感豊かな物語を紡ぎ出していて感動的である。文壽が、久しぶりに颯爽とした進ノ蔵人を遣っている。
   勘十郎の息子簑次が、みどり丸を演じていて、進境著しい。
   津駒大夫と寛治の、木遣り音頭が、しみじみとした情感を残して素晴らしい。
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国立文楽劇場・・・四月文楽公演「靭猿」

2015年04月14日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   二代目吉田玉男襲名披露公演なのだが、その舞台の冒頭が、何故か、小品の「靭猿」である。
   この作品は、狂言の「靭猿」を脚色した文楽の作品の一つで、オリジナルの狂言そのものが、非常に質の高い名曲中の名曲である。
   4年前に、国立能楽堂で、大蔵流の茂山千五郎家の舞台を観て、感激した思い出がある。
   それに、この「靭猿」は、歌舞伎にも取り入れられて舞踊劇となっていて、先に逝ってしまった名優三津五郎の素晴らしい舞台を観ているので、文楽では、どのような作品となって演じられるのか、非常に、興味を持って鑑賞した。

   まず、狂言は、次のようなストーリーであるが、感想も含めて、私のブログを少し引用しながら、オリジナルなので多少詳述する。
   ”遠国の大名が、遊山に出かけた途中で、猿引に出会い、その猿の毛並みに惚れて、矢を入れる靱を猿の皮で飾りたいと思ったので、強引に皮を貸せと猿引に強要するのだが、皮を剥げば猿が死ぬと断る。
   大名が矢を構えて脅すので仕方なく同意して、猿に言い聞かせて鞭を振り上げるのだが、芸の合図かと思って、その鞭を奪った猿が、船を漕ぐ芸を始めるので、猿引は可哀そうになって号泣する。
   大名も猿を哀れに思って思い止まると、猿引は喜んで、猿歌を謡って猿に舞を舞わせる。
   大名は、舞う猿の可愛らしさに引かれて、猿引に褒美を与えて、自分も、猿の舞を真似て一緒に舞う。”

   居丈高で傍若無人に振る舞っていた大名が、次第に、情愛に触れて心を入れ替え、猿の可愛いしぐさに惚れ込んで、無邪気になって自ら踊り出すと言う天真爛漫の人の良さと、猿引の猿への愛情が滲み出ていて、それに、猿を演じる子役が実に可愛くて、和ませてくれる。    
   大名を当主千五郎、猿引をその弟の七五三、太郎冠者は千五郎の長男正邦、猿を正邦の弟茂の長女莢が演じていて、親子兄弟3代の舞台である。

   猿を演じる莢ちゃんが女の子であることもあって、実に優しい仕種で、寝転がったり、ノミ取りで手足を掻いたり、それに、 大音声で大見得を切る千五郎の大名の迫力と居丈高さは流石であるが、その千五郎が、猿引の猿への情愛に絆されたと思うと、今度は、幼稚園の児童よろしく、不器用な仕種で、小猿を真似て、床を転がったり遊戯(?)をする可笑しさ。スマートで灰汁のない七五三の猿引の実直さ真面目さは秀逸で、その対照の妙が面白く、正邦の太郎冠者は、非常にオーソドックスな感じで、シチュエーションの変化を微妙に感じながら、二人の間を上手く取り持っている。
   
   一方、歌舞伎の「靭猿」だが、一時元気になって舞台に戻った三津五郎と又五郎のコミカルタッチの舞踊劇が非常に面白かった。
   この「靭猿」は、アイロニー豊かな可笑しみとほのぼのとした人間味を感じさせて、もう少し質の高い味のある喜劇の狂言とは大分差があって、換骨奪胎、舞踊と仕草で楽しませる舞台となっていて、やはり、三津五郎と又五郎の舞台である。
   小猿を殺して靭にすると息巻く大名が、この舞台では、女大名三芳野(又五郎)に代わっていて、又五郎が、醜女風の恋多き女としてドタバタを演じるので笑わせる。
   猿曳寿太夫の三津五郎が、小猿を売るのを苦しみながらしんみりと小猿に説得する優しい好々爺ぶり、小猿の仕草があまりにも可愛いので、完全に喰われた感じではあったが、前にも増して艶のある愉快な演技と元気な踊りを見せて、本調子の三津五郎に観客は惜しみなき拍手を贈っていた。

