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ぽかぽか春庭「神岡町歩き・花街、神岡城」

2022-10-29 00:00:01 | エッセイ、コラム
202210

ぽ29かぽか春庭日常茶飯事典>2022ふたふた日記秋の旅(4)神岡町歩き・旧花街、神岡城

 飛騨神岡町は、三井鉱山によって開発され、町は「鉱山城下町」でした。鉱山で働く人を向かい入れる花街。古い遊郭の建物や、鉱山の迎賓館だった建物などを、町の地図をたよりにめぐりました。

 古い町並み。どの家も落ち着いたたたずまいを見せていますが、かっては人々が行きかい、にぎわっていた花街だったのでしょう。

 古い町並み

 かっての花街に建つ家


 旧深山邸(大勢の客を迎え入れた料亭)


 神岡鉱山の迎賓館として使われていた神和荘。閉鎖中で中は見ることができませんでした。
 

 一度さびれてしまった建物の復元が図られた例もあります。鉱山町の娯楽の殿堂であった船津座は、元のように再建されました。

 船津座外観
 
 船津座内部の劇場部分

 
 船津座のカフェでソフトクリームを食べて一休み。
 船津座の近くに円城寺があり、円城寺の宝物などを収蔵する蔵が立ち並んでいました。

 河岸段丘の上に作られた神岡。段々を造るのに、ほとんどの石垣がこの斜め積によって積まれていました。東京では見たことのない石積みです。


 円城寺の鐘楼の建物を見ると、「飛騨の匠」ということばが思い出されます。腕のよい飛騨の大工や石工たちは、全国の寺社などで建築に携わりました。
 円城寺鐘楼

 小高い山の上にお城が見えたので、復元されたお城だろうけど、見ておくか、と回って見ました。

 仰ぎ見る神岡城。


 公園の中に、復元されたお城と、移築された古民家がありました。まずはお城から。
 神岡城は、1970年に神岡鉱業創業100年記念に犬山城をモデルにして建てられました。


 神岡城の前で


 天守からの眺め。

 旧秋葉家は、1968(明治元)年に建てられ、1968に公園内に移築されました。



 養蚕農家として発展し、屋根裏の作りなどに飛騨の建築の特徴がみられます。機織り機、糸繰り機などの養蚕関連の道具なども屋根裏に展示されていました。



 屋内には、仏間、囲炉裏のある居間などがあり、村の資産家として集められたさまざまな道具がおかれていました。
 電話機、和文タイプライターなどは、村の有力者だったことがうかがえますが、ユニークな道具のひとつとして、「仁丹の自動販売機」がありました。お金を入れると仁丹の包が出てきたのだそうです。

 公園の中に「鉱山資料館」もありました。


 鉱石が展示されていたほか、さまざまな鉱山の機械が展示されていました。
三井の鉱山として発展してきた神岡ですが、鉱山の廃液が川に流れ、富山でイタイイタイ病という公害病が存在したということは、「鉱山資料館」や「古民家」「カミオカンデ」とともに、「神岡の三井鉱山に原因がある公害」の記録として残していくべきでしょう。

 カミオカンデはじめ、神岡は緑豊かで街並みや芝居小屋、無料で湧き水を旅人や町の人にふるまう「水屋」など、豊かな自然と人情が残された美しい町です。
 この町に移り住んだ友人が町でなごやかに暮らしていけるよう、願いながら9月26日の朝、神岡から高山行きのバスに乗りました。

<つづく>
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