青山潤三の世界・あや子版

あや子が紹介する、青山潤三氏の世界です。ジオログ「青山潤三ネイチャークラブ」もよろしく

遺書 51

2020-09-07 20:32:03 | 香港デモ、新型ウイルス、日記




「Okie From Muskogee」 1969 Billboard Hot100 No.41/C&W No.1
Merle Haggard 1937~2016



2~4日前に書いた記事が3つほどそのままになってる(オンライン旅行の準備とかでバタバタしてた)ので、順次アップしていきます。順番はバラバラです。

46が2つあります。これは45と46ですね(ちなみに、まだアップしてない16と17は大相撲・照ノ富士関係、どこかでタイミングみてアップする予定です)。

この一連の話題中、最初に書いた48が未掲載。51は、50(このあとすぐにアップ予定)の冒頭か、48の末尾に書くつもりでいたものですが、流れの都合上、独立項目で先にアップします。

4年前、C&W界の大スター、マール・ハガードが79歳で亡くなったとき、日本のヤフーコラムに、

「なんでこんな無名の歌手の悼報をわざわざ載せるの?」

といったコメントが、一つならず見受けられました。

いかにも日本人ですね。自分や、その周辺にとっての「事実」だけが「事実」であるという、(無意識的同調空気にひたすら沿った)価値観。

僕が、ずっと書こうと思いつつなかなか書けないでいるチャーリー・プライド(黒人、元プロ野球選手)と同じく、70年代アメリカC&W界の超レジェントです。約30曲のNo.1ヒットをもつチャーリー・プライドを上回る、約40曲のNo.1ヒットを放ってます。

たぶん、(日本の大衆の)多くの人は、ボブ・ディランの名前は知ってるでしょうね? 「当然だ」という人もいるかも知れません。だったら、当然マール・ハガードを知っていても良いのですが、おそらく、“当然のごとく”(ほとんどの日本人は彼の名前を)知らないと思います。

ディランとハガードは、ジョイント・ツァーもやってますね。確か日本にも一緒に来たのではなかったっけ。分かり易く言えば(極論ですが)、本国ではハガードがメイン、ディランは付録です。無論日本では逆。

世界では有名でも、日本では無名、それは普通です。問題は、ちょっと別のところにある。日本人(世界中そうだと言えばそうだろうけれど、日本は飛びぬけている)においては「空気」が全ての判断基準になっている、ということ。

むろん、知ってる人は知ってる (一般の日本人はほとんど知らない)でしょうが、ハガード自身のペンによる1969年のヒット曲「オキィ・フロム・モスコーキー」は、アメリカの音楽界の歴史、いや、アメリカという国そのものの歴史に残る、超有名曲です。

60年代後半の「カウンター・カルチャー」の真っただ中。ドラッグをやらない常識人は信じない、30歳以上の大人は信じない、、、既存の権力、概念、価値観を全てぶっ壊すべく、自由を、平和を、愛を、と叫び、抵抗し、血を流し、皆ロングヘア―の同じような恰好で群れて、かつ、自分たちは他とは違う少数派であり、自分たちこそ正義であると信じる、金太郎飴のような同じ空気の中に浸る集団。

ハガードは、その「空気」に対して、シンプルな英語で応えます(僕の意訳)。

>俺たち(モスコーキーの)田舎者は、
>マリファナは吸わない。
>街の中で群れて暴れたりはしない。
>いろいろあってサンフランシスコに流れてきたけれど、
>ヒッピーのようにはならない。
>それで悪いか?
>俺は、正しく、“自由”に生きる。

民主主義の正義を声高に叫ぶ、香港デモの若者達(含・付和雷同の日本人傍観者たち)。聴いてくださいね。

赤信号は渡らない。それが「自由」の基本。
渡るのなら一人で渡る。それも「自由」一つ。
皆で渡る、それが「自由」から最も遠い行為だと思います。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

