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2016関西旅 その4 奈良東大寺から鑑真を辿る

2016-04-02 11:50:56 | 日記

3月23日(水)快晴、肌寒し;昨日は飲みすぎもせず、熟睡?5時半?には目覚めます。ゆっくり用足しして静かに退出。

時計は6:15 道筋にあった特養 豊かなのだろうな~。 

昨日の道を折り返します。 日の出は6:26 

大通りに面したお屋敷?いろんな・・・。  

ここは車は通りぬけれません。 そして昨日のJR太秦駅。 

 

京都駅では立ち食いが見当たらず、パンを買って、近鉄ホームへ。ホームの中にあるんですよね、”セットメニューの方がお得ですよ”。日本での当たり前のこの応対。  

お、ビッグカメラもあります。札幌も同じ、ヨドバシ、山田、ビッグ、K2、これでインフレはないでしょう。。  

8:30頃には近鉄奈良です。 前回京都から吉野へJRで橿原らまで行って、えらい時間食ったのですが。。

 

鑑真;、何度もの失敗や自身の失明にも挫折することなく、日本に戒律を伝え、唐招提寺を開いた、程度。

「天平の甍」;遣唐使に随伴して来た請来僧の請いに、戒を受けてもいない僧侶が増えていると聞く日本へ、ただ使命感を持って、10年6度目にしてやっと日本にたどり着き、盛大な歓迎を受け、平城京東大寺に迎えられる。

「氷輪」;十年の歳月は戒律請来の状況も変わり、受戒制度は時の統治制度に摘ままれる状況となっていた。しかし鑑真には、戒律を伝えることが目的で、そこに打算はない。そんな鑑真を、5年かにしてお払い箱?、当時廃屋状態の元新田部親王宅地、現在の唐招提寺敷地に体よく追いやった!。そこでは唐律招堤と称し官寺ではない私的勉学所?として、一緒にやって来た弟子たちと、恵まれるとは無縁。それから5年淡々と戒律の教えを乞う日本僧へ伝え、763年亡くなっています。

1200年以上前の事とは思えません。。

その、鑑真一行が戒壇院が設けられた東大寺から、辿ったであろう道筋、東7坊大路・5条大路を。 

条坊制での間隔はいい加減ではないと、で私なりに線引き。 

 

さて平城京を体感!で東高台にある外京の地形確認できます    

氷室神社、早咲きの桜に、海外観光客が喜んで。 

 

日本に着いた鑑真一行はまず羅城門から朱雀大路、2条大路からここ南大門に。         

中門から金堂大仏殿    

大仏殿諸仏       安心してください撮影は自由です。

後背に御手のレプリカ  

創建当時の模型   

現在の大仏殿の柱材は、芯となる槻(つき)を檜板で囲い、鉄釘と銅輪で締めて柱とした。  

確かに世界に誇れる(でも京都と共に戦災を免れた結果)。 

違った角度からの大仏殿。     

講堂跡  

正倉院は塀の中  

戒壇に向かいます。    

 

戒壇堂前から大仏殿  

戒壇堂へ     

パンフみてヤヤ!もう一度です。撮影は・・・         

やはり仏さんはあるべき所にあってこそ、宝物館での仏さんはもう美術品。

現在では戒壇は大きな行事の時、同時に行われる受戒の時に使用されるだけ、前回は十何年か前、これからはまだ予定はないそうです。そう、今の仏教界の現状は、私には見えません、仏は語りかけてくるようですが。いえたいそれた意味はありません、そんな感じと言ったところ。

築地塀越しの戒壇堂。 

千手堂から戒壇院、華厳寮。鑑真が住まいしていた所?   

大仏殿甍が

この様な門から鑑真一行も出て行ったのか! 中御門跡

 

東7坊大路を歩きます。オット、オシャレ?なお店、吉野葛の老舗のようです。   

現在地  大仏殿見えます。 奈良県庁。 

 

国道との交差点、横断歩道、歩道が無く、おじさん歩きをしてしまいました。 

国立博物館 

春日大社(藤原氏の氏神)参道 唐の都長安にならった最初の都藤原京は、16年でここ平城京にうつされています。 

奈良ホテル裏から表から。   

街中の材木店 

五条大路の入口が・・・、と”どこをお探しですか?”小学6年か中学の女の子、自転車止めて訊いてきます。”この近くここの病院を・・・””あそこに見える陸橋の向こう・・・”わざわざ自転車止めて、実に爽やか、奈良の深さを感じます。

この方向に元興寺。  狭くなった五条大路を  

と、そこで水を汲んでいるおばーちゃん、どうぞお使いくださいです、過っての平城京を想像 

そして五条大路の様子  外京の台地から下って行きます。  

ハハハで一枚と言ったところ。  

このまま行ったところ行きどまりで戻ります。水路は洪水対策で深堀されたと読みます。   

所々に古い街並み、でも五条大路の町並みではないでしょう。   

川で迂回したり  山の麓が唐律招堤。 

佐保川を渡ります。   

新しい住宅街、元興寺方向 唐律招堤方向 

国道24号線交差、まさか都大路で用足しするわけにわいかず・・・、近くにあったので助かりました!。  

また五条大路に戻って  

将に朱雀大路に中学校、女子三人下校中、”こんにちわ!” ”こんにちわ”・・・・、”ここに平城京の朱雀大路、100m近い道路が通っていたんだよ!” ”・・・”マイイカ!、”気を付けて” ”ハ~イ”。

 これから これまで 

中央遠くに薬師寺東塔の解体修理の素屋根 

そして朱雀大路から朱雀門を 反転して羅生門を 

唐律招堤へ  

 

お昼用のサンドイッチ(京都駅で)、畔に座って、お日様の下で、これも美味! 

土地の豪農! そして近くの今様オシャレなお家 

着いたようです、唐律招堤。川は秋篠川。   

二時間半、鑑真は淡々とやって来たことと思います、すでに平城京の大路小路の様子は見えません。

鑑真にとって東大寺の大きさは何の意味もない?、真に大切なのは仏教を求めるとはどういうことなのかを自身実践する事彼自身の集大成が迫っているのを実感している時でしょう。

今も昔も小さな日本人、いや人間ほど表に出て、動き回る。同じ同朋のなした事に寂しさを

さて、次は唐律招堤(唐招提寺)から。 

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