日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

デザインって何だろう?

2022-06-17 20:42:46 | マーケティング

雑誌・和楽のWebサイトに、「デザインって?」と考えさせられる記事があった。
和楽Web:デザインは間を適切につなぐこと。「佐藤卓TSDO展<in LIFE>」/佐藤卓さんインタビュー

私たちが日々生活をしている中には、様々なデザインと接している。
工業製品であれば、プロダクトデザイン、洋服等はファッションデザイン、といった具合だ。
むしろ「何かしらデザインされていないものと接する生活」はできない、と言っても過言ではないかもしれない。
一言で「デザイン」と言っても、その目的と用途によって、「デザインをする人」が考える事は、大きく違ってくるはずだ。

今回記事で紹介されている、佐藤卓さんは「パッケージデザイン」をされている、ということになるのかもしれない。
「パッケージデザイン」ということは、パッケージされているモノ・コトを生活者に伝える、ということが目的ということになるだろう。
生活に密着したものだからこそ、「わかりやすさ」や「手に取りやすさ」、「使いやすさ」ということが重要になってくる。
いくら芸術性の高いデザインであっても、使い勝手の悪いデザインであれば、それは「良いデザイン」とは言えない。
「使う人の姿」を想像しながら、それら商品の「目的や用途」を考え、数多くの商品が並ぶ棚から選んでもらう事が、デザインの基本ということになる。

この「使う人の姿を想像する」ということは、当たり前のように思えてできていない、ということが多々ある。
特にデザインのように、生活者と直接接する機会が少ない場合、現実とズレてしまうということがあるはずだ。
だからこそ、佐藤さんはインタビューの中で「買い物かごの中に、自分が(パッケージ)デザインした商品が入っていると嬉しくなる」という、内容の事を話されているのだ。
とりもなおさず「生活者から支持を得られた」という証拠だからだ。

では、デザイン以外の分野ではどうだろうか?
「生活者の姿が見えているのか?」、「生活者が求めているモノ・コトは?」という視点で、ビジネスを考えているだろうか?
それが、企業理念と合致し、社会に還元できるような仕組みとなっているだろうか?
先日来から拙ブログで取り上げている「ブランド・アクティビズム」は、このような当たり前の考えや発想から始まり、より積極的に社会の問題と向き合うことで得られる社会的信頼、ということではないだろうか?

それは事業規模の問題ではなく、企業そのものが常に創造していかなくてはならないものだろう。
それが、ドラッカーの言う「顧客を創造すること」ということに繋がっていくのでは?と、考えている。
その中における「デザイン」は、とても重要な位置づけとなる、ということでもある。
拙ブログに来てくださる方々は、このインタビュー記事をどのように読み解かれただろうか?


やはり動き出していた「パタゴニア」社‐ブランド・アクティビズム‐

2022-06-16 19:04:04 | マーケティング

Huffpostの記事をチェックしていたら、「やはり!」という記事があった。
それが、今日のタイトルとなっている「パタゴニア社」のブランド・アクティビズムだ。
Huffpost:「クローゼットの中は化石燃料だらけ」パタゴニアがフィルム公開。地球を蝕むプラスチック問題へ挑む 

先日、拙ブログで「ブランド・アクティビズムとソーシャル・ジャスティス」というテーマをエントリした。
この時、少しだけ触れていた企業が、パタゴニア社だった。

ご存じの方も多いと思うのだが、パタゴニア社は、米国の人気アウトドアブランドの一つだ。
人気を決定づけたのは「フリース」という、当時の新素材を使ったアウトドアウエアだ。
今では、当たり前のように「フリース」という素材の服を、何枚も持っている人がほとんどだと思う。
パタゴニア社のフリースは、ペットボトル容器を原材料とした「再生素材」として注目され、人気となったのだった。
それは同時に、「環境問題に関心のある企業」というイメージ付けにもなった。
以来、パタゴニア社は「環境問題」に対して、様々な活動を行う企業となっていった。
日本では「『パタゴニア』というブランド商品を買う」、ということが一つのオシャレな感覚があり、同時に「環境問題にも興味・関心がある」という、一つの表現となった。
服を着ている人自身が、環境問題等に興味・関心があるかないかということではなく、「パタゴニアの商品を持つ」ということそのものが、そのような意思表示のような受け止められ方をされる部分もあった。
パタゴニア社は「自分たちの企業理念に共感してくれる人を顧客としたい」という、明快なスタンスを持っている企業と言える。

