青山潤三の世界・あや子版

あや子が紹介する、青山潤三氏の世界です。ジオログ「青山潤三ネイチャークラブ」もよろしく

遺書 46(44、45は後述)

2020-09-01 21:01:53 | 香港デモ、新型ウイルス、日記



敢えて、具体的な店名を書きます。河辺のジョナサン。

ここの店長さんも、ウエートレスの人たちも、とても親切、この思いは、ずっと変わりません。今だって、凄く親切で感じが良い。決して「悪く言うために書く」のではありません。具体的な例を挙げることで、日本の社会全体に対しての「問題提起」を明確に示すことが出来れば、と思っているのです。

親切で感じの良いスタッフの方々と、さっき起こった小さな出来事とのギャップ、、、、それがどうにも引っか掛かります。

水道か何かの店内工事をしていて、工事用具を入れたケージが2つ床に置かれていました。ドリンクバーを取りに行くとき、その横を通りました。ちょうど(店長さんを含む)複数の人が通りかかり、僕が心持ち避けようとしたとき、そのケージに蹴躓いて転んでしまった。

別に怪我をしたわけでも、凄く痛かったわけでもありません(でも、一時間ほど経った今も痺れているので一応は心配しています、7年前の「左足切断直前」に至った時も最初はそんな状況だったので)。

ちょっとびっくりしたのですが、、、、その場にいた店長さんもウエイトレスも、僕が転んだ(一瞬立あがれなかった)ことに対して、全く無頓着、表情一つ変えません。

皆、その出来事(僕が用具に蹴躓いて転んだこと)は「なかったような」雰囲気なのです。そして、そのあとも、普段の対応そのものは、相変わらず、とても親切で感じが良い。だから、悪く受け取るわけにはいきません。「若い人たち(店長さんは40歳前後でしょうが僕から見れば若い人)はシャイなんだ」、と解釈しておきます。

で、30分ほどして、再びドリンクバーを取りに行こうとしたら、僕が蹴躓いたケージが、まだ狭い通路に置いたままだった。

店長さんがいたので、「片付けたほうが良いんじゃないですか?」と尋ねました。店長さんは、ちゃんと(真摯に)受け答えしてくれました。しかし、戸惑っています。「業者の道具なんで、私たちはどうすればいいか、、、」

何といえば良いのか、、、、店長さんが、真面目で親切で感じの良い方だということを知っているだけに、何だか(ちょっとオーバーな表現なのかも知れませんが)悲しくなってきました。

それに、普通、避けようとした老人が転んだシチュエーションでなら、「大丈夫ですか?」とか「お怪我はなかったですか?」とか、あるいは(上記したケージを通路に置いていたことに対してもそうだけれど)僕が避けようとして蹴躓いたことに対して、「申し訳ありませんでした」とか、一言あっても良いのではないだろうか、と。

繰り返し言うけれど、ここのスタッフは、本当に親切で、感じが良いのです。

だからこその、ギャップ。

日本人の、ことに若い世代に共通する、「自分(たち)とは無関係」「自己責任(リスクマネジメント=責任放棄)」「関わらない」、、、といった「空気」の形成。

これまでにも、何度も何度も書いた、中国人と日本人の比較。「あらゆることに関して、日本人は中国人より、はるかに優れている」、これが僕の大まかな(そして確信を持って言える)結論です。

なにせ、衛生概念の悪さは表現のしようもないほど酷いレベル、滅茶苦茶なマナー、所かまわず大声で話す、すぐに暴力を奮う、いとも簡単に嘘をつき人を騙す、そこいらじゅうの物が作った端から壊れている、、、中国・中国人は、何もかも出鱈目です(笑)。日本だったら、たぶん中国国民ほとんど全て刑務所行きです。

唯一つ、中国人のほうが優れている(?)部分がある。それは、心の温かいこと。

今回のシチュエーション。中国だったら、店長もウエイトレスも大騒ぎしていたと思います。なんせ、過剰におせっかいだし、余りにデリカシーがないし(人の気持ちを読めない、笑)。僕を担ぎ上げて、無理矢理病院に連れて行こうとしたかも知れない(それはそれで困ります)。

きっと、日本の人たち(特に若い人たち)は、その「事実」を、全く逆に認識しているのでしょうね。そのような「共通認識」としての「事実」(思い込み)を、「空気」が形作っているのです。

「健全な人々(善人)だけでなる、心の冷たい(よく言えばシャイな?)人々の国」
「犯罪者(悪人)ばかりからなる、心の温かい(デリカシーを全く欠く)人々の国」
どっちが良いのでしょうね。

足首、悪化しないことを願うだけです。





コメント
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