もう着ない着物を使って服でも作ろうかと思い解し始めたら、使えない端切れがたくさん出ました。それで1㎝位に裂いて緯糸に使ってみたら、おもしろい模様がでました。
白い絣の部分が模様になります。昔は布は貴重品だったから、裂き織りやこぎん刺繍などの技法が生まれたのですね。今は繊維製品は安いから、着なくなった服を再生する手間を掛ける人は少ないけれど、着物は絹なのでまた別。
もう着ない着物を使って服でも作ろうかと思い解し始めたら、使えない端切れがたくさん出ました。それで1㎝位に裂いて緯糸に使ってみたら、おもしろい模様がでました。
白い絣の部分が模様になります。昔は布は貴重品だったから、裂き織りやこぎん刺繍などの技法が生まれたのですね。今は繊維製品は安いから、着なくなった服を再生する手間を掛ける人は少ないけれど、着物は絹なのでまた別。
グリーティングカード売り場で、こんな涼し気な立体カードが目につきました。ちょっと鬱気味の友人に元気を出してもらおうと思って送りました。
娘が幼児の時に三浦半島に行った際、ガラスの容れ物にキラキラ光る砂と貝殻、オモチャの魚が入った土産品を見て、「この世に、こんな綺麗なものがあるなんて」とうっとりとして言ったことが忘れられません。もちろん、それを購入して帰途に着きましたが、その後はもっと綺麗なものに巡り合えたのか、見向きもしませんでした。なんだか、このカードを見ていて、そんなことを思い出しました。
経年劣化して硬化プラスチック製の歯車が割れてしまった機を直そうとして、替わりの歯車を探し続けていたけれど、ぴったりのサイズがみつからず、ついに自分で作り始めました。この木製の歯車を取り付けるためには、ほとんど機全体を分解しなければなりませんでした。でも、これが構造を知るうえでとても役立ちました。
基本的には同じだけど、機は一つ一つ個性があるので、いろいろな機を扱ってみたくなります。気が付けば、足踏み式機が5台、卓上式機が自作を含めて5台。最近では、手織りよりも、機作りが楽しいと感じてしまいます。
今日、やっと「わがまち風景賞版画カレンダー2020」のための版画が終了しました。ここ数年、お盆の何日かに集中して仕上げていて、私にとっては宿題のようなものです。終わらないと気になるものの、つい先延ばしになってしまうような作業。このカレンダーも6年経って今ではプロの作家が多くなって、年に1,2回しか版画をしない自分の作品はあまり上手ではないと思いますが、一度やり出したら10年は続けなくてはとも思うので、もう少し頑張ってみます。
今夜はきれいな月が見えました。十三夜くらいでしょうか。版画で風景表現をするようになって、空や雲、月をよく観察するようになりました。草木や建物の造りなどにも関心が持てます。色や形、構造などを考えるから、やっていて良かったのかもしれません。
糸繰業の知人からレーヨンの刺繍糸を大量にいただきました。光沢のある綺麗な糸ですが、さらさらとしていてとても扱い難い糸です。でも、何とか整経して、筬通しまできましたが、これがまた苦行。細かい竹筬に3本ずつ通していきます。この暑さの中、投げ出したくなりながら、織り上がった様を想像して何とか半分ほど通したところです。
毎年、8月の第1金・土・日は桐生祭です。今年は本町三丁目の鉾と四丁目の鉾が曳き違う様が見られました。三丁目鉾の最上部には翁の人形、四丁目鉾の最上部には素戔嗚尊の人形が設置されていました。特に今回は12年振りにレプリカではなく、明治時代の松本喜三郎作の生き人形が設置されていて迫力あるものでした。先日の「テレビ鑑定団」でも紹介された素戔嗚尊は3500万円の鑑定額がついた貴重なものです。
普段は人通りもまばらな本町通り。どこにこれだけの人が居たのかと思うほどの人で埋め尽くされていました。こうした伝統的な鉾の巡行などを見るにつけ、明治・大正・昭和初期の桐生にタイムスリップして、当時生きていた人々の熱気を感じてみたいなと願ったりします。そんなことは不可能だけど、当時の人々の記録を見るだけでもおもしろく、文才があれば小説にすることで再現することもできるのにと溜息が出ます。