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#226 第3の助っ人・郭源治 

2012年07月11日 | 1981 年 



「郭源治が初めて試合で投げる」・・チームは低迷が続き、夏場に入ってめっきり明るい話題がなくなった中日にとって久々のニュースであった。来日して3週間目の8月18日の南海戦、午前11時過ぎに始まった二軍戦のネット裏には各社スポーツ紙の記者たちが一軍の試合並みに詰め駆けた。

試合開始後いきなりピンチに見舞われた。連打と四球で二死満塁、打席にはドカベン香川。郭は動揺する事なく低目の変化球で泳がせて投ゴロに仕留めピンチを脱した。2回以降は5回まで3人づつで片付けて見事なデビューを飾った。当初の予定は3回までだったが5回まで続投し降板後も「まだまだ投げられるよ。全然大丈夫」と潜在能力の高さを証明してみせた。打者18人・投球数80球・被安打2・四球1・奪三振3・自責点0 と文句無しの内容だった。記者席の中央で視察していた近藤監督は 「初めのうちは緊張でコチコチだったが4回からは球のキレも出てきた。調整段階でこれだけのスピードを出せるのは本物」と期待は増すばかり。

来日して3週間で本格的に練習できたのは正味2週間。打撃投手を2度務めただけでランニング中心の練習内容で、本調子には程遠いが右手人差し指のマメが固まったので実戦で試してみた段階なのだが球場のスピードメーターは144㌔を計測。試合後の会見では「立ち上がりは緊張でコントロールが悪くてどうなるかと思った。台湾よりもストライクゾーンが狭いのが分かったのも収穫だった。あと5日もあれば148㌔は出るョ」と投球内容に一安心といった様子。通訳する足木さんも日本語・中国語・英語のチャンポンに一苦労で、会見の途中で途中でもどかしくなると郭本人が黒板に「緊張」「硬」「約束」「慣習」など漢字を書いて対応していた。

ハズレ外人・スパイクスは今季限りが決定的だけに郭の一軍昇格に障壁はない。郭本人もそれは承知しているようで「ボク、一日でも早く一軍で投げたいョ」と売り込みに積極的だ。既に来季に向けて球団は動き始めている。9月に入ったら郭のピッチングを一軍でお目にかかれそうだ。




8月30日の横浜大洋戦で一軍デビュー

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