   さて、今回の文楽の「靭猿」だが、解説によると、近松門左衛門作「松風村雨束帯鑑」の劇中劇として伝えられたものだと言う。
   いずれにしろ、狂言が600年、文楽が400年の歴史であるから、近松が狂言の「靭猿」を真似たのは当然で、ストーリー展開も、前半は殆どそっくりである。
   違ってくるのは、殺されるとも知らずに懸命に踊る猿に心を動かされた大名が、猿の命を助けるところからで、狂言では、大名も一緒になって舞うと言う趣向だが、この文楽では、喜んだ猿曳が、武運長久、御家繁盛などを祈願して猿を舞わせて帰って行くことに変わっている。
   ものの本によると、「西遊記」の孫悟空が、天上界に仕えていた時、厩の番人を命じられていたように、日本の猿曳きも、元は厩を祈り清めるために、家々を回ったとかで、この文楽でも、この厩の厄払いに使った御幣を、猿に持たせて舞わせている。

   狂言では、猿(靭猿)に始まって狐(釣狐)に終わると言われるほどで、狂言師をめざす子弟が猿の役で初めて舞台に立つ演目で、縫い包みを着て小猿そっくりの恰好で演技をするので、非常に可愛い。
   歌舞伎の猿も、子役が演じるので、同じような雰囲気である。
   ところが、文楽の場合には、立派な3人遣いの人形遣いが猿を操るので、非常に芸が細かく表現力が豊かになって面白くなる。
   二代目吉田玉男一門の玉翔が、表情豊かでコミカルな猿を器用に遣っていて楽しませてくれる。

   無茶苦茶な大名と必死になって猿を庇う猿曳との会話を知ってか知らずか、猿が、大名に猿曳と同じような格好で、対応しているのが興味深い。
   一打ちに猿を殺そうと振り上げた鞭を、芸の合図と思って、猿が鞭を取り上げて舞うと言うストーリーの筋はそのままなので、分かっている筈がないのだが、猿まねで演じていると理解して見ていると、狂言や歌舞伎の可愛い猿と言うキャラクターとは一寸違って、対等の演者として芸をしているようで、面白い。

   清十郎が誠実で人間味のある猿曳を、文昇が中々威厳と風格のある大名を、勘市が軽妙な太郎冠者を、遣っている。
   大夫は、猿曳が咲甫大夫、大名が睦大夫、太郎冠者が始大夫、ツレが咲寿大夫・小住大夫、三味線は、東蔵、團吾、龍爾、清公、錦吾。

   立ての東蔵のブログで、
   猿が舞うところが聴きどころです。盛り上がるよう全員でいきを合わせ演奏していきます。猿の舞うところ 鳴声を“きっきっきききっ”と演奏します!はっきりわかる部分ですがお聴きのがしなく!
   と書いてあったのだが、残念ながら、一寸、気付かなかった。

   とにかく、能や狂言、歌舞伎、文楽、落語、講談など、同じストーリーなり話題を、テーマにした古典芸能が、夫々に、どのような展開をしているのか、楽しみにして見ている者にとっては、「靭猿」は、格好の舞台であった。
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国立文楽劇場・・・二代目吉田玉男襲名披露狂言~「一谷嫩軍記」

2015年04月12日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   4月4日から、大阪の国立文楽劇場で、二代目吉田玉男襲名披露公演が、行われていて、華やいでいる。
   造幣局の桜並木の通り抜けがオープンしたその日、文楽劇場前の桜は、やや、盛りを過ぎた感じだが、吉田玉男の幟旗と妍を競って、春爛漫であった。

   劇場の入り口には、左右のの柱に飾られた、金屏風の前で威儀を正した二代目玉男の写真が出迎えて、中に入ると、披露公演の演目を絵にした大看板と華やかな記念写真が出迎えてくれる。
   
   
   
   
   