そのパタゴニア社が、今回このような動画を公開した、ということは「これまで以上に環境問題に取り組んでいく」という、ある種の宣言のようなものであり、その為に顧客に対して「あなたのクローゼットは、どうなっていますか?」という問いかけにもなっている。
確かに、アパレル業界というのは、表には見えない「環境汚染産業」だといわれている。
使われる繊維一つにしても、フリースの素材となっているポリエステル、かつては「人絹(人造絹糸)」と呼ばれていたレーヨン、ストッキングの強度を一気に高め、価格を下げたナイロン等々、綿やウール等の天然繊維等の強度を高める為に、化石原料を素材として布が作られている。
それだけではなく、人工染料の開発により、様々な色が使う事ができるようになった。
布を人工染料で染めた後、さらす為に使われる水の量も膨大で、使われる水と共に人工染料は自然界へと流れていく、という指摘が数年前から言われるようになってきている。

このように、アパレル商品をつくる過程で今や化石原料そのものは、必需品と言ってよいほどなのだ。
そのことに「No!」という表明をすることで、パタゴニア社は自分たちの企業文化をより強く、社会的に意味のあるものへとしているのだ。
しばらく前に「木布(「もくふ」と読む)」について、エントリをしたが、パタゴニア社のような企業にこそ、「木布」を日本企業は売り込む必要があるのではないだろうか?



日本凋落が進んでいるのか?‐考えない社会の行方‐

2022-06-15 11:57:15 | ビジネス

日経新聞のWebサイトに、やや衝撃的な記事があった。
日経新聞:世界競争力、デンマークが首位 日本は過去最低34位

この調査を行ったのが、スイスにある有力ビジネススクールなので、欧州が優位になるのはある程度想像する事ができる。
ただそのようなことを除いても、日本の順位が34位というのは、やや衝撃的な気がしている。
もちろん、この3年間世界を覆いつくした「新型コロナ」による、様々な分野での影響は否めない。
だがそれは、日本に限ったことではないはずだ。

記事中に指摘されている通り、日本の場合「新型コロナ」に対する戦略的なモノがなく、「我慢・気合・根性」のような精神論的な事を、生活者に強いてきた。
結果として、「感染防止による、一時期的経済の停滞」から「withコロナへの転換」等の政策が語られることなく、ズルズルと今に至ってしまった。

その一例として「マスクをいつ外すのか?」という、議論だ。
朝日新聞:マスクを外す?外さない? 自分で決められない日本の社会の空気感

個人的には、「個人の利益とリスク(体調不良等)のバランスを考えて、決めればよい」と考えている。
というのも、私自身が「マスク熱中症」になり、日ごろから「マスク頭痛」で困っているからだ。
「個人の利益」という表現をすると、「感染予防という社会的目的を忘れている」と指摘されるのだが、今現在「マスクを外さない理由」として挙げられる順位としては「感染予防」よりも、「人目を気にして」とか「他者に表情を読み取られたくない」という理由のほうが、上位にきている。
今や「感染予防」という「社会的目的」ではなく、「個人的理由でマスクが外せない」という人のほうが圧倒的に多いのだ。
もちろん、「基礎疾患を持っているので、マスクは外せない」という方もいらっしゃると思う。
とすれば、「TPOに合わせて、マスクを使いこなす」事で、問題の多くは解決するのでは?

と同時に、「コロナ禍」でいかに以前のような生活に戻す為の技術を、生活の中に取り入れるのか?という、提案そのものがされてこなかったような気がしている。
例えば、以前から言われていた「紫外線を活用したウイルスの不活性化」という技術は、既に確立しており製品化もされていた。
(一例:アイリスオーヤマ「細菌およびウイルスに対して除菌効果のある「フィリップスUVーC除菌機器シリーズ」販売開始 2021年4月ニュースリリース)
にもかかわらず、公共の施設等で積極的に活用されている、という印象がほとんどない。
もし本気で経済を動かしながら感染拡大防止を考えるのであれば、安易な「休業補償」ではなく、このような設備投資に対する支援策があっても良かったはずなのだ。

にもかかわらず、ズルズルと今のような状況になっているのは「自己責任」と言いながら「自分で責任を取りたくない」という、気持ちがどこかであり、それがある意味「日本の思考」なってしまっているのかもしれない。
そのような思考が、上述した「日本の競争力の低下」に結び付いているような気がしてならない。

