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ぽかぽか春庭「横浜美術館・神奈川県立博物館」

2012-11-25 00:00:01 | アート


2012/11/25
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>十二単日記2012年秋(14)横浜美術館・神奈川県立博物館

 11月3日文化の日は、各地の美術館博物館で、無料公開が行われます。チェックした中で、今年の「無料!」は、横浜美術館に決めました。
 横浜みなとみらいに着いて、クイーンズスクエアビルのラーメン店で博多ラーメンを食べて、いざ、横浜美術館へ。横浜へ足を伸ばして見る美術館、これまでそごう美術館が多くて、横浜美術館に入ったことがなかったのです。1989年開館以来四半世紀たつのに。

 開館記念日が11月3日とかで、「はじまりは国芳・江戸スピリットのゆくえ」という企画展。江戸後期の浮世絵から、明治の美人画、昭和初期絵画表現までの流れを展示していました。
 ひとつひとつの絵は、版画だから、あちこちで見た覚えがあるし、明治の鏑木清方その弟子の伊東深水などの美人画も近代美術館や鎌倉の鏑木清方記念美術館でも見てきた絵です。鏑木の弟子筋の「新版画運動」に所属した版画家たちの作品、はじめて見たものが多かったです。
絵の集め方並べ方、はっと感心する並べ方に出会うこともありますが、今回はあまりキュレーターのセンスを感じませんでした。

 常設所蔵展も、初めて見たのですが、現代彫刻が多く、心ひかれる作品がなかった。
 唯一、森村泰昌がレーニンに扮して演説するのをムービーで表現したインスタレーションが面白かった。今まで、森村が有名な絵画の人物や歴史上の人物に扮したシリーズ、写真では見てきたけれど、動画ではじめて見たので。

 「レーニンの演説」は、「20世紀の男たち」というシリーズのひとつ。ほかに、ヒットラーの演説もあるし、三島由紀夫の市ヶ谷自衛隊での演説もある。強い風刺が感じられる画面のでき。すごくおもしろかった。

 「森村レーニン」のロケ地は釜ヶ崎。画面に登場するエキストラの労働者は、釜ヶ崎ドヤ街にいた人々です。釜ヶ崎支援機構からの仕事発注で、労働者や野宿の人たちが出演しました。
 この労働者たちがすごくいい。画面は暗く、ひとりひとりの顔などうつっていないのだけれど、社会主義が全体主義に転じていき、やがて潰える過程のむなしさまでも表現できている作品だと思いました。

 森村レーニンは演説台の上で叫びます。「戦争は、、、、、むなしい!」「人間は、、、、、 むなしい!」そして、森村レーニンが手を振り上げると、絶妙に遅れたタイミングで、労働者たちは、力なくその腕を振り上げ、権力者に迎合するのです。
 森村レーニンは、演説の終わりには紙をちぎった花吹雪を自ら労働者の上に降らせます。濃霧が立ちこめ、労働者たちは静かに演説台のまわりから去っていきます。
 どんな長々としたレーニン伝であろうと、レーニン思想の解説書であろうと、これほどの風刺精神を発揮したレーニン描写はなかったのではないか。

 森村は、この釜が崎のおっちゃんたちについて、語っています。
群集は、20世紀のイメージです。それは作品のバックグラウンドとして、重要なポイントなので、その顔をどうやって揃えるかが、大問題でした。私は大阪に住んでいるので、釜ヶ崎が連想された。レーニンが築こうとした理想社会、当時の労働者階級を現代日本のそこに重ね合わせてみた。私の映像に出てくれたおっちゃんたちは、かつては労働者であっても、現在は仕事がなくて野宿をしている。レーニンそのものは、この現実を知らないが、レーニンに扮している私は、ソ連の崩壊までも知っている。その上に立って、ドヤ街で演説をしなければならない。日本の戦後経済を支えてきた人々百数十人を前にしての演説は、最初考えていたものではだめで、すっかり内容を変えることになった。
 高齢者だから働きたくても職場がない。一時的に私が仕事として雇用する。ボランティアの学生を集めようとすれば、それも可能だった。俳優の卵を雇った方が、見栄えがよくて、それらしい元気のいい演技をしたかも知れない。私はそれでも20世紀の現実が欲しかった。だらだらやっているわけではないけれど、そんなに気勢は上がらない。それでもおっちゃんたちは何かの役に立っていることが分かってくれていた。強力な撮影ライトが当たって、自分たちに脚光が当たっているのを感じていたと思う。レーニンの立つ演壇を撮影するためには、手前の足場のしっかりした高い位置にカメラをセットしなければならない。そのセット作りを、おっちゃんたちは瞬く間に作りあげてくれた。工事現場で慣れたその作業手順は、感動的だったといってもいい。ここには昭和というが時代がしっかりと刻み込まれた顔があった。」


