2012/11/06
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>ちえのわ録画再生日記1992年20年前の今日、何をしていたか(16)1992年11月01日「定時制高校文化祭」
(二九八三)1992年十一月一日 日曜日(晴れときどき突風)
日常茶飯事典「定時制文化祭にいって蜜柑のピアノを聞いたこと」
みんないっしょにうちに集まり、高校定時制の文化祭に行った。
蜜柑が定時制に入学して半年、クラスメートや先生とは相変わらずケンカしたり、授業を妨害したりサボッたり、いつ退学になるかとハラハラしているのは変わらないが、今回の文化祭では「体育館のステージでピアノを弾くのだ」といって、ここ二週間ほどは毎日練習を続けていたという。
この数年の間、蜜柑がなにかに一生懸命取り組んだなどというのはなかったことなのだから、聴衆三十名の定時制体育館のステージだろうと、「拍手、拍手」だ。
実際、軽音楽部の発表のうち、顧問の先生が歌った尾崎豊は、ただシャウトシャウトだし、ギターの男の子はチューニングを間違えるし、蜜柑のピアノが一番まともだった。
ただし、ステージ衣裳はまともじゃなくて、ヤンキーつっぱり族の制服、すなわち、ぞろりと足元まで長いセーラー服に、背中に竜の刺繍がしてあるこれまたぞろりと長い上着、といういでたち。
本人たちは「仮装です」といっているが、私たちは「仮装には見えない。ぴったりだもの。昔の姿で出ています、じゃないの」といって笑った。
「不良学生の仮装」姿で「ママ、ママ」と呼ぶので、姉は「そのかっこうで『ママ』なんて呼ばないでよね。」と言う。まったく、外見の不良と中味の幼児性とがミスマッチの姿。
外の模擬店では、蜜柑たちの有志グループは、おむすび屋を開店。シーチキンむすびを頼んだら梅干しが入っているし、サケを頼んだら昆布が入っているし、作った蜜柑たちにも、どれがどの中味やらわからなくなってしまったというイイカゲンさだが、「完売した1」と喜んでいた。
途中で突風が吹いて、ビニールシートのテント屋根が飛ばされたり雨が降ったり、お天気がさんざんだった割には、どの店もけっこう売れていたようだ。
他の模擬店はクラスで経営しているが、蜜柑のグループだけ、ハズレ者が寄り集まった有志の店。元ヤンキー族の女子生徒四人とゲイの男の子一人。男の子が女装しているので仮装かと思ったら、本当に「男の恋人」を持つゲイだという。
蜜柑を含め、世間からははじきだされ、行きどころもない子たちが寄り集まってグループを作っているのだろう。
先生方はこのグループ、特に蜜柑には手を焼いているらしい。本当に先生も蜜柑のような生徒を指導していくのは容易ではないだろう。
しかし、ちょっと校則違反すればすぐに放校退学となる今の高校社会の中で、どんな落ちこぼれもハズレ者も受け入れて、なんとか卒業に漕ぎつけるように、先生方が一丸となって生徒を見守ってくれる暖かさを感じた定時制文化祭だった。
はっきりいって、先生方もかなり世間からズレているのが寄り集まっているのではないかと思ったが、一般常識的文部省推薦的教師にはとても勤まらない。サバイバル・バトル激突格闘技的先生でなければやってられない。
蜜柑が「とてもいい先生」という軽音楽部顧問の尾崎豊シャウト先生は、普段の授業でも五分授業をやると「黒板に五行も文字を書いてしまうと疲れるなあ」といって歌い始めるというし、蜜柑に掃除バケツの水を頭からぶちまけられたという担任の先生は「テメエ、ブッコロサレルゾ」と蜜柑たちに言われても「ボク、そう言われるの慣れてますから」と平然としたものだそうだ。エライ!
