へそ曲がりおじさんのひとり言

常識にとらわれるのが嫌い。
他人と同じ事が嫌い。
世の中、別な角度から見ると新しい物が見えるから。

14インチの白黒テレビが14万9千円

2008年05月23日 04時29分19秒 | Weblog
昭和30年ごろの話である。
当時のサラリーマンの給料が、月に1万円にもならなかった頃の話で、如何に高価であったかわかると思う。
「街頭テレビ」が出来る前の事で、テレビがあるのは一つの町内で1軒か2軒と言う時代である。
「街頭テレビ」などといっても知らない人が多いだろうが、殆どの家にテレビが無かった時代のことで、主要な駅の駅前広場などにテレビが設置されていて、大勢の人が見ていたのである。
我が家にテレビが来たのは町内で2軒目なのだが、「来た」と言うように、買ったわけではないのである。
家業が酒屋で、たまたま或る酒造会社がお酒の景品に「テレビが当たる三角くじ」を付けていたのだが、売れ残ったくじの中に「当たりくじ」があったのである。
プロレスが人気を集めていたため、放送がある日の夜は近所のお得意さんが20人30人と我が家に上がりこんで見ていたもので、今ではとても想像がつかないだろう。
自動車にしても同じことが言えるだろう。
当時「国産車」と言えば、「クラウン」「セドリック」「コロナ」「ブルーバード」だけで、全部合わせた販売台数も「月に1万台余り」と言う時代で、数年後に「ブルーバードが月販1万台を達成」したのである。
正に「隔世の感」と言ったところである。
今の時代「生活が苦しい」と言う話を耳にするが、当時の苦しさとは「全く次元の違う話」と言うほか無いだろう。
当時なかったものを、有り余るほど手に入れた結果起きた「生活の困窮」と言うことなのだから、「生活が大変」と言う意味も違ってくるだろう。
4人家族で月に5万円ものお金を携帯に使って「生活して行けない」と言っている人を知っているが、それでも携帯を手放そうとは思わないのである。
せめて半分にする努力でもすれば、「かなり生活が楽になる」はずなのだが、それすらもしようとしない。
最早「携帯依存症」ではなく「携帯の奴隷」と言ってよいだろう。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 物価が高くなって生活が苦しい | トップ | 後期高齢者医療制度 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

Weblog」カテゴリの最新記事