青山潤三の世界・あや子版

あや子が紹介する、青山潤三氏の世界です。ジオログ「青山潤三ネイチャークラブ」もよろしく

朝と夜のはざまで My Sentimental Journey (第62回)

2011-07-24 20:48:14 | 雑記 報告

謎の巨大都市“鳩街”(上)

日本と中国の違いを一言で表せば、次のようになります。

日本:コンセントはきちんとソケットに嵌まるが、ほとんどの場所で使用を断られる。

中国:コンセントは気持ちよく使わせてくれるが、ほぼ必ずソケットを指し込めない(強引にこじ入れる)。

喫茶店やレストランなどで、コンセントを使わせてくれるかどうか、そのコンセントにソケットがスムーズに収まるかどうかという話です。日本における「使用拒否率」とその理由については、帰国時にコツコツとデータを取り溜めているので、そのうちに発表します。なお、僕の知る限りでは、コンセントを気持ちよく使わせてくれるのは、アメリカをはじめとした多くの国で共通していて、絶対拒否を迫られるのは、どうやら日本だけのようです。

僕が日本も中国も嫌いな理由は、それぞれ上記文章の後半部分に集約される、と考えて貰って良いです。

さて、中国四川省まで辿りついたは良いものの、資金は全くありません。7月中旬という、蝶も蝉も植物もベストのシーズン。ベストシーズンにベストフィールドの真っただ中にやって来て、なのに指を加えて、(日本にいる時同様)マックやKFCで終日過ごすしかないとは、情けないことこの上もないのです。

あと数日(7月20日)でノービザ滞在猶予15日の期限切れです。一度国外(ホンコンまたはベトナム)に出るか、どこかの町(手続きに一週間ほどかかる大都市ではなく即日または翌日更新可能な地方中心都市)で更新の手続きを行わねばなりません。当初は、成都から「東チベット」地域を横断して、康定(翌日更新)か香格里拉(即日更新)で更新し、テックアウト時支払いが可能などちらかの街のゲストハウスで長期滞在して付近のフィールドに出かけるつもりでいたのです。ところが、困ったことに、二朗山から先の、チベット人居住地域への道は、(外国人に対して)封鎖中とのこと。となればお手上げです(入口の雅安でも翌日更新が可能ですが、前回は難癖を付けられて短期間しか許可を与えてくれなかったし、もともと外国人がチベット方面に向かうことを快く思っていないわけなので、避けたほうが賢明です)。

仕方なく、(資金も余りかからず最も手っとり早い)昆明経由でベトナムへ抜けることを決心しましいた。でも、せっかく四川まで来ているのですから、何にもしないで南国ベトナムへ去ってしまうのは、余りに勿体ない。ということで、成都に最も近い3000m峰(5364mの主峰は「成都市最高峰」だそうです、、、、「静岡市最高峰」が間ノ岳3189mというのと同様、まるっきり説得力はありませんが)に行って来ることにしました。

麓の町・大邑で一泊、山中で2泊、再び大邑で一泊、そのまま南下して2日がかりで西昌から昆明に向かう、という案を採ったのですが、インターネットの不備で最初の大邑泊が2泊(その間成都のゲストハウスを往復)、山中1泊の強行軍となってしまいました(『西嶺雪山2011.7.17』として、別項目で紹介します)。

山から下りてきた時点で、やっとネットを開くことが出来ました。ドイツ人青年のBela(29才)からどっさりメールが来ています。重慶発の動車(新幹線)から一緒で、成都では同じゲストハウスに泊まっていて、何かと言っては僕を誘い出して、食事に行ったりしていました。北京で英語教師をしていて、サマーホリデイだそうです。先週初めて日本に行ったそうなのだけれど、お金がなくて4日間しか滞在出来なかったとのこと。実は、一昨日一度成都に戻った際、再会して一緒に銀行に行ったのですが、彼の口座からお金が引き出せず困り果てていた。翌日は土曜日だし、もし引き出せねば大変だから、100元ほど貸しておいてやろうと言ったのだけれど、たぶんマシーントラブルだろうから大丈夫とのこと。それで彼と別れて、再び大邑→西嶺雪山に向かい、大邑に戻ってきたところです。

