青山潤三の世界・あや子版

あや子が紹介する、青山潤三氏の世界です。ジオログ「青山潤三ネイチャークラブ」もよろしく

青山潤三日記 2020.7.19 ②

2020-07-19 20:14:56 | 雑記 報告


青山潤三日記 2020.7.19 ②

①の続きです。

僕は、科学(“学問全体”と言っていいかも知れない) とは、「方法論」と同義だと思っています。

方法論を見つけ、それを辿っていくことで、全く新しい何かを生み出す(ある意味知的な錬金術)。

僕は、大半の科学分野に関しては、全くの無知です。ただ(いわゆる)自然科学に属する(野生生物の)分野には、何らかの関わりを持っています

研究者たちを見ていて、(そりゃ、凄い能力で、お金もかけて、僕などには絶対不可能な研究成果を構築しているとは認めますが)なにアホなことやってるのだろう、と思っています。

重箱の底をつつくように細部の情報を集め、それを「方法論」に基づく「自動解析システム」で処理して、もっともらしい論文が仕上げる。

それでは本当に知りたいこと(対象の本質)は、何にも分からない。誰一人(昔の研究者を除き)、大局的な把握を行おうとはしない(多分「それは科学ではない」と思っているのではないかと)。

まあ、野生成物の系統分類などは、人間社会の発展に直接的な関与はしないわけですが、そのほかの(実用に直結する)諸分野では、同様に「重箱の隅っこをつっつき続けて“方法論”に乗っける」ことでもって、様々な科学技術(例えばITそのほか)が実用化されている、という事実があります。しかも、ここにきて急速に。

僕が思うに、今人類が手にしている(科学の力で齎された)「文明」は、全体の埋蔵量の1%にも満たないのではないかと。

今後(たぶん非常に近い将来)更に、これまでとは次元の異なる加速度を付けて、制御不能な方向へ“科学”が発展していくのでしょう。

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昨日記述の、日本の名古屋のチームでプレーした、ブラジルのサッカー選手の発言について、いくつかの異なる視点からの考察を行うつもりでいたのですが、今日はお昼過ぎから胸が苦しく(通常なら1時間もしないうちに回復するのだけれど5~6時間経った今も治まらない)、文章を書ける状態ではありません。いつもより早めに部屋に帰って(本当は誰か人のいるファミレスなどにいた方が良いのかも知れませんが)、睡眠導入剤を飲んで就寝します。

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オーストラリア(ロシア出身)の20歳のフィギア女子選手も自死したというニュースが、、、、。なんで、と思います。鬱病ですか、、、、。僕には全く理解が出来ないのですが、それで命を絶つ方は少なくないようです。やっぱり精神的な分野の医療の充実も必要なんでしょうけれど、現実を見ていると、「治療」とはもっと異なる方向から、改めて「本質的な解決法」(生物には自らの力で生き抜こうとする機能が備わっているはず)を、見つめなおす必要があるのではないかと思うのです。うまく言い表すことが出来なくてもどかしいですが、、、、。




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青山潤三日記 2020.7.19 

2020-07-19 13:36:36 | 雑記 報告



西勇完投勝利!

まさかの大活躍中の糸原(今年28歳)と一緒に、前代未聞のお立ち台で越境不倫謝罪。

西君と三浦さんは、同じ年(今年30歳)なんですよね。

メンタルが、、、、、。

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三浦春馬さんというのは、僕は知らない俳優なのですが、、、、若い世代には結構有名な方らしいですね。

かなりショックです。自死だとすれば、なんで?という想いです。

僕は、人を殺すこととか、自死とか、、、、なぜそんなことをするのか、できるのか、分からない。覚醒剤とか、幼児性愛とか、同性愛*(これを一緒にして言っちゃいかんのでしょうけれど、分からないものは分からない)とか、、、自分にはその人たちの気持ちがわからないことが、たくさんあります。

「自分はこうだから、他の人も、、、、」とは考えてはいけないのでしょうね、、、、。

*僕の理解では、本来は、広い意味の「人格障害」(今は差別語になるので「パーソナル障害」と呼ぶべき由)の一つと捉えて良いと思うのですが。人格障害をwikipediaから引用すると、>「文化的な平均から著しく偏った行動の様式で、特徴的な生活の様式や他者との関わり方、または内面的な様式を持ち、そのことが個人的あるいは社会的にかなりの崩壊や著しい苦痛や機能の障害をもたらしているもの」、となっています。

