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ぽかぽか春庭「国分寺崖線を巡って-日曜地学ハイキング」

2012-11-27 00:00:01 | エッセイ、コラム
2012/11/27
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>十二単日記2012年秋(15)国分寺崖線を巡って-日曜地学ハイキング

 私は仕事でも、一匹狼であちこちの大学にパートで教えに行く「非常勤講師」。団地の自治会には属していますが、毎月の自治会費を銀行引き落としで払い込むだけで、自治会の行事には何も参加しませんし、ほかの自治会員と顔を合わせることもありません。
 ただ、趣味の会にはふたつ所属があります。ひとつは、毎週金曜日夜に集まって練習をする、ジャズダンスのサークルです。もうひとつは、もう会員になって16年経つけれど、活動に参加したのは2004年が最後で、ここ8年は会報を送ってもらうだけで、参加はしてこなかった「日曜地学ハイキング」です。

 日曜地学ハイキングは、サークルと言っても、とてもゆるい集まりで、コアとして活動しているのは、高校の地学・地理の先生たちの研究会「地学団体研究会」の人々。1947年に設立された「民主主義科学協会(略称=民科)」のひとつ。私は、この民科のひとつだった、民科言語科学部会から発展した「言語学研究会」の奥田靖雄の『連語論』という理論をもとに修士論文を書きました。たぶん、私の精神の何割かは「民科の流れ」で出来ていると思います。

 「日曜地学ハイキング」一般会員は、毎月送られてくるイベント情報を見て、化石堀り、地層見学、干潟の蟹観察、磯の生物観察などから、興味を持ったものに、現地集合で参加します。資料をコピーする関係で、一応、係の先生に参加申し込みをしますが、当日になっての参加でもOKですし、参加を取りやめるときも、メールや電話をするだけ。とてもゆるいサークルでメンバーの名前を互いに知らないし、ひとりで参加してただ黙って化石を掘って、だまって帰ってもそれでよし。人と話をするのが苦手な私向きの団体です。

 冬場はハイキングはしません。「化石クリーニング」や「講演会」などがあります。ハイキングは、年に6回ほど。うち年末には一泊の「宿泊巡検」が行われます。私は2003年の常磐いわき周辺地層の一泊巡検、2004年の秩父山中宿泊巡検に参加したのを最後に、この8年間は、化石堀りにも磯の生物観察にも「行こうかな、どうしようかな」と、思っているだけで参加してきませんでした。

 この日曜地学ハイキングに最初に参加したのは、1996年、娘が中学校1年生のとき。恐竜大好きの娘が、「恐竜の化石、堀りたい」と言って参加するようになったのです。最初は秩父の山中で貝の化石を掘るハイキングだったように記憶しています。山の中から海の貝の化石が出るということの不思議さを感じながら、石を割りました。それ以来、娘息子と母子3人で、毎月「地学巡検」のハイキングに参加してきました。

 この会に思い入れがあるのは、娘が教師からのイジメにあって、中2、中3と不登校になったとき、ひきこもって青白い顔をしている娘を、月に1度だけは、この日曜地学ハイキングに参加するため、青空の下に連れ出すことができたからです。ほんとうに助かりました。娘が大学地理学科を卒業するとき、会のリーダーI先生にお礼の手紙を出しました。おかげさまで、大学卒業までこぎつけました、と。

 娘はほんとうは地学を学びたかったのですが、不登校のせいもあって理科系の入試科目はまったくダメ。文科系の学科のうち、自然地理学を学べる大学を選び、卒論は「神津島の黒曜石分布」の調査でした。
 I先生からは、クモヒトデに関する研究成果をまとめた本が卒業祝いとしてプレゼントされました。

 そんな思い入れのある「日曜地学ハイキング」11月18日に久しぶりに参加しました。ハイキングのタイトルは、「国分寺周辺の地下水の観察・国分寺崖線を巡って-はけの道を散歩して-」
 11月17日は一日中冷たい雨が降っていたのですが、18日は一日とてもよいお天気でした。19日は急な冷え込みの日になったので、ちょうどいい日曜ハイキングになりました。

 月1回のハイキングの162回目のイベント。思えば、1996年に初参加したころから比べて、先生方もそれ相応に年をとりました。先生方は、「地学教育」の一環として、地道に一般向けのハイキングを続けてこられたのです。
 I先生も高校地学教師を定年退職したあとは、毎日つくば市にある科学博物館分館に通って研究三昧の日々なのだとか。

 11月17日の武者小路実篤邸の紹介で「実篤邸は、ハケの上部に家を建て、ハケの下に池のある庭園をしつらえてある」と書きました。

 ハケとは、武蔵野の大地を削って多摩川が作り出した河岸段丘の崖を指し、崖の上は武蔵野台地です。この台地の上下は崖になっており、府中から世田谷の等々力渓谷まで、30kmにわたって、崖がラインをなしており、この崖線をハケと呼びます。

 ハケという語が世に知られるようになったのは、大岡昇平の小説『武蔵野夫人』によってです。
 冒頭は、「土地の人はなぜそこが『はけ』と呼ばれるかを知らない」で始まります。

<つづく>

11/28 武蔵野夫人と日立中央研究所庭園-日曜地学ハイキング
11/29 武蔵国分寺遺跡から殿ヶ谷戸公園、関東ローム層-日曜地学ハイキング
11/30 野川源流湧水、滄浪泉園-日曜地学ハイキング
コメント (2)
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