参考:『「涙くんさよならの謎」ElvisとBeatlesの狭間で~Johnny Tillotsonの時代』
(青山自刊2016年8月)から

第一章の一部

【2つの対極の概念】

この当時の音楽(「Golden age of American pops」)およびそのバックボーンとなった時代的な背景と、現代社会との関連性を見事に表現しているのが、ここに紹介する、内田樹氏の「可傷性と鼻声」です。その前に、対極にある意見(おそらく現在のロック音楽に対する定説的な見解)としての、川崎大助氏による「キャンペーンソング無くして大統領選なし」を紹介しておきます。

川崎大助『アメリカの大統領戦を10倍楽しむ~キャンペーンソングなくして大統領選なし』(部分抜粋)「現代ビジネス」2016年4月4日
>なぜならば、ロックやフォークなどのポップ音楽家の多くが「自らの政治意識」をしっかり認識し、その立場のもとで果敢に行動を始めた時期が1960年代だったからだ。いわゆる「カウンターカルチャー(対抗文化)」の時代だ。このとき文化の矢面に立った人々のなかに、当時のポップ音楽家たちがいた(カントリー音楽はこのテーゼに完全にあてはまるわけではないので、念のためご留意を)。
>たとえば、ヴェトナム戦争への反対。たとえば、公民権運動。アメリカ社会の「メインストリーム(主流派)」が進める政治に、大いなる「NO」を叩きつけたのが、この時代のポップ文化だった。
>そこから、70年代以降のロックのみならず、ソウル音楽が、ファンクが花開き、ヒップホップにまでつながっていく道筋が形作られていった。このとき初めて、60年代においてようやく、ポップ音楽は大人になったとも言える。「アメリカの」大人に。
>それはつまり「必要なときにはいつでも立ち上がり、自らの意思を表明する」ということだ。自分の考えをきちんと言葉で説明すること。
それに加えて、意見が違う他者とも言葉を交わし、討論して解決策を探っていくこと。これらの行動の実践を、幼いうちからアメリカ人は求められる。
>そして長じては、市民権を持つ者の全員が等しくその権利を行使して政治にも関与していく。こんな意識や態度が、ごく日常的なものとして市民生活の一部となっている。

内田樹『お題はアメリカ~可傷性と鼻声』(全文)+『フェミニンな時代へ』(末尾抜粋)「内田樹の研究室」2004年5月8日/2006年4月14日 
>若い人は想像しにくいかもしれないけれど、1964年までのアメリカン・ポップスの男性歌手のクルーナー・タイプの発声はメロウでウィーピーであった。
>1960年代の前半まで、アメリカの男性アイドル歌手はすぐに「べそべそ泣く」タイプの楽曲によって世界を席巻していたのである。
>ジョニー・ティロットソンは『涙くん、さよなら』で「だから、しばらくは君に会わずにいられるだろう」と歌った。ということは、「しばらく」以外の時間、ジョニー君はべそべそ泣いて人生を過ごされていたのである。
>クルーカットで、ハイスクールのロゴの入ったカーディガンを着て、女の子にちょっと意地悪されるとすぐにべしょべしょ涙ぐむような男の子たちが1964年まではアメリカの若い男性のロールモデルであった。
>第二次世界大戦が終わったあとのアメリカは世界最強の軍事大国であり、世界最大の経済大国であり、そして、その国の若者たちは、べそべそ泣いてばかりいた。
>強い人間だけが、平気で泣くことができる。そのことを私たちは忘れがちだ。自分の傷つきやすさを露出できるのは、その傷を癒すだけの地力を備えた人間に限られる。
>1955年から1963年まで、つまり朝鮮戦争の終結からケネディ暗殺までの時代がthe Golden Age of American Popsである。
>それはアメリカが名実ともに世界最強国・最富国であった時代であり、その時代はアメリカの男たちが自分の弱さを平気で示すことができた幸福な時代であった。
>1964年のブリティッシュ・インヴァージョンからあと、アメリカの男性歌手は前ほど気楽には泣かなくなった(例外はビーチボーイズの女性的ファルセットだけだ)。それはアメリカが先の見えないベトナム戦争に踏み込んでいった時期と符合する。
>3曲目(注:内田氏が講義で選んだ曲)からあとはアメリカの「鼻声」がハイスクールボーイの気楽なすすり泣きから、もっと深い傷に注ぐ涙に変わった時期のものである。
>傷は日常生活のささやかな気づかいによっては癒されないほど深くなり、その傷あとからはじくじくと血がにじみ続けるようになった。
>そして1977年頃を最後に、アメリカの男性歌手は「鼻声で」すすり泣くのを止めた。それから後、私たちが聴くことになった音楽では、歌手たちは怒声を挙げ、権利を主張し、罵倒を浴びせ、ついには無機的な機械のように痙攣的な発声をするようになった。
>そんなふうにして、「鼻声歌手」たちは音楽シーンから消えていった。それはアメリカの国力が低下し、傷つきやすさを誇示することが、戦略的に許されなくなった時代の始まりを示している。
>私は男たちが「すすり泣き」をする曲が好きだ。涙を見せることができるのは、強く、優しい男だけである。
>今のアメリカでは男の子がすすり泣くと、女の子たちがきゃーきゃーと喜んでくれる社会ではもうない。それはアメリカの国力がゆっくりと低下している趨勢とシンクロしているように私には思われる。
>もう一度アメリカの男性歌手が「鼻声」で歌う時代は戻ってくるのだろうか?

