豊前善三のつれづれ日記 2011年12月31日 ブログをはじめました

日頃、感ずることについて考える。人間らしさを さまざまな人間模様。

豊前善三のつれづれ日記

2023年07月27日 17時10分23秒 | 日記

( Vol  3264   )   疑義がある場合 なぜ アマチュアスポーツの世界では プロスポーツの世界で 取り入れられている ビデオ判定が 取り入れられていないのか  的確な判定のために ビデオ判定を取り入れるべきではないか

神奈川高校野球大会 決勝で 起きた9回の表の出来事に いろいろな考えが インターネットで話題になっている

 

疑義を突きつけても 2塁塁審のジャッジに委ねれ 決定を下した 

2塁塁審の判断によって結審した

 

ここに もう一つの問題が潜んでいる

自分の下した判定を 疑義があったからといって 自分で判断を翻すことができるだろうか 一般的には不可能である

相撲においても 疑義ががあるときは 他の審判たちが 判断を下している

 

 

疑義があれば プロスポーツでは ビデオ判定に持ち込まれる のが常識になっている

第三者による 判定が行われている

 

そこには 

人間の目の不確かな部分がある ことと 

自分が判定を下したことは 自分の判定を誤審と 自分で判定することは 心情からして不可能 だからである

 

目の前で見ているから 間違いない と言えるか とつきつけられたのが ビデオ判定導入 である

特に スピードについて 以外と人間の目の反応はついていっていないのである

見ているようで 見ていないのである

判定に 脳が関与して 補足して 判断してしまう

見えていないものを 見えているとしてしまう

この ことが 不公平さ 不確かさ を生んでいる

 

 

プロの

テニス 野球 

国際的な世界選手権スポーツ

バドミントン バレーボール

 

などでは 公平な審判 ということで 疑義あれば 異議の申し出をすれば ビデオ判定が導入されている

 

今回の 神奈川高校野球決勝での 出来事は 審判のあり方について 疑問を投げ掛けるものだと感じた

 

是非とも 選手たち 監督 観衆 審判 の納得のいく判定をするためにも 第三者による判定ということで ビデオ判定を 導入すべきである

2塁塁審 一人に 最終的な判断を委ねる ということは 暴挙である 2塁塁審にとっては 酷である

 

是非とも 疑義があるときは 第三者の立場 を取り入れてほしい

その方法として ビデオ判定 を導入してもらいたい

 

これは 他のスポーツにおいても 第三者による ビデオ判定を 積極的に導入してもらいたい

 

 

 

 

 


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豊前善三のつれづれ日記

2023年07月27日 07時49分45秒 | 日記

( Vol   3263  )  自民党政権の 経済政策は 場当たりである もっと 未来をみて政策立案してもらいたい 観光政策は場当たり的すぎる

 

日本の経済の牽引役としての 強みは どこにあるのか

そこを考慮していない

また その強みを育成する政策もしていない

 

場当たり的に 観光に目を向けた政策を打ち出したが それは一時的である

中国からの旅行者受け入れに頼る

これは 中国経済の進捗状況に左右される

ここにきて 為替の円安による 中国以外の国からの 観光客が増えている

これも 為替変動で 変わってくる

 

インバウンドによる 功罪も考えなければならない

 

ヨーロッパの国では インバウンド抑制策を打ち出している

 

いま 世の中 世界的にみて 経済は低成長である

 

この中で 経済政策は どうすべきか

政治家は とかく 即 効果のある政策をしたがる

 

日本の経済の停滞期間30年を 振り返ってみると 場当たり的な 効果のあると思われる政策をしても 何の成果もなかった

 

これからの政策は 長期計画で考える必要がある

 

ここには 日本が長期低迷の経験を生かした 反省が生きてくる

 

日本の強みとは 何かに

また これからの 経済の急成長は求められない中 バランスのある政策も求められる

日本の政治家は 高度経済成長の味わいを忘れることができず

何でも やれば当たった と奢ってきた

また 政治家にとっての 旨味 を最優先にしてきた

 

経済成長の鈍化 低迷 という状況下では 思考を変えなければならない

 

日本の強みは 何かに

世界のトップは 知的財産への重視に傾いている

 

その点を見ると 日本のお家芸とも見える

ただし 日本の問題は 知的財産権への重要度の認識が薄いということである

日本は ガラパゴスと揶揄 されることが多い

このガラパゴスこそ 知的財産の宝庫でもある

 

日本の強みは 日本流に取り入れてしまうこと

そのことが 知的財産につながる

 

アイディアを いま使えない といって放棄

これでは 知的財産は増やせない

 

無駄なようで無駄でない それが知的財産

 

日本の企業における 知的財産の発掘と 政界に向かって発信する 力が いま求められる

 

観光も 経済に貢献できるが

それ以上に貢献できるのが 知的財産である

 

知的財産を内に保存するのではなく

世界戦略として 知的財産を武器として 行動すべきである

 

日本に 資源はない

ではなく

 

日本には 知的財産の資源がある

と捉えた思考が必要である

 

いまの 政治家は あまりにも無知

自分にとっての 旨味があるかないか の場当たり的な思考しかしてこない

 

灯台もと暗し 

という言葉があるが

まさしく 日本の政治家は 足元をしっかりと見て 分析し 精査して 考えていない

日本の政治家に 求められるのは 日本の未来を豊かにするために

足元を見る ということを 求める

 

日本には 資源がある

その資源の掘り起し が求められる

 

