豊前善三のつれづれ日記 2011年12月31日 ブログをはじめました

日頃、感ずることについて考える。人間らしさを さまざまな人間模様。

豊前善三のつれづれ日記

2023年07月24日 09時23分31秒 | 日記

( Vol 3261  ) 人は 優劣をつけたがる 頭がいい とは 何か

頭がいい とは 人一倍 競争に打ち勝つ努力をした人 といえる

人間社会は 生きるための 競争社会である

その中で 勝ち抜けたものが 勝者と名乗っている

 

いい学校に入学する

いい企業に就職する

そこには 競争がある

 

受け皿は  容量として限られている

その容量から 溢れれば 頭が悪いと選別される

 

その考えは 正しいのか

 

いつでも挑戦はできる

一度 受け皿から溢れ出されても 受け入れられるまで 挑戦して 受け入れられれば 勝者

頭が悪い から 頭がいい 

に評価は変わる

 

人間の評価は 不安定

 

偏差値の高い 学校を卒業すれば いいのか

偏差値の高い 企業に就職すれば いいのか

 

どこか おかしい

 

人生は それぞれ

 

世の中 あまりにも 固定概念が まかり通っている

 

特に 偏差値の扱い方がおかしい

 

偏差値で 人の能力を推し測る 

 

それは 無謀である

 

テストの結果から 全体のどのくらいの位置にいるかを 知る道具でしかない 偏差値

 

それは その人の潜在する能力までも 推し測るものではない

人の潜在する能力は 何をもってしても 推し測ることはできない

 

世間でいう 頭がいい とは 偏差値でランクされ つくりだされたものである

 

頭がいい それは 無理やりランク付けをして 優越感を味わおうとしている 者たちの仕業

 

他人よりも何倍も 努力をすれば 

競争に勝つことはできる

 

だが それは 頭がいい とは言い切ることはできない

ただ 言えることは 競争に勝った ということである

 

人生を 自分との戦い と捉えたら 競争はない

そこには 勝者も敗者もない

 

あるのは 自分の歩いた道だけである

 

本当は 「頭がいい」というのは 選別のために つくられた言葉

 

誰もが 自分と向き合えば 「頭がいい」という ことば はなくなる

 

大事なのは 目標 を設定し 進路を決めることである

 

 

 

 

 

 

 

 

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