   この文楽劇場は、フロントが二階にあるので、左手のエスカレーターに乗って上に上がる。
   一階には、レストランや資料展示室や茶店、事務所などがあり、二階には売店などのあるかなり広いロビーがあって寛げる。
   一階の資料展示室では、企画展示「初代・二代目吉田玉男」と「文楽入門」が開かれていて懐かしい舞台写真や二人のゆかりの品々などが展示されていて興味深い。
   客席は、左右に高くなった桟敷席風の席があって中々快適であり、東京の小劇場より椅子が良いのか疲れにくくて良い。
   
   
   
   
   

   さて、襲名披露口上だが、真ん中の玉男を挟んで、右に、大夫代表の嶋大夫、その隣が、三味線代表の寛治、左に、人形遣い代表の和生と勘十郎、そして、その左に、司会進行の千歳大夫が並んで、夫々、口上の挨拶を述べた。
   その背後に、両玉男の弟子たちが勢ぞろいした。
   人間国宝は、寛治だけで寂しい感じだが、世代替わりを彷彿とさせてもいて、新しい時代の流れであろう。
   寛治が、初代玉男の傍に、可愛い子供がいたので、「お子さんですか。」と聞いたら、「違う、近所の子や。アルバイトに来てんねん。」と言っていた、これが、二代目との出会いであったと、口上で語っていた。

   まず、昼の第一部は、口上を挟んで、最初に、狂言を脚色した「靭猿」、口上の後に、襲名披露狂言の「一谷嫩軍記」の熊谷桜の段/熊谷陣屋の段、最後は、「卅三間堂棟由来」の平太郎住家より木遣り音頭の段で、簑助の女房お柳や紋壽の進ノ蔵人、津駒大夫や寛治など重鎮が舞台を務める。

   やはり、注目は、襲名披露狂言の「一谷嫩軍記」であろう。
   
   今回同様、熊谷直実を2代目玉男が遣った舞台は、これまでに、二回観ている。
   両方とも、東京の国立劇場だったが、最近では、二年前の五月で、その時は、
   人形は、熊谷を玉女、妻相模を紋壽、藤の局を和生、義経を清十郎、弥陀六を玉也などが遣い、大夫と三味線が、夫々、三輪大夫・喜一朗、呂勢大夫・清治、英大夫・團七と言う布陣であった。
   もっと以前には、10年前の12月で、その時は、
   人形は、直実を玉女、妻相模を和生、敦盛の母・藤の局を勘十郎、義経を紋豊、弥陀六を玉也、大夫と三味線は、千歳大夫と清介、文字久大夫と錦糸であった。
   今回と違うのは、人形遣いは、義経が紋豊から玉輝に代わっただけであり、当時人間国宝の最高峰の3人を除けば、今も昔も同じだと言うことで、謂わば、これが決定版と言うか、非常に興味深い。
   大夫と三味線は、後の文字久大夫は同じで、三味線が清介に変わっている。
   ところが、面白いのは、大阪の文楽劇場では、直実を勘十郎が遣っていて、二代目玉男は、この大阪の本舞台では、直実は、今回が初演なのである。

   この浄瑠璃は、平家物語と違って、無官の太夫敦盛が、後白河院のご落胤だと言う設定となっていて、義経が、直実に、「一枝を伐らば一指を剪るべし」と言う謎かけで、自分の実子小次郎を犠牲にしてでも、敦盛の命を助けよと言う命令を出したので、これを須磨の戦いで実証すると言う悲劇が一つのテーマとなっている。
   尤も、私は、妻相模への直実の感情など、人間的な触れ合いについて興味を持っており、冒頭の相模が出迎えるシーンで、玉男の直実は、歌舞伎のように嫌な顔をして無視すると言う態度を取っていなかったし、妻を気遣う優しい対応を感じて、最後の「どうして、敦盛と小次郎を取り替えたのか」とか、「エエ胴欲な熊谷殿。こなたひとりの子かいなう。」と言う二人の対話が生きていたような気がしている。

   ところで、やはり、「熊谷陣屋の段」は、歌舞伎で観ることが多いようで、これまでに、幸四郎や吉右衛門や染五郎、それに、仁左衛門の熊谷を鑑賞している。
   何度見ても、忘れてしまうので、記憶は乏しいのだが、今回は、小次郎の首を敦盛と偽って義経に差し出すシーンと、出家姿で「十六年もひと昔。夢であったなあ。」と慨嘆するシーンの直実の演技が、文楽と歌舞伎では、相当違っていて、印象が大分変って来るのに、改めて感じた。

