古代日本史への情熱

記・紀・源氏は魏志倭人伝の奇跡的で運命的な間違い方(逆)の構造どおりに記述されている。倭人伝にあるのは現代史と未来史

扶余(プヨ)、高千穂峰、竹島、紫香楽宮跡、諏訪大社上社本宮の位置関係

2009年03月23日 22時34分42秒 | Weblog
 前回、高千穂峰-紫香楽宮跡(甲賀寺跡)-諏訪大社上社本宮は一直線上であることをみました。
 ところが、既に、扶余(プヨ)-高千穂峰-諏訪大社上社本宮は直角三角形になっていることはみたはずです。
 ですから、扶余(プヨ)-高千穂峰-紫香楽宮跡(甲賀寺跡)も直角三角形になります。
 実は、きちんとではありませんが、以前それも一応は見ていました。(09・2/17)

A・高千穂峰→扶余(プヨ)
 ①324.068度 ②141.824度 ③611.259km
B・高千穂峰→紫香楽宮跡(甲賀寺跡)
 ①53.4707度 ②236.315度 ③585.5989km
C・扶余(プヨ)→紫香楽宮跡(甲賀寺跡)
 ①97.6417度 ②282.984度 ③841.451km

高千穂峰での角度
 (360-324.068)+53.4704=89.4024度
扶余(プヨ)での角度
 141.824-97.6417=44.1823度
紫香楽宮跡(甲賀寺跡)での角度
 282.984-236.315=46.669度

 すると、久しぶりに竹島が目に付きました。

 竹島-扶余(プヨ)-高千穂峰の三角形

E・高千穂峰→竹島Ⅱ
 ①8.02781度 ②188.566度 ③601.302km
A・高千穂峰→扶余(プヨ)
 ①324.068度 ②141.824度 ③611.259km
F・扶余(プヨ)→竹島Ⅱ
 ①74.8811度 ②257.843度 ③453.3377km

高千穂峰での角度
 (360-324.068)+8.02781=43.95981度
扶余(プヨ)での角度
 141.824-74.8811=66.9429度
竹島Ⅱでの角度
 257.843-188.566=69.277度

 竹島-紫香楽宮跡(甲賀寺跡)-高千穂峰の三角形

G・紫香楽宮跡(甲賀寺跡)→竹島Ⅱ
 ①305.495度 ②123.011度 ③458.1072km
B・高千穂峰→紫香楽宮跡(甲賀寺跡)
 ①53.4707度 ②236.315度 ③585.5989km
E・高千穂峰→竹島Ⅱ
 ①8.02781度 ②188.566度 ③601.302km

高千穂峰での角度
 53.4707-8.02781=45.44289度
紫香楽宮跡(甲賀寺跡)
 305.495-236.315=69.18度
竹島Ⅱでの角度
 188.566-123.011=65.555度

写真と計算結果からわかるように
〈高千穂峰-竹島〉の直線は《扶余(プヨ)-高千穂峰-紫香楽宮跡(甲賀寺跡)》の直角をほぼ二等分しています。
 そして、強引と思われるでしょうが、分割された二つの三角形はほぼ合同で、例の底角を67.5度とし、頂角を45度とする正八角形に特有の二等辺三角形を理想としたものと推定されます。

 少なくとも、竹島は、扶余(プヨ)・高千穂峰・紫香楽宮跡(甲賀寺跡)・竹島の四辺形を似たような二つの三角形に分割する位置にあるといえるでしょう。

 まるで竹島は創りだされたかのような位置にあります。
 やっぱり、イザナミとイザナギが産んだ最後の島にふさわしく見えます。
「両児(ふたご)の島」またの名を「天の両屋(あめのふたや)」は竹島でしょう。
 どうみても、竹島は古代大和朝廷に必要な位置にあった島としか思えませんし、朝鮮に必要な島だったとは思えません。

 WBCの決勝の日韓戦は明日です。
 野球でのお祭り騒ぎは面白いんですが・・・・。

 以下、以前に竹島について書いたものです。
 まだまとまっているわけではありませんが・。
2007・1/16
http://blog.goo.ne.jp/go-hot-ai2395/e/3f40a85e520757a307c0b31a5c4c8cda

2007・10/1
http://blog.goo.ne.jp/go-hot-ai2395/e/d9a9e72657d3540f63becf3d6f0d4ebb

2008・8/12
http://blog.goo.ne.jp/go-hot-ai2395/e/4c60f63327a9c881765fc8b2553f4a6c

 白村江の戦い以降、聖武天皇の時代以前に、竹島は発見されていたはずです。
(重要とされたと言い換えてもいいです。イザナミが火の神を生んだことが原因で亡くなったことは、一義的には卑弥呼トヨが火災で亡くなっていることを意味しているはずですが、白村江の戦いも火を打ち込まれて敗れていることも含まれていると考えられます。・・・赤壁の戦い・レッドクリフのように)

 関連する話ではありませんが、聞いたところによると、北京から車で一時間の所は既に砂漠になっているそうです。
 北京のどこから計っているのか聞くのを忘れたのですが、以前はそんなことはなかったそうです。
 近い将来、北京も楼蘭のように砂に埋もれると危惧されています。
 日本でも、朝鮮でも黄砂の被害が増えることになります。
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