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95年の人生

2020-03-06 18:15:09 | ファミリー

熊本から帰宅しました。 まだ力が出ないけど・・・

今月に入ってすぐ父が天国へ旅立ちました。95歳と5か月の人生でした。

ブログで身内の不幸をアップするのもなんですが、時々、ここに登場していたので。 

通夜に駆けつけたとき、なぜか涙が出なかった。 むしろ幸せな気分でした。

それは棺の父がまるで眠っているような穏やかな顔をしていたから。

そしてなんとおしゃれなハットをかぶせてあったのです。 

素敵!と言いそうになった。

帽子が大好きでいくつも持っていました。 棺のハットは父に一番似合っていた。

以前の主治医が同じ医療機関に勤務する妹に会うと聞いたそう。

”いつも帽子をかぶっているダンディなお父さんは元気?”と。

身内だけの家族葬でしたが、大ちゃんたちも来てくれました。

リハビリのお手伝い、励ましの訪問と、大活躍のひい孫たちでした。

幼い子供たちに救われました。 長い人生だったからひい孫が増えた。

笑顔に癒されますね。

駆けつけたときは覚悟をしていたのに、ピンとこなかった。

涙が出たのは長男が孫代表でお別れの言葉を述べたときです。

息子(車椅子を押している)は1年ほど前に父に会ってて、みんなで会食しました。

その時、父はステーキをぺろりと食べたのでした。

みんな覚えています。 びっくりのエピソードや思いを話してくれました。

父にとって初孫である息子の言葉は涙を誘いました。 私たちの気持ちを代弁してくれた。

”僕たちはお爺ちゃんを誇りに思います”

最期の別れの時、お花はもちろん、コレクションだったハットも数個入れました。

そして、宝くじを買うのが大好きだった父。 外れ券も棺の中に。

外れ券でさえ溜めていました。 最後に買った分に1万円の当たりがあったそう。

父を訪問するときは、服や役に立つものを持って行ってた。

父が壮大な夢を語るので、だんだんお土産は宝くじになりました。

<ホームや病院を建てる><故郷の町を活性化させたい>など。

自分の私利私欲ではなく、医療施設を造った場合の私たちの配属も決めていました。

最初は<たら・れば>の話に適当に相槌うってたけど、だんだん父の夢に乗っていった。

年に数回の宝くじのお土産はほんと楽しみだったようです。

”銀座チャンスセンターに並んで買ってきたよ!”と、姪が言うともう当たった気分。

私たちも夢を見させてもらいました。

先に天国に行った母に、壮大な夢を語っているでしょうか。

95年。長かった人生。

心臓が弱かったけど頭はしっかりしてて、ユーモアのあるお爺ちゃんでした。

新しいことが好きで、年齢の割には順応性もあった父。

私たちに生きることの後姿を見せて、穏やかに安らかに旅立っていきました。

 

 

 

 

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