   まず、義経が敦盛の首実検せんと命じると、直実は、若木の桜の前に立ててある制札を引き抜いて近づき、首桶の蓋を取った瞬間、「ヤアその首は」と叫ぶ女房に見せじと扇を首の前に立て、駆け寄る相模を右膝下に組みしき、右手に握った制札をグンと伸ばして、近寄ろうとする藤の局の顏を遮ると言う豪快な見得を切る。
   階に足をかけて、突き落とした相模と藤の局を制札で抑え込んで、左手で持ち上げた首をぐっと義経に向けて差し出して、「御賢慮に叶いしか」と大音声。
   この見得は、初代玉男が編みだしたものだと言う。
   人形だからこそできる素晴らしい見得で、圧倒的な迫力である。
   

   また、この「熊谷陣屋」の幕切れだが、歌舞伎では、七代目團十郎の発案で、幕切れに熊谷ひとりだけ花道に出て行って幕を引かせ、中空を仰いで、「十六年は一昔、アア夢だ。夢だ」と独白して、ひとり花道を歩みながら引っ込んで行くと言う「團十郎型」が一般的である。
   この幕切れは、劇的効果満点で、非常に感動的なシーンとなっている。

   その点、文楽では、この言葉は、直実が、上帯を引解いて鎧を脱いで、袈裟白無垢姿になって、生まれ変わった心境で、本心を述懐する最後の台詞なのである。
   その後、弥陀六が櫃を背負って、義経に「敦盛が生き返って残党を集めて恩を仇で返せばどうする」と悪口をたたくなどあり、左手に兜、右手に数珠を握りしめた直実を真ん中にして、「さらば」「さらば」と別れ行く段切りの見得まで、かなり、芝居が続くので、この言葉のニュアンスも微妙に違っていて面白い。

   一方、歌舞伎でも、「芝翫型」の幕切れでは、妻相模と一緒になって小次郎の菩提を弔って遁世するようだし、引張りの見得で幕になるなど、上方歌舞伎も含めて、色々なバージョンがあるようであり、この方は、文楽にかなり近い。

   さて、玉男は、何故、襲名披露狂言い「一谷嫩軍記」を選んだのか。
   昭和55年1月大阪・朝日座の本公演の後の「若手向上会」で、世代交代で選抜されて、師匠の役をそのまま若手が遣うと言うことで、熊谷の役を貰い、師匠の人形を遣って一生懸命練習して演じた時に、玉男師匠が、左を買って出てくれたのだと言う。
   その時、本人は、簡単な左に行きつつ、難しい足についていたと言う駆け出しだったのだが、文楽協会賞を貰ったりして、大変に思い出深い役なので、襲名に選んだのだと語っている。
   文楽の人形遣いの芸の継承の良さは、肉体を接触させながら、師匠の芸を肌身に感じて、一挙手一投足を直に見習えることで、二代目は、初代の左だけでも20年以上も務めたと言うのであるから、筋金入りの直弟子である。
   初代の文楽人生まで、まだ、20年あり、どれ程、芸の高みに上り詰めて行くのか、無上の楽しみである。

   とにかく、最初から最後まで、非常に充実した素晴らしい舞台が展開されていて、感動的である。
   文七の素晴らしい首に風格のある衣装を身に付けた威風堂々たる熊谷直実を、豪快に遣って絵のように演じるのであるから、正に、二代目玉男の晴れ姿を堪能させてくれる。
   
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四月大歌舞伎・・・鴈治郎の「心中天網島:河庄」

2015年04月06日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   四月の歌舞伎座は、中村鴈治郎の襲名披露公演である。
   夜の部で、襲名披露口上があるのだが、大阪では従来の形式で行われたようだが、東京では、「成駒屋歌舞伎賑」の「木挽町芝居前の場」で、幹部役者が勢揃いした舞台の後、藤十郎と鴈治郎を筆頭に成駒屋一家四人が、鴈治郎を真ん中にして一列に並んで正座して口上を述べた。
   