メールの内容は、相当に緊迫しているようで、かいつまんで言うと、口座にお金が入っていなかった、出来れば僕も一緒に西嶺雪山に行きたい、今すぐ大邑に向けて出発するので、メールをチェック出来次第電話連絡してほしい。そこですぐに返信しました。今僕も大邑にいる。夜11時までdicos(マクド、KFCと並ぶ中国ファーストフッドレストランの最大手、ここだけ僕のパソコンでもワイアレスネットが可能です)にいるので来てほしい、と。でも見れば、メールは2日前なので、おそらくもうこの町にはいないことでしょう。念の為電話をしたら、結局(行き方が分からなくて)大邑には来なかったこと。お金は(たぶん誰かほかの外国人に借りて)なんとかなった、心配しなくてよい、とのことでした。一応、明朝成都に戻る可能性もあるので改めて連絡を取り合うことにし、まあホッとしました。

スーリンからも久しぶりにメールが来ていたぞ。
『今どこにいるのか?元気でいるか?病気はしていないか?お金はあるか?私はお金が無くて生活が大変苦しい。もしお金があれば少し分けてくれないか?』
僕の返事。
『四川成都の近くの山の麓の町。体調はとても悪い(ドイツ人と一緒にビールを一晩4本飲んだので酷い下痢だ)。お金は全く無く、生活がとても苦しい。8月になったら桂林に行っても良い。また電話する。』

電話をしたところ、いつものごとくこっぴどく詰られました。そして、
『“お金がない”ということは、いかに辛いことか、生活そのものだけでなく、精神的に辛いものだ。おまえ(僕に対して敬語を使わない)もお金に余裕がないからしょっちゅうドジをし、それでまたお金を失くして悪循環を繰り返すのだ、云々』
そんなことはおまえ(僕はこう呼ぶ権利あり!)に言われなくとも解っている。なおもこう言います。
『私も、あと半年で35歳になる。前から言っているように、35歳までに子供を産まないと(羊水とかの関係で)大変なのだ。なのに彼氏もいない。それもこれもお金に余裕がないからである(経済的余裕がないと彼氏も出来ず結婚も出来ない、というのが以前からの彼女の理論)。おまえももっと稼いで、私に結婚費用を援助してくれなくては。』

スーリンと一緒にいると(最近では2年半前の香港に行く前)、朝から晩まで、夢中でインターネットのゲーム(ネット上の匿名の相手との賭けごとみたいなものとか、かつてのインベーダーゲームみたいなものとか)をしているのです。もっともこのことはスーリンに限らず、中国の若者、いや世界中の(若からぬ人を含む)人々に共通するのかも知れません。一生懸命働いているとは思えない。お兄さんと一緒にやっているという事業は一体どうなっているのでしょうか?

35万円の予算で世界一周旅行を慣行し、早々とネパールで一文無しになって彼女を呼び寄せて借金し、それがもとで別れてしまった(笑)というジン君とか、、、、どうして、どいつもこいつも、僕の回りにいる奴らは貧乏人ばかりなのでしょう。

Bela

重慶で動車(新幹線)の切符を買う時から3日間ほど一緒に行動。北京で英語教師をしているよし。中国人に対してはかなりの嫌悪感?を示しているようで、いつもイライラしている。僕が中国人と話していると、露骨に嫌な顔をする。まあ、彼に限らず、日本人や他の外国人(欧米人、中国以外のアジア人)も、中国人の態度に対しては、常にあからさまに拒否反応を示し、良く大声で罵倒しているのであって、同じ行動を僕がしなくて済むので、有難いと言えば有難い。もっとも、そうか、僕もいつもこんな風に逆上しているのだな、見っとも無いから今後は少しは慎もう、という自らへの戒めにもなるのです。29歳。写真は今年の7月、成都のゲストハウス「Lazybones」にて。普段はむっつりしていて、笑顔は珍しい。

スーリン

足掛け10年の付き合いになります。シンセンにて三脚がぶっ壊れ、銀行のATMにカードが吸い込まれてしまったことが出会いのきっかけ。7年前に婚約解消。でも、全く家族のいない僕にとっては、“最も家族に近かった存在”という思いが今でもあります。あと半年で、本人のいう“結婚適齢期リミット”の35歳、かなり焦っているようです。今は大阪のおばちゃん然としていますが、以前は結構可愛かったのです。今だって彼氏ぐらいは作れそうなのですが、何故かもてないんだそうな。それもそうでしょう。こんな性格では。辺り構わず怒鳴り散らし、人をボロクソに言う。食事に行くと、不味いから作りなおせ、とか、お皿が汚ないとか言って、いちゃもんをつける、、、、(笑)。写真は去年の7月、桂林の「火鍋店」にて。

