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ぽかぽか春庭「ハンデキャップを持つ人々について思うこと、ユニバーサルデザインのことなど」

2012-11-04 00:00:01 | エッセイ、コラム
2012/11/04
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>ちえのわ録画再生日記1992年(15)20年前の今日、何をしていたか1992年10月31日ハンデキャップを持つ人について思うこと

(二九八四)1992年十月三一日 土曜日(晴れ)
ニッポニアニッポン事情「光を見て、ハンデキャップを持つ人々について思うこと」

 昨日の『ニュース21』をビデオにとっておいた。大江健三郎の息子、大江光が特集されていたからだ。
 小説の中では「ジン」であったり「イーヨー」であったりして、『個人的な体験』以来私たちもこの子の成長と共に生きてきたつもりになっていて、大江の語る「障害を持つ息子」に対して、小説のモデルというより遥かに多くの共感を抱いてきた。そのモデル「大江光」の姿を見るのは初めてだ。
 光は今年(1992)二九歳。私のイメージにある「ジン」や「森」に比べ、すっかり大人になっているので、驚いた。

 石子さんは大江の息子のことに話題が及ぶと「ああいう人は、障害者の中のエリートなのよ。たいへんなのは障害者の中でも、二重障害とか、重度障害児とかを抱えた家族なのよ。」といっていたが、たしかに、光は「恵まれた障害者」なのかもしれない。母方の祖父と伯父は高名な映画監督、父は世界的な作家。妹や弟も、周りの人々も彼を理解し、サポートしてくれる環境にいる。

 反射的に思い出すのは、梅が丘の病院を訪ねたときのこと。
 発達遅滞児病棟の看護婦さんをしている友人から、病院で生まれたときから入院していて、家族からも見捨てられてしまっている、もう子供とはいえない発達遅滞児たちの話をきいた。
 こんな子供を生んだことは忘れてしまいたいといって、お正月に家へ連れて帰ることすら拒む親もいて、彼らはお正月も夏休みも、寂しく病院の中に閉じ篭っているという。

 そのような障害者に比べれば、一歩一歩の歩みはゆっくりしていたろうが、自分の音楽への感性を育み、作曲によって表現できるようになった大江光は、確かに恵まれているといえよう。
 障害者の仕事が決して半人前ではなく、すぐれたものでありうることをホーキング博士の存在によってやっと世間が理解したように、光の作曲活動によって、世の人々が障害者の可能性について理解するようになれば、彼の活躍の意味もより大きいといえる。
 ひとり光の可能性を伸ばす、という以上に多くの障害者が理解を得るステップになるだろう。

 ホーキング博士や大江光は障害者のエリートかも知れないが、まずここから世間の偏見と無理解を解きほぐす突破口をみいだしていかなければならない。
 光の作った曲のCD発売に合わせて、開催されたコンサートがリポートされていた。ピアノとフルートによる演奏の終わりに、光は聴衆に何度ていねいにおじぎをしていた。
 ステージに立ってあいさつする息子を見つめる大江や、光を支えてきた周囲の人々の思いはどれほどだっただろう。

 小説のモデルというだけしか彼を知らない私の胸も、さまざまな思いでいっぱいになった。大江は光の曲を「無垢の魂が生んだ曲」と表現しているというが、無垢ならぬ垢だらけの私の心を文字通り洗うがごとき、清らかな爽やかなメロディだった。

 木曜日姉の家へいったとき、K駅のホームに車椅子の人がいた。脳性マヒの人だった。不自由な発音で「大宮行きに乗り換えたいので、駅員を呼んでほしい」という。

 私は駅員に連絡し、まもなく、四人の駅員が来た。そばにいた男の人にも応援を頼んで、五人掛かりで持ちあげたが、まだ力が足りない。私も加わってやっと階段の途中の踊り場まであげた。私は腰を痛めているので「腰痛がでそうだからこれ以上持てない」といってしまった。
 そこへもう一人駅員が来たので駅員にまかせて、私は抜けてしまった。「腰痛が出そう」なんて言ってしまって、この方にいやな気持を持たせてしまったのではないかと恥かしくなり、逃げるように足早に改札口へ向かった。

 あとで考えたら、この方に「お役にたてなくて、ごめんなさいね。」とでも、一言声をかけて立ち去ればいやな感じを与えなかったのではないかと反省した。
 その場では、不用意な発言によって、障害者の外出に否定的な印象を与えたのではないかと気になって、急いで立ち去ってしまったのだ。

 本当は、ハンディキャップを持つ人が外出するとき、他の人に頼まなければ満足に動き回ることさえできないような設備の不足こそが問題なのだが。K駅だけでなく、新宿駅さえ車椅子用のエレベーターやリフトの設備がないという。
 ハンディがある人にとって、福祉や設備の不足と並んで、足らないものは、一般の人との交流だという。私たちがもっと障害を持つ人々と心を通い合わせること、不自由な設備をなくして生きやすい設備を整えること、課題は多い。

 光の曲は、人の心に安らぎと希望を運んでくれるような音楽だった。願わくは、光の音楽によって、金権にうごめく政治家たちの心が洗われ、税金が第一番に福祉や教育につかわれますように。
 あまりにも汚れ切っている日本の政治家の心は洗いようもないけど
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もんじゃ(文蛇)の足跡(2004年12月01日のツッコミ)
 12年前と比べると、公共施設のバリアフリー化はずいぶん進んできたと思う。JRや地下鉄の主要駅にはエレベーター設置されてきている。
 しかし、視覚障害をもつ友人の話では、「設備以上に必要なのは、障害を持つ人への理解と共感」だそう。

