豊前善三のつれづれ日記 2011年12月31日 ブログをはじめました

日頃、感ずることについて考える。人間らしさを さまざまな人間模様。

豊前善三つれづれ日記

2016年02月04日 07時03分38秒 | 日記
 ( Vol 1366) 静寂環境をつくることは 雑音環境への対応ができなくなる 精神的な安定をつくる環境を壊していないか


静寂な環境をつくることは 精神的に良いのか それは違うのではないか


集団社会では お互いを気遣い 暮らしていくことは 大事である

しかし 過度な対応をしては 精神的な面では逆効果になる


静かな環境を求めるのはわかる

しかし どこでも静かさを求めるのは 過剰である



最近 都会で 通勤時間帯に電車に乗って気がついたことは あまりにも静かであること

電車にでは 携帯電話の使用を禁止

これは 心臓ペースメーカー装着の人のために 考えられた処置だが

最近では ペースメーカーが影響を受けにくくなっているが


それが 電車内で 携帯電話で 話すことすら 迷惑へと発展


電車内で 乗り合わせた者同士が 語り合うことは 許されているが 携帯相手に話すことは 禁止

どこが違うのか

また 電車内で 話をしている姿を あまり見かけない


昼間 電車に乗ると 頻繁に通勤時間に乗車しないだろうと思われる中高年の人たちが 大声で電車内で 周囲を気にせず話している


通勤時間帯の 電車内の静寂さの環境になれると 電車内の話し声は うるさく感じるようになる


雑音の環境に 耐えられなくなるようだ


電車内で 周りに気遣いながら 携帯電話で話している人がいた

電車内での 携帯電話の使用禁止を意識しているからだ 

隣には イヤフォンをしてスマホでゲームをしている人 ただ黙っている人 電車内はさまざまである

しかし 静かすぎる

静か故に 話し声がすると 気になる


この静寂が 良いのか 

人間にとって 集団社会において 静寂環境を良しとすることが 精神的に良い環境なのか 疑問を感じる


この静寂環境が どこにいても要求されるとしたら 音に対して 敏感にならないだろうか

家の周りでの 音 ピアノ音 自動車の音 工事現場の音 いろいろな音に反応してしまう

その反面 音には飢えている

家の中では音を出し 音楽を聴く テレビを観る ゲームをする 大声で話す


団地やアパートでの 隣 階上 階下の音が 気になる


このようなことは 静寂な環境が 生活環境に あまりにも多くつくられているからではないだろうか


街中を 歩いているときは 音には寛大であるのだが


その他の環境では 音を受け流す という反応ができなくなっている



もう少し 音に対して 鈍感になる社会環境を つくっていくことで 精神的な安定を生むことができるのではないか


現代社会は あまりにも 清潔 静寂 という環境を 過剰に追い求めてないだろうか

ものごとには ほどほど という考え方も 必要なのではないか














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