ジン君

2年前、成都の「シムズコージー」での出会い。天才的な写真感性を持ち、それを言ったら「僕は天才ではありません、努力家です」、その言葉や良し。今は音楽(ハードロック)にのめり込んでいます。口に出した言葉を守らないことを咎めたら、「基本的に僕の言葉は無責任なので信用しないように」だと。それゆえか、彼の文章には、きらりと光る芸術性があります。新宿2丁目の生まれ育ち。お父さんのほうが、おじいちゃんより年上。新橋で飲み屋をやっているお母さんは中国の方です。良い意味での、中国人と日本人の長所を備えていると思う(褒めすぎか?)武蔵野美術大学留年在籍中。24歳。写真は2年前の7月、成都の「電脳城」にて。


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さて、一応の予定は、次の通りです。大邑は成都と雅安の高速道の中間地点ですから、成都には戻らず雅安に出て、そこから西昌行きの長距離(中距離?)バスに乗り換え(直通バスが無ければ途中の石棉で乗り換えて)、18日は西昌泊。翌19日は、昆明までの長距離(中距離?)バス。ビザ期限切れ当日の20日にベトナムへ。

ところがスタートの時点で、躓いてしまいました。すぐ近く(高速道で1時間弱)なのにも関わらず、雅安行きのバスはない。途中の邪峡までタクシーか包車で行き、そこで乗り換えろとのことですが、タクシー代はべらぼうに高い(成都までの運賃の10倍近く)し、包車はいつ出るのかも分からない。異なる省はむろん、市や県など行政地域を跨ぐバス路線は極端に少なくなるのです(大都市間の長距離バスは沢山ある)。結局200円1時間で行ける成都に一度戻って、そこから直通バス(西昌までが無ければ途中の石棉まで)を利用するのが、最も安価で迅速であろうとの結論に至りました。

問題は、到着バスターミナルから出発バスターミナルまでの距離が遠く離れていて、市内バスを利用するととんでもなく時間がかかるし、タクシーを利用すると相当の出費です。でも仕方がないのでタクシーを使わざるを得ない。大邑からのバスは“金沙バスターミナル”に着きますが、雅安あるいは石綿・西昌方面へ向かう(すなわち大邑から先の方角に戻る)ターミナルは、同じ成都市内でも正反対の位置にある、“新南門バスターミナル”か“石羊バスターミナル”です。

もしかすると列車利用のほうが、より確実なのではないか、と思い着きました。バスの夜行寝台は嫌だけれど、寝台列車ならO.K.です。どうせタクシーに乗らねばならぬのなら、一応、駅に行って訪ねて見ることにします。しかし、昆明行きの夜行寝台列車の席は、今日も明日もソールドアウト、明日の晩なら立ち席のみが残っている、との答えです。

やはり、バスを利用するしかありません。出来たばかりの地下鉄で最寄りの駅まで行き、そこからタクシーで“新南門バスターミナル”へ。ところが、西昌や石綿行きは、ここからは出ていない、“茶店子バスターミナル”に行きなさいとの通達。“茶店子バスターミナル”は反対側(最初に着いた“金沙バスターミナル”の比較的近く)です。違うのではないかと思ったのですが、タクシーの運転手に見せるためのメモも詳しく書いてくれたことだし、一応信用することにしました。

再び600円程(日本の物価に換算すれば3000~4000円程のイメージ)のタクシー代を支払い、“茶店子バスターミナル”へ。そしてここでも、石綿・西昌行きのバスはここからは出ていない、“北駅バスターミナル”へ行け、と。ここまでは我慢していたのですが、もはや怒り心頭です。
「さっきから盥回しにされている、あなたの言うことも信じられない、本当に“北駅バスターミナル”から出ているのか?」「そうだ、そっちに行け」
でもやはり納得行かなかったので、紙に大きく「貴方を信用しても良いのか?信用出来ないのか?もし間違っていれば責任をとってくれるか?」の意を中国語で書いて示したところ、「責任をとる」というのが大嫌いな中国人のことです、奥の事務所に引っ込んでしましました。20分近く経ってから姿を現すと、紙に表示されていたのは“石羊バスターミナル”。

“石羊バスターミナル”までは相当に遠く、タクシー代も嵩むことだし、なにしろ盥回しにされていたものですから、随分と時間を食っています、今日の昼行バスにはもう間に合わないかも知れません。こんなことをしていると、期限までに国外脱出が出来なくなってしまいます。ここは飛行機を使うしかないのでは、と思い立ちました。成都-昆明間は、ほかの地域より比較的安いはずだし、列車やバス代の2倍程(7000円前後)で済むならば、場合によってはトータルでは安上がりなのかも知れない。