「文化」「社会」を基準として、ある人格(personality)の特徴を、疾病(illiness)であるか、そうでない(いわゆる「正常」の範疇に置かれる)かに判別するわけです。

それを決めるのは、エリート学者の見解を政府など権力機関を通して受け止める(場合によっては受け止めざるを得ない)大衆の同意、すなわち「空気」です。

振り分けの基準は、数と力ですね。あるものは、疾病ともされず、「健全」なパーソナリティとして「空気」の構成員として成り立ち、あるものは、「〇〇症候群」とか名付けられて、個人の権利主張の対象と成り得、社会からの保護を受けます。

そのほかの有象無象は、明確に疾病と判断されて、実質的に社会から疎外、あるいは存在自体が無視される。 

精神分裂病→統合失調症、人格障害→パーソナル障害。同義語ではあっても、既存の「悪い印象」 を払拭し、新しい印象に置き換える(当面、それなりの意義はあるでしょうが)。

「偏見の払拭を謳っている」としながら、新たな言葉で、さらに振り分けていくことで、偏見に「お墨付き」を与えているわけです。「社会に認められるべき良い偏見」と、「良くない偏見」という、「価値観の空気」の形成を目指して。

現在の、「科学的に」高度に進化した精神病理学など、僕は、本物の科学だなどとは思っていません(昔の「精神科のお医者さん」には、尊敬すべき方がたくさんいらっしゃいますが)。

強者(その場、その時々の空気への同調者)は、都合よく「科学」(その名目の許での「方法論」)を利用します。

U氏は、(前回お会いしたとき)「もしかしたら青山さんは科学を否定しているのでしょうか」と言われましたね。

僕は「まさかそんな、、、」と、意表を突かれた思いでいました。「使い方」「科学的なもの(入れ物、方法論)」「ひいては多くの科学者」を否定することはあっても、科学そのものは崇高な存在だと信じているので。

とはいっても、最近、その思いが揺らいできているような気もします。科学そのものが、なんだかインチキ臭く感じてきているのです(人類の発展がその恩恵によることは確かだとしても)。



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青山潤三日記 2012.7.18 ②

2020-07-19 08:49:07 | 雑記 報告




中谷、今日もベンチ。打率一割でも近本使うんだ、、、、。日本人にとって、「ドラ1エリート」は、特別な存在なのですね。

で中谷、代走に起用です。陽川センター守備固めとか、江越・中谷代走とか、、、矢野さんは意地でも彼らを打席にたたせたくないんだろうなぁ~。

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2日ほど前のニュースから。

ブラジルから日本のチームにやってきた(2年間所属)元ブラジル代表のサッカー選手の、契約打ち切りで故国に帰った後のインタービュー記事(日本のメディアによる纏め)。

「日本に行くまでに5か国で暮らしたため、ただ言葉が違うだけだろうと思っていたが、そうではなかった」と語ったジョーは、次のように続けている。

「我々とはまったく逆の文化で、人々がとても冷たく閉鎖的な国でどう暮らしていくのかを理解するのは難しかった。彼らはアメリカとの戦争に負けて抑圧されているため、熱意と喜びに欠けている」  

また、「疑うような目で見られることも多かった。それには慣れたが、誰も英語を話せないので、言葉の問題も経験した」という。  

ただ、もちろん良い面もあったようだ。「非の打ちどころのないセキュリティ、けた違いの衛生面、オーガナイズされているところ」を日本文化の長所として挙げている。  

ピッチでは結果を残した元セレソン戦士だが、プライベートでは日本の水が合わなかったようだ。

勿論、避難轟轟ですね。トップコメントを一つだけ挙げておきます。

>国民性の違いが大きいのでは? 日本人は抑圧されているのではなく、周りの同調性を意識して好き勝手やる人がいないですからね。慎しさや察しの文化も理解できない国の人も多いと思います。英語が通じないのはその通りです。

僕のリコメント。

>>その通りですね。ただ、それを、様々な異なる角度から解析してほしい。「慎ましさ」や「察しの文化」というのも、光の当て方を変えれば、相当にネガティブな要素に満ち溢れています。美点でもあり、欠点でもあるのです。僕(純粋な日本人です、笑)個人的には、ジョーさんやgamさんの言うように、「(日本は)セキュリティや清潔さでは他の国に比べて全然良いと思うけど、つまらん(無意識強要同調空気の許に成り立つ)国」と思っています。

