青山潤三の世界・あや子版

あや子が紹介する、青山潤三氏の世界です。ジオログ「青山潤三ネイチャークラブ」もよろしく

忘備禄(?)

2018-04-22 19:45:39 | その他

「夢」というのは眠っているときに見るものだと思っていたのだけれど、最近、普段起きているとき(ちょっとボヤッとしているとき)にも、突然、全く何の脈絡もない情景が、現れたりします。

さっきは、エレべーターに何故かマライア・キャリー(笑)が一緒に乗っていて、ドアが開いて僕は普通に外に出たのだけれど、マライアはもたもたしていてなかなか出てこない、という、、、、。

夢ならばいかにもありそう(?)な“完璧無関係性”ですが、普段の意識の中にそんなのが現れるのは、いよいよ頭がヤバイのかも知れません。と同時に、何か「人間の意識」(夢とは何か?)についての重要な真実が示唆されているような気もします。

明日は、頭のCTスキャンを撮りに病院に行く予定。大きな問題がなければ(いわば蓄膿の親玉のような状況でしょうし)フィールドに出ます。何か大きな問題(3年前から日本の複数の病院で宣告されている「すぐ手術を行え」と言ったような)があれば、その時に考えます(モニカに判断してもらう)。

ここんところ、終日ネットニュースのつまんない記事ばかり見ていて、そのうえ自分のブログにどうでも良さそうなことを書き連ねているわけで、自分でも情けなくなってきます。

「現代ビジネス」記事のリライト(次回のアップはたぶん2~3日後)、「野生アジサイ」2000頁分の記事と写真の纏め、、、やらなきゃなんないことは山ほどあるというのに、、、。
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「ねとらぼ」のニュース紹介

2018-04-22 18:53:54 | 「現代ビジネス」オリジナル記事


なぜ新潟や石川が「人口日本一」だったのか? 都道府県の人口推移から見る、日本近代化の歴史

↑これは素晴らしい記事ですね。ぜひ皆さんに読んで頂きたいです。目から鱗が落ちること必至です。(執筆者名は不明)

僕が以前何度もブログに紹介した(しかし誰一人注目してくれない)自分の未発表記事「逆・選挙の格差問題」のことを、これを目にすれば少しは理解いただけるのではないかと、、、。
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「私信」からの転載

2018-04-22 18:49:20 | その他
ギフチョウの季節です。この春、ギフチョウ研究に生涯を捧げた、偉大な方が無くなりました。原聖樹氏(享年76)。僕にとっては、恩人中の恩人であります。恩返しが出来ずに、忸怩たる思いでいます。

大昔の事です(かれこれ40年余り前)。「ギフチョウ」に関しての三人のオーソリティが、ある雑誌で座談会を行いました。原聖樹氏、海野和男氏(昆虫写真家)、奥山ひさし氏(児童挿絵画家)、、、。「オーソリティ」と言っても、今思えば当時皆30歳前後。でもその頃の僕にとっては、雲の上の存在でした。その後三人とも僕と深い関りが出来て、個人的にもごく親しくして頂き、原、海野両氏とは、それぞれ僕との共著があります。奥山氏には自著に寄稿を頂いています。

この鼎談が面白かったのは、三人の議論がまるで噛み合わなかったこと(笑)。原氏と海野氏は大学(当時の東京農工大)の先輩後輩で、同じ学部で薫陶を受け、卒業後は、原氏は公務員(神奈川県養蚕センター)として研究活動を行い、海野氏はフリーの昆虫カメラマンとして名を上げます。

奥山氏は両氏とは立場が全く異なり、当時は「ちばてつやプロダクション」に所属していました(その縁で原氏や海野氏とは別方向から僕との関りがあった)。

基本的な知識や思想は、僕、海野氏、原氏の3人の間で、ほとんど全く差はありません。原則として同分野(科学畑)に所属しています。一方、奥山氏は、典型的なポピュリスト。いわゆる一般人、大衆の代表です。