>共同体が求めているのは「泣くべきときに正しい仕方で泣ける」ような情緒的成熟を果たした男なのであるが、そのようなやわらかい感受性を持った男性を育てるための制度的基盤を半世紀に亘って破壊してきたことに私たちは今更ながら気がついたのである。
>アメリカの黄金時代が、アメリカの若者たちがすぐにべそべそ泣く時代であったように(ジョニー・ティロットソンとかボビー・ヴィーとか、泣いてばかりいたぜ)、日本はこれから「泣く男」をもう一度作りだせるようになるまで劇的な社会的感受性の変化の地層を通り抜けることになるであろう。
>うん、酔っぱらってるから、言ってることに責任持ちませんけど。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

以上に示した川崎氏と内田氏の文章は、見事なシンメトリックを成しているように思えます。川崎氏の主張は「アメリカの選挙とアメリカのポップ音楽は切っても切り離せない関係にある、アメリカの政治や選挙運動を考えるに当たって、ポップミュージシャンの思想や行動を探ってみよう」という趣旨ですね。

アメリカの音楽界と政治の関わりの歴史が、懇切丁寧に解説された力作(前半部だけで230行)だと思います。日本と違って、各アーティストが確固たる信念に基づいた政治的な意見や主張を持っているという指摘は、頷けます。それは、とても素晴らしいことだと思います。

しかし、僕には、その前提に沿って導きだされた論調が、空虚なものにしか感じられません。なぜなら、論点が完全に一方向のみから成されているから。

“自らの政治の意識をしっかり認識し、その立場のもとで果敢に行動を始めた時期が1960年代、このとき文化の矢面に立った人々のなかに、当時のポップ音楽家たちがいた”。

という言葉に続いて、“(カントリー音楽はこのテーゼに完全に当てはまるわけではないので、念のためご留意を)”。たった一行でC&W音楽が片付けられてしまっている。

そこを無視してしまっては、話自体が成り立たなくなってしまいます。それは、本来ならばこの論者と対極に位置づけられるであろう一部の保守的な人々の論調、例えば「日本人は素晴らしい民族」だからという前提で、隣接する国々の人々を「民度が低い」と貶めていることと、何ら変わりがないのでは、と思います

230行の中に、カントリー音楽も、そこから派生しビートルズ上陸直前(60年代初頭)に主流を占めていた(カントリーを基盤とする)“黄金期のアメリカンポップス”も、一切言及されていないのです(それは川崎氏のこの記事だけでなく、ロックや広い意味でのアメリカンポップスについて書かれたどの本や記事においても同じです)。

