幻の“ヤナギバハナアジサイHydrangea kwangsiensis”探索記/広西壮族自治区融水苗族自治県九万大山②
朝の香港国際空港
2011.7.6
結局、Hさんに1万円を用立てて貰うことになりました。日本では出来なかったインターネットが、香港や中国では可能になります。このまま空港に滞在し、日本の各所とメール交渉を重ねて資金を得る予定だったのですが、すぐに交渉が成立する見通しは暗いと考えたほうが良さそうです。
目的の野生アジサイにしろヒグラシにしろ、6月後半、せいぜい7月前半が勝負、時間を浪費している余裕は一刻もありません。ということで、この1万円で、出来る限りのチャレンジをするべく、中国本土に向かうことにしました。とりあえず、最大の目標の「幻のヤナギバハナアジサイ」の探索に向かいましょう。
AM08:30香港空港からエアポートエクスプレスで九龍、無料シャトルバスに乗り継ぎ、東〇線ホンホン駅からシンセン羅湖にAM10:30着(計1400円)。イミグレーション通過後、食事をし(困ったことに、一度日本に帰国したためか、いつも出来ていた場所からインターネットが出来なくなったしまった、この後もそのことで悩まされます)、電話をかけ、地図を購入して、シンセン13:20発の動車(新幹線)で広州へ。車内でコンセントが使えるファーストクラス1350円(エコノミークラスは1200円)に乗ろうとしたところが、、、発車直前になって、食堂にバッテリーコードを忘れてきたことに気が付きました!慌てて走って取りに戻り、次の13:28発に振り替え乗車、しかし、広州行きではなく、一つ手前の広州東(なぜかこちらの便が大半)行きだったため、広州バスターミナルに向かうのに、バスや地鉄だと時間がかかるし、タクシーに乗ると料金がバカになりません。不便(便数が少ない)を承知で、近くの広州東バスターミナルへ。
案の定、広西方面に向かうバスは一つもありません。広州で停滞しても意味が無いし、少しでも先に進もうと、広州の衛星観光都市・筆慶へ。広州東15:20発、筆慶18:00着。そこから広西壮族自治区東南端の町・州へ向かおうと思ったのですけれど、やはり直通バスが無い!中国では隣り合った州や市を跨いで結ぶ(比較的近距離の)公共バスは著しく少ないのです(たぶん日本やアメリカでも同じ)。
切符売り場で頭を抱えていたら、窓口の女の子が、ブロークンな英語で、どこそこの町まで行け、と1枚の切符を発行してくれました。後でわかったのですが、州に隣接した、広東省側の小さな町です。そこで再び乗り換えれば州に行けると。
総じて、この筆慶のバスターミナルの人々は親切で、僕の中の中国人に対する認識が少しは変わってきたように思うのです(今回の地震以来、日本人に対する対応が微妙に変わってきた様な気がします、というよりも、もともと日本人に対して持っていたポジティブな心象が、微妙な形で良い方向に表れているのではないかと、そのことについては改めて)。
筆慶18:30発、開封(広東広西省境)21:30着、すぐに別のバスに乗り換えて、梧州22:00着。日本を出てから丸2日間寝ていないので、街中の大きなホテル(1500円)泊。
筆慶の町は、華東で言えば上海に対する杭州のような位置付けかも。町全体が、いわゆる“風光明媚”なイメージに包まれています。
(写真左)売店の女の子たちもなぜかとても親切、食べるものがほしいと言ったら、用意してくれたのがこれ。屋久島の餅菓子に似ているけれど、中に豚肉などが入っていてとても美味しい!
(写真右)バスの発車直前、切符売り場の女の子が、この先の行き方を記したメモを走って持って来てくれました。たどたどしい英語だけれど意味は充分に分かります。
2011.7.7
梧州08:30発、柳州15:30着(1800円)。柳州15:50発、融水18:30着(450円)。融水は、街全体が、林立する巨大な岩山の中にあり、一種異様な雰囲気を醸し出しています。バスターミナル近くの高級ホテルに投宿(1000円)。夜、雷を伴った豪雨。
梧州~柳州間は、このような風景がずっと続きます。
途中の町で昼食タイム。桂林米粉(50円)、瓜(30円)。
柳州~融水間は2時間半、しかしバスガイド?が添乗しています。自分用のクマさんの枕を出して、僕の前の座席で終点までずっと眠りこけていたけれど(笑)。
車内での晩飯(120円)。
融水のバスターミナル(右2枚)。広角のレンズが無いと、街全体を包み込む林立する岩山群が写せないのは残念です
町を鉄道が通っています。成都・重慶から、桂林や広州・シンセンへ2泊3日。町はずれの鉄道の駅に行ってみました。
輪車のオバちゃん「10元(135円)」。僕「3元じゃないと乗らない」。おばちゃん「じゃあ3元でいい」。往復で、かつ駅で20分ほど待たせたものだから、かなりの追加料金を要求されるかと戦々恐々、とりあえず10元を差しだしたら、(「これじゃ足りない」と言われるだろうという予想に反して)随分喜んでくれて、何度もお礼を言われたのでした。