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ぽかぽか春庭「秋の旅・飛騨市神岡」

2022-10-23 00:00:01 | エッセイ、コラム
20221023
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2022ふたふた日記秋の旅(1)新宿バスタから飛騨市神岡へ

 思いがけず、神岡という町に出かけることになりました。岐阜県飛騨市神岡。
 飛騨高山や白川郷には観光で出かけたことがありますが、神岡という地名について知っていたことは、ごくわずか。
 若いころに聞いたのは「三井神岡鉱山」の毒排水が富山県神通川流域でイタイイタイ病の原因となったこと。

 近年になってからは、神岡鉱山の鉱山跡の地中深くに「カミオカンデ」が作られたこと。
 宇宙から飛来するニュートリノをつかまえる装置がカミオカンデ。
 お台場の科学未来館でカミオカンデの実物大模型をながめて、「この装置で宇宙誕生のなぞもわかってくる」と解説員に聞いたのだけれど、さて、ニュートリノがなんなのかも、さっぱりわかっていませんでした。
 それでも、カミオカンデがある町が神岡、ということはわかっていました。

 はやりの「退職後の移住生活」。テレビ番組でもUターンやIターンの田舎暮らし移住のリポートをよく見ます。
 田舎暮らし。「自然がいっぱい、食べ物もおいしく、ご近所さんともふれあいが楽しい」なんてテレビで映されていても「そんなうまくいくわけなかろうが」と、負け惜しみ的に思ってきました。

 「老後は田舎で暮らしたい」と念じてきたのに、さっぱり実現しそうもないので、「田舎は田舎ですごく人付き合いがたいへんだし、畑つくっても、サルやイノシシに荒らされてろくな収穫がないって言うし」と、悲観的な面ばかり見るようにして、「老後は田舎でのんびりと」というリタイア生活のあこがれを封印してきたのです。

 友人A子さんが公的な翻訳の勤務先を退職し、息子さんもよいお相手と巡り合って一家をかまえたのを機に「田舎暮らし」を始める、と聞いて、うらやましく思っていました。
 A子さんは「友人が所有している岐阜県の飛騨神岡の家が空き家のようになっているので、借りることにした」と、本格的にIターン移住をきめたのです。

 この夏、東京の住まいをすっかり引き払い、飛騨市神岡に引越し完了。
 「荷物片づけもまだ完全には終わっていないけれど、遊びに来て」と言われて、ほいほいとおじゃますることにしました。あこがれの移住生活ですが、ほんとうに実践している人は、知り合いの人では初めてだったからです。

 A子さんは、神岡までの道のりを、名古屋まで新幹線、高山線に乗り換えて、そこからバスで40分。と、教えてくれたのですが、私には新幹線は高い。高速バスで往復することに決定。片道7000円往復14000円。これ、「安物買いの銭失い」でした。
 
 9月23日、3連休初日の朝8時に新宿バスタ発。


 予定では5時間バスに揺られて午後1時に神岡へ着くはずでした。しかし、連休初日、中央道は激コミ「低速道路」となっており、飛騨高山に着いたのは午後6時すぎ。バスを乗り継いで飛騨神岡に着いたときは7時半。神岡バスセンターの乗り継ぎバスはなくなっていたので、強い雨の中、タクシーでA子さんが待つ家にたどり着きました。新宿から12時間かかりました。
 9月23日は、「ワタクシ史上、もっとも長い時間バスに乗り続けた記念日」になりました。

 おみやげは、新宿高島屋のデパ地下で買ったA子さんリクエストの「ヤギ乳チーズ」その他のチーズ詰め合わせ。
 チーズやA子さん心づくしの「飛騨牛の焼肉」をつまみにビールを飲みました。

 23日は、新宿から神岡に移動しただけで終わったけれど、今回の旅は「田舎移住をうらやましがり、田舎でなんにもしないですごす休日」が目的でしたから、初日はこれでよし。

 A子さん友人Yさんの所有する古民家は、JAスーパーの近くにあり、バス停も歩いていけるところなので、田舎と言っても、「たんぼの真ん中」とか「山の中」という「本格的ド田舎」とは違い、「地方の小さな町の街道に面した古民家」です。

 Yさんは、スポーツの名コーチが、「勝つ!ためにどんな言葉を選手にかけてきたか」をまとめたスポーツジャーナリストです。
 現在は子供や女性がスポーツに親しんでいくためのセカンドスクールを運営しています。

 A子さんが借りた古民家は、スポーツ教室などの拠点にしてきた家ですが、現在は「宿泊型」の施設を別に移し、たまに、海外からのスポーツ学研究者などが泊まりに来る程度になっています。
 最近ではUCLAの女性研究者(ルーマニアからアメリカに移住)が1か月ほど泊まっていたのだとか。
 玄関土間にゴルフセットがたくさん積まれていたりしていましたが、今のところ滞在者はなし。

 晩御飯食べて、ビールを飲みながらしばし語りあう。
 5月にスエーデン料理レストランの「食べ放題スモーガスボード」で、A子さんとおしゃべりしたとき、神岡移住の話も聞いていたのですが、その時はまだ具体的になっていなかったのです。

 夏の間、神岡と新宿を往復しながら息子さんもいなくなったマンションを整理しはじめ、「大半の家具も本も断捨離して、ごく少量のものだけ神岡に持ち込んだ。息子の「保育園の連絡帳」なんかも、捨ててきた、というので、「私は絶対にそれ、できない。息子さんに渡せばよかったのに」と、わがことのように残念がりました。
 ひとり親として息子さんを育ててきた記録は、息子さんにとっても宝物と思うのですが、何を大切にするかの価値観は人それぞれ。
 A子さんは、息子さんを立派に育て上げ、就職してパートナーと暮らすまでの成長を見届けたのですから、息子さんの姿こそ「ひとり親の勲章」なのでしょう。

 公的な翻訳オフィスでの勤務の傍ら、個人的な翻訳も続けてきました。2021年秋にアメリカ女性の書いた本を訳者として名前を掲げて出版したところです。オリンピックと政治やジェンダーのかかわりについて書いた本。大手の新聞の書評欄にもとりあげてもらったのだけれど「硬い内容なので」まったく売れない、と嘆いていました。

 たとえ大売れに売れたとして、共同訳者に名を連ねている5人のひとりであるA子さんに入る印税がどれくらいになるのかは、定かではない。とにかく、仕事の上でまとまった本を出して「一区切り」になりました。
 現在はフリー翻訳者として仕事を引き受けながら、ライフワークの出版に向けて頑張っているところ。

 お風呂に入って2階の6畳間で休みました。
 13時間バスに乗って、疲れていたので、いつもと同じに、ふとんに入った途端、爆睡。

 神岡に着いたときは雨の中真っ暗な時間帯でしたが、朝起きて窓を開けてみると、町中とはいえ、やはり緑いっぱいの環境でした。


<つづく>
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