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十分間俳句

発見・感動・創造! 子どもたちの感性を培い日本語力を高める十分間俳句

江東どんどこどん

2011-03-23 | ジュニア俳句

江東区の地域振興課発行の「こうとうどんどこどん」。今年度は、写真俳句が登場しました。

今号には、数矢小学校の太田さんの俳句が掲載されました。

 大鳥居ぬければそこは春の空

富岡八幡宮を詠んだ写真俳句です。

また、今号には、惜しくも掲載されなかった次点の句も掲載されています。

 

 


南雲政之さんの「桜学第二講-花見を中心として-

2011-03-21 | ジュニア俳句

公評という雑誌がある。ちょっと難しそうな雑誌だが、この中で、友人の南雲政之さんが、「桜学第二講-花見を中心として-という論考を寄せている。南雲さんは、ありとあらゆる分野での学識が広い人だ。しかも、彼の書くものは普通と文体?が違っている。どんどん、どんどん話が発展し、いろいろな方面に飛ぶのだが、最後は元に戻ってくるというような感じなのだ。

俳句では、季語が重要だが、俳人と言われる人は、この季語を中核とした知識詳しい。これらの蘊蓄がなければ俳人とは言えないほどだ。
例えば、桜の語源とか起源についての蘊蓄があるというのが重要だ。南雲さんの論考を読むと、あらゆる方面から桜について書かれているので、そういう意味では大変便利だ。サクラの語源は、一つには、 「咲く」にものを表す「ら」という接尾語がついたというもの。その他の説も紹介されている。桜について書いてあるものはたくさんあるが、源氏物語から始まって、歌舞伎、俳句、歌謡曲に至るまで、様々な観点からのサクラをコンパクトに紹介してるものはめずらしい。

私も、本職には遠く及ばないが、私も授業にいったとき「サクラは何でサクラっていうか知っていますか」などといいながら、ちょっと蘊蓄を語るとかっこいいなあと思う。そんな風にするには、南雲さんの論考はもってこいだ。実に面白かった。実に面白かった。


今年度の最後の授業

2011-03-18 | ジュニア俳句

昨日は、八名川小学校で今年度最後の授業をした。
二年生である。
本当は、二クラスとも授業の予定だったが、地震の余波で、学校の給食が中止になってしまったため、一クラスだけの授業となった。
この1年間、17校で約160時間、俳句の授業をした計算になる。

外に出て、実際に花の様子を見る。

1、さくらの芽、チューリップ、ヒヤシンス(自分たちで育てている)、さくら草、菜の花を順次みてくる。

2、思いついたことや言葉を書き留める。

3、教室に戻って俳句を作る。

 五つの言葉を上五に書く。菜の花は、 「菜の花や」「菜の花は」などと書かせる。

 俳句をつくる。

4、下五において作ってみる 挑戦

5、発表する

30分ほどの時間だったが、多くの子が5句~8句くらいつくった。

 

ヒヤシンスおれのはピーンと立っている

さくらのめふっくらほそながかわいい子

たくさんのピンクのつぶつぶさくらのめ

なの花のにおいをかぐとやなよかん

あとちょっとめをだせめをだせチューリップ

ぼくたちはさくらさくころ三年生

ヒヤシンスこころをこめてそだててる

さくら草みんなをむかえおはようと

いのってるきれいにさくかなさくらのめ

 


俳句を詠むということ

2011-03-17 | ジュニア俳句

東北では、雪が降っているようだ。
食料がない、暖房ができない。
安否確認すらできない。

こうしたときだから 「自粛しよう」という考え方と、こういう時だからこそ「しっかりやろう」という考え方が交錯している。

巨大地震の威力の前に、なすすべもないが、「なぜ俳句を詠むのか」ということが突きつけられた。それは、俳句に限らず表現することの意味ということだ。
今の時点では、このことをうまくまとめて書くことはできないが、その断片を断片のまま書くと次のようになる。もちろん、断片だから、どこかに他の断片もあり、色々な矛盾した断片が一緒に放り込まれている。接着剤もないけれど・・・・

