青山潤三の世界・あや子版

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青山潤三日記 2020.7.18  講談社脅迫事件(および京都アニメ放火一周忌)

2020-07-19 08:45:43 | 雑記 報告



はっきり言って、講談社に恨みを持っている人は、相当数いると思いますよ。

「恐怖を感じる」「一方的な恨み」(前にも言ったけれど「恨み」は全て「逆恨み」と解釈される)とか言って済ましている限りは、解決しないと思います。根本的な背景を、真剣に考えなくては。

結局、コロナ問題と同じと思う。「怖がる」「敵対する」「排除しようとする」、、、、本当は、それほど怖がるものではないのかも知れない。しかし、自分たちの価値観に「信頼」(還元すれ「驕り」)を持っている限り、「怖がる」「敵視する」「排除する」しかないのです。

今から20年近く前だったと思いますが、(週刊誌フリークだった僕は)「週刊現代」だけは絶対に読まない、と決めていた時期があります。理由は、あまりに程度の低い(というよりも、ある意味一部の人たちへのヘイト表現に繋がるような)記事が数多く見受けられたからです。せめて僕一人でも「不買運動」して、抗議の姿勢を示そう、と。「朝日」「文春」はむろん「ポスト」「大衆」とか「アサヒ芸能」まで毎週のように買っていたのに(当時は「読売」も「サンケイ」もあった)、「現代」だけは一年近く絶対に購入しなかった。

世の中には、僕同様に(「現代」に関わらず講談社自体、あるいはマスメディア全体を)忌避している人が大量にいるのです(今回の事件は全く意味が違いますが、背景は同じだと思います)。

ちなみに、僕自身のことで言えば、その少しあと(1990年代)ある編集プロダクションを通じて講談社の仕事(写真提供・執筆・編集)をしていた時期があって、トータル数100万円の報酬は貰っていると思います。ある程度の内情は知っています。

話ががらっと変わりますが、以前(つい先日)あるコラムのコメント欄に、こんなコメントがありました(たしかこのブログでも紹介したと思う)。

>デスノートがあれば、極悪人の名前、全員書きたいところですね。善良な人間だけの世界を望みます。「誰もが認める悪人」は必要ない。

それに対する僕のリコメント。

>“正義”とか“善良”とか、便利な言葉ですね。「誰もが認める悪人」、分かり易くていいじゃぁないですか。もしかすると、ncqさんは、(自分が気が付かないうちに)その人たち以上の悪事を働いているのかも知れませんよ。

大方のマスメディアなんて、(解釈の仕方によれば)例えば、麻薬売人と何ら変わらない、と僕は思っています。合法か非合法か、大衆が認めるか認めないか、その程度の違いしかない(その程度が凄い巨大な程度のわけですけれど、笑)。

「僕は悪事には手を染めません」「僕の価値観道徳観からすれば“集団強要同調空気詐欺”の相互認知の結果で成り立っている(大方の)職業には就きたくありません」と仕事を拒んで無職を通せば、それこそ「社会の邪魔者」「(一般的な意味での)極悪人予備軍」とされてしまいます。

以前にも何度か書いたけれど、僕は「自然保護・環境保全」推進者なので、自ら率先して行動するために、環境破壊の根源の一つ車の運転は一切しないできました(損なことばかり多くて、今は「失敗したかな?」と思っていますが、笑)。「(愛をすべての人に平等に注ぐ)博愛者」でありたいので、結婚もしていません(こっちは、もっと「失敗した」と思ってる、笑、まあ自分で選んだのだから、しゃあないです)。でもそのことで、結果として「社会の邪魔者」「極悪人予備軍」にされちゃうと、ちょっと辛いです。

講談社の話題に戻します。(12年ほど前)U氏の前の知り合いの編集者と、(たしか中国からの電話で)こんな言い争いをしたことがあります。

編集者氏:新しいネットニュースマガジン(もしかしたら「現代ビジネス」の前身?)を作る予定があるので、それに記事を書いてみたら?

僕:幾許かの取材費は出ないの?

編集者:どんな取材?

僕:街角の(不法?)屋台とか、(ゴミ箱漁りの)浮浪者とか、乞食(地面にチョークで文字を書いて電車賃の援助を求める女子大生)、、、彼らを取材・撮影するときに与える(少額の)謝礼。

編集者:それはダメ、金銭が介入すると、取材にならない。

向こうが援助協力(物を買ってくれることなどを含む)を請うている。それに対しカメラを向ける。その場合、相手の要請を無視していいとは思いません。僕の概念の中では、それは取材ではなく犯罪です。極貧の材料提供者には一文も渡らず、たぶんそれより少しはましだろう(そうではない場合もあるでしょうが)僕が、少額の報酬を得る(可能性がある)。出版社は、それらを搔き集めて巨大な富を成す。それは間違っていると思います。僕は、報酬求める(物を売る)人間にカメラを向ける時は、少額ではあっても必ず謝礼を渡し(または最低限の物品購入し)ます。どんなに自分が困窮していても、
それが当たり前のはずです。