   

   すでに、大阪松竹座で1月と2月に襲名披露興行を行っているので、鴈治郎を、道頓堀の座元の仁左衛門が案内して江戸に乗り込み、木挽町の座元である菊五郎、太夫元の吉右衛門、芝居茶屋亭主の梅玉らに引き合わせると言う形式を取っている。
   そこに、男伊達と女伊達が、二列になって登場し、両花道にずらりと並んで、男女交互に鴈治郎へご祝儀のツラネを述べ、それに応えて鴈治郎が一人ひとりに頭を下げる。
   茶屋女房の秀太郎に案内されて江戸奉行の幸四郎が登場して、お祝いを述べながら、鴈治郎のファンだからサインが欲しいと言って紙を取り出すと鴈治郎がサインをして返すと言うサービス・シーンがある。
   この幸四郎は、昼の部の「廓文章」の中で、吉田屋喜左衛門として登場し、久しぶりに店を訪れた藤屋伊左衛門の鴈治郎を、口上に代えて、披露すると言う役割も演じている。
   1月の公演では、橋之助など同じ成駒屋の役者たちが加わっていたようだが、東京では、平成中村座の公演で、重なっていて登場できないようで、一寸寂しい感じがする。

   夜の部では、やはり、最高の舞台は、襲名披露狂言「心中天網島」の「河庄」である。
   紙屋治兵衛は鴈治郎、紀の國屋小春は芝雀、粉屋孫右衛門は梅玉、河内屋お庄は秀太郎、江戸屋太兵衛は染五郎と言う素晴らしい布陣である。
   もう、10年ほども前になるであろうか、先代の鴈治郎(現藤十郎)の治兵衛と雀右衛門の小春の素晴らしい「河庄」の舞台を観て感激したことがある。
   今度の舞台は、その次の世代の子息たちの舞台であり、改めて、懐かしい芝居を反芻させて貰った。

   その少し後に、同じく藤十郎の治兵衛で、時蔵の小春の舞台を観たが、今回、鴈治郎の治兵衛を観ていると、当然かも知れないのだが、生き写しと言っても良い程の舞台で、懐かしさと言うよりも、びっくりしてしまった。
   藤十郎も鴈治郎もそうだが、治兵衛の仕草や語り口などは、今でも、大阪人が、生身そのままで舞台に登場して、そのまま語っているような、極めてリアルで、臨場感たっぷりの実際の人生劇場そのものであり、芝居をはるかに越えており、どっぷりとその舞台に引きずり込まれてしまって、歌舞伎を観ているのを忘れてしまうのである。
   後で振り返ってみて、上手いなあ! あれが、近松の世界なのだ、と思って、感激する。

   鴈治郎が、何かで、顔は父親似だが、芸は祖父似だと言っていたが、この河庄の舞台に関する限り、YouTubeで、先々代の鴈治郎の治兵衛と藤十郎の小春の舞台を観ることができるのだが、先々代の治兵衛とは、全く芝居もニュアンスも異なっていて、異次元の世界である。
   余談ながら、この動画の、水も滴る好い女で、実に健気で女らしい小春を演じている若き頃の藤十郎の素晴らしい芝居が感動的である。

   さて、この舞台は、語り口そのものも芝居の雰囲気も、近松門左衛門、そして、改作者の近松半二にしろ、心底どっぷりと大坂に浸かり切った浄瑠璃であり歌舞伎であるから、住大夫が常に語っていたように、絶対に訛ってはダメで、こてこての大阪弁、大阪気質、大阪文化で語り演じなければならないと思っているのだが、その意味では、正に、前述したように藤十郎や鴈治郎の世界なのである。

   扇雀の子息虎之介さえ東京人に成ってしまって、大阪弁の勉強に大阪に語学留学したいと言うほどだから、鴈治郎の子息で善六を演じた壱太郎も努力して大阪弁を駆使したのかも知れないが、今回、素晴らしい芝居を演じている小春の芝雀や粉屋孫右衛門の梅玉や江戸や太兵衛の染五郎も、私には、一寸、ニュアンスが違っていて、近松ではなく、和事の歌舞伎の舞台を観るつもりで鑑賞させて貰った。
   昨年3月に観た「封印切り」の舞台では、忠兵衛が藤十郎、梅川が扇雀、秀太郎がおゑん、八右衛門が翫雀、槌屋治右衛門が我當と言うオール上方役者で演じられたが、恐らく、本物の近松門左衛門の芝居は、これが最期かも知れないと思っている。