巨大地震に対して、その被害に対して、これからの人間の生活という物に対して、やりきれない思いというものがある。それは、心の中に闇のように広がっていて捕まえどころがない。
それはいったい何者か。とらえなければという思いがある。とらえるとということは、言語化するということだ。小説(大説でないにしても・・・・)、エッセイ、詩歌・・・・・
一番この事態やそれに対する感情を表現するのに適した方法は何であるかという問題はあるにしても・・・・ 

河野裕子が自分の死に対してよんだ次の歌。例えば、

手をのべてあなたとあなたに触れたきに息が足りないこの世の息が

対象に対して、自分の持てる全力で向かい合っていることが切なく伝わってくる。これが、表現ということではないか。
だとしたら、俳句でも同じだ。
結果がどうであるかは、また別の問題だ。共感を呼ぶ場合も呼ばない場合もある。
しかし、最も重要なことは、自分が自分で共感できるかどうかだ と思った。
思いというものは、言語に置き換えることによって、明確になる。逆に言えば、言語にすることによって、自分の思いがわかるとも言える。
ぎこちない表現であっても、それを積み重ねる事によって、自分の心を表現する手立てが持てるようになるかもしれない。

対象が、大地震であろうと、一本の薔薇の花であろうが、同じことだ。
自分の力のすべてを出して、対象に向き合えるか。ここにこそ、核心がある。

こうしたことは、俳人や詩人にとっては自明のことだうろ。ここまで書いてきて、そう言えば、どっかにこんなことが書いてあったなと思い出した。
たとえそうであっても、こんな考えは「類句・類想」であっても、自分にとっては重大なことである。

覚悟を新たにして、俳句にも俳句教育にもとりくなければならないと思った。







河野裕子の歌

2011-03-16 | ジュニア俳句

猛烈なものだ。

櫂未知子が角川の「俳句」3月号に紹介している中から何句かを抜く。

 

病むまへの身体が欲しい 雨あがりの土の匂ひしてゐた女のからだ

わたしはいい子だつたでせう いい子でしたよ 額をあてて私が訊けば

生きてゆくとことんまでを生き抜いてそれから先は君に任せる

陽に透きて今年も咲ける立葵わたしはわたしを憶えておかむ

死がそこに待つてゐるならもう少し茗荷の花も食べてよかつた(絶筆より)

手をのべてあなたとあなたに触れたきに息が足りないこの世の息が


「想定を超えた」という考え方

2011-03-15 | ジュニア俳句

大地震の被害が拡大して、万を超える方々のいのちが失われたという。
さらに、原子力発電所の危機的な状況が今も続いている。

その中で、よく使われるのが「想定を超えた」という言葉だ。
想定を超えた津波、想定を超えた事態・・・・・

この「想定」というのは、現代社会の考え方をよく示した言葉だと思う。言いかえれば、「目標数値」である。
これは、基本的には過去の実績に基づいている。
例えば、津波であれば、過去の津波の記録を調べ、それに何割かをプラスして想定数値を作る。会社も昨年の実績プラスアルファ%をプラスして目標値とする。
当たり前といえば、当たり前の考え方だ。
商業では、チェーンストア理論というのがあるそうだ。何が売れたかを克明に記録し、それに基づいて仕入れを決める。

しかし、過去は、必ずしも未来を規定しない。
人間の発明とか、発見は常に想定外だから新しい。
新しい売れ筋商品も想定外だから売れる。

これは、飛躍とか、論理的でないこと、直感をどこまで許容するかという問題につながる。
集団が小さければ、この直感はけっこう認められる。それは、誰それさんがいうのだから、信じようという見方だ。ところが、集団が大きくなるとそのことが難しくなるから、論理的な説明でないと社会が信じなくなる。そして、それが絶対化される。
現代社会はそれに近いのではないか。
私は、子ども達に筋道を立てて、目標をたてて考えるだけでなく、考え方としての飛躍を教えなければならないと思う。
筋道を立てて考える→筋道のどこかでジャンプする→筋道をたてないで考える
例えば、KJ法で、どこにも属さない思いつきがのこる。ここに重要なヒントがあったリする。
1つの直感だ。これが、飛躍のもとになり、「想定外」が考えられるようになる。

