へそ曲がりおじさんのひとり言

常識にとらわれるのが嫌い。
他人と同じ事が嫌い。
世の中、別な角度から見ると新しい物が見えるから。

他人事?

2015年06月28日 23時10分43秒 | Weblog
ギリシャの財政状態が悪化し、「デフォルト」が危惧されているのだが・・・・。

このことを報じる公共放送であるNHKでさへ、まるで「他人事」のような扱いをしている。

が・・・・。

本当に他人事なのであろうか?。

「他人事」と書いたが、「対岸の火事」と言う言い方も出来るが・・・・。



ここで、何時ものように、このことを身近な問題に例えて考えてみたい。


ギリシャとすれば、現在の生活水準を維持したいので、EUなどに資金援助を頼んでいるが、これは、我々が借金を誰かに頼む時と同じである。

が・・・・。



借金は何時までも出来るものではない。


「物には限度がある」と言うように、借金だって限度があるのだ。

ましてや、金を貸した相手が、そのお金で豊な暮らしをしていたらどうであろうか?。



貸す方とすれば、「いい加減にしろ」と言うのが当たり前であろう。


で、それが「他人事?」とどう関係があるのかと思う人もいるだろうが、日本はギリシャ以上の「借金まみれの国」だからである。




が・・・・。


日本ではそれが表面化しない。


何故なのであろうか?。



その理由は・・・・。


借金をする相手が「外国ではない」からである。


それでは「何処から借金を?」と思う人も多いだろうが、その相手は「日本の国民」である。

一般的には「国債」と言われているが、その真の姿は「赤字国債」である。


それでも良く理解出来ない人も多いだろう。



なので、「国債」の「債」の字に関して考えてみるとよい。


辞書で調べればよくわかるが、「債」と言う字は、「借り・借金・債務・負債」と言う意味を持つ。

つまり、国債とは、「国の借金」なのである。


で、その国債を主に買っているのは、日本の「金融機関と国民」である。


が・・・・。

「金融機関」とは言うものの、その資金は、我々零細庶民を含む「顧客」から預かった、虎の子の「預貯金」である。


もう少し別の言い方をするなら、国民が保有する資産が「赤字国債の担保」になっているのだ。


これは以前にも書いているが、国債の発行額はすでに「1000兆円」を超えている。

これは、オギャーと生まれたばかりの幼子から、棺おけに入る日が近い高齢者を含む、国民の一人ひとりが「800万円以上」と言う多額の借金をしているのと同じなのである。


今はまだ日本国内で国債を買う余地も残っているようなので、その問題も表面化しないが、その余地がなくなったとしたら・・・・。


新たな買い手を捜すためには、「利上げ」が必要になる。


が、その利上げが更に状況を深刻化させるのだ。


1%金利が上昇すると・・・・。



「10兆円」である。


5%も利上げすると・・・・。


「50兆円」も必要になる。



国債を保有している人には、「利上げ」は好都合のように思えるかもしれないが、その原資は「赤字国債の増発」である。


こうなると、正に「負の連鎖」である。



その先に待つものは・・・・。


今のギリシャよりもっとひどいのでは?。
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