 私も、この「レーニンの演説」の成功の第一番は、「釜が崎のおっちゃんたち」をエキストラに選んだセンスにあると思います。
 横浜美術館、わたくし的には、この森村泰昌「レーニンの演説」を見ることができただけで、大満足。

 本館、平成館、法隆寺館と、3つの博物館をまわって、招待券一枚で朝から夜まですごせた東博とちがい、タダとはいえ、横浜美術館はおひる食べてから入館して、途中水飲み休憩も入れて3時間もすごしたら、全部見終わってしまいました。
 この美術館、すごく広いけれど、「館内に飲み物持ち込み禁止」と書いてあるのに、トイレの脇などに水飲み施設がいっさいなし。
 展示室外の廊下のベンチで持参の水を飲んでいたら、係員がとんできて、「ここも飲み物禁止です」と言う。「喉が痛いので水を飲みたいのですが、どこでなら飲んでいいのでしょうか」とたずねると、「トイレの前にベンチがあるから、そこでなら」と言う。係員が指さしたトイレへ行ってみましたが、ベンチなどなし。立って飲みました。

 館内飲食禁止という美術館博物館、たとえば、東博でも東京都美術館でも近代美術館でも、冷水器を備えており、入館者が休んで飲み物をとれる休憩所があります。横浜美術館にはカフェはあるけれど、冷水器などはなく、とても不親切だと感じました。飲食禁止を求めるなら、館内に「飲食出来る場所」をきちんと設置すべき。1階ロビーに「飲み物を飲んでもいいけれど、食べ物はダメ」という畳を敷いた休憩所があったけれど、11月3日は、そこで「国芳展開会セレモニー」が行われていて、逢坂恵理子館長の長いあいさつなどがあり、とても水飲んでくつろげる場所じゃなかったし。

 3時じゃ、まだ帰るには早いので、みなとみらい線で一駅先にある神奈川県立博物館に寄ることにしました。電車に乗れば次の馬車道駅まで一駅ですが、横浜散歩を兼ねて歩くことに。

 そして、いつものごとく、地図を見ながら道を間違えて、桜木町へ出てしまい、大回りをして歩くこと60分。4時半の「入館締め切り」時間の5分前にようやく到着。閉館の5時まで30分、「横浜の歴史」を縄文時代から現代まで駆け足で見て回りました。

 歴史を見るのは、ついでです。神奈川県立博物館に立ち寄る目的は、その建物にあります。1905(明治37)年完成当時の横浜正金銀行正面の古写真の絵はがきと、現在の神奈川県立博物館として修復された建物の絵はがきを買いました。

 5時に閉館になり、薄暗くなった博物館の周囲をゆっくり一周しました。


 東京都北区にある赤レンガ建物「醸造試験場(1904年完成。現酒類総合研究所東京事務所) 」の設計者、妻木頼黄(つまきよりなか)の作品で、同じ1904年に完成した「横浜正金銀行本店」が、現在は神奈川県立博物館になっているのです。
 妻木は、横浜の赤レンガ倉庫も設計しています。妻木設計の建物、2007年に大連へ行ったとき、旧、横浜正金銀行大連支店(1909年 現・中国銀行大連分行)も見たので、あとは、拓殖大学恩賜記念講堂(1914年、現・拓殖大学恩賜記念館)と、山口県庁&旧県会議事堂を見に行きたい。こちらは復元もののようですが。

 11月3日も咳をしながら、よく歩いた。横浜美術館で水が飲めなかったのをのぞいて、いい文化の日でした。文化とは、水くらいゆっくり飲める場所があることを言うんじゃなかろうか。

<つづく>
コメント (8)
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