 


スキンケアもジェンダーレス

2022-06-14 19:55:32 | マーケティング

時折、チェックをするファッション専門誌・WWDに、「時代の変化だな~」と感じる記事があった。
WWD:「雪肌精」が新垣結衣&羽生弓弦の新ビジュアル公開 年代・性別を問わないブランドに

「雪肌精」という商品名を見て、すぐにどのような商品なのか?思い浮かぶのは、女性がほとんどだろう。
コーセー化粧品が展開をしているスキンケアブランドで、対象顧客は20代後半~50代位の「美白」等に興味のある女性、ということになるだろうか?
これまでのCMのイメージも、「雪」のような「白さ」が際立つような内容が、多かった記憶がある。
例えば、冬の窓辺に雪が降る光景を新垣さんが見つめる、というような感じだ。

欧米に比べ、日本の女性は「美白」に対して興味・関心が高い。
「肌の色」ということもあるだろうし、「色の白いは七難隠す」という諺の通り、女性の色白は美しさの象徴でもあった。
1960年代から資生堂が打ち出した、「太陽に愛されよう」というキャッチフレーズのように、小麦色の健康的な肌色がもてはやされた時代もあったし、2000年代初めの頃だったか?「山姥ファッション」に身を包んだ10代向けの雑誌「egg」に代表されるギャル系の女の子たちは、日焼けサロンに通ってまで、日焼けをする事が一つの美の基準となった時代もあった。
資生堂の「太陽に愛されよう」と、ギャル系の日焼けと同じとは言い難が、「日に焼けた肌」がもてはやされた時代、と言ってよいかもしれない。

とはいってもこれらの流行は、あくまでも女性に限って言われてきた事だ。
それが、昨年あたりから「ジェンダーレス・コスメ」といわれる商品が、LOFT等に登場し始めている。
これらの商品の多くは、海外ブランドの商品が中心だったのだが、この春位からドラッグストアーのプライベートブランドも登場するようになってきていた。
共同:ジェンダーレス化粧品を発売 スギ薬局

日本の男性の美意識が高まったのか?はたまた「マスク荒れ」で悩む男性が少なからずいらっしゃるのか?その点は不明だが、スギ薬局のように全国展開をしているドラッグストアーが、PBブランドとしてジェンダーレス化粧品を発売する、背景にはドラッグストアーならではの「お客様の声」があったからではないだろうか?

そのような動きを受け、化粧品会社の大手・コーセーが乗り出した、ということは「男性のスキンケア意識の高まり」ということもあるだろうし、これまでのような「男性向け化粧品」という商品を選ばない世代が登場してきた、ということも考えられる。
それだけではなく、これまでの「男性向け化粧品」に使われていた「マッチョなイメージ」やそのイメージに伴うパッケージ、香料の使い方等が、今の若い世代に受け入れられにくくなってきているのでは?ということかもしれない。

また、今回「雪肌精」のイメージキャラクターとして起用されたのが羽生弓弦さんということを考えると、「中性的で女性に受け入れられやすい」ということも考えられる。
ジェンダーレス化粧品といっても、化粧品売り場の主役となる顧客はまだまだ女性である事には、変わりない。
使う人と購入する人が抵抗感なく、受け入れられるキャラクターとして羽生弓弦さんが選ばれたのでは?とも、考えられるのだ。

数年前から熱中症対策として「日傘男子」が話題になってきていたが、それよりも進んだ「美白男子」が当たり前になってきているのかもしれない。


「ブランド・アクティビズム」と「ソーシャル・ジャスティス」‐これからの企業に求められる事‐

2022-06-12 20:52:22 | マーケティング

しばらく前、拙ブログで「ソーシャル・ジャスティス」というテーマのエントリをさせていただいた。
そして今日、Huffpostを読んでいたら「ブランド・アクティビズム」が、取り上げられていた。
Huffpost: ”戦わない”ブランドは選ばれなくなる。「ブランド・アクティビズム」がビジネスの新しい潮流となる日

あまりにもカタカナ表現の言葉は、メディアで注目されやすく、言葉の本質ではなくその言葉のカッコよさのような部分だけで、使われる傾向があるのが日本のビジネスシーンだと思う。
そのため、流行する前にその言葉の本質をキチンと理解しておく、必要があるのでは?と、感じている。