議論のテーマは「ギフチョを絶滅から防ぐために我々は何をすれば良いのか?」。

奥山氏は、生物学とは無縁の「大衆」の側の考えですから、「人が育てて増やして現地に放つ」ことで絶滅の危機から救おう、という意見。「異なる血筋の集団が混じるとダメというのは科学者のエゴであって、蝶自体にとってはどうでも良いこと」という、我々(原氏や海野氏や僕)からすれば、とんでもない見解を、何の疑いも持たず発言し続けます。いわゆる(事実を深く追求することのない)「善人」ですね。「人為的な増殖」が、自然破壊の(ひいては種の絶滅に至る)最大の要因となることを、これっぽっちも理解していないわけです。「可愛いから」「可哀そうだから」、、、と、ペットや園芸植物に対してと同じ意識で自然に接しているわけです(といって、そのことを「悪」であると否定は出来ません)。

勿論の事、原、海野両氏と、奥山氏の考えは、永遠に交差することはないでしょう。一般の人にとっては理解し難いことかも知れませんが、分かる人にとっては、余りに解り易いシチュエーションです。

問題は、原氏と海野氏の間に、(先に言っておけば、僕自身はある部分では海野氏に非常に近く、ある部分では原氏に非常に近い)極めて大きな思想上の(というよりも観念的な)「溝」があること。

ここまで書いてきて、ちょっと困っています。そのことを、(僕自身、それこそ「観念的」には極めて良く分かっているとしても、他者に示すため具体的に)どう書き表せば良いのか?

両者の「人」としての(あるいは科学に携わる人間としての)「資質」が、全く異なるのですね。もちろん、どちらが良い悪い、という話ではありません。

海野氏は、聡明で、深い洞察力と直観性に基づく近代的な考えを持ち得ています。師の日高敏孝氏に繋がる、一般の人々に対しての表現力も極めて優れています。そして、悪く言えば世渡りが上手、良く言えば広い心を持った(社交性に富んだ)人です。

一方、原さんは、いわばドンくさく、「近代的」とか「社交性」とかには、全く縁のない人です。

自らの観察記録や、データの集積量が半端でない。常人離れした行動力と知識を持ち合わしているため、その著作も、ときに話があちこちに飛んで、一般の人には、何を言おうとしているのかわからない、と受け取られて仕舞いかねないようなところがあります(その点、僕と似ている部分がありますが、スケールが100倍違う!)

えーと、言いたいことがうまく言えません。もどかしいです。

ギフチョウの保護に対しての、科学的な基盤は、原さんと海野さんの間で共通している、と思うのですが、ギフチョウをはじめとした野生生物に対する「情念」の在り方のようなものが、微妙に、かつ決定的に違っている。

海野さんのほうが、聴衆を納得させる術をずっと良く知っているのですね。(海野さんの場合は自らそのことを自覚したうえで振舞っているので心配は無いと思うけれど)自らの振舞い(大衆を納得させる技術に長けていること)に気付かず「正論」を吐く研究者たちが少なからずいることには、大きな懸念を感じます。

日本の絶滅危惧の蝶として、ギフチョウとともに真っ先に名の上がる「オガサワラシジミ」。復帰50周年の今年は、僕にとってはオガサワラシジミを調べに小笠原に通い始めてから42年目の年でもあります。

東京大学の某教授、東京新聞の某記者らが、「オガサワラシジミを飼育して再放蝶し、絶滅から守る」という暴挙(あえてそう言います)を計画しています。絶対に阻止しなくてはなりません。

*注1:この文章は、友人のU氏に宛てた「私信」です。個人的通信にしておくのは勿体ない(原聖樹氏のことを多くの人に伝えたい)と思い、ブログに載せることにしました(「私信」のまま、一字一句変えていない)。40年以上前の鼎談の話などには、かなり思い込みの部分が入っているかの知れません。そのほか、三氏に対して失礼な記述があるかも知れないけれど、大袈裟に(いわばジョークで)表した部分もあります。お許し頂だければ幸いです。

*注2:原さんには、多額の借金が未返済のままです。辛いです(海野さんにも少額の借金があるので返さねばならない、どうか元気でいてください)。

*注3:もう一人のギフチョウ研究第一人者「日浦勇」氏については、以前のブログに書いたことがあるので、見つけることが出来れば、それを読んでください。

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