対象への評価云々以前の問題として、スタート時点の実態を正確に認識することなく、最初から放棄してしまっている。

当時、後年になって評価の対象となった様々なムーブメントは別の、、、対極という言葉だけでは表現し得ない、非常に大きな成熟した文化(the golden age of American pops)が間違いなくあったのです。もちろん直接間接に政治とも何らかの形で係っていたはず。その内容や、関わり方、主張の方法、後年の評価など、個々に対する言及は二の次として、大事なのは“あった”という事実をきちんと認識することだと思います。

アメリカンポップスの中に大きな割合を占めていたカントリー音楽と、それを基盤とした当時のポップ音楽。それに因って生み出された文化。大衆との関わり。そして、そこを窓口として、政治や宗教や経済にどのように繋がっていたのか。

それをまず認識しておかねば、その後の流れを正確には捉えられないと思います。しかし、どのポップ音楽論も、判で押したように“完全無視”。

反逆、自己主張は、誰でも出来ます。差別を嫌い、平等と自由を標榜することは簡単です。それを言わないよりも、言っておいた方が何かと得でしょう。しかし、主張と実現は、異なる次元の問題です。「愛」「平和」「平等」「自由」といった概念は、諸刃の刃、無意識のうちに、自らが求める結果と反対の現象を引き起こしてしまうかも知れません。権力に対する否定が集団として成されることにより、新たな権力を生み出し、新たな差別を生み出すこともあるでしょう。

僕は、ビートルズ以前の「旧・アメリカンポップス」を、甘ったるい、単に保守的な存在、すなわち新時代の音楽とは対極の存在にある、とは必ずしも思っていません。世の中に対するアプローチの仕方が異なる、いわば“別の文化”なのです。

60年代後半以降のポップ音楽は、誰もが“金太郎飴”のように、「主張」「反抗」「改革」、そして「愛」「平和」「平等」の合唱です。繰り返して言うけれど、それが本当の改革に繋がるとは僕には思えない。1000の叫びよりも、1の実行のほうが尊いと信じています。

全面否定される(というか頭からバカにされる)ことは承知しています。敢えて言います。「ロック」も「フォーク」も「ブルース」や「ソウル」も、“いかにも”感はたっぷりでも、言葉に“重み(深み、真実味)”がない。僕は、(改革に繋がりうる)真の言葉の重みは、それと気付くことの少ない、ごくありきたりの表現の中に見つけることが出来る、と思っているのです。

誰かがそのような前提で、別の視点から「60年代アメリカンポップス」を俯瞰してくれれば、と思うのですが、(ごくマニアックなものは別として)そのような視点からの言及は、上記の内田樹氏の文章以外に出会ったことがありません。残念でなりません(だから今「涙くんさよならの謎」の物語りを書いているのです)。

―中略―

ポップ音楽とアメリカ文化(政治・経済・宗教も)は、川崎氏の指摘のように、密接に係っています。そのことを踏まえて、源流としてのロックやジャズやR&Bとポップ音楽との関係については、多くの人々が、様々な問題提起を行い、関係を考察し、歴史を堀り起こす作業を行っています。

しかし「ポップス黄金期」(とその母体を成すと言えるカントリーミュージック)は、現在のポップ音楽の源流に直接つながらない無関係な(あるいは厄介な、目障りな)存在と見做され、存在自体がスルーされてしまっているように思えてしまう。

 「American pops of Golden age」は、アメリカ文化の一完成形であるとともに、歴史の波に洗い流されてしまった幻の楼閣です。あるいは、現代ポップスに、源流とは異なる方向から流れ込む「幻の巨大な湖」と言って良いでしょう。当時の主役でありながら、現代に連なるポップ音楽の流れから見れば、それとは無縁の“特別な空間”に咲き誇った仇花なのかも知れません。

