古代日本史への情熱

記・紀・源氏は魏志倭人伝の奇跡的で運命的な間違い方(逆)の構造どおりに記述されている。倭人伝にあるのは現代史と未来史

カラスとキツネ

2015年11月25日 15時19分38秒 | Weblog
以下、考えましたが、まとまりません。中途半端なまま、ともかく投稿します。

下鴨神社(賀茂御祖神社)-熊野本宮大社の直線上に数多くの寺社だけでなく陵ものっています。









とりあえず、その中で、特に興味深かったのが、伏見稲荷大社です。

伊呂具秦公(いろぐの はたの きみ)が餅を的にして矢を射ったところ、その餅が白鳥となって飛んでゆき、降りたところで稲がなった。そこに社を造った。
そして、伊呂具秦公は賀茂建角身命 (かもたけつぬみのみこと)の子孫のようです。

http://inari.jp/about/num10/
《伊奈利社ご鎮座説話
稲荷大神のご鎮座に関する最も古い記録とされているのは、『山城国風土記逸文伊奈利社条』です。これにはまだ和銅4年(711)云々というご鎮座年代は出てきていません。しかし「秦中家忌寸《はたのなかつえ いみき》等遠祖伊呂巨(具)秦公」の時代に、彼が「積二稲梁一有二冨祐一」であったところから「用レ餅為レ的」したところ、それが「白鳥」と化して山の峰に飛んでゆき、「生レ子」んだ或いは稲が生じたので、その奇瑞によって「遂為レ社」した、そして「其苗裔悔二先過一而抜二社之木一殖レ家祷レ命也」とあり、「為レ社」した者が「伊呂巨(具)秦公」であったことが明記されています。この伊呂巨(具)について、「稲荷社神主家大西(秦)氏系図」によると、「秦公、賀茂建角身命二十四世賀茂県主、久治良ノ末子和銅4年2月壬午、稲荷明神鎮座ノ時禰宜トナル、天平神護元年8月8日卒」と記され、先にも述べた通り賀茂県主の子孫と称されています。》

賀茂建角身命 (かもたけつぬみのみこと)は下鴨神社(賀茂御祖神社)の祭神ですし、餅が白鳥に変わった、というのも前回考えたようにカラスとウサギの合成が白鳥と考えますと何かつながりを感じました。
それを考えようとしたのですが、とんでもないことを思いつきましたので、方向転換して、そっちに行きます。
なぜ、お稲荷さんでは狛犬ではなくキツネなのか、ということです。










色々な説がありました。

http://homepage2.nifty.com/osiete/s420.htm
稲荷の神と同体と考えられる御饌津(みけつ)神が誤って三狐神と書かれ、そこから狐が登場した。(「けつ」は狐の意味の古語。今でも狐を「けつね」と呼ぶ地方はありますね)
(一番よく聞く説)
 穀物を食べる野ネズミを狐が食べてくれるので、狐を穀物の守り神と考え、そこから結び付いた。
(実はこうだろう、とよく本に書いてある説)
 伏見の地には秦氏が入ってくる以前に狩猟の民が山の神を信仰しており、その象徴が当初狼であったのが、いつか狐に変化して後からやってきた農耕の民たちの神と習合した。(梅原猛説)
参考URL:f-anecs
http://www.ffortune.net/spirit/zinzya/miya/inari.htm
《御饌津(みけつ)神が誤って三狐神と書かれ、そこから狐が登場した。(「けつ」は狐の意味の古語。)》

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%AB%E3%83%8E%E3%83%9F%E3%82%BF%E3%83%9E
記紀神話に登場する食物神は、天照大神や天皇の食事を司ることから「御饌津神」(みけつかみ)とも呼ばれるが、ウカノミタマには「三狐神」の字が当てられている。これは関西方言では狐を「ケツ(ネ)」と呼んだことから付けられたといわれる[9]。

しかし、いかがでしょうか。
「御饌津神」(みけつかみ)を「三狐神」と字を当てるのは、ありえないことではないでしょう。
ですが、「狐」が、初めから必要とすると、無理やり「御饌津神」(みけつかみ)を「三狐神」と間違えることにした、ということもありえます。
これは自然の間違いではなく、故意に間違えたものかもしれません。
伏見稲荷大社は711年創建とされています。
http://inari.jp/about/
当社の御祭神である稲荷大神様がこのお山に御鎮座されたのは、奈良時代の和銅4年(711)2月初午の日のこと。

710年平城京遷都、712年古事記、720年日本書紀という時代に、こんな程度の低い間違いをするでしょうか。(いや、逆で、程度の高い間違いかな)
(ただし、故意の間違いはいくらでもあります。)

強引に進めます。
これは、イソップ寓話からきたものではないでしょうか。
イソップ寓話に「カラスとキツネ」があります。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8B%E3%82%89%E3%81%99%E3%81%A8%E3%81%8D%E3%81%A4%E3%81%AD
あらすじ[編集]
鴉が大きな肉をくわえて高い木にとまった。いざ食べようとしたときに狐に声をかけられ、容姿についていろいろと褒められる。鴉は肉を食べることを忘れ、しばし聞き入ってしまう。そして狐が「きっと素晴らしい声をしているんだろうなあ。ああ、声を聞いてみたい」と言うと、鴉は「カー」と高らかに鳴き、くわえていた肉は下にいた狐の口に収まってしまう。

さて、下鴨神社(賀茂御祖神社)-熊野本宮大社の直線は八咫烏(やたがらす)の北上の線です。
下鴨神社(賀茂御祖神社)の祭神は、賀茂建角身命 (かもたけつぬみのみこと)で、化身が八咫烏でした。
カラスも賢いですが、もっと賢いキツネをその真南に配置すると、カラスに対する抑えになるのではないでしょうか。
(そういえば、稲羽の素兎もずるがしこいということになっています)

ただ、秦氏と賀茂氏がいがみ合うということがあったのかどうかわかりません。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B3%80%E8%8C%82%E6%B0%8F
賀茂氏
八咫烏に化身して神武天皇を導いたとされる賀茂建角身命[1]を始祖とする天神系氏族[2]。代々賀茂神社に奉斎し、山城国葛野郡・愛宕郡を支配した。子孫は上賀茂・下鴨の両神社の祠官家となった。また、賀茂県主は同じ山城国を本拠とする秦氏との関係が深い。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%A6%E6%B0%8F
秦氏
『日本書紀』において、応神14年(283年)、天皇に仕えた弓月君を祖とし、百済より百二十県の人を率いて帰化したと記されている。

《秦公、賀茂建角身命二十四世賀茂県主、久治良ノ末子》とありましたから、秦氏は賀茂氏から分かれたものなのかと思いましたが、わからなくなりました。

イソップ寓話からすると、伏見稲荷神社が下鴨神社(賀茂御祖神社)よりも上手だと伏見稲荷の方はいいたいのではないか、となります。
秦氏は渡来系だそうで、イソップ寓話を知っていたとしてもおかしくはありません。
しかし、秦氏と賀茂氏は古くから姻戚関係にあるようですし、たとえイソップ寓話から伏見稲荷大社にキツネがいたとしてもそれほど意味はないのかもしれません。
ウーン、面白い思いつきの気がしたのですが・・・・。

イソップ寓話には猿とキツネの話もあります。

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