   玉男も逝き、巨星米朝も去ってしまった。
   日本文化の誇りであった筈の古典芸能の世界から、どんどん、上方文化が消えて行くような気がして、寂しい。
   今回の鴈治郎襲名は、その危機を強烈に実感させてくれているような気がして、私には、印象的である。
   初日に歌舞伎座に出かけたのだが、空席が結構あったし、松竹の歌舞伎美人で空席状況をチェックしたら、貸切日以外は、チケットが大分残っているようである。

   住大夫引退公演チケットが瞬時に完売した余韻が残っているのか、文楽の二代目玉男襲名公演のチケット(口上のある部)は、今月の大阪公演では残っているが、東京公演は、あぜくら会分は、即日完売であった。(一般売り出しは、4月7日から)
   文楽協会や日本芸術文化振興会などの必死の努力が効を奏したのであろう、
   放漫財政の結果の辻褄合わせに、補助金カットで、最後の砦として大阪に残っている世界文化遺産の文楽まで、文化衰退の標的にした地元で育った政治家がいる世の中であるから、仕方がないのかも知れないが、実に寂しい。
   
   一寸古いので、手元にある岩波講座の「歌舞伎・文楽」や「能・狂言」には、まだ、少し、上方文化の余韻らしきものが残っているのだが、このままでは、何時か、古典芸能、日本文化の世界も、東京一極に集中してしまうのであろう。
   日本史や日本文化史に、昔、上方文化と言うものがあったと言う歴史上の記述だけが残るような気がしている。
   
   
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日生劇場・・・シェイクスピア「十二夜」

2015年03月28日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   久しぶりに、ウィリアム・シェイクスピアの「十二夜」を観に日生劇場に出かけた。
   RSCなど英国のシェイクスピア劇団が来日しなくなるなど良質なシェイクスピア劇を、蜷川の舞台以外では、観られなくなった・・・尤も、これは、私の認識不足で、上演されているのかも知れない・・・ので、RSC(ロイヤル・シェイクスピア・カンパニー)のディレクターでもあるジョン・ケアードの演出と言うことで、大いに期待したのである。
   それに、美術・衣裳は、ヨハン・エンゲルス、音楽・編曲は、ジョン・キャメロンと言うのであるから、役者などが日本人だが、英国版の上演だと言うことであろう。
   


   私の場合、シェイクスピアの舞台は、イギリスでの5年間で、殆ど主に、ストラトフォード・アポン・エイヴォンとロンドンでRSCの舞台に通い詰めながら、その楽しさを味わって来たし、蜷川の舞台も「マクベス」や「テンペスト」なども、ロンドンで観てファンになった。
   今回の舞台は、 松岡和子の翻訳だが、当時は、小田島雄志訳のシェイクスピア全集にお世話になった。

   ジョン・ケアード(John Caird)については、以前は、演出家に関しては殆ど意識をしていなかったのだが、彼の演出記録をチェックすると、私はイギリスで、彼の演出によるLes Misérables、A Midsummer Night's Dream、As You Like It、The Beggar's Operaを観ていることになる。
   殆ど、記憶に残っていないのだが、乞食オペラ(The Beggar's Opera)は、しっかりしたオペラの舞台を観ているような感じがした気がしている。
   この舞台やレ・ミゼラブルは、日本でも彼の演出で上演されたようだが、私は観ていない。
   
