一寸の虫に五寸釘

だから一言余計なんだって・・・

『傍観者の時代』

2011-01-23 | 乱読日記

昨年『もしドラ』が流行したときに、そういえばドラッカーをちゃんと読んだことがないことを思い出しました。

どうも僕が社会人になった頃すでに「神様」扱いになっていて、しかも版権を持つダイイヤモンド社のあざとさもひっかかって、ひねくれ者としては敬遠していたというところです。

そこで、 最初に選んだのが、ドラッカーの自伝的著作である本書。

ドラッカーは20世紀初頭の衰退しつつあるウィーンの学者一家に生まれ、その後ドイツに留学、ナチスを逃れロンドンで就職し、その後アメリカに渡り経営学者になるなかで、その時々に会った人びとを通じて時代やドラッカーの人間観が描かれています。

激動期の時代とそこに登場する人々のドラマだけでも十分面白いのですが、ドラッカーの対象冷静で真摯な視線と自分の論説に対する誠実さを感じることができます。


印象的な部分は数多くあるのですが、いくつか紹介すると、アメリカからナチス・ドイツ下の新聞の編集長にあえて就任した(そして結局利用されてしまった)ジャーナリストに触れたあとの著者自身による解説のくだり

 ナチスの大量殺人者アイヒマンについての本で、ドイツ系アメリカ人の哲学者、故ハンナ・アーレント女史は、「悪の平凡さ」について書いた。だが、これほどに不適切な言葉はない。悪が平凡なことはありえない。往々にして平凡なのは、悪をなす者のほうである。
 アーレント女史は、悪をなす大悪人という幻想にとらわれている。しかし、現実にはマクベス夫人などほとんどいない。ほとんどの場合、悪をなすのは平凡な者である。悪がヘンシュやシェイファーを通じて行われるのは、悪が巨大であって、人間が小さな存在だからにすぎない。悪を「闇の帝王」とする一般の言い方のほうが正しい。

ハンナ・アーレントをするりといなすあたり、経験の重みと透徹した観察眼が感じられます。


つぎは、最初に就職したロンドンのフリードバーグ商会の共同経営者の「ヘンリーおじさん」の話。この人はアメリカの小売業で財をなした人で、いつも何かないかとかぎまわり、商売の改善につなげるような人でした。

 私が思うに、世の中には、いつまでもバッタのように個別の問題に取り組んでいる人がいる。一般化することができずに、コンセプトを把握することができないでいる。科学者にもいるし、ビジネスマンにもいる。
 ところが優れたビジネスマンは、優れた科学者や優れた芸術家と同じように、ヘンリーおじさんと同じ頭の動きをする。最も個別的、最も具体的なことから出発して、一般化に達する。

50年前の当時、人はまだあまりに経験志向だった。システム、原理、抽象化が必要とされていた。事実、私は当時、数論論理学と出合って一種の開放感を味わったことを覚えている。
 しかし、今日ではわれわれは、逆の意味で再びヘンリーおじさんを必要とするに至っている。今日ではあまりに多くの人が、検証抜きの定量化、形式だけの純粋モデル、仮定による論理に傾斜し、現実から遊離した抽象の追究に耽溺している。
 今日のわれわれは西洋における体系的思考の原点ともいうべきプラトンの教えを忘れている。まさにプラトンの言うように、論理の裏付けのない経験はおしゃべりであって、経験の裏付けのない論理は屁理屈にすぎないのである。

そして最後、印象深かったのが大恐慌下のアメリカ社会の様子。

 つまり経済だけを見るならば、不況は天災ではなかった。それはまさに常態としての新しい現実だった。しかし中心が崩れつつあったヨーロッパと違い、アメリカは中心がしっかりしていた。したがってアメリカの社会としては不況は天災だった。
 アメリカではコミュニティが健在だった。
(中略)
 しかし、コミュニティが大きな役割を果たすようになったということは、部族的なもの、郷党的なもの、地域的なものが強化されることを意味した。宗教、人種、文化の違いが強調され、互いの境界になるということだった。
(中略)
しかし不況が天災だったアメリカでは、金は最大の問題ではなかった。金持ちといえども貧乏に如理も保証の数が多少多いだけだった。
 そしてアメリカ人が天災として理解した不況においては、実業家であるか肉体労働者であるかよりも、イタリア系であるかポーランド系であるかが、『ニューヨーク・タイムズ』の発行人であるか七番街の行商人であるかよりもユダヤ人であるかないかのほうが重要な意味を持ったのだった。
(中略)

 医学部に入りたいカトリックやユダヤの少年にとっては厳しい差別だった。逆に、 高校の校長になりたいカトリックやユダヤ人の教師、カトリックやユダヤ人の弁護士にとっては有利な差別だった。
 この部族主義は不況時代にピークに達した。コミュニティと所属が重視されたためだった。もちろんそれは悪習であり重大な害をもたらすおそれがあった。しかしそれはあくまでも単純な部族主義だった。そのため、不況時にアメリカ人の生活にしっかり根付いたかに見えて、一晩で忘れられる代物だった。

では今のアメリカはどうなんでしょう。
そして、日本で言われる「不況下の助け合い」や「格差」問題について示唆する部分もあるかもしれないなと。


とても面白い本でした。

   

コメント
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