Huffpostの記事を読んでいただくとわかるのだが、「ブランド・アクティビズム」とは、社会にある様々な問題に対して声を上げる企業、という意味を含んでいる。
記事で取り上げられている「ナイキ社」の広告は、人種差別に対する抗議を行った選手の顔を起用する事で、「ナイキは人種差別に反対をしている」ということを、訴えている。
記事には取り上げられていはいないが、アメリカのアウトドアブランドとして人気の「パタゴニア」等も、このような「社会的問題」に対して、敏感な企業の一つだと言えるだろう。

「ナイキ」や「パタゴニア」等がこのような広告や企業活動に熱心なのは、企業文化と大きく関わっているからだ。
スポーツメーカー・ナイキは、30年以上前からスポーツ選手に対して奨学金を支給する等の援助をしている。
援助をしているだけではなく、援助をする選手に対して高い社会的倫理を求めている。
スポーツ選手として、優秀であるというだけではなく、その人間性においても秀でたものを持っていなくてはならない、ということなのだ。
当然支給する企業側が高い社会倫理性を求めるのだから、企業側はもっと高い理想の社会倫理を持つ必要がある。
そのような関係があるからこそ、今回のようなブランド広告を打つことができたし、生活者側にも訴える事ができる広告になったのだ。

拙ブログに来てくださる方なら、何となくこの「ナイキ」の広告が示しているもう一つの目的ということが分かるのではないだろうか?
それが、以前エントリをした「シャーシャル・ジャスティス」という、企業活動へと繋がっていく、ということでもあるのだ。
「ソーシャル=社会」+「ジャスティス=正義」=「社会正義」ということになるのだが、この場合の「正義」というのは裁判等での「正義」という意味ではない。
社会における「不公平性」や「問題」等を、指している。
例えば「人権」と言っても、その幅は広い。
例えば「ジェンダー」、「人種差別」時には「ジェノサイド」といわれる、国家による虐待や迫害等も含まれている。

そしてこれらの問題は、日本企業にとって「触れてはいけない」領域でもあった。
それが露呈したのが、昨年だっただろうか?「ユニクロ」や「無印良品」等に対して行われた、「新疆ウイグル自治区産の綿製品」に対する質問状に対する応対だった。

既に、日本の企業が数多く進出しているコトを考えると、このような問題は避けて通れなくなっていて、問題に言及しなくても何等かの方法で、企業としての考えを発信していく必要がある、ということなのだ。
それが、企業にとっての新しい「ブランド価値」を高めることになるだけではなく、「企業における社会正義」についての考えを伝える方法でもあるのだ。








間伐材から布をつくる

2022-06-10 22:11:40 | ビジネス

日頃欠かさず行っているWebニュースのチェックをしていたら、筆記具メーカーのパイロットが「木布(「もくふ」と読む)を使ったペンケースを発売する」という記事があった。
PILOT:ペンケース Ki:ro(キーロ)発売

ペンケースの価格としては、決して安いものではないと思う。
それでも、間伐材からセルロースを取り出し、セルロースを一旦紙にすき、細く切って糸として寄り、布として織り上げる、といういくつもの工程を経て作られる為に、思いのほか高い価格になってしまうようだ。

同様に、数年前から「竹布(「たけふ」と読む)」という素材も話題になったりした。
おそらく「竹布」そのものは、随分前から夏の服地素材として注目されてきたと思うのだが、ここにきて注目されるようになってきた理由は「竹布」が持つ抗菌作用のようだ。
「抗菌作用」という言葉だけで、どのような需要が高まっているのか?ということは、「コロナ禍」での生活が長引く現在、多くの人が分かるキーワードだと思う。
とはいうものの、「竹布」そのものも、機能という点で注目をされてはいるのだが、アパレル素材として注目されているという状況とは程遠いような印象を持っている。

それに対し「木布」にはそのような、機能があるのか?ということが不明なため、SDGsという観点からの需要見込みという点だけになっている、という気がしている。
例えば、抗菌作用や防虫性だけではなくアロマ的な効果もあるといわれる、ヒノキの間伐材から作られた「木布」に、ヒノキが持っている効果があるとすれば、それは大きな付加価値となるだろうし、用途そのものの幅が広がる。
他にも自然染料との相性が良ければ、藍染めや草木染等でアパレル用の布としての用途が生まれるはずだ。

「木布」も「竹布」のどちらも、都市部で生産できるものではない、という点においては、地方での産業化ということが可能ではないか?と、考えられる。
それは「地域創生」とか「地域経済の活性化」にも、繋がる可能性を秘めている、ということでもあるのでは?と、考えられる。

