goo blog サービス終了のお知らせ 

Haa - tschi  本家 『週べ』 同様 毎週水曜日 更新

納戸の奥に眠っている箱を久しぶりに出してみると…
買い集めていた45年前の週刊ベースボールを読み返しています

# 807 週間リポート 広島東洋カープ

2023年08月30日 | 1977 年 



ヘソから下は丸出しで~す
広島市民球場での対阪神3回戦の6回表からギャレット選手が捕手で登場した。外人選手が捕手をやるのは昭和37年、大毎(現ロッテ)テスタ選手以来15年ぶり。身長188cm・体重86kg の巨漢がプロ選手としては小柄な水沼選手のプロテクターを着けるとヘソから下が丸出しといったサマを目にしたスタンドのファンは大笑い。なんとも滑稽な見た目だがそのプレーたるや見事なもので首脳陣や広島ナインはビックリしたほど。「的が大きいので投げやすい(池谷投手)」のは当然としても強肩ぶりが抜群で、翌4回戦で二盗を試みた中村勝選手を刺した時にはスタンドから「日本人は敵わない凄い強肩だ」との感嘆の声が上がった。

ギャレット選手は捕手が素人というわけではない。大リーグのエンゼルスに在籍していた昨年も捕手として15試合に出場しており、相手の先発投手が右腕の時は四番・捕手で出場していた。守りに気を使って打撃に影響するかと思いきや、対阪神4回戦では初回の一死二・三塁のチャンスで中前に先制の2点適時打。6回には右中間に同点2ランを放つなど首脳陣の不安は杞憂に終わった。その後雨が強くなり同点のままコールドゲームとなっただけに価値ある同点本塁打となった。「いいねぇ。しばらくギャレットを捕手で使いたい」と古葉監督はご満悦。ギャレット本人も「ボスがやれと言うならどこのポジションでも喜んでやる」と頼もしい。


改めて!神は神で神ではない
「こんな抗議はこれまで一度としてなかった。聞いた時はビックリしましたねぇ」とファンからのクレームに球団職員は大慌てだった。それは広島市民球場で行われた阪神戦での出来事だった。試合中に広島市内の球団事務所に「当用漢字に『神』という字はありません。子供たちに学校で教えない字を使ってもらっては困ります。すぐに改めて下さい」と電話があった。その声はひどく強硬であったそうだ。なるほどスコアボードに記されている阪神の『神』の字が旧字体の『神』になっている。どうやら電話の主は市内の教育関係者らしく、子供たちの教育問題と言われたら球団側も従わざるを得なかった。

" 神も神もカミ一重 " などとしゃれている場合ではなかった。「ご指摘の通りです(球団関係者)」とただただ低姿勢で翌日にはスコアボードの掲示板を書き直した。これまで10年以上もまったくクレームがつかなかったものが、ここにきて抗議を受けたのも開幕から低迷を続けるチームがだらしない為なのか?「これをきっかけに何とか強くなって欲しいもんですね」と球団職員は古ぼけた他の5チームの掲示板に比べてやけに真新しさが目立つ『阪神』の掲示板を見つめて何とも恨めしそう。


夏休みなんてあるものか!
意外も意外?最下位という見事なまでの不振にどうにも恰好のつかない古葉監督。その為なのか例年ならたっぷり休養をとってきたオールスタ戦期間中に猛練習をする計画だ。地元広島市内のホテルに一軍メンバーを3日間カンヅメにするミニキャンプを強行する。「巨人をはじめどこのチームも絶対的な力があるわけではない。借金(負け越し数)を何としても返済し何が何でも上位に食い込みたい」と古葉監督はやたら張り切っている。この期間中を例年通り夏休みと早とちりして家族旅行を計画した選手たちはガックリ。

それもこれも身から出た錆で文句を言えた筋ではない。「他チームの選手らが羨むほどの年俸をとり、しかも待遇も最高(球団職員)」とあれば頑張るしかない。ましてや広島市内のホテルに滞在しての練習なので食事や移動の負担もなく、文句を言ったらバチが当たる。既に首脳陣は各選手個々の長・短所を総点検し課題を見つけてみっちり鍛える腹づもりだ。これでこのまま最下位に沈みペナントレースを終了したらファンは承知しませんよ!



コメント

# 806 週間リポート 阪神タイガース

2023年08月23日 | 1977 年 



キバとヒゲがモノをいいます
連敗街道まっしぐらの阪神。猛虎と呼ぶにはおこがましく、すっかり飼い猫状態だったがようやくキバ(掛布)とヒゲ(田淵)に復活の兆しが見え始めて虎らしくなってきた。掛布選手の場合は骨折が欠場の原因だったので怪我が治りさえすれば復活に問題なかった。一方の田淵選手は極度のスランプでスタメン落ちしていたが復帰2試合に久々の11号本塁打を放った。10号を放った5月29日以来20日ぶりの一発だった。ただし打順は本来の四番ではなく六番とまだまだ完璧な状態ではないが、とにかく本人も首脳陣も一安心。「ヒジの具合も良くなって左方向へ引っ張れるようになった。これからは大丈夫そうです」と笑顔が戻った田淵選手。

勝率を5割に戻し、遅まきながら首位巨人追撃に出た阪神。甲子園球場での対巨人3連戦(21・22・23日)で掛布選手と田淵選手に一発が出て3連勝してチームのムードは一気に盛り返してきた。「やはりあの2人がムードを盛り上げた。長い辛抱だったけどあとは田淵が四番でバリバリ打ち出したらこれでウチ本来の姿に戻れる。佐野が帰って来れば開幕当初のベストメンバーで戦える。もう一度再アタックですわ」と吉田監督。阪神にとって6月後半からオールスター戦までは反攻の時期。梅雨空の下で息を吹き返した虎が巨人にどこまで迫れるか、前半戦最後の興味である。


即行動せよ!掛布ファン
掛布選手が戦列に復帰して1ヶ月近くになり調子も元通りで絶好調。欠場中は小休止だった掛布ブームが再燃し、どこに行っても " 掛布く~ん " の大合唱だ。大洋と帯同した仙台遠征では宿舎を訪れた女子高生ファンから東北名物のコケシをプレゼントされた。「ここ(仙台)に来るといつもコケシを貰うんです。今回で4つ目です。合宿所の部屋に飾っています」と掛布選手の部屋はファンからのプレゼントで埋め尽くされている。これほどの掛布人気でも勝てないのがオールスター戦のファン投票。目下、三塁手部門では高田選手(巨人)に1万票以上の差で2位に甘んじている。

三塁手部門では他にも衣笠選手(広島)や田代選手(大洋)もいて激戦である。「今年は怪我で長いこと休んでいたので票数が少なくても仕方ないですね。規定打席にも達していないし、成績を比べても高田さんや田代さんに負けています。今年は厳しいです」と中間発表の時点で掛布選手は言っていたが、怪我から回復し徐々にではあるが調子を上げてきている。果たして最終の締め切り時ではどうなっているのか興味深い。全国の虎ファンに告ぐ。ここで掛布選手を後押ししないでいつやるのだ!


四番サード掛布・背番号 31
野球選手にとって四番打者は夢。が、その四番を「今のボクにはまだ無理」と僅か1試合で返上したのが若トラの掛布選手。田淵選手の右手指骨折など中心打者に故障者が相次ぎオーダーが試合毎に変動する非常事態が続き、7月18日の対ヤクルト19回戦で遂に掛布選手の四番が実現した。掛布選手にとって四番はプロ入り4年目で初めて。試合前に山内打撃コーチから「今日は四番を任せた」と言われて掛布本人が一番驚いた。「ハイ」と返事をしたものの、状況が呑み込めずしばらくポカ~ンとしていた。まさか自分に四番の座が回ってくるとは想像すらしていなかったのだ。

さすがの若トラも緊張で第1・2打席は凡退。だがこのまま期待外れで終わらないのが掛布選手の非凡なところ。第3打席に梶間投手から右翼席に10号勝ち越し本塁打を放ち四番の重責を果たした。だが本人は「四番はまだ自分には荷が重い。三番の方が打ち易いです」と四番返上の弁。四番に抜擢した吉田監督は「まだ四番はキツイかなと思ったけどよくやってくれました。でもあまり負担をかけてせっかくの調子が崩れてはいけないので長くはやらせない」と翌19日の対広島12回戦から元の三番に戻した。だがいずれは阪神の四番に座る選手で先ずは予行練習といった「1日四番打者」を経験した掛布選手だった。



