一寸の虫に五寸釘

だから一言余計なんだって・・・

『芸術闘争論』

2011-01-27 | 乱読日記

「村上隆はオタクからはオタクのツボがわかっていないと評価されている」と東浩紀がどこかで書いていましたが、その一方で外国では日本の現代文化を体現しているところが評価されていて(僕が行ったときはMOMAの入り口のところにドンと作品が展示してあった)、しかし日本の美術界からは評価されていない、そんな孤独な立ち位置のにいる村上隆、が若いアーチスト(の卵)に向けて現代の芸術家はどうあるべきか、という考え方を熱く語った本です。


村上は、現代日本の美術教育・美術界の考え方が世界のアートシーンにあっていないので、日本からは世界的な現代美術家が出ない原因だと喝破します。

ひとつは「貧=芸術=正義」という美術界の考え方。
お金に関する拒否反応があり、現代美術の作品などに高額の金が支払われること自体が非難の対象になることが、芸術家の活動を狭めているといいます。

そして「自由=芸術=正義」という美大の教育のゆがみが、海外で評価されない原因だといいます。  

現代美術は自由人を必要としていない。必要なのは歴史の重層化であり、コンテクストの串刺しなのです。

さらに  美大予備校でのインスタントな基礎工事と外国の美術大学でのアイデンティティ発掘まで含めた議論し考える教育をあわせるのがベストではないか 。

作家が作品に専念できる環境を作るためのサポートが重要になっている(渉外、権利管理、プレス対応など従来の画廊ではカバーできなくなっている) 。

などの主張があふれるように続き、美術界の門外漢でも楽しく一気に読めます。


そして楽しく読める理由は、この現状認識と方法論は少しだけ角度を変えさえすれば他の業界にも十分応用が利くところにあるのではないかと思います。

本書で語られる状況は、世界で活躍しようとするスポーツ選手についてはけっこうそのまま当てはまると思います。
また、弁護士についても、社会正義の実現と収入の話、職業独占と周辺領域・外国の事務所との関係など、見方を広げるにも役立つかもしれません。  

そして何よりこの本は、これから社会人になる学生の人に、社会に出るということはどういうことかを考えるきっかけになる本として勧めたいと思います。 
また、既に就職したものの自分探しモードにはいってしまった人にもいい刺激になると思います。 

「自分のやりたいことを一生やって過ごしたい」「好きなことで食って行きたい」。・・・でも、30歳代、40歳代になって、まず、やりたいこと=社会に望まれていること」でないことに気づき、「好きなことで食っていく」ことの「好き」が時代とともに可変し続ける自分のいい加減さに驚き、そして、本質的な混乱と立ち向かわなければならなくなる。  

年齢を20プラスすれば、サラリーマンの末路にも当てはまりますね。
「趣味の蕎麦打ち」的な生き方への痛烈な批判でもあります。

僕のような"middle age crysis"の歳になった身にとっては、自分はどこまで流されずにやってきたかを反省し、今後後進を育て、自らもどう生きるべきかを考えさせられる本でもあります。  


PS
本書の帯「闘いもしないで。闘う僕のことを嘲っていたい人は嘲っていれば良い」は中島みゆきの「ファイト」を思い出してしまいましたw


          


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 『不連続変化の時代-想定外... | トップ | グルーポン利用の心得 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

乱読日記」カテゴリの最新記事