ということで、まず“茶店子”の町中の中国銀行に、次いで飛行機のチケット売り場に向かうことにしました。ところが、口座に入っていると思った5000円が、一銭も入っていない。手持ちの残金は8000円程なので、飛行機利用となれば、かなり心配です。とりあえず航空チケット売り場を聞こうと、窓口の女子職員に尋ねます。すると、どこにチケット売り場があるか知らない、私が直接調べてあげます、と。

「いや、結構です、信用出来ないもの」
「大丈夫、信用して下さい」
「いや、信用出来ない」
英語を喋るその窓口の女の子に、今日ここまでの経緯を滔々と述べることになりました。

「お前たち中国人は全く信用が出来ない」
と捨て台詞を遺して銀行を出ようとすると、泣きべそをかいた窓口の女の子が外まで追いかけて来ました。
「とにかく調べてあげるので、どうか少しだけ待って下さい」

結果は、3割ディスカウントの8000円程の席が数席残っていると。手持ちの金額とほとんど同じなので、ちょっと難しい。そこで、あやこさんに助けを求めることにしました。女子職員の携帯電話を借りてあやこさんに電話、今日は日本の祝日だそうで明日幾許かを振り込んで貰うことにしました。ところが、明日の便は満席、ビジネスクラスしか残っていず、日本円で約2万5000円、万事休すです。

やはり“石羊バスターミナル”に向かい、バスを乗り継いで昆明に向かうしかなさそうです。ところが、タクシーがつかまらない。件の女子職員は、いつもは簡単に捕まえられるのだけれど、と、あちこち奔走してくれて、数十分後にやっとゲット。再び800円近く支払い“石羊バスターミナル”に着いたところ、西昌行きはむろん、石棉行きもたった今、10分ほど前に最終バスが出てしまった、のだと。明日まで待つとなると、20日までの国外脱出は難しくなってしまいます。

最後の一案を思いつきました。先ほど、列車の窓口で、昆明行きの切符が今日も明日も満席と言われた際、念の為西昌行きの有無も訪ねてみたのです。こちらは立ち席なら、今日の午後発、明日早朝4時西昌着と言うのがあると。12時間立ちっぱなしはしんどいので購入はやめたのだけれど、それしかなさそうです。明朝4時に西昌に着けば、別の列車かバスに乗り換えて、明日中、遅くとも明後日の午前中には昆明に着けるでしょう。ギリギリ20日の夜にはベトナムに抜けることが出来そうです。

列車の駅の切符売り場は、いつものごとく長蛇の列、普通に並んでいてはとんでもなく時間がかかってしまうので、隅っこにある(軍人や共産党員が優先される?)特別窓口で訊ねてみました。
「無席でも良いので、今夜の昆明行きはありますか?」
「全てソールドアウトです」
「(香港に出ることも考え)シンセン行きはありますか?」
「2泊3日の無席券ならあります」
3日間立ち続けは流石に辛いのですが、上手くすれば寝台車に代われるだろうし、それしか選択肢はないのかも知れません。でも念の為、もう一つ聞いて見ることにしました。
「では、数時間前に来た時に、今夕発、明朝4時に西昌着の、無席切符があると教えて貰ったけれど、残っていますか?」
「それはないけれど、間もなく出発する、深夜1時着の西昌行き無席券ならあります」
「それ下さい!」
深夜1時到着ならば、近くの安ホテルで朝まで仮眠して、翌朝の列車かバスで昆明に迎えます。無事チケットを購入、ホッとして、切符売り場を立ち去ろうとしたら、後ろから窓口の女の子が大声をかけてきました。
「おーい!今調べたら、同じ列車の昆明行きも残っていましたよ!どうしますか?」
「もちろんそっちが良いです!」
最後の最後で逆転勝利と言ったところ(でもそれならそれで、最初に切符売り場を訊ねた時に、もっときちんと調べておいて貰えたならば、その後バスターミナルの盥回しの目に会わずに済んだのに、と思うのは、贅沢な望みなのでしょうね、ちなみに、成都-昆明間の無席列車チケット代は約1800円、成都市内バスターミナル間移動タクシー代が計約2300円)。

