青山潤三の世界・あや子版

あや子が紹介する、青山潤三氏の世界です。ジオログ「青山潤三ネイチャークラブ」もよろしく

バンクシー大嫌い!

2023-02-07 20:32:24 | コロナ、差別問題と民主化運動、科学・医学への過信



読者の方々に質問です(僕は頭が悪いので、教えて頂ければ幸いです)。



【Ⅰ】

マスクは、なぜ必要なのですか?

【Ⅱ】

「沖縄に対する日本」

「台湾・チベット・ウイグルに対する中国」

の違いを教えて下さい。

*ブログ記事の冒頭に、この質問を繰り返し続けます。



・・・・・・・・・・



齢74(もうすぐ75)歳にしてTVをはじめて持って(冷蔵庫とか洗濯機とか電子レンジとかも)、、、「3種の神器」とか言われたのは昭和30年代でしたっけ? 60余年遅れで、やっと一般水準の入口に辿り着いたのですね。



「ルフィ4兄弟」「米中気球」「トルコ大地震」、、、、。TVでニュース見まくっています。何たるミーハー度かと我ながら呆れています。それぞれに対して意見があるのだけれど、とりあえず保留(書いてる時間が無い)。



岸田総理筆頭秘書の暴言も大問題になっているみたいですね(ルフィと重なったので岸田さん感謝しなくちゃいけません)。



僕は、事件そのものよりも、報道の仕方に違和感覚えています。



もちろん、こんなこと言うと、下手するとブログ閉鎖命令が出されるかも知れないほどの、「極悪人」「非常識人」「低知能人」と見做されてしまうでしょうが、敢えて突っ込んでおきます。



Lなんとか(今までこの単語知らなかった)に関する秘書氏の発言、国の中枢(岸田総理とその周辺)の建前と本音が晒しだされた由々しき問題ではあるのですが、当人の意識の持ち方そのものが叩かれて(完全否定されて)いるわけですよね。当然のごとく「悪」と見做されて。(立場上切り離して考えることは出来ないのは確かだとしても)「意識・価値観・感性」自体を有無を言わせず完全否定するのは、ちょっと違うのではないかと。



「近くにLなんとかの人がいるだけで嫌だ」というのは、個人の感情です。「いるべきではない」と否定するのと、「いると嫌だ」と感情を表に出すことは、別次元の問題です。僕だって嫌です。嫌だという意識を持っていることを恥じる気持ちはあるけれど、嫌なものは嫌です。存在を否定はしませんよ。それらの少数派の人たちが苦しまなくていいように協力はしたい。それと「嫌だ」という気持ちは別問題です。



力づくで善悪を決めてしまう。それが実質上の民主主義なんでしょうね。



前にも言ったけれど、「多様性」という流行り(僕は敢えてそう認識します)の言葉。ステレオタイプの多様性が「空気」を形成し、統一に向かわせている。



本当に多様性を考えるなら、人それぞれ、他にも無数のパターンの感性があって、それぞれに苦しい思いをしている。様々な次元での社会的弱者(時には弱者と強者が入れ替わる)が、気が付かれないうちに排除されていくという現実。



あと、インターネットに溢れている変質的性嗜好や幼児性愛スレスレの(としか僕には思えない)アニメみたいな広告、なんとかならんのでしょうか?



表現の自由ですか? だったら、既存の道徳概念など取っ払って、全部自由にしてしまえば良いのです。出来ないでしょう?



追記。



僕がゼリンスキー以上に嫌いなのが、「バンクシー」です。平和を題材にしているから支持する、というのが巷の声でしょうが、、、恐ろしいですね。






コメント
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