   双子の兄妹セバスチャンとヴァイオラ(音月桂・二役)の乗る船が難破して、偶然にも、夫々離れてイリリアの岸にたどり着く。兄が溺れたと絶望したヴァイオラは、兄の服を着て男装してシザーリオと名乗り、オーシーノ公爵(小西遼生)に、小姓として仕える。
   オーシーノは、父と兄の喪に服している伯爵家の美しきオリヴィア(中嶋朋子)に恋焦がれており、拒み続けるオリヴィアへの恋のメッセンジャーとして、シザーリオを送り込む。
   ところが、オーシーノに恋してしまったヴァイオラ(シザーリオ)は、切ない気持ちを抱きながらオリヴィアの元へ向かうのだが、逆に、オリヴィアの方が、シザーリオを本当の男性だと思って恋してしまう。
   一方、ヴァイオラの双子の兄セバスチャンが、同じイリリアに辿り着き、そこで偶然に出会ったオリヴィアにシザーリオと間違って恋を迫られて、何が何だか分からないままに、訪れた幸運を掴もうと、牧師の前で結婚式を挙げてしまう。
   全く良く似た兄妹セバスチャンとヴァイオラの区別は服装だけと言う状態であるから、兄弟を取り違えた悲喜劇が展開されるのだが、結局はハッピーエンドで、二組の結婚が成立する。
   この舞台では、同じ服装をしているシザーリオとセバスチャンの区別は、腰のバンドとタスキ掛けの飾りの色で区別して、前者は黒、後者は赤にして、音月桂は、微妙に声の表現を変えて演じている。
   
   ところが、ラストの大詰めの舞台で、ヴァイオラとセバスチャンが同時に登場する、せざるを得ないシーンがあるのだが、蜷川歌舞伎では、菊之助に良く似たマスクをつけた別人を登場させていたが、この舞台では、良く似た別の女優を起用して、バンドとタスキを外して、どちらがどっちか分からないようにして、台詞の大半を音月桂に振って出来るだけ正面を向かせて演じていた。
   この舞台では、二役が出来ても、「間違いの喜劇」では、二組の双子の兄弟は、頻繁に登場するので、良く似た役者を登場させざるを得ないのである。

   このストーリーに、サブ・ストーリーとして、オリヴィアに恋する執事マルヴォーリオ(橋本さとし)が、日頃威張り散らされている腹いせに、居候の伯父サー・トービー(壤晴彦)とバカだが金持ちのサー・アンドルー(石川禅)と道化のフェステ(成河)たちに、侍女マライア(西牟田恵)がオリヴィアに似せて書いた偽ラブレターに仕掛けられた悪戯で、散々に苛め抜かれてコケにされると言う物語が加わっており、益々面白いドタバタ喜劇が展開される。

   この「十二夜」を観ていると、シェイクスピアの戯曲のテーマなりキャラクターが、次々と綾織のように紡ぎだされているのが分かって面白い。
   「間違いの喜劇」で、双子の兄弟と双子の従僕が間違われて展開される喜劇、そして、兄弟ではないが、良く似ている二組の恋人たちが、妖精パックの惚れ薬に翻弄されて繰り広げる互いに入れ替わる「真夏の夜の夢」の話、
   また、男装して恋人のために活躍する「ヴェニスの商人」のポーシャ、「お気に召すまま」のロザリンドも男装して事態を縺れさせながら結婚すると言うハッピーエンド、
   酒飲みのトービーは、「ヘンリー4世」や「ウィンザーの陽気な女房たち」のファルスタッフそっくりだし、セバスチャンを助けた友のアントーニオ(山口馬木也)などは「ヴェニスの商人」のアントーニオとよく似ており、恋の仲立ちになると騙されて貢がせられる金づるのアンドルーなどは「オセロ―」のイアーゴーに騙されるロダリーゴーと生き写し、
   道化の気鋭妙洒脱な可笑しみ滑稽さアイロニー・・・、いくらでも、シェイクスピア劇のキャラクターを思い出すことが出来る。
   この物語の材源は、「アポロニウスとヘラ」だと言われているが、
   あのロダンが、巨大な「地獄の門」に、「考える人」など、それまでに制作した多くの彫刻作品を集めて集大成したような面白さが、この戯曲にはあって興味深い。

   さて、この「十二夜」だが、強烈な印象に残っているのは、蜷川幸雄が演出した歌舞伎の「十二夜」の舞台で、シェイクスピアが歌舞伎バージョンに生まれ変わると、こんなに新鮮な舞台になるのかと言う驚きを感じた。
   「十二夜」の舞台は、これまでに、RSCなど何回かは観ている勘定だが、私など、観てはすぐに忘れてしまうので、記憶は残っておらず、観た舞台でも、ケネス・ブラナーの「ハムレット」など僅かな舞台の断面やシーンなどしか残っておらず、惜しい限りである。