何より重要なことは、このような「国内で作られる新しい自然素材を活用していく」という、気運のような気がしている。
今のようなファストファッション全盛期において、このような手間ひまをかけて作られるアパレル素材は、現在のアパレル市場に出すということ自体難しいのでは?と、感じている。
とすれば、このような「ものづくり」に共感するデザイナー等を通して、認知度を上げつつ量産化を目指し、少しでも生活者の手に届きやすい環境を作っていく、ということが重要になってくるだろう。
国が旗振り役で、「COOL Japan」などと宣伝をするのではなく、このような素材を作っている企業が海外へアピールしやすい環境を作っていく、ということの方が重要かもしれない。
そうすれば、日本国内よりも海外のデザイナーのほうが、面白がって使ってくれる可能性もあるだろう。

せっかく新しい技術によって、日本らしい素材ができたということを考えたとき、市場をつくりだしていくということの難しさと、その意味を考える必要があると感じている。




ネットの利用目的が変わりつつある

2022-06-09 21:07:59 | マーケティング

朝の支度をしながらFMを聞くのが習慣となっていることは、拙ブログに来てくださる方はご存じだと思う。
テレビと違い、ラジオは何かをしながら「流し聞き」をしながら情報収集ができるので、とても便利なツールだとは思う。
ただ、先日エントリさせていただいた通り、最近の若ものたちは「ラジオを聞いていても、何を話しているのか理解できない」という傾向から、まだ進化しているかもしれない。

今朝も同様にFMを聞いていたら、「最近の若ものは、インターネットを使う目的が変わってきている」という話があった。
どういうことなのか?というと、インターネットを使うのはGoogle等で調べものをしたりするよりも、SNSを利用するためにインターネットを使っている、ということのようなのだ。
インターネットというのは、あくまでも「情報通信システム」なので、通信システムとして利用しているコトには変わりないのだが、その利用目的が以前と変わり、SNSにアクセスするためにインターネットを使っている、ということのようなのだ。

とすると、多くの企業が積極的にYahoo!やGoogleなどのポータルサイトに、広告を打っても若い世代には届いていない、ということになる。
確かにSNSを見ていると、やたらと広告表示が多い。
しかもYahoo!等に使われる広告とは違い、直接的な効能を訴える内容や、キャッチコピーが多い。
イメージよりも、その効果等を強く訴える動画広告が多い、ということなのだ。
このような広告の中には、怪しげな内容も多く、社会経験がある世代では「これって、怪しすぎて怖いな~」と感じるものであっても、そのような経験のない若い世代は「飛びつきやすい」という。
その結果として「生活消費者センター」に、20代の若者が駆け込むようになってきている、という話だった。

この話は「広告」という視点で見たとき、いくつかも示唆が含まれている。
一つは、若い世代に対して広告を打つのであれば、対費用効果的にはSNSを活用する方が、効果的であるということ。
もう一つは、広告を読み解く力を持っていない生活者に対して、どのような表現をしてトラブルを回避する必要があるのか?という点だろう。
確かにSNSを利用した動画広告は、安価に制作できる、というメリットがあると思う。
当然のことだが、大手広告代理店が制作する必要がない、ということでもある。

逆の見方をするなら、広告とは何か?という知識を持たずに、安価に制作できる、という理由だけで動画広告をつくり、その後トラブルとなりやすいという状況をつくっているということでもある。
このような状況は、生活者にとっても企業にとっても「良好な関係をつくるための広告」とはなっていない、ということでもあるのだ。

上述したように、「ラジオ番組がわからない若者たち」という内容のエントリを先日している。
それは若い世代が、「5W1H」という文脈を理解せずに、断片的で自分に都合の良い情報だけを集めている、ということでもある。
だからこそ、広告を出す側は「5W1H」という、伝える基本を守りながら端的で生活者に誤解を与えないような「広告」をSNSで展開していく必要がある時代になっている、ということなのだと思う。





新型コロナの緩和策に消極的な政府。何を恐れているのか?