もう一つは、神の領域を排除するということだ。人間のせいぜい数百年の経験かなりの程度絶対化し、とんでもないことが起こる可能性が事実上考えられないことだ。
自然と人間との関係ということだ。
西洋の自然観と日本の自然観の相違。森の思想と石の思想との違い。
自然と共生するのか、闘うべき対象と捉えるのか。

大げさに言えば、俳句教育は、こうしたことに関わる。
つまり、直感や飛躍を身につける。
自然との共生を実感する。

どの子もできる10分間俳句
 
学事出版

俳句は、この現実に立ち向かえるか

2011-03-14 | ジュニア俳句

テレビが、東北地方の惨状を繰り返し伝えている。
津波が町を飲み込んでいく様子。
人間の造作物のなんと脆いことか。
津波を防止するために作られた最新の防潮堤も何の役にも立っていない。
1000年に一度と高をくくることもできるが、ここで問われているのは、人間の生き方だし、文明のあり方である。
人間の現在の文明は、砂の上に立っている。
人間の力が自然に打ち勝つことは幻影だ。
これは、一種の敗北主義かもしれないが、人間は自然の中で生きており自然によって生かされていると認識すべきだ。
巨大堤防をつくるよりも、逃げることを考えた方がよい。
原子力発電はやめて、人間が制御できるものにせざるを得ない。
この巨大地震の中での単純な教訓であるように思う。
そのためには、これから、どんな社会モデルが必要なのか。
経済が落ち込み、未曾有の危機にある日本社会の転換にこの地震が駄目を押したのではないか。
単純にいえば、自然と共生したシンプルライフだうろ。

それにしても、この地震の惨状について、俳句はその状況を詠めるのか。
試みてみても極めて難しい。
17音は、平時の文学なのか。
自然との調和的な共生を歌えるが、断絶を詠めるのか、はなはだ心許ない。
誰かがこの壁を破ってくれるかもしれないが、現時点では俳句の無力をも感じている。

このブログも一時中断しなければならないと思った。
この非常時に、そんなことをやっている場合ではないだろうと。
しかし、おたおたしていても仕方がないし、自分は自分の出来ることを続けることしかできない。そう自覚すべきだとの結論に至った。


数矢小学校の児童の感想から 句会について

2011-03-10 | ジュニア俳句

句会についての子ども達の感想です。

★句会は、みんなでいろいろな友達の句を選び合うところが楽しかったです。相手の個性や表現などがわかるので句会はとてもいいと思います。

★一年間楽しかったのは句会です。1月の句会では、五番目に多く票が入りました。

★句会もとってもいろんな発見をしておもしろかっです。

★私は小山先生との俳句の授業で一番楽しかったのは句会です。たくさんの票が入るとうれしいし、入らなくても、小山先生が「たくさん票が入ることだけが俳句じゃない。一人でも自分の俳句が大好きでっていう人がいるのもいいと思う」とおっしゃってくださいました。わたしはとてもうれしかったです。

★句会は楽しかったです。人に票をあげる所やぼくの句に票が入る時が楽しかったです。

★わたしは、お友達の俳句を聞くのが楽しかったです。お友達の個性的な俳句を聞くのが好きだからです。

★句会では、自分の句で気に入った句を出し、よいと思った句を選ぶことが楽しかったです。自分が三位に入ったときは、うれしかったです。

★ぼくは句会が好きです。それは、友達の句を見れるし、そのいろいろな句にコメントをつけてくれるので、それがいい句を作るアドバイスになりました。最初は俳句はきらいだったし、どういうふうに作っていけばいいのかがわかりませんでしたが、句会をやっていたことで、どうやればいいか、わかってきたような気がします。

この感想を見ると、やはり句会の力を感じる。

◎友達を理解する。友達に目が行く

◎ゲームとしての楽しさがある

◎それを超えた価値を教えることが出来る

◎俳句づくりの方法を学ぶ場になる。

◎子ども達をほめる場とすることができる


句の鑑賞に正解はあるか?―問題提起

2011-03-09 | ジュニア俳句

航海日誌

俳句に関すること、また雑感等のブログです。

に、「句の鑑賞に正解はあるか?-問題提起」が掲載されている。
長文の問題提起だが、考えさせられる内容である。

ごらん頂きたい。

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句会いちじはん  3月例会は、

  3月13日(日)午後1時半~  深川七中です。