古代日本史への情熱

記・紀・源氏は魏志倭人伝の奇跡的で運命的な間違い方(逆)の構造どおりに記述されている。倭人伝にあるのは現代史と未来史

東院庭園-石上神宮-物部守屋墳-聖徳太子御廟所

2023年08月29日 15時40分36秒 | Weblog
東院庭園内の入り口近くの建物の位置をAとし遠い方の建物の位置をBとしました。 ともかくやってみました。意味があるかどうか、心もとありませんが、 △東院庭園A-物部守屋墳-石上神宮 東院庭園A→物部守屋墳  ①246°30′34.00″ ②66°23′18.06″ ③21,298.521(m) 東院庭園A→石上神宮  ①155°56′04.85″ ②335°57′46.62″ ③11,18 . . . 本文を読む

平城宮東院庭園は官邸・公邸?

2023年08月25日 18時49分10秒 | Weblog
https://narashikanko.or.jp/en/spot/world_heritage/touinteien/ 東院庭園 【とういんていえん】 「東宮」あるいは「東院」と呼ばれた平城宮跡東の張り出し部分に位置する、優美な庭園。L字型の池を中心に、皇族らが宴会や儀式を行う迎賓館のような役割を果たしていたと考えられています。1967年(昭和42年)に庭園の遺構が . . . 本文を読む

長屋王邸跡をもっと北側にしてみます

2023年08月22日 09時59分26秒 | Weblog
長屋王邸跡をもっと北側にしてみます。 長屋王邸跡Ⅱ 北緯34度41分13.34秒 東経135度48分08.90秒 34°41′13.34″N  135°48′08.90″ https://maps.gsi.go.jp/#15/34.687039/135.802472/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m . . . 本文を読む

聖徳太子御廟所-物部守屋墳-石上神宮に長屋王邸跡を加えます

2023年08月20日 08時55分12秒 | Weblog
前回の△聖徳太子御廟所-物部守屋墳-石上神宮に長屋王邸跡を足してみます。 さらに、三つの直角三角形が増えるように見えます。 △長屋王邸跡-物部守屋墳-石上神宮 △聖徳太子御廟所-物部守屋墳-石上神宮 △石上神宮-長屋王邸跡-聖徳太子御廟所 聖徳太子が物部守屋を滅ぼすきっかけをつくった、というのは逆ではないか、ということで、 長屋王邸跡の位置は、グーグルアースで検索しましたが、解説看板のある . . . 本文を読む

△聖徳太子御廟所-物部守屋墳-石上神宮

2023年08月15日 12時03分56秒 | Weblog
丁未の乱(587)では、聖徳太子の呪詛によって形勢が変わり、物部守屋は殺されました。 これは、実際は逆のことが起きており、物部氏が聖徳太子のモデルとされた人物を殺したのではないか、としました。 藤ノ木古墳の真西に〈物部守屋墳〉なるものがあります。 藤ノ木古墳の二人の被葬者を文武天皇と長屋天皇(長屋王)と考えています。 ただし、検索してみましても、「長屋王の変」では、「物部氏」は出てこないようです . . . 本文を読む

物部氏が聖徳太子のモデルとなる方を殺した、のではないか

2023年08月10日 17時51分07秒 | Weblog
物部氏と「勝ち運」について検討したことがありました。 https://blog.goo.ne.jp/go-hot-ai2395/e/b61fe62aa34d6222bf522e864827ac8d 物部氏と「勝運の神」の空想 2015年12月22日 また、 〔藤ノ木古墳-大津皇子墓-大田皇女墓-石上神宮-赤坂天王山古墳〕の五角形も検討しました。 https://blog.goo.ne.j . . . 本文を読む

△大田皇女墓-大津皇子墓-箸墓と藤原宮

2023年08月03日 15時05分45秒 | Weblog
何度も書いていて申し訳ないですが、どうにも進みません。 藤原宮遷都は694年とされています。 大津皇子は686年に亡くなっています。 天武天皇の崩御の折、大津皇子が謀反を起こした、となっていますが、そうではなく、クーデターを起こしたのは、高市皇子のほうです。 また、天武皇后は大田皇女(おおたのひめみこ)だったはずです。 鸕野讃良皇女(うののさららひめみこ)が持統天皇に即位したことになっていますが、 . . . 本文を読む