有形 無形 の別なく 精査する 必要がある

 

政治家は 目先の自分にとっての旨味に囚われるのではなく 日本の未来を考えてほしい

 

いま 求められるのは 未来を描く 長期計画である

 

 


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2023年07月26日 07時08分26秒 | 日記

( Vol  3262  )  宗教は いかなるときも 冷静に行動しなければならない   己の行動を戒める 行動だけに徹することである

 

宗教をもって 暴力 弾圧 は それは 宗教ではない

それは 政治である

 

政治は 何でも 道具として使う

宗教批判行為に対して 不満を暴力という形で表現するのは

扇動するものがいるからである

その扇動者こそ 政治家である

 

政治家とは 大衆 民衆 を扇動して 自己主張

宗教は その政治家たちに 利用されてはならない

 

宗教は 布教に当たって 他の宗教との 比較で布教活動

そのことが 宗教による差別を生んだ

 

このことが 世界中で 宗教紛争が 起きることになっている

その紛争を 政治家はチャンスと 利用

 

宗教は 他を批判せず

淡々と 自分の振る舞いを正す それに徹する すべきである

己の行動を戒める

 

宗教は 誰をも 支配するものではない 批判するものでもない

宗教は 他の宗教を 批判するものではない

 

宗教は 大衆 民衆 を煽ることを促してはならない

 

いま 宗教紛争が起きているのは

政治的な要素が強い

政治家に 宗教が道具として 使われている

 

宗教は 常に冷静になって 感情をたかぶらせることなく

大衆 民衆に 冷静になって行動をとる ように先導すべきである

 

宗教 宗教家 信者 は 怒らない 暴動を起こさない 冷静になる

争いを起こさないために これが 大事である

 

宗教と 他の宗教は 距離を置くことが必要である

宗教が 他の宗教を 弾圧することは 許されない

宗教が 他の宗教を 批判してはならい

 

言論の自由 は守られなければならない

 

宗教批判については 宗教は 常日頃の宗教の教義の行動で 示す ことである

 

相手を批判する それは 宗教ではない

 

それは 一つの政治行動である

 

 


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豊前善三のつれづれ日記

2023年07月24日 09時23分31秒 | 日記

( Vol 3261  ) 人は 優劣をつけたがる 頭がいい とは 何か

頭がいい とは 人一倍 競争に打ち勝つ努力をした人 といえる

人間社会は 生きるための 競争社会である

その中で 勝ち抜けたものが 勝者と名乗っている

 

いい学校に入学する

いい企業に就職する

そこには 競争がある

 

受け皿は  容量として限られている

その容量から 溢れれば 頭が悪いと選別される

 

その考えは 正しいのか

 

いつでも挑戦はできる

一度 受け皿から溢れ出されても 受け入れられるまで 挑戦して 受け入れられれば 勝者

頭が悪い から 頭がいい 

に評価は変わる

 

人間の評価は 不安定

 

偏差値の高い 学校を卒業すれば いいのか

偏差値の高い 企業に就職すれば いいのか

 

どこか おかしい

 

人生は それぞれ

 

世の中 あまりにも 固定概念が まかり通っている

 

特に 偏差値の扱い方がおかしい

 

偏差値で 人の能力を推し測る 

 

それは 無謀である

 

テストの結果から 全体のどのくらいの位置にいるかを 知る道具でしかない 偏差値

 

それは その人の潜在する能力までも 推し測るものではない

人の潜在する能力は 何をもってしても 推し測ることはできない

 

世間でいう 頭がいい とは 偏差値でランクされ つくりだされたものである

 

頭がいい それは 無理やりランク付けをして 優越感を味わおうとしている 者たちの仕業

 

他人よりも何倍も 努力をすれば 

競争に勝つことはできる

 

だが それは 頭がいい とは言い切ることはできない

ただ 言えることは 競争に勝った ということである

 

人生を 自分との戦い と捉えたら 競争はない

そこには 勝者も敗者もない

 

あるのは 自分の歩いた道だけである

 

本当は 「頭がいい」というのは 選別のために つくられた言葉

 

誰もが 自分と向き合えば 「頭がいい」という ことば はなくなる

 

大事なのは 目標 を設定し 進路を決めることである

 

 

 

 

 

 

 

 


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豊前善三のつれづれ日記

2023年07月21日 10時03分25秒 | 日記

( Vol   3260   )   人間は 自分は守らなくても 相手には 守ることを求める この不合理を平気で行っている

最近の中国の 言動は 「え」と思うことばかりである

 

一部を切り取って 聞いていると とても立派な演説

しかし 精査してみると ちょっと 違う

 

自分は 指摘のことを 守っていないのに 相手に求めている

 

まるで 論理遊び

 

聞いていると 矛盾ばかり

 

このような 国は 信用できない

 

中国からの 旅行者 移民者 についても

このような 傾向が 一部に見られる

 

これは 中国国内における モラルが 自分さえ良ければ なにをやっても許される という状況をつくっている ともいえる

 

これは 集団社会を 維持する 安全 安心 という社会環境を 乱す

 

ルールを 認め 守る ということが 人間社会では 求められている

 

なぜ 自分さえ良ければ ということが いれるのだろうか 理解できない

 

その行動を 当然の権利として 行動することこそ おかしい

 

その意味からも 中国を100%信用できるとは いえない

むしろ 不信である

この不合理をする行為には 憤りを感じる

 

 


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