でも、ここからが戦い本番。まず、全速力で駅近くのdicosを往復。あやこさんにメールで結果を報告し、午後3時41分発の昆明行きに飛び乗ります。チケットに記された無席の車両には向かいません。食堂車を目指します。むろん「お前の車両はここではない、あっちだ!」と阻止されるのですが、ここで従っていては、この後20時間、永遠に無席の車両に立ったまま閉じ込められてしまう恐れがあります。遮る手を振り切って、強引に食堂車に乗り込みます。むろん中国語は一切使わず、英語なり日本語なりでわめきます。中国人ならばぶんなぐられてしまうところですが、外国人には手を出せない。列車が出発するまでの数分間、「ここを出ろ!」というプラットホームの係員の執拗な罵声に耳をかさず、食堂車の入口にへばり付いています。やがて列車が出発し、食堂車のドアが開くと、安全圏へ。まるで、脱国成功の難民そのもの。

食堂車には列車長がいるのです。「寝台車に変更して下さい」と伝えると、快く聞きいれて貰えます。打って変わってV.I.P.待遇です。正規の追加料金で約1200円。

実は、一号車と運転席の間に、無表示の(しかも一号車とはカーテンで仕切られている)“本来なら存在しない”のだろう寝台車両が一台挟まっているのです。そこに導かれます。僕のほかにも、重慶から来たという女子高生の二人連れや、いかにも軍人風の中年男性氏等が、同じコンパーメント。女子高生は流暢な英語を喋るので、彼女たちとずっと話していると、恰幅の良い軍人男性氏は、自分だけ除者にされたようなむっつりした顔をしている。そこでわざわざ彼に中国語で時間を訊ねてみました。破顔一笑、実に嬉しそうに返事をしてくれたのでした。

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予定より1日短縮で、19日午前11時、昆明に到着。すぐにタクシーで、昆明新東バスターミナルへ。ベトナム国境の河口行きは、次は午後1時30分発のはずですから、ターミナル内でゆっくりと食事をし、dicosでメールも打てます。

ところが、思っても見なかった問題が勃発、なんと、今日の1時半のチケットはソールドアウト、明日の便を買って下さいと。そんなバカなことはないはずです。河口までの高速道路が全線開通し、5時間もあればベトナムに抜けられる。仮に1時半の便が満席でも、前後にもあるはず、それに河口行き便が満席で乗れないなんて、これまで聞いたことがない、途中での乗り降りも頻繁にあることだし。

どうしても今日行かねばならない(実は一日余裕はあったのだけれど腹立たしいではないですか)と食い下がりました。でも埒が明かない。すると、向こうは、「中間地点の蒙自行きの12時45分発のバスがある、それで行けば蒙自で乗り換えて、今日中に河口に行ける」と案を出して来ました。それは分かっているのですが、やはり腹が立つし、蒙自での乗り換えが複雑で今日中に河口に辿りつけない、という事も考えられます。そこで、
「本当に蒙自乗り換えで今日中に河口に行ける?」
「大丈夫」
「信用しても良いの?」
「・・・・・・・・・」
「じゃあ、乗り換えが上手く行くように、次のバスの運転手に見せるメモを書いて下さい」
「それは嫌だ、責任は持てないから」
結局、強引にゲートにもぐりこみ、1時30分発の河口行きバス運転手と直接交渉することにしました。
むろん、入り口のチェックポイントで阻止されます。
「どうしても乗らねばならぬので、運転手と直接交渉したい」
「それは出来ない、1時30分のチケットはない」
「それは分かっている、だから交渉をする」
「今日は1時30分のバスなどない」
何だか変なことになって来ました。チェックポイントの女の子は結構親切に対応してくれているのですが、どうも話が噛み合いません。どうやら、今日のバスは運休、と言っているみたいなのです。でも信用は出来ない。
「1時30分のバスの運行がないのか、運行するけれどチケットが満席でないのか、どちらなの?」
「モゴモゴモゴ、、、、」きちんと答えてれくれません。
「じゃあ、12時45分発の蒙自行きバスで乗り換えるしかないの?」
「それじゃ間に合わないかも知れない、責任は持てない、それよりも12時30分発のバスというのがあるから、私がそのバスの運ちゃんに、乗り継ぎが出来るよう掛け合ってあげるから、それに乗りなさい」
どうも、その案には食指が動きません(運ちゃんに法外なリベートを要求されそうだし)。
結局諦めて、12時45分発蒙自行きに乗ることにしました。