あと、英語が通じないのは確かでしょうが、「通じない」以前に、「通じようとする努力をしない」のだと思います。海外在住の機会が多い僕は、滅茶下手な英語ですが、概ね通じています。

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京都アニメ一周忌の記事に、こんなコメントがありました。勿論、非難轟轟です。

>次は盗作の嫌疑をかけられないように、
しっかりと作者と向き合ってください。
以後、少しでも恨みを買うような審査はしないでくださいね。
作品つくりや、商売とはそのようなもではないでしょうか。

>社長さん、綺麗事は良いから、
御遺族への補償や見舞いは相当額当然出してるよね?
かなりの額の寄付が集まってるし。
自分も被害者みたいな空気出してるけど、
青葉容疑者へのクレームの対応は知らないわけなかったよね?
社長はどんな指示を出した?
無視しろだの、おかしい奴だからほっとけとか言わなかった?
社長自身の責任は無いとでも?
あなたの責任も重大です。

↓僕の投稿はこれ(前のブログに書いたのと同じ内容)。

先日も、「講談社への“逆恨み”脅迫」がありましたね。青葉容疑者の模倣犯かも知れません。犯人への、援護・同情の余地はこれっぽっちもありません。今回は、惨劇を防げて、良かったです。でも、同じようなことは、これからも延々と続くはずです。「恐怖」「許せない」「逆恨み(確かにそれは全てそうなのだろうけれど)」と言っているだけでは駄目です。何故そのようなことが起こるのか?を、根本の根本まで遡って考えてみなくては。

京都アニメ社長が事件直後に発した「青葉容疑者は応募していない」の言葉は、限りなく重いと思います。青葉容疑者が、「盗作された」とする作品の脚本。応募作品。手元にある(多分検察に渡っているのでしょうが)元草稿。それらを表に示す(手が加えられていないことを信じて、、、)。似ていようが似ていまいが、結果はどうでも良いのです。根本の責任(事件全体の責任からすれば社長側は1%にも満たないでしょうが)は、双方に課されるべきだと、考えています。

↓別コラムへの僕の投稿。

>「アニメ」というのは、素晴らしい文化だと思います。
僕の知る限り、どの作品もよくできている。感服します。
しかし、「無意識強要同調空気」の形成源でもあります。
全てを“共感”の「空気」に取り込んでしまう。
そこが非常に怖いところです。
ある意味、薬物中毒と共通する。
そして、その「空気」から弾き出された人間によって、このような犯罪が導きだされる。




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青山潤三日記 2020.7.18  講談社脅迫事件(および京都アニメ放火一周忌)

2020-07-19 08:45:43 | 雑記 報告



はっきり言って、講談社に恨みを持っている人は、相当数いると思いますよ。

「恐怖を感じる」「一方的な恨み」(前にも言ったけれど「恨み」は全て「逆恨み」と解釈される)とか言って済ましている限りは、解決しないと思います。根本的な背景を、真剣に考えなくては。

結局、コロナ問題と同じと思う。「怖がる」「敵対する」「排除しようとする」、、、、本当は、それほど怖がるものではないのかも知れない。しかし、自分たちの価値観に「信頼」(還元すれ「驕り」)を持っている限り、「怖がる」「敵視する」「排除する」しかないのです。

今から20年近く前だったと思いますが、(週刊誌フリークだった僕は)「週刊現代」だけは絶対に読まない、と決めていた時期があります。理由は、あまりに程度の低い(というよりも、ある意味一部の人たちへのヘイト表現に繋がるような)記事が数多く見受けられたからです。せめて僕一人でも「不買運動」して、抗議の姿勢を示そう、と。「朝日」「文春」はむろん「ポスト」「大衆」とか「アサヒ芸能」まで毎週のように買っていたのに(当時は「読売」も「サンケイ」もあった)、「現代」だけは一年近く絶対に購入しなかった。

世の中には、僕同様に(「現代」に関わらず講談社自体、あるいはマスメディア全体を)忌避している人が大量にいるのです(今回の事件は全く意味が違いますが、背景は同じだと思います)。

ちなみに、僕自身のことで言えば、その少しあと(1990年代)ある編集プロダクションを通じて講談社の仕事(写真提供・執筆・編集)をしていた時期があって、トータル数100万円の報酬は貰っていると思います。ある程度の内情は知っています。