コメント

# 805 週間リポート 読売ジャイアンツ

2023年08月16日 | 1977 年 



さすが全国区 " 巨人党 " 強し
オールスター戦のファン投票第1回集計が出て捕手意外の8ポジションを巨人勢が占めるという参議院選の候補者が見たら羨ましがる " 巨人党 " が大躍進。早くも巨人ナインの間では「参議院なら全議席独占も夢じゃない」「今のコバ(小林投手)なら本物の選挙に立候補しても当選確実だ」などなど。中には「あとはヨシ(吉田捕手)だけか。これからは1打席1打席が票につながると思ってやれ」とか「打席では " お願いしま~す " という気持ちで打て」など冷やかしたり激励したり。その吉田選手も23日の第2次発表で田淵選手(阪神)を抜いて捕手部門トップに立ち遂に巨人勢が全ポジションを占めた。

巨人勢や他チームのスター選手ら全セを指揮する長嶋監督は楽しい構想にふける時がある。三塁手部門は現在トップの高田選手の他にも掛布選手(阪神)や田代選手(大洋)など実力者がいる。「3人(高田・掛布・田代)は当然選ばれるだろうが3人をどう起用するのか悩む。3イニング毎に交代させるか代打起用にするか」と長嶋監督はペナントレースの激戦の合間にスポーツ紙を広げて各選手の動向を見て頭を悩ます。21・22・23日は阪神に3連敗して一瞬、オールスター戦どころではなくなったが「オールスター戦のことを色々考えられるように早く貯金を『20』にしたい」と長嶋監督は巨人ナインにハッパをかけている。


あの左足、今日も冴えてるぅ
新たな火消し役の誕生だ。西本聖、つい先日21歳になったばかりのヤング。6月28日の阪神戦で待望のセーブポイントを稼いだ。それまでは主に中継ぎで好投していたがセーブポイントがつかない不運にあった。「1試合でも多く投げたいと思ってますから数字にはあまり関心がないです」と西本投手は言うが嬉しくない筈はなく、翌29日には「今朝は随分早く目が覚めました。やっぱり新聞に自分の名前が載るのは嬉しい(笑)」と初めてヒーロー扱いされた新聞記事を目にして本音もチラリ。28日まで6月の西本投手は10試合に登板し6連投中で翌日も登板して7連投。さすがに疲れから球威は落ち、打たれて負け投手に。

「加藤がいなくて浅野もダウン。どうしようかと悩んでいたところに西本が出てきた。家貧しくして孝子出ず、だね。ヤツはまだまだ伸びるよ」と杉下投手コーチ。西本投手は入団したころ左足を高く上げる往年の名投手・沢村栄治ばりの豪快な投球フォームだったのを制球力アップの為に昨年に修正したが「モーションに変化をつけた方が打者を幻惑できるかなと思いまして(西本)」と時折たまに足を上げるフォームで投げることもある。投球フォームが独特で有名になったが好投できなかった為に " ブロマイド投手 " などと陰口を言われたこともあったが、今や巨人若手四羽ガラスの中でトップ的存在だ。


仁王様の目が鋭く光った!
「できればファン投票でオールスター戦に出たかったですよ」と最後の最後でファン投票選出から漏れた張本選手は残念がる。その数日後には首位打者争いで若松選手(ヤクルト)にトップの座を譲り渡した。この頃からである。張本選手が猛然と奮い立ったのは。持ち前のケンカ打法とも評される打撃に凄みが加わった。練習の時から違うのだ。張本クラスの選手なら試合前の練習はコンディションを整える為のもので構わないはずだが、まるで真剣勝負のような気迫でバッティング練習に挑んでいる。「あんな凄い目を初めて見たよ。仁王様という表現がピッタリ」と山口打撃投手も驚く。

「俺は強い男だ。夏バテなんてするわけない。体に多少の不具合があったって負けない。必ず巨人のV2と首位打者を達成してみせるよ」と久しぶりに張本選手の怪気炎が聞かれた。オールスター戦ファン投票の落選は逆に張本選手の発奮材料となっている。「いつまでも口惜しがったりしない。その気持ちを闘志にかえて体ごとぶつかっていくだけですよ。まぁ自分のタイトルは二の次。先ずはチームの優勝。それを1日でも早く決めてからワンちゃん(王選手)のホームラン世界新記録。頑張りますよ(張本)」と頼もしい新・燃える男の誕生だ。



コメント

# 804 週間リポート クラウンライターライオンズ

2023年08月09日 | 1977 年 



高くない2300万の契約金
「アイツ、やっぱりただのルーキーじゃなかった。俺の目に狂いはなかったよ」と青木一三球団重役(スカウト・渉外担当)は得意満面。それというのも松下電器に内定していたのを大逆転で入団させた立花選手が刈谷市営球場で行われたウエスタンリーグのトーナメント大会で最優秀選手の栄冠を勝ち得たからだ。「高校生のそれも外野手に契約金2300万円は高すぎるという声が多かったが、俺が2年越で惚れ込んだ逸材だからな。決して法外な金額じゃなかっただろ。この分ならレギュラー獲得が予想より早まるかもね(青木)」と球団側の宣伝の分を割り引いても立花選手の実力は確かなモノである。

トーナメント大会では二番打者として11打数6安打。吉沢選手(阪急)の打率 .625 に劣るものの、決勝の阪急戦一死満塁の場面で平山投手から放った中越え三塁打が決め手となり最優秀選手に選ばれた。「外野フライでいいと気楽に打てました。和田さん(二軍監督)に好きに打っていいと言われたので " 初球から打っていいですか? " と聞いたらOKだったので思いっきり振りました。インコース高めのストレートでした(立花)」とのこと。和田二軍監督は「何といっても思い切りがいい。口で教えてもなかなか出来ない選手が多い中で1年生で大したもんだ」と手放しで褒めちぎった。


いっちょうやったるバイ!
前期シーズンのチーム打率・本塁打・打点がいずれもリーグ最低のライオンズ打線。盗塁や失策数がやや改善されつつあるのが救いだが「こんなに打てないと後期も苦しい」と鬼頭監督の表情は厳しいままだ。特に一発で試合を決めてしまう本塁打数の減少傾向は気がかりだ。負けてもいいから派手な一発を観たいというライオンズファンは多い。そんな声に後期に向けて「一丁やらせてもらおうか」と腕をぶしているのが一昨年の本塁打王の土井選手。前期シーズンの土井選手は4月下旬の南海戦で左足アキレス腱を痛めてしまい、思った以上の重症で足首の腫れが引くまで結局前期いっぱいかかった。

土井選手の打法といえば左足を思い切り踏み込んで球をバットに乗せてスイングし遠くに飛ばすもの。それが痛みの為に踏み込めず「ええ角度で上がったと思ってもフェンスの手前でス~と失速しよるんですわ。そりゃもう悔しゅうて、情けなくて…(土井)」という毎日が続いた。開幕当初は順調だった。20日間で4本塁打を放ったが、足を痛めた後は2ヶ月過ぎても4本増えただけ。アキレス腱痛がバッティングの調子を狂わせたのは間違いない。それが後期シーズン開幕を前にしてようやく明るい兆しが。「もう八分以上良くなっている。ベストの状態になるのはもう間もなくですわ」とようやく土井選手の表情に明るさが戻ってきた。


バッテン、やっぱ強かぁ
後期シーズンが始まり二度目の遠征で阪急の稲葉投手に翻弄され快進撃は小休止してしまったものの、第3節を前に前期最下位がウソのような勝ちっぷり。後期開幕のロッテ戦で連敗した後は日ハム戦を勝ち越し。気を良くして平和台に帰ってから南海相手に7対4、2対1、3対0と3タテ。更に近鉄には5対2、7対0、5対1、3対2と何と4タテ。遂に昭和47年8月以来の7連勝を記録した。観客動員も3、4連勝までは6千~7千人だったが5連勝した試合で1万人台に乗せ、6連勝した試合は2万人を超え今季最高人数を動員した。この日は平日でしかも戻り梅雨で小雨が降るという悪条件だったが多くのファンが平和台球場に押し寄せた。

大田選手のサヨナラ5号本塁打で勝利し昭和33年の西鉄黄金時代以来19年ぶりの地元7連勝が実現した夜の博多の街は大騒ぎとなった。これまで期待を裏切られ続けただけに連勝中も半信半疑だった博多っ子も7連勝が決まるとスタンドで花火を上げて「勝った、勝った。ライオンズは強かぁ」と歓声を上げると歓楽街中洲に繰り込んだ。博多の街を流しているタクシー運転手は「乗車してくる皆さんがライオンズはどうなった?と聞いてきます。ライオンズの勝利を知ったお客さんがお釣りをチップにして頂いています」と商売繁盛でウハウハだ。