だとしても、「新時代のカルチャー」がスタートした時にそこにあった背景は、その時点での完成形としての文化「特別な空間=ポップス黄金時代」です。評価や好き嫌いは別として、それに対する認識をきちんと行わなっておかないことには先に進めないのではないかと思うのです。

でも、(僕の知る限り、唯一当時のポップスとカントリー音楽の関係について多くの的確な評論を著わし続けてきた高山宏之氏を除き)誰一人として、正面から取り組もうとはしない。そして、有無を言わせず「旧時代のポップ音楽」を無視する(または蔑む)ことで、結果として60年代中期以降の(現代に繋がる)「新時代ポップ音楽」(及びそのルーツとされるロックやジャズやR&B)の正統性をより強調しているように思えてなりません。

ある意味、ジョニー・ティロットソンは「特別な時代」の象徴的存在です。なぜ、Johnny Tillotson的なものが排除され、非Johnny Tillotson的なものが評価されるようになったのか?無視・軽蔑・排除の対象となったJohnny Tillotson的なものとは何か?

―中略―

ジョニー・ティロットソンは、ビートルズの曲を、一曲も取り上げていません(メンバーの作った曲だけでなく、レコーディングした全ての曲を)。同時代のメジャー歌手としては、異例中の異例でしょう(ちなみにエルヴィスとは数十曲が重なる)。偶然ではないと思います。67年、自作の「Long Hear Commitiiビートルズなんて怖くない=仮邦題」に見て取れるように、彼なりの意地や反発があったのかも知れません。

僕は、思想的にはリベラルな、いわば左寄りの(それも相当過激な)立場にあると自認しています。しかし、いわゆる左寄りの文化人の多くに対しては、かなりの違和感を持っています。素直に信用できない、というか、言っていることと、実際の行動が違うのではないかという想いがあります。あるいは、いかにも高尚なかっこいい言葉や行動の中に、どうしようもない薄っぺらさを感じてしまう。僕は自分で思っているようなリベラルな人間ではないのでしょうか? ほかの人々より感受性が劣っているのでしょうか? それとも、よほど頭が悪いのでしょうか?

馬鹿にされることを承知で言います。僕は「環境破壊」に反対するために、生涯車を運転しませんでした。世界人類の平等な平和を願うために、自らの家庭を築くことを放棄してきました。路傍で物乞いする人々には、仮に自分が100円しか持っていないときでも、応えてきました。「そんなのまるで意味がない、単なる自己満足」と言われても構わない。実践が可能なことを実践しているだけです。

でも、「愛」や「平和」を、まるでファッションのように捉え、自分では少数派で革新的な思考の人間と思い込み、実のところは大衆迎合の多数派にほかならない、リベラルを(無自覚に)装った口先だけの平和・平等主義者よりはマシだと思っています。

もう一度、川崎氏と内田氏のsymmetricな文章を、ピックアップしておきます(◆赤:川崎、■青:内田)。70年代以降の主流ポップス(ロックやソウルなど)に対する礼賛と、それらに対する疑問視(違和感)の対比です。

◆70年代以降のロックのみならず、ソウル音楽が、ファンクが花開き、ヒップホップにまでつながっていく道筋が形作られていった。
■1977年を最後に私たちが聴くことになった音楽では、シンガーたちは怒声を挙げ、権利を主張し、罵声を浴びせ、ついには無機的な機械のように痙攣的な発声をするようになった。

◆「必要なときにはいつでも立ち上がり自らの意思を表明する」アメリカの大人。
■「泣くべきときに正しい仕方で泣ける」ような情緒的成熟を果たした男。

この後、「Rollingstone誌」と「Billboard誌」の、それぞれが選定したアメリカン・ポップスBest100歌手を紹介します。 

「Rollingstone誌」(A)のほうは川崎氏の見解に、「Billboard誌」(B)のほうは、内田氏の見解に対応しているように思えます。

―以下略―




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする