幻の“ヤナギバハナアジサイ(新称)Hydrangea kwangsiensis”探索記/広西壮族自治区広西壮族自治区融水苗族自治県九万大山注洞郷①
2011.7.5
予定していたJRの成田空港行き特急が、“節電”のためとかで運休、京成のスカイライナーに振り替えて、成田空港PM5:58着。PM6:50発のDELTA便に危く乗り損ねるところだったのだけれど、滑り込みで間に会いました。カメラを質から出し、先月分の家賃を振り込んで、残り財産は8000円です。幾らなんでも、次の年金支給日の8月15日まで、事足りるわけがありません。でも1カ月有効の往復チケットの期限が今日までなので、ともかく中国に戻るチャンスは今日しかないのです。この8000円を使って香港空港で寝泊まりし(インターネットがスムーズに使えます)、日本のあちこちと交渉して、資金を調達するほかない。ところが何と!その虎の子の8000円を京成日暮里駅構内の公衆電話に置き忘れてしまった!1時間前には到着が難しい旨をDELTAのチェックインカウンターとやり取りするのに必死で、電車賃のお釣りで手に持ったままの8枚のお札を電話機の上に置いたままにしてしまったのです。
香港空港着PM10:00。むろん空港内で宿泊。でも日本のあちこちとメールでの交渉をしなくてはならないので、一睡も出来ない。出発前に、Aさん、Mさん、Kさんに幾許かの借金を申し入れ、それで質からカメラを出して(1万5000円)先月の家賃(3万5000円)を支払うことが出来たわけだけれど、あやこさんを含め、皆僕とは仕事上の繋がりは全く無い、いわば唯の知人に過ぎません。その(僕に対して何の義理もない)方たちが、僕の厚かましいお願いを聞きいれて下さり(金額の多少はともかく)助けてくれているのに、仕事関係の繋がりのある、要望に応じて写真や文章や情報を数多く提供している幾つかの企業やメディアや研究施設は、(未だ手にしていない)見返り報酬の打診をしてもウンともスンとも返事が無い。
なかには、こんな酷い例もあります。以前(その企業の一職員に対して)個人的に使用を許可してあった写真原版のうち、10数枚が営業用にネットで販売(顧客への贈呈?)されているのを見付けたので、いまさら使用料を請求するのもどうかと思い、(無断使用には目をつぶって)新たなルートが構築出来ればと、連絡を取って見ることにしました。一応大歓迎されたので、窮状を訴えるとともに、今後の写真提供に関わる交渉をメール送信したところ、次のような返事が。「大震災の被災者への援助金に回さねばならないので、資金的な余裕が無い」。それで「僕も被災者同様に日本の一市民です、かつ写真販売を生業としています、使用された写真の報酬を頂く当然の権利があると思っています、写真単価の金額には拘りませんのでそちらの判断で相当する使用料を納めて頂きたい」。と再メールを送ったところ、返事はなしのつぶて(苦笑)。
こんなことは、いつものことなのです。(それまで全く関わりのなかった)企業や大学などから、様々な情報や写真の提供を求められたり、講義講演のお願いをされたりするのですが、それに応じて相応の条件や報酬を要求すると、謝絶されてしまう。情報や写真はすでに提供しているわけですから、詐欺だとしか言いようがありません。
そしてしばしば(前にも一度記しましたが)こんなことを言われます。「もっとお金に恬淡としていると思った」「あなたが報酬を要求してはいけない」等々。どうしてこう甘く見られるのでしょうか? 出発前にジン君と食事をした際、彼に言われたのですが、今の日本では“所属”が明確でなければ、仕事としての交渉が成立しないのではないだろうか。言い換えれば、自分の“立場”を明確に相手に伝えること。僕の場合、正規の研究者でも無ければ、いわゆるマニア・愛好家でもない。
何らかの母体に所属しているわけでもない。今の日本の社会の中では甘く見られて当然なのかも知れません。ジン君が僕のことを友達に紹介するとき、「現代の南方熊楠です」と言ってくれるのは(身に余る光栄で)凄く嬉しいのです。でも実際問題、それに甘んじているわけには行きません。
そのうちに、大学とか、研究施設とかからの、理不尽な要求などを集めた、「コラム集」を披露しようかと思っています。