コメント

# 803 週間リポート 日本ハムファイターズ

2023年08月02日 | 1977 年 



この一発!お前に分かるかな?
開幕戦からパ・リーグでは華々しい満塁本塁打ラッシュが続いているが、日ハムでも23日の近鉄戦で富田選手が満塁弾を放った。0対4とリードされた8回に同点引き分けに持ち込む価値ある一発だった。あまりの嬉しさに富田選手が一塁ベースを踏み忘れて慌てて踏みに戻るハプニングもあった。あわや幻の満塁本塁打になるところだったが、幻の一発といえば昨年のことを憶えているファンも多いはず。4月29日、同じく近鉄戦で新人の行沢選手がプロ入り初安打を満塁本塁打で飾ったが一塁走者の服部選手を追い越してしまい、記録上は「単打・3打点」となる珍事があった。

「満塁なんて野球をやって初めて。ソフトボールで打ったことがあるだけ。そういえば柳田投手はソフトボールみたいな下手投げだから打てたのかな。柳田投手は昨年ノーヒットだったから関係ないか(笑)」と富田選手はジョーク連発で大はしゃぎだったが、実はこの試合に三枝子夫人と長男の大介ちゃんが球場に来ていて家族の前で打てたことに喜びを爆発させたのだろう。「主人がデーゲームだから試合が終わったら後楽園遊園地に行こうと誘ってくれたので試合が終わる頃を見計らって来たらホームランを打ってビックリしました」と三枝子夫人。富田選手はまだ1歳の大介ちゃんに「パパ打ったよ。分かるか?」と頬擦りする親バカぶりを見せつけていた。


一度は足を洗おうと思った男
前期シーズンもいよいよ終わりだが日ハムのツキ男・江田投手がツキの締めくくりを飾った。6月22日のロッテ戦ダブルヘッダー第1試合、先発の佐伯投手が4失点で5回降板後に登板した江田投手。どうせ負け試合…と気楽に投げているうちに味方打線が反撃し同点に追いつき、最終回には永淵選手の5号逆転2ランが飛び出し今季2勝目となる勝ち星が転がり込んだ。「ツキも実力のうちですかね、エヘヘ」と普段のポイーカーフェイスはどこへやら破顔一笑で喜んだ。

「今シーズンの目標は先ずは一軍入りだった。ここ2年は二軍暮らしだったから今年ダメなら野球から足を洗うつもりだった。それが一軍どころか勝ち星まで。しかも前期だけで5勝とは自分でもビックリしている」と江田投手。自分自身の調子が下降気味だったのに加えて高橋一投手や野村投手ら先発陣が復調したこともあって出番は少なくなっていた江田投手にとって40日ぶりの勝ち星だった。「こうなったら10勝でも狙いますか(笑)。これまで女房には苦労ばっかりかけてきたので何かプレゼントしようかな」と喜びを隠せない江田投手だった。


勇者殺しに刃物はいらぬ。高橋直がいればいい
6月26日の阪急戦に先発し完投勝ちして9勝目をあげた高橋直投手。この試合の勝利でチームは1試合を残し貯金「1」となり前期シーズンの5割以上を決め、更に対阪急戦も勝ち越し有終の美を飾った。「まがりなりにもエースと呼ばれているんですから、こうした節目の試合は勝たないとね」と高橋直投手は涼しい顔だがチーム勝率5割といえば、昭和49年に日本ハムファイターズとなってから初めての出来事だ。ここ数日雨ばかりで体調管理が難しく「立ち上がりから体に力が入らずフラフラしていた(高橋直)」そうだがそこは相手の手の内を知り尽くしており今季既に3勝と阪急キラーぶりを存分に発揮した。

6月に入って3対2、2対1、1対2、3対2と全て1点差ゲームに登板した高橋直投手。「僅差の試合は体も気持ちも疲れる。僕は夏場はあまり得意ではないので後期シーズンが始まるまでに多摩川で走り込んでおきたい。幸いウチも野村・佐伯・高橋一と先発陣も揃ってきたし、宮本幸・村上さんら救援陣も健在でこのまま後期に突入したら優勝するチャンスもある。6月は登板回数も少なかったし余力はあります」と話す高橋直投手。前期シーズンは投球回数 136 イニングと12球団最多登板で疲れもあるだろうが意欲はみなぎっている。



コメント

# 802 週間リポート 近鉄バファローズ

2023年07月26日 | 1977 年 



とてもルーキーとは思えんな
ドラフト1位ルーキーの久保康生投手が10日の対クラウン戦で鮮やかなデビューを飾った。高校時代に何度も試合を行なった平和台球場。この思い出の多い地で久保投手は見事な投球を披露した。先発した仲根投手がKOされ降板した5回裏からマウンドへ。代わりっぱな竹之内選手を内角のシュートで三振。続くロザリオ選手もボールカウント2-1からスライダーでこれまた三振。しかも「(捕手の)梨田さんはカーブのサインを出したんですけど、打たれそうな気がしたので咄嗟にスライダーを投げました。梨田さんには悪かったかな」と並みのルーキーとは思えない発言に取り囲んだ報道陣もビックリ。

6回裏にちょっとした見せ場があった。同じ柳川商からプロ入りした立花選手が基選手の代打として登場し同級生対決が実現した。「絶対に打たせたらいかんと思った(久保)」そうで初球は思いっきり投げたストレートがすっぽ抜けた。2球目は打ち気にはやる立花選手の心理状態を見抜いてスローカーブ。1球ファールの後、4球目のカーブを引っかけて一塁ゴロに倒れた。僅か4球だけの対決だったがしたたかなマウンド度胸は見上げたものだった。ネット裏の記者席では「プロで5~6年投げてる感じだ」と称賛の声が上がった。結局、久保投手は2イニングをパーフェクトに抑える見事な投球で初陣を飾った。


のってる島本今度は満塁ホーマー
今年のプロ野球界は例年にないホームランラッシュとなっている。しかし幾らホームランラッシュとはいえ1試合に満塁ホームランが2本も出るとは。プロ野球史上六度目の快記録。それも貧打線と酷評される近鉄がマークしたのだから驚きだ。4月8日の対南海2回戦2回二死二・三塁で打者ジョーンズ選手の場面で野村監督は「山内投手はジョーンズに弱い。島本の方がリスクが少ない」とジョーンズ選手を敬遠し、島本選手との勝負を選んだ。「舐められてと思いカッとして頭に血が昇った」と島本選手はストレートに的を絞り4球目を強振すると打球は右翼ポール際に飛び込んだ。プロ入り初の満塁弾だった。

島本選手はキャンプ、オープン戦の頃は不振を極めていた。ライバルの栗橋選手が打ちに打ちまくった為に存在感が薄れていた。どうすれば打てるのか…迷いから覚めたのは簑島高時代の恩師・尾藤監督に会った時だ。「野球は気迫と根性だ。去年あれだけ打てて今年打てないのはおかしい。知識で頭でっかちになっていないか?先ずは体を動かせ」と激励を受け、気持ちが吹っ切れた島本選手は蘇った。11日のクラウン戦では自身二度目の1試合2本塁打も達成した。「尾藤監督に励まされて迷いがなくなった。打席で気迫を出せば打てないことはない」と島本選手は胸を張る。


ほんま後期が思いやられるワ
「こんなにモタモタしてたら後期も勝てん」と6月25日の南海戦に敗れた西本監督は吐き捨てた。頼みのエース・鈴木啓投手が打ち込まれ、打線も藤田投手の前に散発6安打の完封負けを喫したからである。前期優勝へ他力本願とはいえ勝ち続ければ…と微かな望みを持っていた西本監督だが、この日の敗戦で全てが終わった。「どうしたんかな。鈴木は体のキレが全然なかった」と西本監督は肩を落とした。それもそのはず、今季対南海戦は3勝0敗と相性の良かった鈴木啓投手が3回に突如崩れた。「自分でもよう分からん。充分な投げ込みもしたし満を持してマウンドに上がったんだけどね」と鈴木啓投手はうつむいた。

