笑いまみれ・はなこば日記

笑うことを積極的に考える女の日記
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ラジオと未来

2014年08月29日 | その他
長年つづいていた
深夜の人気ラジオが
秋から変わる。

というお笑い好きとしては
大ニュースがありました。
そこから
ラジオパーソナリティについて考えていた。

ラジオと自分との丁度いい距離感を見つけることで
好きな番組を見つけることができる。
とは何度もここでも書いています。

べたべたした距離感がちょっと苦手。
発信者側が
リスナーを思いやる
ってところから端を発すると思うんですが
ハガキ職人ヒエラルキーが顕著なことで
それが分かる。
閉鎖的に感じるし
あと嫉妬する。
わたしは器が小さいので
同じリスナーという立場だったはずのその人の才能や特別扱いに。

そんな自分が嫌になる。
だって
こんな狭い世界なのに!
って思うから。
そこで贔屓にされたとて
本当はなんともないことだ。
その人が少し幸せになるだけなの。
でも
ラジオの世界では
ひとつのコーナーでヒットを飛ばすことで
その番組のスターになったりすることがある。
それはそれで
素敵なことだし
けっして誰も悪くないの。
そこから仕事を得たひともたくさんあって
もともと才能があっただけの話なの。
汚いのはわたしの心よ。
そういうストレス溜めたくないから
聴かない。

あと
いいこと言おうとする番組も苦手。
アドバイスとか
思いやる気持ちとか
格言は
とくにいらない。
わたしの求めるサービスと違うから。
ずっとくだらなく
そこにあるだけの存在でいてほしい。

ストライクゾーン狭いです。

ただ
ラジオの不思議なところは
だんだんその番組を聞かなくなることや
だんだんその番組を好きになることの
気持ちが傾くスピードがゆっくりである
ということ。

気がついたら
すごく好きになっていたり
日常になっていたりするのです。
聞かなくなるのも同様。
ちょっとずつ「あれ?なんかちがう」って思いだして
徐々に聴くのが億劫になっていく。

時間の使い方として
とっても
贅沢でいいな
とも思います。

突然
終わってしまっては
それもできないですから。

人気番組だけが残って行くわけでもなく
いろんな形の終了がありますよね。

でも同じじゃん
って思うの。
終わることって
結局
いくらリスナーに寄り添っていたって
根強い人気があったって
終わるときは終わるのだ。
ずっとそこにいてくれると思ったのに!
っていつも軽いショックともに
自分のエゴに気付くのです。

本当に好みですけど
悪いパーソナリティのほうが好きだ。
人間の負の部分を隠さないラジオのほうが好き。
いい人だと私の心に入ってこない。
そういう人間を信用できないって
どこかで思っている。ひねくれているの。
嫌われることをいとわないことを
ついつい尊敬してしまう性分。

これは
昨日
ロンドンブーツのANN聴いていて
思ったことです。
淳さんは
妙に飾らないところが
しゃきしゃきと気持ちがいい。
このひとを
そんなに好きだったことはないけど(え!)
ラジオ
面白かった。

ツイッターなどで政治的な発言をして
それとはまったく関係ないテレビの番組を下ろされたことを
おっしゃっていて
なんてテレビは遅れているのだろう
と今更呆れた。

それは広告媒体からお金をもらっているのだから
しょうがない
っていう向きもあるけれど
それはラジオも
Webサイトも同じ。
これでだれもテレビ見なくなったら
いよいよテレビの危機で
もしかしたら
民放局とかいう概念
そのうちなくなるかもしれません。
テレビが好きだから寂しいけど。

未来予想としては
優秀なテレビをつくる人材が
もっといろんな場所
ケーブルテレビ、ネット上のテレビ、ラジオなどに
分散して流出して
面白いものがもっと散らばる。
それから
ますますラジオが最先端になっていく。

政治や
そのほか自分の周辺で巻き起こることのすべてを
おもしろおかしくパッケージとして解説するだけで
勉強した気になって
ありがたかっている
バカな視聴者を産むだけのテレビなんて
子どもの教育によくないですわ。
考えない子どもを生みだすのは
いちばん危険です。
最近
わたしは
CM業界や
アイドル商法のマーケティングや
そのほかのテレビのからくりを
もっと詳しく深く
子どもに教えています。
「さっきもこのCM見た!」
とか
「AKBの歌どうして流行ってるの?」
とか言うので。

ひねくれた子ども
作りだしてる?

だいぶ話がそれました。
昨日今日と
おもしろいラジオがたくさんやっていたみたいで
嬉しい気持ち。
ラジオ面白いんだよね。