 駅周辺に点字ブロックが設置されても、ブロックの上には自転車や店の看板が置かれ、危険。白い杖でブロックを辿りながら歩いていると、後ろから走って来た人に突き飛ばされそうになり、「遅刻しちゃう、じゃまなんだよ!」と罵声を浴びせられる。「いつも、皆さんの迷惑にならないように、じゃましないようにと小さくなって歩いている」というのだ。友人は突き飛ばされて怪我をしたこともある。

 能率と効率だけを求めて突っ走り、成果が大きいことを高く評価する社会では、ゆっくり歩むこと、じっくり考える人たちは、マイナスに受け止められるのかもしれない。

 でも、価値観はさまざまであっていいよね。大急ぎで走り抜けて、すばしこく儲けて、生き馬の目を抜きながら生きる人もいるだろうし、ゆっくり少しずつ歩きたい人もいる。

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もんじゃ(文蛇)の足跡:2012/10/31のつっこみ

 友人の青い鳥さん、facebookに日々のつぶやきを残しておられます。
 2008年に脳性マヒ運動機能改善の手術を受けた後、突然、首から下がまったく動かなくなるという事態になってしまいました。一時は首から上、目も口も動かせないという重篤な状態になりましたが、驚異的な意志の力で、やがて足の指が動き、手の指が動き、今では、指でパソコンのキーボードが打てるところまで回復しました。厳しいリハビリを毎日少しずつ続け、「神経の赤ちゃん」を育ててきたのです。

 最近の青い鳥さんのニュースで、「クリーニング屋の針がねハンガーを曲げて、キーボードを立てておく台を作った。こうすると、指でキーを押したとき、他のキーを押してしまうのが防げる。でも、まだぐらぐらするので、きちんと固定させたいのだが」という内容の文が書かれていました。

 デスクトップのキーボードが別になっているものでは少しは高さを変えられますが、ほぼ平らに置かれるキーボードだと、青い鳥さんが指でキーボードを押すと、ほかのキーに手がぶつかってしまう。そのために、キーボードを縦に立てる工夫をなさった、というのです。
 これを読んで、青い鳥さんの並々ならぬ意欲工夫を感じて、心うたれました。

 ユニバーサルデザイン(ハンデキャップのある人にも使いやすい工夫がなされた道具)の開発が謳われる世になりましたが、私にはキーボードを縦に立てるという発想がなかった。そうか、縦にしたほうが確実に打てる、という場合もあるのだ。でも、日常茶飯事にかまけている身には、そういう発想がなく、青い鳥さんが「指が動かせて、キーボードが打てるようになった」という文を読んだとき、ああよかった、と思って、その不自由には思い至らなかったのです。
 これは、パソコンのハードをデザインしている人も同じではないかと思います。これからは、ハードを作る人に、あらゆる人にとって使いやすいデザインのパソコンを作れるよう、ユニバーサルデザインを実施してほしいです。
 
 パソコンは、便利な道具です。特に外出がままならないお年寄りやハンデのある人にとって、重要な道具です。だれにとっても使いやすいパソコンになればいいと思います。私はこれまで、「使いやすい」というのは、画面が見やすい、とか、音声入力ができるとか、そのくらいしか思いつきませんでした。音声入力はかなり工夫されてきていて、視覚障害の友人アコさんにとっては、点字と同じくらい便利な道具になっています。

 パソコンに関わる人に、より多くの人がこの21世紀の道具を使いこなすために、「足の指でキーを打ちやすいパソコン」とか、「口にくわえた棒でキーを押す人にとって使いやすいパソコン」などもどんどん開発してほしいです。

 液晶モニターに映る文字は、どのパソコンから発せられたものでも同じに出てきますが、青い鳥さんの一字一字に渾身の努力がこめられていることを感じながら読ませていただきます。

 青い鳥さんへの「3日に一枚、一ヶ月に10枚の絵はがきを送る」という春庭プロジェクト、2011年4月にスタートして、11月末で200号になりました。絵はがきストックは、次のうさぎ年の分まで貯まっています。これからもどんどんはがきを「勝手に送付」し続けます。
 段ボール箱にいっぱいの絵はがきストックを見ていると、このハガキを全部だすころにはきっと青い鳥さんの手や足がもっともっと動かせるようになる、という希望がわくのです。

 ゆっくり行きましょう。

<おしらせ>
goo「青い鳥 心のままに」にある、11月1日の青い鳥さんの書き込み。
「今日から11月、寒くなりましたねぇ~!
風邪などひかれていませんか?
カレンダー、100部の印刷をしました。
前半と後半に分けて50部ずつで作りました。
前半の50部は、すべての工程が終わっています。
...
私のプリンターはカラーインク10色で、とてもきれいです。
だけどスピードがすっごく遅いんです。
50部印刷するのに3日間かかりました。
ねっ、遅いでしょう!
さて、どうやってカレンダーをお届けしましょう?
近くに居られる方には、なるべく直接お渡し出来たら良いなぁ~!
遠くても送り先が分かれば郵送致します。
ご連絡いただければ、ありがたいです。
沢山の方にお届けしたいで~す。
宜しくお願い致します。」
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 青い鳥さん製作のカレンダーは、青い鳥さんが書きためた詩を12月に配し、ボランティア画家さんのかわいいイラストとともに印刷されています。上半分に詩と絵、下半分が月日になっています。一部1500円での販売開始。
↓のページからメッセージを送ることができますので、注文してください。100部印刷とのことですが、増刷もできると思いますので、ゆっくりご注文を。
goo青い鳥
http://blog.goo.ne.jp/aoitori277


<つづく>
コメント (10)
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