勝負は下駄を履くまで分からないと常々口にし、優勝に淡い期待を抱いていた西本監督も打線の不振にさすがに落胆ぶりを隠せなかった。前期シーズンの中盤、首位に躍り出た時は若手野手は面白いように打ちまくった。それが大詰めになるとパタッと打てなくなった。この日の6安打完封負けは打線の貧打ぶりを象徴しているかのよう。「こんなことでは後期シーズンが思いやられる」と頭を抱える西本監督。さて後期はどんなスタートを切るのだろうか。



コメント

# 801 週間リポート ロッテオリオンズ

2023年07月19日 | 1977 年 



成田よ後期は本当に大丈夫か?
カネやんはじめロッテ首脳陣は成田投手の後期復帰の目途が立ちホッと一息ついている。6月20日に後楽園球場で行われたイースタンリーグトーナメント大会に成田投手は登板した。巨人の二軍相手に内容こそ目立ったものではなかったが、とりあえず無事に投げ切ることが出来て一軍復帰の見通しはグーンと明るいものとなったのだ。思い起こせば春の鹿児島キャプで右肩痛を発症してから成田投手にエースの面影は見られなかった。5月中旬に一度は一軍に合流したものの、3日ともたず再び二軍に逆戻り。本人が焦りや失望を感じるのは勿論だが首脳陣も「成田がいてくれたらなぁ」と何度となくため息を漏らした。

現状の投手陣は安木投手や田中投手の台頭で一応のやり繰りはついているが、実績のない投手だけに心許ない。後期シーズンに巻き返しを図るロッテには成田投手の復活が欠かせないのだ。成田投手は20日の降板後にこう切り出した。「巨人打線はよく振れていたねぇ」相手が二軍の面々だけにやけに自重めいて聞こえるが表情には暗さはなかった。湿気の多い梅雨どきで決して肩痛に悪影響がないとは言い切れない。「全力で投げた翌日に肩の状態に異常がなければ良しとします(成田)」と結果の内容は重要ではないそうだ。後期シーズン優勝には成田投手の活躍が必要となる。既に一軍登録され、間もなく試運転の運びとなる。


あの歌よ再び「オン・リー・ユー」
6月26日がリー選手にとって記念すべき日となった。18試合、実に69打席ぶりに21号満塁本塁打が飛び出した。「やっぱりダイヤモンド一周は気持ちいいネ。ことにグランドスラムは格別だ」と27日間ノーアーチだったリー選手は喜びを爆発させた。8年間の大リーグ生活でも満塁本塁打は1974年のインデアンス時代の1本だけで、自身2本目となる一発に細い目を一層細めた。両リーグ一番乗りとなった20号目は5月29日の対クラウン11回戦。この時の試合消化数は45試合目。およそ2試合に1本のハイペースに周囲は大騒ぎだった。

ところが来日して初めて体験する梅雨になるとリー選手のバットから快音が聞かれなくなった。風邪を二度もひくなどすっかり体調を崩した。「決して調子は悪くない。コンディション?エブリタイムOKネ」とリー選手は言い続けたが、それは大リーガーとしての模範解答でしかなかった。5月には13本塁打だったが6月は1本のみ。「自分のペースを忘れて調子に乗っていた。何がチームの為になるのか、この一発をきっかけにもう一度考え直したい」と謙虚なリー選手。本塁打を量産していた頃の口癖だったフォアザチームを真剣に考えている。


ダメ男のラク印返上するぜ
開幕間もない頃、監督であり兄貴でもあるカネやんから「トメ(金田留投手)はもう投手としては終わりやな」と三行半を突きつけられていたが、7月20日現在18試合に登板し徐々にではあるがベテラン投手らしく計算できる先発ローテーション投手として蘇りつつある金田留投手。何よりも気迫が感じられる投球を見せるようになった。「これでダメなら野球から足を洗わざるを得ない(金田留)」と断崖絶壁に立たされた男のひたむきな姿勢がマウンド上にある。

防御率は2.50 と及第点だが最後の踏ん張りに欠けて勝ち星に恵まれず現在4連敗中。ただし昨年泣かされた右背筋痛は完治しており「もう大丈夫。根気さえ無くさなければ勝ち星は時間の問題さ」と金田留投手に悲壮感はない。三井投手は依然として二軍で、成田投手は一軍に戻って来たとはいえ完全復調には程遠く投手陣は火の車状態。お家の事情を自らの右腕でとファイトを燃やし続ける毎日だ。「これまで勝てなかった分をオールスター戦明けから白星が転がり込んで来るよ」と胸をドーンと叩く金田留投手だ。



コメント

# 800 週間リポート 南海ホークス

2023年07月12日 | 1977 年 



1ヶ月ぶりに投げたものの
6回 1/3 を投げて5安打・4失点。忘れかけていた江夏投手が遂に今季初登板を果たした。4月18日の対近鉄3回戦で江夏投手は3月16日のオープン戦の登板以来、実に1ヶ月ぶりにマウンドに戻って来た。登板の2日前に野村監督に先発を申し渡された時に江夏投手は「プロ入り初登板の時のように感激した」という。しかし結果は冒頭のように芳しいものではなかったが本人は「自分としてはよくあそこ(7回途中)まで投げられたと思った。ブランクを考えれば先ずは良かった」とKOされたショックは見せなかった。

江夏投手の黄金の左腕が神経炎と診断されたのはキャンプイン直前の事だった。必死に治療に専念し開幕に間に合わせたが待てど暮らせど野村監督からのGOサインは出なかった。チームは開幕から好調で先発ローテーションも確立され、故障あがりの江夏投手に声がかかることはなかったのだ。だが徐々に先発陣に離脱者が出る。佐々木投手が足を痛め、大黒柱の山内投手も調子を崩してローテーションを維持するのがきつくなってきた。だがそれでも江夏投手に声はかからなかった。

業を煮やした江夏投手は「昨年はもっと悪い状態でも投げていた。それと比べたら今は全然大丈夫」と首脳陣にアピールしたが野村監督は「江夏にテスト登板させる余裕はない。いずれチーム状態も下降し江夏の力を必要とする時期は必ず来る。その時の為に今は焦らずじっくりやっていればいいんや」とサラリと江夏投手の意気込みをかわしていたが、とうとう江夏投手の出番がやって来たのだ。だが結果は今一つだった。先発して6回・4失点では首位争いをしている南海では次の登板は難しそうだ。


2人合わせて83歳
前期優勝はならなかったが阪急と熾烈な首位争いをした南海を牽引したのは若タカ連中ではなく野村監督と広瀬選手の " ベテラン40代コンビ " だった。野村監督が6月29日で42歳、広瀬選手は8月に41歳になる。2人合わせて83歳の超高齢プレーヤーだ。そんな2人に共通しているのは南海の黄金時代を知っているということだろう。「あの頃は優勝して当たり前やった。また強かった。南海はやっぱり強くないとアカンのや」と広瀬選手は断言する。パ・リーグを代表する強豪チームであることが当時の南海の宿命だった。

そのことが2人に何が何でも優勝という気持ちを強くさせている。前期シーズンの終盤に2人のハッスルぶりに他球団のスコアラーも「さすがにこのベテラン2人がやる気を出すと南海は怖いよ」と驚いた。残念ながら優勝は逃し、後期シーズンに再アタックをかけることになった。「ホンマに残念やったな。でも阪急がもたついたからウチに優勝の目が出ただけ。自力で相手を倒さないとアカンのや。きっぱり諦めなしゃあない」と野村監督の視線は既に後期シーズンに向けられている。


今は耐える時、忍の一字や
悪い時には悪いことが重なるもの。これを地で行っているのが今の南海だろう。先兵役の藤原選手が怪我からようやく復帰したと思ったら今度は主力組に怪我人が続出した。先ずはホプキンス選手。もともと腰を痛めていたが無理が祟って今度は膝を痛めてしまった。「休みたくない。プレーできる限りはやる」とホプキンス選手はヤンキー魂で強行出場を続けている。更に門田選手がロッテ戦で八木沢投手から死球を受け右手を負傷。そして成長著しい定岡選手が肉離れで離脱した。

投手陣ではエース・山内投手が2ヶ月ぶりに復帰したものの、中山投手の方はサッパリ。「(中山の状態は)どうなっているのか我々にも分からん」と首脳陣を嘆かせるほどスローペースの調整ぶりだ。こんなチーム状態では勝てるはずはない。「悪い時とはこんなもんかもしれんなぁ。それにしても怪我人が多すぎるわ」と野村監督は愚痴を吐露する。しかも穴を埋める救世主も不在でお手上げ状態。皮肉にもポジション的に怪我が多く年齢からくる衰えが顕著なはずの野村監督ひとりが気を吐いているのが物悲しい。