今後、蜜柑がまともに授業を受けるかどうかはわからないし、いつまたドロップアウトしてしまうかもわからないのだが、今回、ピアノの練習に一生懸命取り組んだというだけでも、意義のある文化祭だった。
蜜柑の妹は、蜜柑が小学生のときのピアノの発表会で『貴婦人の乗馬』を弾き、それが見事に『貴婦人の落馬』になるほど、なんどもつっかえたことを思い出して、「蜜柑ちゃん今日も『落馬』するんじゃないの。」なんてひやかしていたけど、何度つっかえたって、落馬しかけたって、もう一度駆け出せばいいのだ。
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もんじゃ(文蛇)の足跡:2004年11月02日
1992年から12年がたち、いまでは蜜柑は4人の子を抱えるシングルマザー。頼みのママも死んでしまってからは、女手ひとつで10歳9歳7歳6歳の4人を育てている。がんばれ蜜柑!
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もんじゃ(文蛇)の足跡:2012/11/07のつっこみ
1992年から10年後、蜜柑の母・私の姉は亡くなってしまい、離婚後の蜜柑はたった一人で4人の子どもをそだててきました。2012年、蜜柑の子豚たちは、18歳17歳15歳14歳になりました。それぞれ生意気盛りです。
蜜柑は保険の外交をやったり化粧品を売ったりして四人の子を育ててきて、今は、介護施設の職員。毎日「疲れた~」を連発しながら夜勤もこなしています。
亡くなった姉以上のゴッドママぶりで、長女は、高校3年生の今、入試を受けたといいます。今頃の入試ということは、AO入試か推薦入試なのだろうと思いますが、15歳の次女の高校入試も控えていて、蜜柑ママは叱咤激励をとばしている毎日。「次女の偏差値があがった!」なんてmixに書き込んでいるのを見ると、「偏差値がナンボのもんじゃい」と言っていたころの蜜柑を思い出して、笑えます。
もともと心やさしい子だったのに、両親の離婚でぐれかかり、一時わたしの家に同居しながら定時制高校に通っていました。蜜柑の青春をハラハラしながら見ていた姉は、今天国から蜜柑の肝っ玉おっ母ぶりを、どんなふうに見ていることでしょう。「私の娘だから、ちゃんとやっていけると思った」と安心しているのか、「孫達が一人前になるまで安心していられない」と思っているのか。姉が亡くなって早くも10年がたちます。蜜柑にとっても疾風怒濤の10年だったろうと思いますが、よくがんばってきた、と姉に代わって誉めてあげたいです。
<つづく>
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>ちえのわ録画再生日記1992年20年前の今日、何をしていたか(16)1992年11月01日「定時制高校文化祭」
(二九八三)1992年十一月一日 日曜日(晴れときどき突風)
日常茶飯事典「定時制文化祭にいって蜜柑のピアノを聞いたこと」
みんないっしょにうちに集まり、高校定時制の文化祭に行った。
蜜柑が定時制に入学して半年、クラスメートや先生とは相変わらずケンカしたり、授業を妨害したりサボッたり、いつ退学になるかとハラハラしているのは変わらないが、今回の文化祭では「体育館のステージでピアノを弾くのだ」といって、ここ二週間ほどは毎日練習を続けていたという。
この数年の間、蜜柑がなにかに一生懸命取り組んだなどというのはなかったことなのだから、聴衆三十名の定時制体育館のステージだろうと、「拍手、拍手」だ。
実際、軽音楽部の発表のうち、顧問の先生が歌った尾崎豊は、ただシャウトシャウトだし、ギターの男の子はチューニングを間違えるし、蜜柑のピアノが一番まともだった。
ただし、ステージ衣裳はまともじゃなくて、ヤンキーつっぱり族の制服、すなわち、ぞろりと足元まで長いセーラー服に、背中に竜の刺繍がしてあるこれまたぞろりと長い上着、といういでたち。
本人たちは「仮装です」といっているが、私たちは「仮装には見えない。ぴったりだもの。昔の姿で出ています、じゃないの」といって笑った。
「不良学生の仮装」姿で「ママ、ママ」と呼ぶので、姉は「そのかっこうで『ママ』なんて呼ばないでよね。」と言う。まったく、外見の不良と中味の幼児性とがミスマッチの姿。
