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納戸の奥に眠っている箱を久しぶりに出してみると…
買い集めていた45年前の週刊ベースボールを読み返しています

#227 練習生の成功例

2012年07月18日 | 1981 年 



典型的な現代っ子である。ヒーローになれば全身で喜びを表現し、チョンボをしても頭を掻きながらペコリと謝るも決して落ち込んだりしない。そんな性格なのかプロ入り初の二番打者に抜擢されても物怖じせず3打数3安打(1本塁打)4打点、翌日も3安打の大活躍で遂には三番打者に昇格した。

今から4年前、小倉工を中退した松永は地元の百貨店でアルバイトをしていた。プロ入りの夢を捨てた訳ではなかったが、毎月決まった金額で生活する事は何故か好きにならなかった。一か八かの勝負に賭けて練習生の待遇条件で阪急入りした。昨年までの2年間は一軍では何一つ成績を残していない。今季の年俸が300万円と一軍最低保障額に満たないのも当然で、12球団イチ安サラリーの三番打者なのである。「お金の話ばかりするのはイヤらしい気もしますけど、ボクはお金を稼ぐ為にプロに入って来たんです。だからお金の為に頑張ります。これがボクの野球哲学なんです」

順調に成長してきたとはいえ真の三番打者になる為には、まだまだ険しい道が待っている。「野球がそんなに甘くない事は分かっています。でも物事を悪い方に考えてばかりいては話になりません。今は前向きに進んで行くしかないですよ。お金に対する執着心をボールにぶつけていくだけです」 ウルフと呼ばれる筋肉の持ち主で握力は70㌔を超える。12球団イチ安い年俸の三番打者でも可能性の大きさは無限大だ。



後の伊東・大豊・中込などドラフトの裏技と言える球団職員という「囲い込み」ではなく、純粋な練習生として成功した稀なケースでした。




1978年 2月 6日 号 『練習生』
     

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