コメント

# 799 週間リポート 阪急ブレーブス

2023年07月05日 | 1977 年 



殺しのテクニック教えます
阪神から移籍した笹本捕手がなんと5盗塁刺殺のパ・リーグ新記録を成した。思わずベンチから「よっ、殺し屋!」と感嘆の声が飛んだ。対ロッテ3回戦(西宮)で3回表から中沢選手に代わってマスクを被った笹本選手は弘田選手の二盗阻止を皮切りに4回表には末永選手、8回表には有藤選手と千田選手、9回表には代走の井上選手をいずれも二盗を許さなかった。試合は引き分けに終わりナインには疲労だけが残ったが笹本選手の強肩がなければ負けになりかねない展開だった。

捕球から送球までの素早い動き。手首を利かしたスローイングはコントロール抜群。まさに捕手にうってつけの笹本選手だが、前所属の阪神では外野手にコンバートされて捕手としては1年余りの空白期間があった。それだけに阪急に移籍後は外野手としてのスローイングから捕手の投げ方に戻すまで時間を要したそうだ。「まぐれですよ。たまたまです」と本人は謙遜するがまんざらでもなさそう。上田監督も「歯切れの良いリードをする。もちろん肩もいい。これからもドンドン使いたいね」と笹本選手に対する期待は大きい。


左と右。鋭く光る四つの目
加藤秀選手と島谷選手が熾烈な首位打者争いを展開中だ。6月30日現在、加藤秀選手は打率 .342 、島谷選手は打率 .333 と僅か9厘差で加藤秀選手がトップだが一時は島谷選手がトップをキープしていた。この2人は高知キャンプでは同室でトレードで中日から移籍して来た新参者の島谷選手を加藤秀選手が何かと世話をしてきた。「加藤さん、どうぞよろしく」と年齢が3つ上の島谷選手の低姿勢に加藤秀選手は「こちらこそ色々教えて下さい」と恐縮しながらもお互いの健闘を誓い合った。

「追い込まれてから逆方向に打つ加藤君のバッティングには舌を巻く」と島谷選手が言えば、「島谷さんはホームランバッターかと思っていたら、流し打ちも見事。むしろ打率を残す打法です」とお互いの実力を認め合っている。加藤秀選手が言うように島谷選手には上田監督や中田打撃コーチも「予想外と言ったらシマに悪いが安定して3割を打つとは思っていなかった。野球に対する姿勢も素晴らしい」と絶賛する。自身二度目の首位打者を狙う加藤秀選手、初の首位打者を目指す島谷選手。左右の強打者が揃い踏みしたら勇者は強い。


お次はタイ・カップだ
福本選手が遂に前人未到の600盗塁を達成した。去る19日の対クラウン後期1回戦(西宮)で初回の第1打席は古賀投手から右翼ポール際に先制本塁打を放った。口さがないファンからは「なんだホームランじゃ盗塁の見せ場がないじゃないか」と贅沢な不満の声が。その声に3回裏の第2打席で直ぐに応えた。一塁強襲安打で出塁すると次打者の大熊選手に対する初球からスタートを切った。若菜捕手の強肩をもってしても二盗に成功し、通算600盗塁(今季34盗塁)を達成した。広瀬選手(南海)が持つ596盗塁を破ったのが6日の後期開幕戦だったが、大台達成まで11試合を要した。「やはり意識してスタートを切りづらかった」と福本選手は述懐する。

600盗塁を達成した試合に福本選手は珍しく家族(美津代夫人・純也君・和也君)を球場に招いた。球場への道すがら「パパは今日こそ決めるよ」と予告したそうだ。対するクラウンは7連勝中で三塁側スタンドも多くのファンで埋まっていた。「これだけ多くのファンの前で達成できた良かった。選手冥利に尽きます」とファンを大事にする福本選手らしさも見せた。大リーグ記録はタイ・カップ選手の892盗塁。「ハミルトンという選手が900台を記録したという話もあるが1800年代のことで公式記録ではないらしい」次なる目標はコレだ。



コメント

# 798 ミスター若虎

2023年06月28日 | 1977 年 


タイガースの急成長株・掛布くんの活躍は一種のすがすがしさを感じさせる。プロ野球は常に新しい戦力、明日のスターを求めている。掛布くんはチーム、ファンの願望を満たし更に若い選手に希望をもたらしたと思う。

野球見るのもイヤだった欠場中
聞き手…怪我はもう大丈夫ですか?
掛 布…はい。もうほとんど治りました。少し前まで雨が降ると痛みがぶり返したりしましたが、今は大丈夫です。
聞き手…それはなにより
掛 布…広島戦でホームランを打ってから気分的に楽になりました。
聞き手…あの松原投手から打った一発ね。そういえば怪我をしたのは松原投手のデッドボールでしたね?
掛 布…そうです。左手首でした。
聞き手…休んでいた時はどうでしたか?
掛 布…辛かったです。今年は開幕から調子よくて、信じられないくらい打ってた時にデッドボールでしたから
    落ち込みました。

聞き手…回復は思っていたより長引いた?
掛 布…ええ。最初、病院では痛みが引いたら直ぐに復帰できると言われたんですけど、それから2日ほど痛みで
    寝ることが出来なかったから何かおかしいと思い、もう一度病院へ行きました。

聞き手…レントゲンは撮ったんでしょ?
掛 布…最初に撮りました。その時は骨には異常はないと言われましたけど内出血で判別できない部分もあるから
    しばらくしたら改めてレントゲンを撮ると。

聞き手…その二度目のレントゲンで骨のヒビが判明したと
掛 布…そうです。
聞き手…ショックでしたか?
掛 布…何をすればいいか分からなくて。とにかく野球がやりたくなってどうしようもなかったです。でも出来ない。
    そんな自分が情けなく、野球を見るのも嫌になりました。


親父の後について毎日走った
聞き手…休みの間はどう過ごしていましたか?
掛 布…もちろんバットは振れませんから、ひたすら走っていました。
聞き手…誰かに言われたの?
掛 布…いいえ、プロになる前から毎日走ってました。親父の影響です。
聞き手…お父さんの?
掛 布…子供の頃から朝起きたら走るのが日課でした
聞き手…お父さんと一緒に走るんだ
掛 布…いいえ、親父は僕を起こしたら犬の散歩に行っちゃうんです(笑)
聞き手…幾つくらいのこと?
掛 布…小学3年生くらいです。まぁたいした距離じゃなかったですけど。
聞き手…野球もお父さんが教えてくれたんだ
掛 布…はい。親父が新聞紙を丸めたものを投げてそれを打ったりしてました。
聞き手…兄弟みんな野球をやっていたの?
掛 布…一番上の兄貴は中学生になると野球部に入りましたけど、当時の野球部は不良の集まりだったみたいで
    ある日、兄貴が口の中を酷く切って帰ってきたのを見た親父は怒って直ぐに野球部を退部させました。

聞き手…その後は?
掛 布…高校へ進学しても野球はやりませんでした
聞き手…お兄さんの分も君への期待が大きくなったわけだ
掛 布…どうですかね、親父にしたら僕が野球をする・しないは大した問題じゃなかった気がします。
聞き手…東京遠征の時はお父さんは球場に見に来るの?
掛 布…いいえ。商売をしてますから東京まで来ることは滅多にありません。

全然苦にならない巨人の左投手
聞き手…去年より成長したなと思うのが選球眼が良くなったこと
掛 布…そうですか。自分じゃあまり変わったという気はしませんけど(笑)
聞き手…それと左投手に強くなった印象も。去年はライト投手(巨人)は打てなかった。
掛 布…ライト投手や新浦投手に苦手意識はないです。かえって左投手の方が体が開かないようにするので
    良いくらいです。

聞き手…巨人戦はよく打ちますね。巨人投手陣と相性が良いせい?
掛 布…どうですかね。ただ大観衆の前だと気合いが入るのは事実です。
聞き手…虎キチの大声援が後押ししてくれるわけか
掛 布…それは間違いないです
聞き手…ところでオールスターのファン投票で巨人の高田選手と三塁手部門で争っていますね
掛 布…今年はオールスターのことはあまり気にしていません
聞き手…怪我でオールスターのことまで考える余裕がなかった?
掛 布…はい。オールスターより試合に出ることばかり考えていました。
聞き手…怪我が治った後半戦はカケフ旋風を起こして下さい。期待しています。
掛 布…はい、頑張ります。


