一寸の虫に五寸釘

だから一言余計なんだって・・・

目的と手段のバランス 

2005-03-21 | 余計なひとこと
ニュースを検索していて「セクハラしていない」 東北大助教授が自殺という記事を見つけた。
大学で懲戒が相当、と決定されたが、遺書に「セクハラしていない」とあったとのこと。

何で自殺するんだい?というのが素直な感想。

自殺して遺書に書いたとしても、それは「僕は/私は何も悪いことをしていない。大人は/先生は/親は無条件に自分を信じるべきだ」という子供の言い草と同じじゃないかな・・・
逆に、本当にセクハラしていたら遺書に何を書いても、クサい芝居以上の意味はないし、セクハラは冤罪だったとしたら、教授会か何かの席上できちんと反論しなければ、結局認めたと同じこと。


「40代男性助教授」にしては、社会性がなさすぎるんじゃなかろうか。


もし、本当にセクハラしていたとしても、自殺することはないんじゃないかと思う。
失ったとしても、国立大学の教員としての適格を欠いたというだけで、研究者としての能力を否定されたわけでもないし、全人格を否定されたわけでもない。
そりゃ、反省しなけりゃいけないけど、社会から抹殺されるわけじゃない(と思う)。

それまでの前途洋々のキャリアから考えれば、前途を悲観する気持ちもわからないじゃないが、だからと言って自殺することはないではないか。


何か、目的と手段のバランスが欠けている。


以前何かで読んだのだけど、強盗殺人犯の動機が戦前と戦争直後は「貧困」が1位だったのに、昭和30年代から「借金苦」が一番になったらしい。

これも本末転倒じゃないか。借金を返せなければ、自己破産すればいい。
少なくても「人を殺しても借金を返す」必要はない。
こんな道徳観はどこから出て来るのだろうか・・・?
※ だからサラ金が儲かるんだな・・・

銀行への公的資金投入とか、ゼネコンの債権放棄というように「借金は返さなくてもいい」ということが人口に膾炙した最近は、ちょっとは変わったのだろうか?


ただ、人間熱くなると冷静な判断力を失いがち。
仕事でもそういうことってありがちなので、これを他山の石としたい。


で、日枝氏とホリエモンは・・・?と言う話は、別稿で。
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