以前にも似ている三角形をやってはいますが、今回は鸕野讃良(うののさらら・持統)は天智の娘ではなく、賀茂氏なのではないかということを探りたいためにやりました。
決め手とはいえないですし、物足りませんが、もしかしたら、なんとなくいいカモしれません。
高松塚古墳の方がいくぶん形はいいようです。
辺の比が5:4:3の直角三角形です。
高松塚古墳の被葬者は高市天皇(皇子)で、天武・持統の子と考 . . . 本文を読む
前回は鸕野讃良(うののさらら・持統)が賀茂氏の出身ならば、という仮想・仮定のもとに、鵜戸神宮-高鴨神社-天武・持統陵の直線には意味があるのではないかと予想しました。
何とも言い難い結果でしたが、今回はさらに、天武・持統陵と下鴨神社(賀茂御祖神社)を結んでみました。
この天武・持統陵-下鴨神社(賀茂御祖神社)の線上には
耳成山-平城京・朱雀門、第一次大極殿が並びます。
また線上とはいい . . . 本文を読む
鸕野讃良(うののさらら・持統)も、架空の天智の娘ではなく、豪族の娘ではないかと想像し、賀茂氏の一族だったのではないかとしました。
「鸕」と「鴨」というつながりに期待を込めました。
無理かもしれませんが、続けてみます。
鵜戸神宮-高鴨神社-天武・持統陵が一直線になりそうにみえます。
鵜戸神宮
北緯31度39分01.08秒 東経131度27分58.77秒
http://w . . . 本文を読む
まとまりませんでしたが、あきすぎるのもなんですので、とりあえず投稿します。
私の考えでは、何度もいっていますように、天智天皇は白村江の敗戦の責任を一手に引き受けさせるために創りだされた架空の存在です。
そして、天武天皇や天武の皇子たちと婚姻関係になった天智の娘たちは、実は各豪族たちの娘たちで、これまた白村江の戦いに関して、豪族たちが責任を免れるために天智天皇の皇女ということにしたものと考えました . . . 本文を読む
ほんの少し付け足します。
私の考えでは、藤原不比等は物部連麻呂に文武天皇を倒してくれたら、連麻呂を王位につける、ことを約束したはずです。
王位につけるから文武天皇を裏切って、自分を助けてほしい、といったと考えています。
それの補強です。
今まで何度もやっています。
で、はしょりますが、ともかく
物部麁鹿火(もののべのあらかい)、物部守屋には物部連麻呂(石上麻呂)が投影されている、と考えています。
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私が気になったのは像そのものではなく、光背でもなく、その光背を支える支柱が竹に擬せられていることです。
竹そのものではなく、木を竹のように見せかけるがごとく節がつけられている柱に光背は支えられていることです。
https://www.google.co.jp/search?q=%E7%99%BE%E6%B8%88%E8%A6%B3%E9%9F%B3&tbm=isch&tbo=u&source=u . . . 本文を読む
今一つ理解できないところがあります。続けますが、ご勘弁のほど。
663年白村江の敗戦後、日本が白村江で唐・新羅の連合軍に戦いを挑んだのは、660年に滅んだ百済王の遺児・豊璋が日本で実権を握っていたからだという虚構を造ろうとしたのではないか、というのが前回の推測でした。
百済系がクーデターを起こし、実権を握り、663年白村江に参戦し、672年に再び正統性を持つ天武系が復活したということにすれば、日本 . . . 本文を読む