コメント

# 797 新人王

2023年06月21日 | 1977 年 



今年のオールスター戦にヤクルトの梶間投手が新人でただ一人出場した。セ・リーグの新人王レースも勝負あったという感じだが、昨年から規定が改正され新人王は今年入団の選手だけに限られなくなった。今年の新人王有資格者を総ざらいしてみた(記録は7月19日現在)

新人王争奪で図られる深慮遠謀
昨年の10月21日、広島対ヤクルト戦(広島)に先発した北別府投手は7回表二死後に1点を失うと直ぐに降板した。得点は広島が3点リードしており交代させる必要はなかったのだが、今年の新人王を見据えた配慮だったのは明らかだ。高卒ルーキーの北別府投手はここまで投球回数は29回 1/3 。30回を超すと新人王の有資格を失う。この試合に勝利しても2勝1敗で新人王には実績不足だ。北別府投手の降板は新人王を獲らせる為の首脳陣の深慮遠謀だったのだ。従来、新人王候補は公式戦に出場していなければプロ入り何年過ぎていても有資格者だった。昭和46年にセ・リーグの新人王に選ばれた関本投手(巨人)はプロ4年目だった。

打者1人に対戦しただけでその資格は行使されてしまう。昭和48年に成東高から中日入りした鈴木孝投手は開幕直後の4月19日の大洋戦に三番手で登板し8回裏を僅か9球で三者凡退に退けたが、その後はずっと二軍暮らしが続き鈴木孝投手の新人王の資格はこの年で終わった。翌49年の新人王は藤波選手(中日)が選ばれたが、殆ど代打要員で114打数33安打・打率 284 と特筆すべき成績ではなかった。この年の鈴木孝投手は35試合・4勝2敗2Sだったので仮に有資格者だったら新人王に選ばれてもおかしくなかった。ちなみに藤波選手への投票は37票。該当者なしが全体の44%にあたる89票もあった。

昭和51年1月27日のプロ野球実行委員会で新人王の資格が改訂された。プロ入り5年以内で投手なら通算30イニング、打者なら通算60打席以下の選手を有資格者と改めた。そこで早速、昨年の新人王の投票にあたって高木選手(大洋)に9票が投じられた。高木選手は昨年でプロ5年目だが過去4年で40打席しかなかったからである。角選手(ヤクルト)は昨年8月4日の巨人戦のプロ初打席で左前打、続く2打席目に左中間2塁打。翌日の巨人戦でも右中間2塁打と3打席連続安打の鮮烈デビューを飾ったが、10月3日の巨人戦で3打席凡退するとベンチに退き、残りの13試合には出場せず通算56打席と新人王の資格を残したままシーズンを終えた。


セの本命にあげられる梶間の実績
鉾田一高から日本鋼管を経て昨年のドラフト会議で酒井投手に次ぎ2位指名でヤクルト入りした梶間投手。オープン戦で5試合に登板し球威はそれほどでもないが巧みな投球術で打者を翻弄し開幕一軍を果たした。4月10日の大洋戦に登板し4回を2安打・無失点と実力の一端を示した。この好投が広岡監督に評価され16日の巨人戦で先発投手に起用された。試合は5失点で敗戦投手となったが王選手から三振を奪うなどキラリと光るものがあった。9日後の27日の中日戦で中継ぎで2回 2/3 を投げてプロ初勝利を手にした。すると5月13日の大洋戦で初完投勝利、6月8日の阪神戦で初完封勝利を飾り7月19日現在、防御率 2.94 はリーグ2位だ。

大洋の斎藤明投手は梶間投手に次ぐ4勝をあげているが完投はゼロ。7月12日の阪神戦では6回まで無失点と好投したが見方も無得点とツキに見放され7回に田淵選手に本塁打を許し8回に打順が回ると代打を送られ完投を逃した。この2人を除くとこれといった新人王候補は見当たらない。人気で圧倒する酒井投手は初登板した4月21日の大洋戦で7回無死で退くまで2失点と好投したが、それ以降は


5月1日:対巨人・5回・4失点  
5月9日:対巨人・3回 2/3 ・4失点  
5月14日:対大洋・1回 2/3 ・2失点
5月28日:対中日・1回 2/3 ・5失点
   と結果を残せず、6月1日の対大洋戦でリリーフ登板した後に二軍落ちした。

打者で有力候補だった松本選手(巨人)は左肩脱臼で戦線離脱し新人王レースからも脱落。当初は打撃が課題とされていたが、4本塁打を含む打率 378 と予想を覆す活躍を見せていただけに怪我が惜しまれる。一方のパ・リーグには投打共に候補者すら頭に浮かばない。新人王の有資格者で本塁打を放ったのは大宮選手(日ハム)ただ一人。その大宮選手も先輩の加藤捕手が好調でなかなか出番が回ってこない。投手では梶間投手より早く初勝利を飾った仁科投手(ロッテ)だったが完投ゼロの3勝では決め手とならない。佐藤投手(阪急)は初先発初完投勝利を記録したが、多士済済の阪急で出番が限られるのが難点。


条件厳しかった一昔前の新人王
以前は打者ならば規定打席に達したうえで打率は2割8分以上、投手なら15勝前後が新人王の最低条件の不文律とされた時代があった。今から考えると随分と厳しい条件であった為、昭和35年に東筑高から近鉄に入団した矢ノ浦国満選手は19歳で110試合に出場し華麗な守備で鳴らし、打率 256 をマークしながら新人王を見送られたことがあった。しかし最近では一定の水準を決めたりせず、その年の候補者の中で最高の成績をあげた選手を選ぶようにして「該当者なし」の事態を避けるようにしている。それをよく表しているのが冒頭で記した藤波選手(中日)と三井投手(ロッテ)が選ばれた昭和49年の新人王だろう。

三井投手はオールスター戦までは10試合・2勝2敗と目立った活躍はしていなかった。それが後半戦は21試合に登板し4勝3敗4Sと先発と抑えの切り札を兼ねて、6勝5敗4Sでロッテの後期シーズン優勝に貢献した。三井投手のように後半戦に調子を上げて新人王になったのが安田投手(ヤクルト)。昭和47年の前半戦終了時点で安田投手は29試合・1勝4敗・防御率 3.25 だった。それが後半戦に入って間もなくの8月5日の大洋戦で初完封勝利をすると調子に乗って、後半戦は96回 1/3 ・自責点13 で防御率 1.22 (通算 2.08)という快投を見せ最優秀防御率のタイトルを獲得し、文句なしで新人王に選ばれた。

過去の新人王のうち、投手の最少勝利数は三井投手の6勝。打者の最少打数は藤波選手の114打数。今年もこの最少ランクを下回るようなら見送りということも有り得よう。新人王はMVP(最高殊勲選手)やベストナインと同様に全国のプロ野球担当記者による投票で決定されるが、「該当者なし(白票を含む)」が総投票数の50%以上になると選出を見送ることになっている。果たして今年は誰が選ばれるのだろうか?このまま梶間投手が逃げ切るのか、斉藤投手が追いつき追い越すのか。またまた今はまだ身を潜めているダークホースが突如現れるのか注目である。



コメント

# 796 ライオンズバッテリー ②

2023年06月14日 | 1977 年 



繰り上げ1位のシンデレラボーイ
永射投手とは対照的なのがプロ同期生の若菜嘉晴選手。昭和28年12月5日生まれで永射投手より2ヶ月ほど「弟」だ。だが身体は弟の方が大きく、180㌢・78㌔とガッシリしている。永射投手とバッテリーを組んだ時は若菜選手が声をかける為にマウンドに駆け寄ると、オスよりメスの方が大きい " ノミの夫婦 " の如くユーモラスな光景を見せてくれる。若菜選手は福岡県というより広く西日本地区で高校野球の強豪校と知られる柳川商の出身で高校時代から大型捕手として注目され、島根・浜田商の梨田選手(現近鉄)と並ぶスラッガー捕手の呼び声が高かった。

昭和47年に当時の西鉄にドラフト4位指名で入団した。指名順位は4位なのだがこの年はドラフト会議前に西鉄球団が身売り騒動を起こし、1位指名の吉田好伸投手(丸善石油)以下、3位指名選手までの3人が相次いで入団を拒否した為に実質トップ入団だった若菜選手が「俺は繰り上げ1位指名だと」と事あるごとに強調して面白がっている。入団時から梨田選手へのライバル意識は相当なもので「彼にだけは負けたくない」とうわ言のように言い続けた。そんな梨田選手より一足先にオールスター戦出場を果たす。プロ入り後は目立たなかった若菜選手だけに「俺はシンデレラだ」と悦に入るのも無理はない。