(イミグレーション通過リミットの)夜10時まではたっぷり時間があるし、高速を使えばあっという間でしょうから、幾らなんでも、今日中に辿りつけない、ということはないでしょう。でも気になることが。先ほどの押し問答でも、1時30分発直通の河口行きで、所要時間8時間、河口到着9時半、と言っていたことです。12時45分発の蒙自行きが、蒙自までの所要時間6時間、そこから河口まで2時間半。

そんなことはないはずです。蒙自は昆明-河口のほぼ中間地点で、以前は昆明~蒙自6時間、蒙自~河口6時間だったのが、去年からは、(標高2000m近い台地上から山間部をぶち抜いて一気に標高100m未満の紅河に下降する)蒙自~河口間のスーパーハイウエイが完成し、一気に2時間半に短縮。ということは、平らな台地、しかも大都市昆明に近い前半部も、同様に2~3時間で行ける高速道が完成しているはず、という思い込みがあったのです。単に思い込み、というわけでなく、どの地図にも、昆明~蒙自間は(かなり以前から)高速道が示されています。中国の地図に示されている高速道の実態だけは、相当に正確なのです。

しかし、昆明~蒙自間に高速道路はありませんでした。16年前に初めて通った時と同じ、8時間を擁して進む旧道だけ。もしかすると(何らかの理由があって)この旧道を名目上「高速道」と称しているのかも知れません。昆明の周辺には縦横に高速道路が走っていますし、今回の項目の主要テーマ『謎の巨大都市“鳩街”』で述べようとしているように、昆明から遥か離れた蒙自の周辺都市間(開遠・固旧・建水や、河口ほかの紅河流域の町)にも、分不相応とも言えそうな高速道網が張り巡らされている。なのに、肝心の昆明~蒙自間だけが、旧態依然なのです。何か特別な訳があるのでは?と勘繰りたくもなって来ます(その話は『謎の巨大都市“鳩街”(下)』で述べる予定です)。

僕の座席の隣は、グラマーな美人の若い女性、一目でほかの中国人乗客とは異質であることが知れます。もしかすると外国人かも。やがて携帯で英語での会話を始めました。やはり外国人と思ったのですが、オランダから蒙自に里帰り中だとのこと。オランダの大学でガーデニングを習い、近い将来移り住む予定、昆明では僕もお世話になった「昆明植物研究所」が併設されている農業大学に通っていた由で、随分話が弾みました。彼女が運転手に掛け合ってくれたらしく、通常5時間半~6時間のところを(たぶん休憩停車などをすっ飛ばして)、5時間弱で蒙自に到着、運転手氏の指示で、河口行き最終6時半のバスに、悠々間に会ったのです。

しかし、またまた予期せぬ出来事が。6時半発河口行きバスは満席でソールドアウトだとのこと。窓口は6時で終了なので切符は売れない。そんなバカな。蒙自の町は結構気に入っているので、ここに泊まって明日朝河口に向かっても良いのですが、せっかく運転手氏が急いで間に合わせてくれたことだし、意地でも今日中に河口に向かいたいのです。

ということで、強引にバスに乗り込みます。実は、オランダの美女氏がとても心配してくれて、交渉を掛け合ってくれようとしたのだけれど、ここは下手に中国語でやり取りをしないほうが確実だと思い、「大丈夫、たぶんなんとかなるはずです」「じゃあ、もし上手く行かなかった時は私に連絡を下さい」ということで、自分で交渉することにしたのです。

「切符がないと乗せられない、チケット売り場は終了したので、明日のバスにしろ」
「どうしても今日行かねばならない」(むろん、中国語は一切使いません)
押し問答?(にもなっていない)を繰り返していると、近くの席に座っていた小学生の女の子が心配そうにこちらを見ています。話しかけたら、英語が喋れる。彼女を通訳に交渉です。運転手も子供が相手だと強くは出れないのでしょう。結局、しぶしぶ切符を売ってくれました。

バスが出発すると、切符を持たない乗客が次々と乗って来ました。何のことはない、6時になると切符売り場が閉まるから、切符は買えない、よって建前上、今日の便には乗れないのだけれど、実際は、切符を買っていなくとも、乗ることは可能なのです。しかし、それぞれの持ち場の人間に、それを広言する“権利”(“義務”と言ったほうが良い?)はない。

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コンセントとソケットは別々の人が作るわけで、互いにピッタリと収まるかどうかまでの責任は持たなくて良い。でも使うとなれば、なんとでも応用が利くのです。日本はピッタリと収まります。でも応用は利かない。

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