へそ曲がりおじさんのひとり言

常識にとらわれるのが嫌い。
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世の中、別な角度から見ると新しい物が見えるから。

「政府紙幣をまいて景気をよくする」と言う構想

2009年02月06日 18時57分19秒 | Weblog
今朝の朝日新聞「天声人語」の欄に、「円天」の話とともに「政府紙幣をまいて景気をよくする構想が自民党内にある」と書いてあるのだが、国政を預かる自民党の中にもこのような「短絡(単細胞?)的」な考えを持つ人がいるのに驚いてしまう。
1月30日の私のブログの「ある面白い?話」の中にも書いてあるのだが、重複してしまう部分もかなり出てしまうとは思うのだが、改めて考えてみたい。
私が書いたときは「日本銀行券」の話ではあるが、「政府紙幣も所詮は日本銀行券と大同小異」でしかなく、ある意味「麻薬と同じ」で、安易に手を出せば後で重大な問題に苦しまなくてはならない。
ここで改めて考えなければならないことは「日本銀行券(硬貨も含むが)も政府紙幣も、『日本の通貨』では有るが『国際通貨』ではない」と言うことで、天声人語には日本だけの問題(ミクロ)として書かれているため「問題の重大さ」が伝わってこないのだが、世界的視野(マクロ)にたって考えてみれば事の重大さがわかるのではないだろうか?。
一つの典型的な例を書くなら「国際通貨であるアメリカのドルを大量に印刷してばら撒く」と言うことを考えてみればよいだろう。
「無秩序に印刷されたドル」は、その価値を失い「国際的な信用を失墜」するとともに「国際通貨」と言う地位も失ってしまうのである。
国際通貨がなくなってしまえば再び「金本位制」が復活して来るのではないだろうか?。
それでは何故「金本位制」と言うことが実施されていたのであろうか?。
答えは簡単なことで、「産出量が限られていて、尚且つ人工的に作ることが出来ず、世界中で通用する」と言うことが基本にあるためで、一つの馬鹿げた例を示せば「産出量が少なく、人工的に作ることが出来ないマツタケ」を考えてみればわかるだろう。
人工的に作くることが出来ないとは言っても「珍重するのは日本人だけ?」ではとても無理な話である。
「国際通貨の話にマツタケ?」と思うかもしれないが、国際通貨が必要なのは「交易」と言うものがあるからで、お金と言うものが出来る前は「交易は物々交換」と言うことが基本で、お互いに欲しいものと欲しいものを交換しなくてはならないため、仮の話「自分にとっては大切(高価)なもの」をいくら大量に持っていたとしても「相手はそれを欲しくない」と言うことになれば「何も手に入れることは出来ない」と言うことになってしまう。
「欲しい(必要な)ものが手に入らない」と言うことでは困るために「いつどこでも通用する」と言うお金(初めは石や貝殻などだったらしいが)が出来たのであるが、当然のことではあるが「贋物」も簡単に作れるため信頼性に欠けていた。
戦後しばらくの間はアメリカのドルでさえ信頼されず、国際的に通用する「金(お金ではなくゴールドです)」が交易(取引)の対価として使われる{金本位制」が取られていたのです。
「国会議員」などと言うと偉そうに聞こえるのだが、その中身はこの程度のレベルでしかなく、日本の将来は暗雲に包まれているように感じてならないのだが・・・・。
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