それもそのはず、若菜選手が一軍の試合に出たのはプロ3年目でたった6試合。そのうち3試合は代走での出場だった。4年目の昭和50年は12試合で2年間の通算成績は9打数0安打。ようやく本業の捕手らしい使われ方をされ始めたのが昨年からだった。それでも西沢・楠城捕手らの半分程度の39試合で71打数17安打・打率 239 。過去5年間は二軍暮らしが殆どの選手だった。その二軍でも一塁手で起用されたり代打で出たりの選手だった。そんな若菜選手が一軍で起用されたのは正捕手だった西沢選手が肝炎を患い戦線離脱した為だった。鬼頭監督は若菜選手の強肩に目をつけ、打つ方には期待せず開幕から起用した。


2シーズン制でも新人は育つ好例
スタメン初出場の4月3日の対日ハム2回戦(平和台)で高橋一投手からチーム初勝利をもたらす逆転満塁本塁打を放った。これだけならフロックと言えた。事実、その後の4月いっぱいは低打率にあえぎ、盗塁阻止の強肩ぶりだけが目立った。打てない日々が続き、そろそろ鬼頭監督の我慢も限界が近づいた4月30日の阪急戦(西宮)で永本投手から再び満塁本塁打を放ち、周囲にも若菜選手の実力とツキを認めさせ正捕手の座を守ることが出来た。そして5月末に右足首ねん挫で休んだ2週間を除いて試合に出続けた。強肩だけが取り柄のように言われるが大柄で投手には目標が大きく感じ投げやすく、またサインを出すタイミングが良く投手との呼吸もピッタリだ。

永射投手、若菜選手の躍進で考えさせられるのが若手選手の育成とチームの勝利の両立が2シーズン制では難しいという問題。短期決戦では計算しやすいベテラン選手が重宝される。2人を育てた鬼頭監督も昨季は自らのクビをかけ、3期連続最下位の汚名を背負う覚悟で勝利より育成を選んだ。パ・リーグのホームランダービーを独走するリー選手(ロッテ)は永射投手を「あんな投手は見たことがない。打てる気がしないというのが本音」とお手上げ状態だ。盗塁王の福本選手(阪急)は「永射投手はタイミングを外すのが抜群に上手く打ちづらい。運よく出塁できても若菜選手の強肩から盗塁を成功させるのも困難。厄介なバッテリーですよ」と嘆く。



コメント

# 795 ライオンズバッテリー ①

2023年06月07日 | 1977 年 



ライオンズが後期に突然の獅子吼えを見せている。前期の最下位から一気に首位を突っ走る素晴らしい高度成長。それを支えるのは永射保投手と若菜嘉晴捕手の2人。このバッテリー、永射は小柄で若菜は大きい女房役のノミの夫婦でありそれが獅子を走らせている。

クロウトが選んだ球宴初の出場
今年のオールスターゲーム第1戦はクラウンの本拠地・平和台球場で行われた。前期最下位、しかも主力は故障続きで満足な成績を残していないとあってクラウン勢がファン投票では全滅だった。昨季DHファン投票2位だつた太田選手は今季は右太もも肉離れで今季は前期を棒にふり、12年連続出場の土井選手も左足アキレス腱痛による不振で遂に落選となった。そうした状況で全パを率いる上田監督(阪急)が監督推薦でイの一番に挙げたのが永射投手と若菜選手だった(他に基選手も推薦出場)。この時の2人の感想が「ひょっとしたら、が実現して嬉しい(永射)」「まるでシンデレラみたい(若菜)」と初々しかった。

永射投手は昭和28年10月3日生まれ。鹿児島県で生まれ育ち大浦中学で野球を始め、郡大会の決勝戦で完全試合を達成するなど本格派左腕として注目を集めた。中学卒業時には鹿児島実業、鹿児島商、済々黌など名門校から勧誘されたが「野球で進学したと思われたら嫌。鶏口となるも牛後となるなかれだ(永射)」と指宿商に進学した。ちなみに大浦中学の同級生だった定岡智秋選手(現南海)は鹿児島実に進学している。永射投手は1年生からエースで四番だったが甲子園出場は成らなかった。だが九州屈指の左腕と評価され昭和47年にドラフト3位指名で広島東洋カープに入団した。

カープでは将来のエースとして期待されて、21試合・16回 2/3 に登板したが防御率が5点台と伸び悩み、2年後の昭和49年に乗替寿好投手と交換トレードでライオンズに移籍した。ライオンズでも1年目は主にワンポイントで起用されたが防御率 8.18 で「とても一軍で使えない(江田投手コーチ)」と見放され二軍落ち。そのまま昭和50年も二軍暮らしが続いたが、翌51年になると救援専門で45試合に登板した。先発要員不足で急遽、対近鉄5回戦(藤井寺)に先発し5回を投げてプロ入り初勝利をあげた。これをきっかけに2完投を含む3勝4敗1Sと結果を残し、スタミナも充分あることも示した。


商業優等生のコンピュータ投法
永射投手の実家は九州名産のポンカンを栽培し、傍ら乳牛を飼育している篤農家で彼は三男坊の末っ子。「家事の手伝いが嫌で逃れる為に野球を始めた」そうで今では職業となった。指宿商在学中に珠算2級、簿記は工業・商業を合わせた完全1級の検定にパスしており経理事務でもメシが喰える優等生だった。あの一見無雑作に見えながらきちんと間合いを作って投げ込まれるシュートやカーブのコントロールは高校時代に培われた永射コンピュータの計算から弾き出されているのかもしれない。趣味が観葉植物の栽培というのも変わっている。長期遠征で留守にしている間に枯らしてしまい落ち込むこともあるそうだ。

チームいちの過密登板だが永射投手は苦にしていない。「あれこれ言っても疲れが取れるわけじゃないし」と登板を命じられると勇んでマウンドへ上がる。スピードの変化とタイミング、コースの揺さぶりを主体とした多彩なピッチングを披露するのだ。今季の4月に一軍昇格を告げられると「人数合わせの昇格なら断る。上げたからには試合で投げさせてくれ」とゴネたのも永射投手の度胸と反骨精神を物語る。171㌢・74㌔という体格はチームで一番の小柄。そんなチビッ子投手は身体に似合わない大きなプライドを持ち合わせている。



コメント

# 794 素顔拝見・梶間健一

2023年05月31日 | 1977 年 



響きのある低音の声に、渋みを感じさせる顔。ルーキーといってもやはり伊達に25歳という年はとっていない。そのミラクル投法で見事「新人王」の金的を射止めることは出来るのか?

聞かれたこと以外は答えないことにしている
聞き手…6勝4敗・防御率 2.94 (7月21日現在)という数字は如何ですか?
梶 間…まぁ防御率は上位にいますけど数字自体は可もなく不可もなくって感じですかね。
聞き手…勝ち星の方は?
梶 間…今のペースでいけば10勝はいけそうですけど、相手も研究してくるでしょうし分かりませんね。
聞き手…新人王は意識していますか?
梶 間…なるべく考えないようにしています。130試合やってチームの勝利に貢献してこそのタイトルだと思います。
    結果として新人王が獲れたらそれでいいと思っています。

聞き手…自分のどういう点が6勝という結果になっていると思いますか?
梶 間…ウ~ンどうですかね。社会人の時と比べても特に変わった点もないし分からないです。
聞き手…オールスター戦に選ばれましたね
梶 間…ちょっと意外でした。他に選ばれてもよい選手もいましたし。
聞き手…アマからプロになって心身両面で何か違いはありますか?
梶 間…ええ、ありますね。試合に関しては社会人の時は相手チームにホームランを打てる選手は1~2人くらい
    でしたがプロでは全員で気が抜けません。私生活では年に数回の大会が終われば身体を休めることが出来
    ましたがプロでは1年を通して試合があり、体調管理が大変です。

聞き手…社会人時代の思い出みたいなものはありますか?
梶 間…昨年の都市対抗野球の優勝ですね。それとコロンビアでの世界選手権に出たことです。日本は3位だったですが
    やっぱり力の差を感じました。特にキューバには圧倒されました。

聞き手…マスコミを意識することはありますか?
梶 間…特にはないです。僕は聞かれたこと以外は答えないようにしています。無口な人間ですから。

好きな模型作りも時間がなくて出来ない
聞き手…ところでサッシー騒ぎの時はどんな気持ちでしたか?
梶 間…ハッキリ言って彼が気の毒でしたね。野球以外のことにも気を遣って大変そうでした。僕は野球だけ
    やっていればよかったので楽でした。僕だったら気が変になっていたかも。