2022-06-08 22:10:59 | アラカルト

朝日新聞のWebサイトに、「新型コロナ」に関する緩和策を提案した専門家原案を、厚労省が削除していた、という記事があった。
朝日新聞:「隔離は不要」の緩和策、専門家の原案から消えた 厚労省から難色

有料会員向けの記事なので、全文を読むことはできないのだが、見出しだけを読んでも何となく想像ができる内容だ。

5月のGWの頃、旅行等の人の移動の制限がほぼ解除されたことで、随分観光地や故郷に帰省された方がいらっしゃった、と記憶している。
そしてその状況を見て、「GWが終わった2週間後、爆発的な感染者数が出るのでは?」という、懸念がされていた。
確かに、一時期的に前の週を上回ったことがあったと思うのだが、それでも昨年の今頃に比べると、随分感染者数は減少している、という印象があったように思う。
その後も、増えたり減ったりを繰り返しながら、徐々に感染者数そのものは減ってきている。

それだけではなく、国内での3回目のワクチン接種も進んだはずだ。
若年層での接種が進んでいない、と言われているが、そもそも積極的なワクチン接種が必要な人達というのは、①高齢者、②年齢を問わず基礎疾患を持っている人、という2点くらいだったように思う。
この①、②に該当しない、中高齢者のワクチン接種が進んだことも、感染者数の減少(や死亡者の減少)につながっているとすれば、そろそろ「新型コロナ」に対する政策転換をする時期にきている、ということなのでは?

実際、死亡者の内訳をみると、80%以上が70歳以上だとすれば、行動的な現役世代以下の世代が感染したとしても、これまでのような「隔離措置」が必要なのか?という議論があってもおかしくはないだろう。
専門家といわれる人たちが「隔離措置の緩和」と提言したのも、現状から考えれば「今現在行われているような隔離措置」は必要ない、という判断があったからだろう。
にもかかわらず、厚労省がこの提言を盛り込まなかったのは、何故なのか?

あくまでも想像だが「社会から批判されるのが怖い」ということのような気がしている。
「隔離措置を緩和したから、マスクを外しても問題ないと言ったから、再び感染者が増えた」と、批判されるのが怖いのでは?ということなのだ。

その一方で、今月10日から海外からの旅行者を受け入れる、と発表している。
日本よりも感染者数が多い国であっても、渡航に問題がないと政府が判断した国々からの観光客を受け入れる、というのは、何となくチグハグな印象を持つ生活者は多いのでは?
この一貫性の無さというか、整合性の無さよりも、新型コロナ対策の緩和措置によって、感染者数が増えたと、言われることを恐れているような感じを受けるのだ。
もし、自分たちの保身のために「隔離措置」を続けるというのであれば、それは生活者に不便を与えるだけではなく、経済活動にも大きく影響を及ぼす問題である、という認識を持っていないということになるのでは、無いだろうか?


「値上げ容認」発言に思う

2022-06-07 22:11:08 | アラカルト

先日、日銀の黒田総裁が「値上げ容認」と受け止められる発言をした、として野党から批判をされた。
野党だけではなく、Yahoo!等のネットでも相当な批判コメントが、殺到したようだ。
それを受け、今日になって黒田総裁が陳謝をすることになったようだ。
朝日新聞:黒田日銀総裁、「値上げ許容発言」で異例の陳謝 参院選前に火消し

日銀総裁を任命するのが、内閣なので黒田さんとしては今後の自分のコトを考えれば、内閣の言い分をのむ必要があるのだろう。
そして「言葉足らずだった」という趣旨の陳謝を今日した、ということのようだ。

ところで「値上げ=悪」と決めつけてよいのか?という、問題についてはあまり論じられていないような気がする。
バブル経済が崩壊して30年余り。
諸外国がリーマンショックのような金融機関の信用が失墜し、経済にも大打撃を与えるようなことがあっても、それなりの経済政策が功を奏し(?)経済状態が上向きになっていた。
ところが、日本はこの30年間経済が上向きになることなく、時間だけが過ぎていった、という状況だった。
当然のことだが、生活を支える為の「給与所得」が伸びるコトがなく、実質賃金そのものは減り続けていると実感している、というのが今の日本の生活者だと思う。

そのような経済状況の中で、日銀総裁という日本の金融政策の中心となる人物から「値上げ容認」のような発言が出れば、「生活者の置かれている現実を知らない」と、猛反発があるのは当然だろう。
事実、黒田さんは「自分が買い物に行かないわけではないが、ほとんどの買い物は妻がしている」という趣旨の発言をされている。
おそらく黒田さんの「買い物」は、生活に必要なものではなく、ご自身の趣味等が中心なのでは?と、想像している。
そもそも、日本の男性の多くの「買い物」は、そのようなことではないだろうか?
日々の生活に必要な買い物をしないので「値上げ」という言葉が、使いやすかったのでは?と、考えている。