   今回の舞台は、日本語で、日本の役者が演じているので、非常に分かり易くて、舞台も綺麗であるし面白い。
   ただ、ケアードがどう思っているのかは分からないが、やはり、シェイクスピア劇を殆どキャリアの中心においてシェイクスピアどっぷりの芸術環境にあって日夜切磋琢磨している英国人役者の演じるRSCの舞台とは、全くと言っても良い程、雰囲気が違う。
   娯楽作品としては、素晴らしく楽しい舞台だし、水準の高い芝居だと思うが、シェイクスピアの舞台としては、笑いにしろ、恋の交感の表現にしろ、どこか、お芝居をしていると言う感じで、滲み出てくる深刻さ真剣さなり奥深さなど、上質なシェイクスピア戯曲の味が出ていない、シェイクスピア劇を鑑賞するつもりで出かけたら、一寸肩透かしを食った、と言う感じである。

   一つは、音月桂が、トークセッションで言っていたが、ケアードが、何度もシェイクスピアについて語っていて勉強になったと言うようなニャンスのことを語っていたが、まず、若い役者たちの間には、シェイクスピア劇とは何なのか、シェイクスピアそのものの理解や経験が不足しているために、シェイクスピア戯曲を演じることが如何に特別かと言う認識がないので、普通の、喜劇と捻った悲劇との綯い交ぜの悲喜劇を、真剣ながらも、普通の芝居と同じように演じていると言うことではなかろうか。

   尤も、私自身は、宝塚のトップスターとして男役を演じて高みに上り詰めた音月桂の、いわば、女のヴァイオラ(変装して男のシザーリオ)、そして、男のセバスチャンを演じ分ける舞台を観たくて行ったようなものであるから、十分に愉しませて貰って満足している。
   ウイキペディアでは、”現代的で華のある容姿に歌、ダンス、芝居と3拍子揃った実力派雪組トップスター”と言うことだが、
   歌は、道化との二重唱で、恋心を歌う素晴らしい歌声を聞いたし、ダンスは見られなかったが、華麗(?)なサー・アンドルーとの決闘シーンを見せて貰ったし、宝塚アクセント濃厚な台詞回しの、本職の男役と本来の女を器用に演じ分ける素晴らしい芝居を見せて貰った。
   

   「北の国から」から始まって、テレビや映画で良く観ている人気女優中嶋朋子は、勿論、二枚目俳優の小西遼生、一歩群を抜いている芸達者な橋本さとし、年季の入ったベテランの壤晴彦と青山達三、ミュージカルの舞台で経験の深い石川禅、才気煥発な演技で楽しませる西牟田恵、颯爽とした男振りを披露する山口馬木也と宮川浩に加えて、この舞台では極めて重要な歌を美声で歌いながら闊達な道化で狂言回しを演じる成河など、素晴らしい脇役陣が、存分に楽しませてくれる。

   舞台は、どんどん時間や空間が飛んで行くシェイクスピアの舞台だが、固定してあるのは、舞台袖の左手に女性の石像、右手に庭園の塀と木戸口、そして、舞台中央後方に鉄製の立派な門だけで、
   その間の舞台中央の回り舞台上に左右3列に設置された円弧の壁面を、上手く回して移動させながら、舞台照明を変えたり小道具をアレンジしたりして、瞬時に舞台展開を図るなど、極めてスムーズで気持ちが良い。
   私の知る限り、RSCの舞台と較べれば、かなり、立派な舞台セットである。
   ヴァイオリンとヴィオラとチェロの3重奏と道化などが歌うジョン・キャメロンの音楽が美しく舞台を包み込んで爽やかである。
   
   老年大半の能・狂言や歌舞伎・文楽と違って、蜷川シェイクスピアもそうだが、圧倒的に若い観客が多くて、この日の観客の80%以上は若い女性で、とにかく、客の殆どは女性で、私のように年かさの男性客は、天然記念物的存在であった。
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