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某編集者(U氏です、笑)がこんなこと言ってました。

>我々はいつ身に危険が及ぶかも知れないと、恐怖の中で仕事をしてるんですよ。

その心労は、大変なものだと思います。それに備えたセキュリティも、生半可なものではないでしょう。

なぜ危険を承知で続けているか。むろん、一つは企業としての収入、各スタッフの生活の為ですね。

それと、社会に必要な存在である、ということ。例えばですが、僕個人的には、袋とじグラビアとか、セックスネタの大々的な特集とかは、やめてもらいたい。でも、中高年男性の性欲解消のための必要悪(「悪」と言っちゃいけないか、、、)なんですね。他の「(誰もが認める)悪事」に向かうことのへ防波堤。

そのような存在意義を持って、実質的な経済力、権力(学力も)を持つ企業・スタッフが仕切っていく。

(U氏は否定するでしょうが)無意識ではあっても、自分たちは「正義」(ここはちょっと違うかな、、、間違ってはいないと信じていること、ぐらいの概念)の側にいる、と上から目線で押し進め、社会の中の重要構成機関として成り立っている。

反発(それが表に現れれば「逆恨み」)する対象には、セキュリティ力(物理的な力だけではなく、司法や経済を含めた)をひたすら強化する。

無数の「(逆恨みを持つ)極悪人」と、それを撥ねつける「(被害者たる)正義」の側の攻防の繰り返しです。前者が負けることは、最初から決まっています。そして事件が起きる。その結果、「被害者」たる「善人」と「被疑者」たる「悪人」が生み出される。

それでいい、というか、それしか解決策はない、といえばそれまでなんだろうけれど、、、。たぶん、切りなく続くことでしょう。

もっと、大きな「解決策」に取り組むことは出来ないんだろうか、、、。

「新型肺炎ウイルス」に対しても、同様の想いがあります。

僕は、「ワクチンの完成」が究極の解決策であるとは思っていません。「熱中症」に対する「冷房の充実」、「自然災害」に対する「ダムや堤防の建設、あるいは予知」、「差別問題」への取り組み、、、どれも同様です。

「講談社への“逆恨み”脅迫」(「京都アニメ事件」青葉容疑者の模倣犯かも知れませんね)犯人への、援護・同情の余地はこれっぽっちもありません。今回は、惨劇を防げて、良かったです。でも、同じようなことは、これからも延々と続くはずです。

「恐怖」「許せない」「逆恨み(確かにそれは全てそうなのだろうけれど)」と言っているだけでは駄目です。何故そのようなことが起こるのか?を、根本の根本まで遡って考えてみなくては。

京都アニメ社長が事件直後に発した「青葉容疑者は応募していない」の言葉は、限りなく重いと思います。

偶然、今日、事件一周年だったのですね。これを書いている途中に知りました(昨日講談社事件が発表されたことも偶然?)。

U氏(講談社、メディア全体、社会全体)に対して、(多分「反発者」の一員だろう)僕が「懸念」「心配」とか言っちゃうと、変に勘ぐられてしまうのではないかと、それ自体心配していますが、僕の方がそう(変に取られるかもしれない)と思わねばならない、という状況にあること(結果として「力」を「善」とすることに基づく監視社会)自体が、問題の根源を成しているのではなかろうか、とも思っています。

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追記

青葉容疑者が、「盗作された」とする作品の脚本。応募作品。手元にある(多分検察に渡っているのでしょうが)元草稿。それらを表に示す(手が加えられていないことを信じて、、、)。

似ていようが似ていまいが、結果はどうでも良いのです。

根本の責任(事件全体の責任からすれば社長側は1%にも満たないでしょうが)は、双方に課されるべきだと、考えています。

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追記 ②

僕は、心底、精神的に参っています(セミの文献の件)。でも、毎度のことです。ストレス、といえばとんでもないストレスですが、それを言ってても仕方がない。僕は鬱病にはなりません。モニカやスーリンやチエちゃんやあや子さん(みんな女性だ!)が応援してくれてるので。

僕は、人を殺すとか、自死するとか、考えたことさえないので、信じられないのですが、実行してしまう人がいるのですね。若い俳優が自死した、というニュースが入ってきました。原因は何もわからないので何とも言えないですが、僕なんかよりも、ずっと幸せな生活していたのだろうし、僕に比べれば、ストレス(辛いこと)なんて1/100もないはず、と思うのに、、、、。

読者の皆さんも色々と大変だろうと思いますが、僕に比べれば、はるかにストレスは少ないだろうし、快適な生活が出来ていることと信じています。でも、案外、繊細な神経持っている人もいるのかも知れないし、油断はできないですね。余り物事を気にせずに(「考えること」と「気にすること」は全く違うと思う)、図太く生きて行ってくださいよ!


今気が付いたのだけれど、「幸せ」と「辛い」の字は、とてもよく似ていますね、、、。




「青山さんはできるだけのことはしたわけだし、私が価値があることを認めます。
心が折れない柳になってください。」
花岡文子




あと、愚痴ひとつ。

岡田さんという方からは、露骨なヘイトを受けて、心が折れ切っています。

まあ、毎回同じ「金太郎飴」ですが。

可能な限りの資料をお送りし、協力の要請(経済的に貧窮している方の場合は不要、としたうえで)をしたわけです。

「あなたの物乞いには応じない」
「正式な印刷が為されているもの以外の文献は価値がない」

まあ、僕が日本の社会に背を向けても、当然だとは思っています。






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