話ががらっと変わりますが、以前(つい先日)あるコラムのコメント欄に、こんなコメントがありました(たしかこのブログでも紹介したと思う)。

>デスノートがあれば、極悪人の名前、全員書きたいところですね。善良な人間だけの世界を望みます。「誰もが認める悪人」は必要ない。

それに対する僕のリコメント。

>“正義”とか“善良”とか、便利な言葉ですね。「誰もが認める悪人」、分かり易くていいじゃぁないですか。もしかすると、ncqさんは、(自分が気が付かないうちに)その人たち以上の悪事を働いているのかも知れませんよ。

大方のマスメディアなんて、(解釈の仕方によれば)例えば、麻薬売人と何ら変わらない、と僕は思っています。合法か非合法か、大衆が認めるか認めないか、その程度の違いしかない(その程度が凄い巨大な程度のわけですけれど、笑)。

「僕は悪事には手を染めません」「僕の価値観道徳観からすれば“集団強要同調空気詐欺”の相互認知の結果で成り立っている(大方の)職業には就きたくありません」と仕事を拒んで無職を通せば、それこそ「社会の邪魔者」「(一般的な意味での)極悪人予備軍」とされてしまいます。

以前にも何度か書いたけれど、僕は「自然保護・環境保全」推進者なので、自ら率先して行動するために、環境破壊の根源の一つ車の運転は一切しないできました(損なことばかり多くて、今は「失敗したかな?」と思っていますが、笑)。「(愛をすべての人に平等に注ぐ)博愛者」でありたいので、結婚もしていません(こっちは、もっと「失敗した」と思ってる、笑、まあ自分で選んだのだから、しゃあないです)。でもそのことで、結果として「社会の邪魔者」「極悪人予備軍」にされちゃうと、ちょっと辛いです。

講談社の話題に戻します。(12年ほど前)U氏の前の知り合いの編集者と、(たしか中国からの電話で)こんな言い争いをしたことがあります。

編集者氏:新しいネットニュースマガジン(もしかしたら「現代ビジネス」の前身?)を作る予定があるので、それに記事を書いてみたら?

僕:幾許かの取材費は出ないの?

編集者:どんな取材?

僕:街角の(不法?)屋台とか、(ゴミ箱漁りの)浮浪者とか、乞食(地面にチョークで文字を書いて電車賃の援助を求める女子大生)、、、彼らを取材・撮影するときに与える(少額の)謝礼。

編集者:それはダメ、金銭が介入すると、取材にならない。

向こうが援助協力(物を買ってくれることなどを含む)を請うている。それに対しカメラを向ける。その場合、相手の要請を無視していいとは思いません。僕の概念の中では、それは取材ではなく犯罪です。極貧の材料提供者には一文も渡らず、たぶんそれより少しはましだろう(そうではない場合もあるでしょうが)僕が、少額の報酬を得る(可能性がある)。出版社は、それらを搔き集めて巨大な富を成す。それは間違っていると思います。僕は、報酬求める(物を売る)人間にカメラを向ける時は、少額ではあっても必ず謝礼を渡し(または最低限の物品購入し)ます。どんなに自分が困窮していても、
それが当たり前のはずです。

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某編集者(U氏です、笑)がこんなこと言ってました。

>我々はいつ身に危険が及ぶかも知れないと、恐怖の中で仕事をしてるんですよ。

その心労は、大変なものだと思います。それに備えたセキュリティも、生半可なものではないでしょう。

なぜ危険を承知で続けているか。むろん、一つは企業としての収入、各スタッフの生活の為ですね。

それと、社会に必要な存在である、ということ。例えばですが、僕個人的には、袋とじグラビアとか、セックスネタの大々的な特集とかは、やめてもらいたい。でも、中高年男性の性欲解消のための必要悪(「悪」と言っちゃいけないか、、、)なんですね。他の「(誰もが認める)悪事」に向かうことのへ防波堤。

そのような存在意義を持って、実質的な経済力、権力(学力も)を持つ企業・スタッフが仕切っていく。

(U氏は否定するでしょうが)無意識ではあっても、自分たちは「正義」(ここはちょっと違うかな、、、間違ってはいないと信じていること、ぐらいの概念)の側にいる、と上から目線で押し進め、社会の中の重要構成機関として成り立っている。

