古代日本史への情熱

記・紀・源氏は魏志倭人伝の奇跡的で運命的な間違い方(逆)の構造どおりに記述されている。倭人伝にあるのは現代史と未来史

高千穂峰-紫香楽宮跡-諏訪大社上社本宮は一直線上

2009年03月21日 00時18分57秒 | Weblog


 グーグルアースでは社務所に印があるのでそこにしてみました。
 計算は、自分で諏訪大社上社本宮だと考えたところに印を置き、そこでやっています。大して変わらないですが・・。






紫香楽宮は特異な位置にあることは、繰り返し見てきました。
これも付けたしみたいなものです。
こうなると、どうってこともないといえばどうってこともありません。

2/17には高千穂峰・扶余(プヨ)と(阿武山古墳・恭仁宮跡・紫香楽宮跡)の位置をみましたが、高千穂峰-諏訪大社上社本宮の直線上に紫香楽宮跡がのっていることに気がついていませんでした。

2009・2/17
http://blog.goo.ne.jp/go-hot-ai2395/e/b548b9d5d5b1c037f60a28768582840f

‘ウォッちず’では紫香楽宮跡(甲賀寺跡)は
北緯34度55分8秒(または7秒)、東経136度4分57秒になっています。
ところがグーグルアースでみると、印は
北緯34度55分5秒、東経136度4分57秒にあります。
これはどうも、紫香楽宮跡の石碑の立っている位置のようです。
‘ウォッちず’では石碑らしきものの位置でした。

Ⅰ高千穂峰→紫香楽宮跡(甲賀寺跡)
  ①53.4707度 ②236.315度 ③585.5989km
Ⅱ高千穂峰→諏訪大社上社本宮
  ①53.4830度 ②237.509度 ③805.4869km
Ⅲ紫香楽宮跡(甲賀寺跡)→諏訪大社上社本宮
  ①56.3606度 ②237.541度 ③219.8881km

219.8881+585.5989=805.487km

Ⅰ①、Ⅱ①とⅢ①の角度は3度近くも違いますが、この三地点は一直線上になります。
地球が球面であるから起こることです。
何度もいいますが、大和朝廷は地表が球面であることを知っていたから、紫香楽宮跡(甲賀寺跡)を高千穂峰-諏訪大社上社本宮の直線上(測地線上)に置くことができたのです。

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 法隆寺夢殿と箸墓と(紫香楽... | トップ | 扶余(プヨ)、高千穂峰、竹... »
最新の画像もっと見る

Weblog」カテゴリの最新記事