晴天の下刈り入れが始まっていました。
抜けるような秋空に誘われて再び斑鳩の里を訪ねました。 前回はコスモスが咲き始めた法起寺を訪ねましたが、この日は法輪寺と法隆寺を中心に歩いて来ました。 法輪寺は、推古30年(622)聖徳太子がご病気になられた折、太子の御子山背大兄王がその子由義王らとともに太子のご病気平癒を願って建立されたと伝えられています。 刈り入れの始まった斑鳩の里北部、黄金色に輝く稲穂の波の中に見事な三重塔が望まれます。 法輪寺門前の無料駐車場に車を止め、あちこちで刈り入れの始まった田を望み、あちこち寄り道をしながら法隆寺までゆったりと歩いてきました。
(09.10.12 撮影)
法輪寺三重塔。 国宝の指定を受けていたこの塔が、1944年7月21日の落雷で炎上焼失しましたが、幸田露伴の娘 文さんや竹島博士、西岡常一棟梁の尽力により1975年夏に再建されました。
黄金色の稲穂と、白壁の斑鳩の里に立つ三重塔。 法隆寺の五重塔、法起寺の三重塔とともに斑鳩三塔と呼ばれ、親しまれています。
地元の古くからの墓地にて。 びっくりしたんですが、墓地の入り口の小さな小屋に骨壺がたくさんん放置されていました。 墓参りの人に伺うと、昔からここでは骨壺を墓地に持ち込むのは禁止されていて、納骨後は骨壺をこの場所にまとめて置くことになっているとのことでした。 恐れ多いので写真は撮れませんでした…合掌!
民家の軒先に、たわわに実る柿の木が。 良く見ると、一つの樹に二つの種類の実がなっています。 家の人に聞いてみると細長い渋柿の樹に、丸い柿の木(刀根?)を接ぎ木してあるとのことでした。
斑鳩神社横の溜池の土手から、法隆寺五重塔と甍が望めました。
土塀に寄り添うように、たくさんの諸仏が・・・合掌!
西院伽藍から東院伽藍へ抜ける東大門前にて。 以前に、入江泰吉さんの戦後間もなくの写真だったと思うんですが、朽ちかけた東大門の前を通る、稲俵を積んだ牛車の写真を見たことがあるんですが、今日はエンジン音を響かせてコンバインが通り過ぎていきます。
抜けるような秋空に誘われて再び斑鳩の里を訪ねました。 前回はコスモスが咲き始めた法起寺を訪ねましたが、この日は法輪寺と法隆寺を中心に歩いて来ました。 法輪寺は、推古30年(622)聖徳太子がご病気になられた折、太子の御子山背大兄王がその子由義王らとともに太子のご病気平癒を願って建立されたと伝えられています。 刈り入れの始まった斑鳩の里北部、黄金色に輝く稲穂の波の中に見事な三重塔が望まれます。 法輪寺門前の無料駐車場に車を止め、あちこちで刈り入れの始まった田を望み、あちこち寄り道をしながら法隆寺までゆったりと歩いてきました。
(09.10.12 撮影)
法輪寺三重塔。 国宝の指定を受けていたこの塔が、1944年7月21日の落雷で炎上焼失しましたが、幸田露伴の娘 文さんや竹島博士、西岡常一棟梁の尽力により1975年夏に再建されました。
黄金色の稲穂と、白壁の斑鳩の里に立つ三重塔。 法隆寺の五重塔、法起寺の三重塔とともに斑鳩三塔と呼ばれ、親しまれています。
地元の古くからの墓地にて。 びっくりしたんですが、墓地の入り口の小さな小屋に骨壺がたくさんん放置されていました。 墓参りの人に伺うと、昔からここでは骨壺を墓地に持ち込むのは禁止されていて、納骨後は骨壺をこの場所にまとめて置くことになっているとのことでした。 恐れ多いので写真は撮れませんでした…合掌!
民家の軒先に、たわわに実る柿の木が。 良く見ると、一つの樹に二つの種類の実がなっています。 家の人に聞いてみると細長い渋柿の樹に、丸い柿の木(刀根?)を接ぎ木してあるとのことでした。
斑鳩神社横の溜池の土手から、法隆寺五重塔と甍が望めました。
土塀に寄り添うように、たくさんの諸仏が・・・合掌!
西院伽藍から東院伽藍へ抜ける東大門前にて。 以前に、入江泰吉さんの戦後間もなくの写真だったと思うんですが、朽ちかけた東大門の前を通る、稲俵を積んだ牛車の写真を見たことがあるんですが、今日はエンジン音を響かせてコンバインが通り過ぎていきます。
柿食えば鐘が鳴るなり・・・という俳句を思い出します(笑)
斑鳩もいいですね。
そういえば、今日は鳥取で万葉フェスティバルというのが開催されるのですが、
そのオープニングイベントに、せんとくんが来鳥するらしいです。
奈良とは、こういうつながりがあったんですね~~(笑)
この日は本当によい天気でした。
刈り入れが始まった黄金色の稲穂の中を歩いていると
なぜか心が豊かになってきます。
決して私の田んぼではないんですが、
コンバインを操る農家の人の働きを見ながら
心豊かになっていきますね。
ところでせんとくん鳥取出張よろしくお願いいたします!