反発(それが表に現れれば「逆恨み」)する対象には、セキュリティ力(物理的な力だけではなく、司法や経済を含めた)をひたすら強化する。

無数の「(逆恨みを持つ)極悪人」と、それを撥ねつける「(被害者たる)正義」の側の攻防の繰り返しです。前者が負けることは、最初から決まっています。そして事件が起きる。その結果、「被害者」たる「善人」と「被疑者」たる「悪人」が生み出される。

それでいい、というか、それしか解決策はない、といえばそれまでなんだろうけれど、、、。たぶん、切りなく続くことでしょう。

もっと、大きな「解決策」に取り組むことは出来ないんだろうか、、、。

「新型肺炎ウイルス」に対しても、同様の想いがあります。

僕は、「ワクチンの完成」が究極の解決策であるとは思っていません。「熱中症」に対する「冷房の充実」、「自然災害」に対する「ダムや堤防の建設、あるいは予知」、「差別問題」への取り組み、、、どれも同様です。

「講談社への“逆恨み”脅迫」(「京都アニメ事件」青葉容疑者の模倣犯かも知れませんね)犯人への、援護・同情の余地はこれっぽっちもありません。今回は、惨劇を防げて、良かったです。でも、同じようなことは、これからも延々と続くはずです。

「恐怖」「許せない」「逆恨み(確かにそれは全てそうなのだろうけれど)」と言っているだけでは駄目です。何故そのようなことが起こるのか?を、根本の根本まで遡って考えてみなくては。

京都アニメ社長が事件直後に発した「青葉容疑者は応募していない」の言葉は、限りなく重いと思います。

偶然、今日、事件一周年だったのですね。これを書いている途中に知りました(昨日講談社事件が発表されたことも偶然?)。

U氏(講談社、メディア全体、社会全体)に対して、(多分「反発者」の一員だろう)僕が「懸念」「心配」とか言っちゃうと、変に勘ぐられてしまうのではないかと、それ自体心配していますが、僕の方がそう(変に取られるかもしれない)と思わねばならない、という状況にあること(結果として「力」を「善」とすることに基づく監視社会)自体が、問題の根源を成しているのではなかろうか、とも思っています。

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追記

青葉容疑者が、「盗作された」とする作品の脚本。応募作品。手元にある(多分検察に渡っているのでしょうが)元草稿。それらを表に示す(手が加えられていないことを信じて、、、)。

似ていようが似ていまいが、結果はどうでも良いのです。

根本の責任(事件全体の責任からすれば社長側は1%にも満たないでしょうが)は、双方に課されるべきだと、考えています。

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追記 ②

僕は、心底、精神的に参っています(セミの文献の件)。でも、毎度のことです。ストレス、といえばとんでもないストレスですが、それを言ってても仕方がない。僕は鬱病にはなりません。モニカやスーリンやチエちゃんやあや子さん(みんな女性だ!)が応援してくれてるので。

僕は、人を殺すとか、自死するとか、考えたことさえないので、信じられないのですが、実行してしまう人がいるのですね。若い俳優が自死した、というニュースが入ってきました。原因は何もわからないので何とも言えないですが、僕なんかよりも、ずっと幸せな生活していたのだろうし、僕に比べれば、ストレス(辛いこと)なんて1/100もないはず、と思うのに、、、、。

読者の皆さんも色々と大変だろうと思いますが、僕に比べれば、はるかにストレスは少ないだろうし、快適な生活が出来ていることと信じています。でも、案外、繊細な神経持っている人もいるのかも知れないし、油断はできないですね。余り物事を気にせずに(「考えること」と「気にすること」は全く違うと思う)、図太く生きて行ってくださいよ!


今気が付いたのだけれど、「幸せ」と「辛い」の字は、とてもよく似ていますね、、、。




「青山さんはできるだけのことはしたわけだし、私が価値があることを認めます。
心が折れない柳になってください。」
花岡文子




あと、愚痴ひとつ。

岡田さんという方からは、露骨なヘイトを受けて、心が折れ切っています。

まあ、毎回同じ「金太郎飴」ですが。

可能な限りの資料をお送りし、協力の要請(経済的に貧窮している方の場合は不要、としたうえで)をしたわけです。

「あなたの物乞いには応じない」
「正式な印刷が為されているもの以外の文献は価値がない」

まあ、僕が日本の社会に背を向けても、当然だとは思っています。






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