しかし「値上げ」そのものが、悪いものなのか?と言えば、決して悪いわけではない。
原材料や製造をするための費用が値上がれば、当然価格に反映されるということになる。
このことに対して、今の生活者はとても寛容に受け止めているような気がしている。
問題なのは、値上げした商品を以前と同じように購入できる、経済的余裕がない、という現実なのだ。
それは、上述したようにこの30年間以上の日本経済の低迷、という理由が大きい。

多くの人たちがYahoo!等でコメントをしているのは「日本経済の低迷要因となった政策をつくったのは誰なのか?」、「その政策にかかわっている人物が安易に値上げ容認」という発言は、あまりにも無責任なのでは?ということなのだと思う。
「値上げ容認をするなら、実質賃金のアップを先にすべきだ!」ということを、言っているのだ。
話す順番の問題ではなく、「実態を知らない」ということに反発をしているのだ。

今日、岸田政権が「(経済財政運営と改革の基本方針)の骨太方針」を発表した。
このような発表がある度に使われる「骨太方針」という言葉だが、多くの生活者は「疲労骨折を起こしそうな方針(あるいは、国民のやせ我慢でしのいでいる方針)」と感じているのではないだろうか?
日本の経済を支えている中小企業と先細り傾向にある地方経済にフォーカスし、産業構造の転換をするために、日銀は経済政策を考え政府に言うべきなのでは?
そのような政策発表の後に「値上げ容認」と言って欲しかった。



ラジオが聞き取れない若者

2022-06-06 17:49:56 | アラカルト

今朝、FMを聞いていたら「ラジオ番組が聞き取れない、という若い世代が増えている」という話があった。
「ラジオ番組が聞き取れない」というのは、聴覚の問題ではない。
「ラジオ番組で何を話しているのか、理解できない」という意味なのだ。

「何を話しているのか、理解できない」という若い世代が増えている、背景の一つにSNSのような「文字情報に慣れている」という点があるという。
しかも多くのSNSは「短い文」なので、長い文章を読み解くということも苦手だという。
そもそも「長い時間テレビやラジオを視聴する」ということそのものが、苦手になりつつある、という話だった。

もう一つの理由として考えられるのは、「音声から言語化する」ということが苦手になりつつあるでは?という、気もしている。
日本語の場合、同じような発音でも微妙なニュアンスの違いで、表現される漢字が違ったりする。
有名なところでは「橋・端・箸」の違いだろう。
話全体を聞くことによって、「橋なのか?端なのか?あるいは箸なのか?」ということを、自然に区別し理解しているのが日本語でもあるのだ。
ところが、話全体を聞くことが苦手になり、自分の興味のある部分だけを切り取ってしまうと、「橋・端・箸」の区別がつかなくなってしまう。
このような状況に脳が陥ってしまうと、「話が分からない」という状況になるということは、想像できる。

確かに、若い世代で人気のSNSは、TikTokのような短い動画であり、普段の連絡はLINEで行っているだろう。
数年前から、「電話が恐怖」という新入社員が増えている、と話題になったが「電話が恐怖」となるのは、日ごろ電話を掛けたことがない、ということもあるのだが、「何を話しているのかわからない(あるいは、何を話し出すのかわらからない)」ということが要因なのかもしれない。
「想定外」のコトを言われると、「話が分かならくなってしまう」ということかもしれない。

そのような若い世代の変化を受けてか、ここ最近増えている動画視聴サービスの中に、「早送り」というシステムがある。
ネットで映画やテレビドラマを視聴する際、お約束のオープニングを見たりするのが、まどろっこしいというのだ。
話の筋が分かれば、十分ということのようだ。
それ以外にも、お気に入りの場面だけはゆっくり視聴し、枝葉となる話には興味がないので早送りで十分楽しめる、ということらしい。

ただ、このような「早送り」視聴による弊害だけ、とは言えないかもしれない。
それは「要約する力」という点だ。
ドラマや映画を早送りして、その作品のストーリー全体が分かる、ということであれば、それは「話を要約することができている」ということでもある(と信じたい)。

社会のスピード化が、今の若者のような「長い文脈を読み解くのが苦手」という世代を作ったのだとすれば、批判できることではないし、逆に「ラジオやテレビをしっかり視聴できる環境」をつくることが、これからは必要なのかもしれない。