豊前善三のつれづれ日記 2011年12月31日 ブログをはじめました

日頃、感ずることについて考える。人間らしさを さまざまな人間模様。

豊前善三のつれづれ日記

2024年07月05日 08時41分02秒 | 日記

( Vol   3375  )  なぜ 夏の甲子園は 真夏にやるのか 考え方を変えても良いのではないか

気候がおおきく変わったのならば 夏の甲子園の開催の時期や場所を 変更してよいのではないか

最近の気候は おおきく変化

日本の夏は 以前のような夏ではなくなった 猛暑日が多発

熱中症を生じさせるような気候になった

このような 気候状況になっても 慣習の踏襲で良いのか

 

気候がおおきく変わったのならば 考え方も変えればいい

時期を 秋に変えてもいいのではないか

 

野球だけを 特別扱いにする必要はない

 

野球も 高校のスポーツ大会の 一つである

ならば いくらでも柔軟に変えることもできる

 

まず 選手の健康を考えた開催方法を 考えるようにすべきである

 

なぜ変更できないか

そこには 既得権 慣習の踏襲 という執着があるからである

 

なにかを変えれば 影響がでる

それは当然のことである

その影響を負と捉えては 何も変えられない

負と捉えるだけでなく チャンスと捉えることが重要である

 

変えるには 負が伴う

変えた先に 良い効果が生まれる ということを想像する ことが大事である

今の夏の高校野球の開催のあり方は 転機にきている

 

 


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豊前善三のつれづれ日記

2024年07月05日 07時36分21秒 | 日記

( Vol  3374  ) いかなる 思想 宗教 でも 人は真の自由にはなれない

人は 自由になりたいと 束縛から逃れようともがく

その解決方法として 思想 宗教が 現状の改革手段として生まれた

だが ここにも問題がある

それは 人が 人を コントロールする という点では変わらない

思想を実行しようとすれば そこには指導者が生まれる

宗教を実行しようとすれば そこには指導者が生まれる

 

過去を見ても 指導者は 権力者への執着が強く 人々の望む自由 を拘束する方へと動く

そこには 統率管理という観点から 指導者は 自分の考えるようにしたいと行動する

 

これは 見方を変えれば 支配する ということである

支配されることを嫌った 思想 宗教 が再び同じ轍を踏む

 

人は どんな世の中になっても 真の自由は手に入れることはできない

 

真の自由が 手にはいる という幻想に振る舞わされる

 

指導者は 権力者になると

欲望が強くなり 理性を失う

自由 平等 は絵に描いた餅

としてしまう

 

過去の歴史を見ても 体制を批判して権力者という 地位を得た者たちは 皆が体制批判した者たちと同じような形になっている

 

人間は 自己の利益を最優先

他者の利益は 自分の欲望を満たすためには 軽視

 

大きいものを重視するあまり 小さいものは軽視あるいは無視

これが 権力者の思考である

これが 人々の望む 真の自由を妨げている

 

しかし 人間が 欲望を持っている限り だれが 指導者になっても 同じような轍を踏む

 

人間の性でもある

 

理想に近づきたいと思っても 近づけない

それが 人間社会である

 

いつの時代も 政権に対する 批判が生まれる

 

新たな思想 考え方 宗教 が生まれても 理想に届かない

 

いつも いつも 人は迷い さ迷う

 

一時は 良くなっても すぐに戻る

 

欲望をコントロール できればよいのだが それができないのが 人である

どんなに 素晴らしいと思われている人でも 欲望をコントロールできない

欲望をコントロールできるのは ほんの一瞬である

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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