外の模擬店では、蜜柑たちの有志グループは、おむすび屋を開店。シーチキンむすびを頼んだら梅干しが入っているし、サケを頼んだら昆布が入っているし、作った蜜柑たちにも、どれがどの中味やらわからなくなってしまったというイイカゲンさだが、「完売した1」と喜んでいた。
途中で突風が吹いて、ビニールシートのテント屋根が飛ばされたり雨が降ったり、お天気がさんざんだった割には、どの店もけっこう売れていたようだ。
他の模擬店はクラスで経営しているが、蜜柑のグループだけ、ハズレ者が寄り集まった有志の店。元ヤンキー族の女子生徒四人とゲイの男の子一人。男の子が女装しているので仮装かと思ったら、本当に「男の恋人」を持つゲイだという。
蜜柑を含め、世間からははじきだされ、行きどころもない子たちが寄り集まってグループを作っているのだろう。
先生方はこのグループ、特に蜜柑には手を焼いているらしい。本当に先生も蜜柑のような生徒を指導していくのは容易ではないだろう。
しかし、ちょっと校則違反すればすぐに放校退学となる今の高校社会の中で、どんな落ちこぼれもハズレ者も受け入れて、なんとか卒業に漕ぎつけるように、先生方が一丸となって生徒を見守ってくれる暖かさを感じた定時制文化祭だった。
はっきりいって、先生方もかなり世間からズレているのが寄り集まっているのではないかと思ったが、一般常識的文部省推薦的教師にはとても勤まらない。サバイバル・バトル激突格闘技的先生でなければやってられない。
蜜柑が「とてもいい先生」という軽音楽部顧問の尾崎豊シャウト先生は、普段の授業でも五分授業をやると「黒板に五行も文字を書いてしまうと疲れるなあ」といって歌い始めるというし、蜜柑に掃除バケツの水を頭からぶちまけられたという担任の先生は「テメエ、ブッコロサレルゾ」と蜜柑たちに言われても「ボク、そう言われるの慣れてますから」と平然としたものだそうだ。エライ!
今後、蜜柑がまともに授業を受けるかどうかはわからないし、いつまたドロップアウトしてしまうかもわからないのだが、今回、ピアノの練習に一生懸命取り組んだというだけでも、意義のある文化祭だった。
蜜柑の妹は、蜜柑が小学生のときのピアノの発表会で『貴婦人の乗馬』を弾き、それが見事に『貴婦人の落馬』になるほど、なんどもつっかえたことを思い出して、「蜜柑ちゃん今日も『落馬』するんじゃないの。」なんてひやかしていたけど、何度つっかえたって、落馬しかけたって、もう一度駆け出せばいいのだ。
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もんじゃ(文蛇)の足跡:2004年11月02日
1992年から12年がたち、いまでは蜜柑は4人の子を抱えるシングルマザー。頼みのママも死んでしまってからは、女手ひとつで10歳9歳7歳6歳の4人を育てている。がんばれ蜜柑!
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もんじゃ(文蛇)の足跡:2012/11/07のつっこみ
1992年から10年後、蜜柑の母・私の姉は亡くなってしまい、離婚後の蜜柑はたった一人で4人の子どもをそだててきました。2012年、蜜柑の子豚たちは、18歳17歳15歳14歳になりました。それぞれ生意気盛りです。
蜜柑は保険の外交をやったり化粧品を売ったりして四人の子を育ててきて、今は、介護施設の職員。毎日「疲れた~」を連発しながら夜勤もこなしています。
亡くなった姉以上のゴッドママぶりで、長女は、高校3年生の今、入試を受けたといいます。今頃の入試ということは、AO入試か推薦入試なのだろうと思いますが、15歳の次女の高校入試も控えていて、蜜柑ママは叱咤激励をとばしている毎日。「次女の偏差値があがった!」なんてmixに書き込んでいるのを見ると、「偏差値がナンボのもんじゃい」と言っていたころの蜜柑を思い出して、笑えます。
もともと心やさしい子だったのに、両親の離婚でぐれかかり、一時わたしの家に同居しながら定時制高校に通っていました。蜜柑の青春をハラハラしながら見ていた姉は、今天国から蜜柑の肝っ玉おっ母ぶりを、どんなふうに見ていることでしょう。「私の娘だから、ちゃんとやっていけると思った」と安心しているのか、「孫達が一人前になるまで安心していられない」と思っているのか。姉が亡くなって早くも10年がたちます。蜜柑にとっても疾風怒濤の10年だったろうと思いますが、よくがんばってきた、と姉に代わって誉めてあげたいです。
<つづく>