陸に上がったカッパの海無し県生活

潜りから漁師へ。身体を壊し船を下りた。
海の話、釣りの話。脳脊髄液減少症。

治療へ第一歩

2006-03-20 00:03:54 | 脳脊髄液減少症
本題へ入る前に、今日の症状を記しておこう。
首から肩の張りが酷い、両腕の痛み、痺れが酷い、
目・・・眼圧が高いというのか何と言うのか・・・
耳の奥が・・・遠くなるような・・・
そんな訳で、一日の大半を横になって過ごす。
食事の間、座っているのも辛い。
おそらく、昨夜の低気圧の通過と冷え込みのせいだろう。

さて、病院の治療予約も取れ、希望への第一歩が踏み出せたのだが、
そこへ新たな問題が生じることとなる。
一昨年の事だ。

それは、仕事・・・
度重なる入院、通院のせいでかなりの期間
仕事に穴を開ける様になってくると、親方から色々と言われる様になった。
漁師の仕事は、それぞれ持ち場が決まっていて一人が仕事を休めば
他の人間の負担が増えてくる。だから病気で、あてにならない人間
ならば辞めさせて、新しい人間を雇いたいのだ。
遠まわしにだが、「もう仕事無理だよね」「親は帰って来いって言わないの」
等々、厭味タラタラ・・・
まあ、中小企業ならばどこも同じであろうが・・・

漁師の給料は殆どの船が歩合制だ。ある程度の基本給はあるが。
幸か不幸か、僕の乗っていた船は常に漁が無かった。
仕事は他の船と同じ事をやっていても漁のある船と比較すると
年間、数百万もの給料の差になってくる。
だから、漁のある船の親方ならば、それこそ神様扱いだが、
そうでなければ乞食扱いも同様。それが普通の厳しい世界だ。

今度の入院は1~2週間。だが、退院後の安静期間が力仕事であれば
2~3ヶ月は必要と言われていた。
それを話した時点で親方は新しい乗組員を探していたようだ。
僕はそれを薄々と感じてはいたのだが・・・
だが、狭い田舎の事、誰もが漁の無い事を知っている。
乗ろうとする人間はいなかったようだ。

こっちだって今まで一生懸命やっているのに、安い給料で
我慢してきているのだ。半分開き直って、半分喧嘩腰で親方を黙らせた。
仕事仲間には随分と迷惑を掛ける事になるが、
もうそんな事も気にはしていられなかった。

仕事は結局、後々辞める事になるのだが・・・
そんな紆余曲折がありながら、4ヶ月後
九州地方の、とある病院へ向かう事となった。