昨日、太田教室に向かう途中、高校の同級生達と一泊した宿近くを通ったので、当時交わした会話とかが思い出されました。2012年の暮れにうちでコンサートを催した際、東京から駆けつけてくれた友人達。その夜はミニ同窓会みたいになって、泊まった温泉宿で夜中まで語り合いました。
夜、帰宅してメールチェックをしたら、そのYさんが朝亡くなったという連絡が共通の友人から入っていました。そういえば、温泉に入る時に、乳癌の手術をしたという話をしていました。「早過ぎるよ」って、呟いてみました。
死ぬって、どういうのでしょう。手を耳に当ててみると、血の流れる音がします。頬が温かい。私は生きているのだと感じます。生きているからこそ、死があるのですね。早かれ遅かれ、死は避けられないのだから、せめて残りの生をしっかり生きようと思いました。
Yさん、遠くまで来てくれて、ありがとう。合掌。
いつもは夕方から出掛けるお祭りですが、例年夕立にあうので、昼に行ってみました。今年、53年振りにお披露目されるという本町五丁目屋台を見てみたかったのです。
安政6年に完成した豪華な屋台。彫刻師は岸亦八、襖絵は長沢時基。扁額の書は中沢雪城と台陽山人。屋台前面に龍を象った柱が施されています。盛時には本町一丁目から六丁目まで豪華な屋台があり、引き違いが行われたり、舞台で歌舞伎や神楽が行われたそうです。
他に娯楽が無かった時代、祭はどこの地方でも一大イベントだったことでしょう。各町会の意地と誇りの象徴のような舞台。桐生祭の熱気を感じます。
昼の祭会場は活気も無く、道路の熱気に当てられたのか、その夜熱が出ました。