聞き手…結婚について何か考えていますか?
梶 間…そろそろ結婚したいなと思っています。相手はまだいませんけど(笑)。まだプロの世界で通用するか
    分からないですから、今年1年やってみてからですね。

聞き手…趣味は?
梶 間…ドライブや模型を作るのが好きですが最近は時間がなくて、もっぱら本を読むことぐらいです。
聞き手…どんな模型を作るのですか?
梶 間…船です。結構作りましたよ。社会人の時は1ヶ月じっくり時間をかけて作りました。部屋に飾っていましたが
    欲しいと言った人にあげてしまって今は手元に殆どありません。

聞き手…後半戦にかける意気込みを教えて下さい
梶 間…少し前まで疲れがあったんですけど気をつけてシーズンが終わるまで故障なくやれば何とかなりそうです。
    前半戦の調子を維持出来るように頑張ります。

聞き手…本日はありがとうございました。最後に笑顔の写真を撮りますのでお願いします
梶 間…はぁ、そういうのが一番の苦手です(笑)





コメント

# 793 ノムさん

2023年05月24日 | 1977 年 



パ・リーグの前・後期どちらかは優勝してもいい実力を持っている南海だが、前期は惜しいところで阪急に勝ちを譲り後期もスタートで大きく躓き短期決戦としてはいささか苦しい。ファンはヤキモキだが野村監督が前期シーズン当初に漏らした発言が妙に気になってくる。その発言とは…

オーナーに絶対の信頼
前期シーズン開幕から南海が快進撃を見せていたころ野村監督はポツリ「とにかく前期が勝負なんや。勝たないと俺なんか吹っ飛ばされるやろうから…」ともらした。その言葉の裏には優勝しないと辞めさせられるとの思いが込められている。仮に前期がダメでも後期シーズンを制覇すればよく、なにも前期に固執する必要はないのだが敢えて野村監督は前期を強調する。それだけ自身のクビが危ないことを感じとっているのかもしれない。現実は最後の最後まで前期優勝を阪急と争ったが敗れた。やむなく後期シーズンに願いをつないだがオールスター戦までに5勝10敗と大不振で最下位に低迷する誤算となった。

短期決戦でスタートから躓いたハンデは大きい。現在の成績から勝率5割にしようとすると3連戦を2勝1敗ペースで18試合を要する。既に16試合を消化しており、計算通りにいっても34試合目つまり後期の折り返し点となる。だが足並みの揃わない投手陣と貧打の攻撃陣では2勝1敗ペースも難しい。「何から手をつけたらいいか分からない」と野村監督は頭を抱えている。野村南海の落城が後期も続けば進退問題が現実味を帯びてくる。比較的新しい担当記者の間でポツリポツリと話題が出つつあるが、古参の記者達は「話は出ても結局はウヤムヤになるよ」とシラケた表情。

「ノムさんが自分から辞めると言ったことはない。常々『辞めさせられても文句は言わない』とノムさんは口にするけど裏を返せば辞めさせられることはない、という強い自信があるからだ」とベテラン担当記者は言う。この言葉は南海の歴史が証明している。優勝を逃した昭和50・51年のシーズン後に野村監督は進退伺いをフロントに預けた。だが川勝オーナーは熱烈なノムさんファンで野村監督が窮地に追い込まれるたびに「南海の監督は野村しかいない」という鶴の一声で残留を決めてきた過去がある。球団内の人事権は森本球団代表が全権を握っているが、野村監督の件については球団代表も立ち入ることは出来ない。


ワシは守備の人になる
今シーズン野村監督の口癖が守備の人になる、である。確かに年々打撃力は低下しホプキンス、ピアーズの両助っ人の加入と若手の成長もあって野村監督のバットが火を吹かずとも影響は少なくなった。代わりに捕手という守りの要としてチームの勝利に貢献しようというのだ。20数年のキャリアもあり余人に真似できない野村監督の投手リードは卓越した心理面の駆け引きの妙を持っている。しかし守りの要というには肩の衰えはマイナスポイントだ。7月16日からの対ロッテ3連戦(大阪球場)でロッテは計8回の盗塁機会で6回成功している。盗塁阻止の為に投手にウエストボールを投げさせても刺すことが出来なかった。

「南海と戦う時はコレ(盗塁)にかぎる。ヒットや四球が二塁打になるから楽や」とカネやんは高笑い。16日の試合では9回表2対2の同点の場面で有藤選手が四球で出塁すると、すかさず二盗に成功。野村監督の送球ミスも重なり有藤選手は労せず三進。次打者の右犠飛で決勝点を許し南海は負けた。決して足が速いわけではない有藤選手相手でもこの有り様だ。他にも走者が本塁突入する際のブロックに迫力が感じられないと指摘する評論家もいて、どうやら野村監督が言う守備の人という言葉はまともに受け取れない面もあるようだ。

「満足なプレーが出来ないことは監督自身が一番わかっている。何とかせねばという必死の気持ちは痛いほど伝わってくる。42歳になって捕手という激務に耐えるのは本当に大変だ。しかし盗塁がこうフリーパスでは庇いようがない」と突き放す記者がいる一方で「今回の守備の人になるというノムさんの発言は得意の相手を油断させるもので打つ方はアカンとアピールしといてイザという時に一発かましてやろうという作戦じゃないかな。確かにパワーが落ちたのは事実だけど、打撃技術はまだまだ若い連中より秀でている。相手に野村は安パイと思わせたらノムさんの思う壺だよ」という意見もあり真相は藪の中だ。


時にはドッキリ発言も
阪急と首位を争っていた時の事、クラウンとの試合で前半4対0とリードしながら後半追い上げられて辛うじて勝利した試合後に、金城投手のピッチングに不満があった野村監督は報道陣が囲んだ輪の中で「金城のヤツ、八百長でもやってるんじゃないか。4対0で勝ったら都合でも悪かったんかね」と発言した。記者たちは野村監督の本心ではなく、いつものボヤキだと分かっていたが翌日のスポーツ紙の紙面に載るとこれが物議をもたらした。金城投手は問題にせず沈黙を守り大人の対応をとったが、南海ナインの中にはそこまで言う必要があるのか、との声が上がった。

「監督の立場にある人間が口に出してはならないことを言ってしまった。八百長なんて言葉はタブーであり禁句であることは誰だって知っている。監督ならそんなことを言う前に金城投手を交代させなかった自分を責めるべきだろう」と苦言を呈する評論家もいた。幸いにも金城投手は次の登板で好投したから問題が大きくならず事なきを得たが、これが気が小さい選手や逆上しやすい選手だったらチームが空中分解していてもおかしくなかった。思慮深い野村監督にしては珍しい放言だったが常日頃「ウチの選手は大人し過ぎる」と選手らに奮起を促す為だったとしたら少々勇み足であったようだ。


もうリーダーが出て来てもいい
さるスポーツ紙に『野村今季限りで現役引退』と報じられると「俺は " 銀球式 " を迎えるまで辞めないよ」と反論した。銀球式とは結婚25年を銀婚式と呼ぶことに掛けた野村監督の造語だが、つまりあと3年は現役を続けるという発言だ。3年前に巨人の長嶋選手が引退した時も「ワシは惜しまれて去ることは出来ん。ファンが1人でもいるならボロボロになっても辞めん」と野村監督は言った。惜しまれながら余力を残して引退するのと対照的なボロボロの引き際はプロフェッショナルとして一つの生き方である。そんな野村監督も最近は「ワシではもうチームを引っ張っていく力はない。門田や藤原がその役目を担ってくれんと」とポロリと弱音を吐くことが増えた。

それだけに前期シーズンで優勝を逃し、後期シーズンもスタートダッシュに失敗し苦しい展開になったことに歯ぎしりしたくなる思いであろう。だがこのまま尻尾を巻くとは思えない。チームを立て直し再スタートをしなければならない。その為にどんな手をうつのか?「鬼コーチが欲しい。ウチの選手は大人しいから負けだすと元気がなくなる。そんな時にハッパをかける鬼コーチがいてくれると助かる。本来ならブレーザーの役割だが、やはり日本人のコーチが言ってくれた方が説得力があるから好ましい」と。新たなチームリーダーと日本人鬼コーチ。それらが揃えばノムさんのボヤキも減るかも?



コメント